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2014年12月31日水曜日

出来上がったHP

~エスペランサ村へようこそ~

 いつかHPを作りたいと思っていました。しかし、自分で作ることができるとは全く思っておらず、制作業者を探して依頼しようと思っていながら、時間だけがどんどん過ぎ去っていってしまいました。


 きっかけは、秋田市内に事務所を構える、私と同じ姓を名乗る税理士でした。「HPなんか、簡単に作れるよ」と、私に教えてくれたのです。


 ちょうどジャストシステムの「ホームページビルダー」の最新版が出て間もなかったため、思い切って購入。このたび、自分の手でオリジナルHPを作ることができました。


 http://esperanza-village.com


 作りはじめた当初は、たくさんのページを用意しようと思ったのですが、なにしろまだ「村の集会所」も完成していないし、エスペランサ村の収穫もまだまだですので、最初はあまり欲張らないことにしました。ページ数は17枚。サイトナビに表れているページだけではなくて、サイト内からも、他のページにリンクを飛ばしてみました。

 これから時間をかけて、少しずつ充実させていくつもりです。


 これで、今年やるべきことはすべて終わり。後は最近アマゾンから取り寄せた「あじさいの唄」でも読みながら、新年を迎えることにしましょう。

2014年12月30日火曜日

届いた1枚のDVD

~来年の抱負~

 「自然農園」で、「自然薯」をはじめ無農薬野菜に挑戦しているKさんから、一枚のDVDが届きました。さっそく拝見します。


 Kさんは、3年前に東京から隣町に移住してきたのですが、その地で農業を始めたことに地元のテレビ局が注目し、ニュースで大きく取り上げられました。DVDには、テレビで放映された映像が収録されていました。「自然農園」のKさんと、「元ちゃん農園」のGさんが、一緒に自然薯の初めての収穫を行っています。お二人は、私の無農薬栽培の師匠でもあります。

 

 拙ブログでも紹介したのですが、お二人は11月初めの三日間、「体験農園」を開催していました。私も一日だけ参加して、大きな自然薯を掘りあてたのですが、その体験農園の様子もテレビで放映され、DVDに収められていました。


 Kさんとは、最近メールでいろいろやり取りをしていますが、Kさんの来年の目標は、自然薯を1,000本収穫すること。そのほかにも無農薬でいろんな野菜を作るそうです。羨ましいです。


 私の「エスペランサ農園」はまだまだこれからで、堆肥もまだ敷地の一部にしか撒いていません。Kさんは「とにかくいろんなところにいろんなものを植えてみたらいい。たとえうまくいかなかったところがあったとしても、その結果からいろんなことを学ぶことができる」とアドバイスしてくれました。


 確かにそうですね。4,000坪の果樹園・野菜畑といっても、おそらく場所によっては土質が異なるでしょうし、堆肥を投入したところや、なにも手を加えていないところもあります。また同じ土でも、土質が合う野菜や合わない野菜があるはずです。いろんなパターンで試してみれば、だまっていても結果が教えてくれることでしょう。


 雪景色もなかなか趣があっていいのですが、今から雪解けが待ち遠しいです。



2014年12月29日月曜日

負の連鎖

~農家の淘汰が始まるのでは~

 農家の平均所得は、一般サラリーマンの平均水準より低いと言わざるを得ません。農家は、食料はある程度自給できるので、いざという時には強いのですが、現金収入が少ないため、兼業する人が多いようです。したがって、都会人のような派手な暮らしはできません。


 一方、会社勤めのサラリーマンは、普通に働いていれば、生活には困らないどころか、少々贅沢な暮しができるだけの現金収入を得ることはできるでしょう。しかし、万一の場合は日々の食糧にも困るかもしれません。ふだんは気がつかないけれど、ある面脆弱な基盤の上に成り立っているともいえます。それに、組織の中では厭なことがあっても、給料のためにはじっと我慢しなければならないことも多いでしょう。


 サラリーマン生活を辞めて、就農を目指す若者が増えているとはいいますが、現実は悩ましいところです。


 その、現金収入の少ない農家ですが、昨年我が国の総理大臣は、「農業所得を今後10年間で3倍にする」と宣言しました。


 また一方では、この地方の新聞には「農協が農家から買い取る今年の新米価格が、60キロ当たり8,500円に決定し、昨年よりも3,000円も下落した」という記事が大きく掲載されていました。この金額では、とても米農家としてはやっていけません。


 ここで問題なのが、どんな米を作ろうが「一律8,500円で買い取り」ということだと思います。私がいつもアドバイスを受けているHさんは土を販売しているのですが、例年10月には、田んぼに良い土を入れるために農家の方たちが土を買いにくるので、とても忙しいそうです。


 ところが今年は、誰も土を買いに来ないといいます。なぜか?それは、これだけ米の買い取り価格が下落してしまっては、土を購入していては採算が合わないし、そもそも良い土を入れて良い米を作ったとしても、そうでない米と買い取り価格が同じで、しかも低く抑えられていたら、高いコストをかけて良い米を作る気にならない、ということなのですね。


 コストをかけずに作った米は、やはり品質は当然落ちるでしょう。そうするとますます米離れが進んでしまいます。悪循環ではないですか。これでは「農家の所得を3倍にする」どころか、多くの農家が稲作から離れてしまい、離農せざるを得なくなってくるでしょう。そして、ごく一部の大規模農家だけに農地が集約されて、大規模経営で成功した人だけが生き残っていけるのです。これではまるで資本主義の論理というか、一般企業の論理に他ならないですね。


 これが日本の農業のあるべき姿なのだろうか。


2014年12月26日金曜日

HPの制作は続く

~自分でなんでもやってしまえ~

 一般の企業でもそうだと思うのですが、監査法人に勤めていたころは、経験年数を重ねていくにつれて、作業はだんだん人任せになってしまいがちです。一般的にいって・・・一般的な話ですよ・・・中には、何から何まで人任せ」で、「いいところだけもっていってしまう」人もいるのかもしれません。でも組織にとってはそれが普通なのかも。組織というのは、どこでもそうやって成り立っているのですから。


 でも、私はそれが嫌だったので、自分でできることは、なるべく自分でやってきたつもりでした。「いや、そうじゃなかったぞ!」と思われた人、私が悪かったです。ごめんね。


 さて、「HPの制作」に取り掛かりました。何から何まで自分一人でやらなければなりません。電話でのサポートシステムもないので、教科書とにらめっこしながら、ああでもないこうでもないと、試行錯誤を重ねながらコツコツ創り上げていきます。 


 隣では堆肥研究家が、「いったいブログとどう違うの?」と、私にとっては一番言われたくないことを、容赦なく訊いてきます。そっとしておいてほしいのだ。慣れないことをやっているので、私もだんだん無口になってきます。ふ~、なかなか大変です。


 一番困ったのは、テンプレートでした。このホームページビルダーは、テンプレートや図柄の多さをうたい文句にしていて、それをドラッグして貼り付ければ、HPが楽に作れますよ、ということなのですね。


 ところが、私にとっては、このテンプレートが邪魔で困っているのです。なにしろ、いくら探しても、私がイメージしている「エスペランサ村」にふさわしいテンプレートや図柄がないのですよ。


 仕方がないので、テンプレートやすでに挿入されている写真・図柄を削除するところから始めなければなりません。いったん削除しはじめると、間違って削除してはいけないところも削除してしまい、頭を抱えてしまいます。


 でも自分のHPを、自分の思い描いているイメージで作り、それがだんだん形になってくるというのは、大変ですが、なかなか楽しいものです。


 また、ジャストシステムのサーバーを利用しているので、そこで新たにメアドも取得。かつて使い慣れていた「アウトルック」に、サーバー情報等を設定して、使えるようにしました。これもいままでやったことなかったなぁ。


 これでメアドは、スマホ以外に、自宅用、個人用、越麻呂公認会計士事務所(もちろん仮名)用、に加え「エスペランサ村用」と5つになってしまいました。ちょっと多すぎますね。


 HPは年内に公開したいのですが、間に合うだろうか。


2014年12月25日木曜日

青色申告

~税務署との対面~

 三択問題です。

<所得税の確定申告書の「青色申告書」は、なぜ青色申告書というのでしょうか。正しいのを下の1~3から一つ選びましょう>


①申告書用紙が青いから青色申告書といいます。帳簿を備えて正確な記帳を行おうとする納税者に認められます。

②青空のように澄んだ申告をする優良申告者が青色申告書で、危ない事業者は黄色、脱税業者は赤色申告書といいます。

③資本金1億円以上の大会社の申告用紙は青色で、中小事業者は白色です。


 今をさかのぼること約32年前、はじめて「雑学本」を書いた時にも同じ問題を書きました。

 答えはもちろん①ですね。


 さて、私も来年から青色申告をするつもりです。そのためには、税務署に所定の用紙を届けなければなりません。ケートラ「越麻呂号」に乗ってさっそく税務署に行ってきました。


 窓口で「越麻呂公認会計士事務所(もちろん仮名)」の名刺を差し出し、

 「さて、これからここで開業しますのでよろしく」

 と伝えたところ、税務署の職員の方が名刺を見るなり

 「中で挨拶していきますか」

 と、奥の部屋に私を導こうとします。私は慌てて

 「今日は書類を取りに来ただけですから」

 といって、丁重にお断りしました。

 なにしろ私は普段、いつでも開墾作業ができる服装ですごしているので、この格好ではさすがに抵抗があります。あの職員は私の格好を見て、とても公認会計士・税理士とは思わなかったろうなぁ~。


 
 そろそろ本業の準備に取り掛かりましょう。

2014年12月24日水曜日

麹作りに挑戦

~冬の準備を少しずつ~

 寒さがだいぶ厳しくなってきました。エスペランサ村のある場所からは、車で5分もいけば大型スーパーがあるし、さらに別の方向に車を5分ほど走らせれば、大型ショッピングモールがあるので、日常生活に不自由するということはありません。


 ただ、食料はなるべく自給したいし、食品添加物まみれの食材を身体に入れたくないので、添加物が入っていない自然の食材を大量に確保しておきましょう。


 そのために、村の集会所には「食品庫」なるものを作ります。「大型冷蔵庫」も二つ分のスペースを用意しました。お酒は、名古屋にいるときにお世話になったN酒店に連絡を取り、「空」を5本と「〆張鶴の金ラベル」5本、それに最近人気のあるお酒も何種類か入荷。なかなか手に入れることができないお酒ですが、長年のお付き合いで特別に調達できました。井筒ワインも4ケースまとめ買いです。


 数年後には果物も大量に手に入るはずです・・・たぶん・・・。果物は、旬の季節でなければ食べることができないのですが、加工して冷凍すれば1年中食べたい時に食べることができます。その時は「冷凍庫」が必要になるため、置く場所も確保しました。準備は着々と進みます。


 3月に名古屋の料理教室「ベターホーム」で作った「みそ」ですが、この地に来た時がちょうど食べごろだったので、味噌汁を作ってみました。これがとてもおいしいのです!市販の味噌で作ったみそ汁とはあまりにも味が違いすぎて、うれしくなって毎日具をたくさん入れた味噌汁を作って喜んで飲んでいたら、1カ月半くらいでなくなってしまいました。


 しかたがないので、もう一度味噌を作ろうとしたのですが、なにしろ仮住まいの家では、引っ越ししてきたときの荷物をできるだけ開けないことにしているので、本はそのまま段ボール箱の中です。結局ベターホームで購入した「味噌の料理本」も、取り出すことができませんでした。残念。


 ところが、大家さんが「一緒に麹を作らないか」と声をかけてくれました。なんでも自分でやってしまう大家さんは、なんと麹を作る「室」を持っているのです。さっそく堆肥研究家が麹作りに挑戦です。室までカメラは侵入できないので、その間、私は家に閉じこもってHPの製作です。


 大家さんの家には、ご自分で作った麹を原料にした味噌蔵がありました。


 そして、味噌蔵にある熟成した味噌を大きな甕にいれて「甕ごとあげる」とおっしゃるではないですか(手前の甕がいただいたものです)。やれ、うれしや!


 これでまた市販の味噌で作ったみそ汁とはおさらばです。毎週いただくうみたての卵と、自家製みそで作ったみそ汁があれば、朝食は万全です。それにしても、いただいてばかりで申し訳ないです。


2014年12月22日月曜日

久々「お-い栗之助」

~届いた新聞の切り抜き~

 1か月ほど前のブログに、「中日新聞は内容が客観的で、主義主張に良識がある、とてもいい新聞である」旨の事を書きました。加えて、


 「四コマ漫画の『おーい栗之助』がとても面白かったけれど、この地に引っ越ししてきたので残念ながらもう読むことができなくなった」


 と書いたのですが、先日、堆肥研究家の友人Mさんから大型封筒が届きました。中には、中日新聞の「おーい栗之助」切り抜きが、たくさん入っていました。ご厚意に感謝!!です。


 そこで私は、「おーい栗之助」がもしかしたら単行本になっているのではないかと考え、アマゾンで検索してみます。そうしたら驚きました。タイトルこそ異なるのですが、「あじさいの唄」というタイトルで、1994年ごろからビッグコミックに連載されていたようです。20年くらい前です。


 「あじさいの唄」は、単行本で15冊くらい出ているようで、古本ですからとても安いです。さっそく注文しました。


 また、ブログを書いていると、メールで感想を送ってくださる方もいます。うれしいです。読んでくれているのだと思うと、こちらも励みになります。


 HPの製作に取り掛かっているのですが、「esperanza-village」でドメインを取得することができました。また、HPビルダーの解説書を読んでいたら、HPからブログにリンクを飛ばすことができるようです。両方で情報発信していくことにしましょう。


2014年12月20日土曜日

エスペランサ村のHP制作

~HPビルダーを購入した~

 雪解けが終わるまでは、開墾作業や植樹作業はできません。「晴耕雨読」ならぬ「晴耕雨耕」場合によっては

「晴耕雨耕風耕雪耕、猛吹雪一休後耕、我慢忍耐無我夢中」

で頑張ってきたのですが、もう限界です。自然に勝負を挑んでも、所詮かなうはずもありません。


 かといって、なにもしないで本だけ読んでいるというわけではないのです。春に向けた準備は、今からやっておかなければなりません。もちろん本業の準備もです。


 さて、今回やってみようと思っているのは、「エスペランサ村のHPの作成」です。以前から作ってみたいと思っていたのですが、東京から移住してきて隣町で「自然薯」を作っているKさんが、いよいよHPを立ち上げたことに刺激を受け、私も作ることにしたのです。


 さっそく「試用版」を無料ダウンロードして、試してみました。専門的なことは全く分からないのですが、自分でイメージを思い浮かべることができ、後は文章力さえあれば何とか作れるような気がしました。さっそくアマゾンで購入です。


 HPを作ったら、このブログはもう閉鎖というか、必要なくなるのだろうか?。

 「エスペランサ村」が開村したら、いままでひたすら距離を置いていた「フェイスブック」も始めたほうがいいのでしょうね。

 そろそろもっと広がりを求めて、いろいろやってみることにしましょう。


2014年12月18日木曜日

愚かだった日々

~そういえば忘年会の季節~

 まだ監査法人に勤めていたころ、12月は忘年会の季節でした。今気がついたのですが、そこには、忘年会に出席する回数を誇る、愚かな自分がいたのでした。


 数年前の拙ブログにも書いた記憶があるのですが、公認会計士協会の東海会会長を務めていた50歳から53歳までの3年間は、「忘年会・新年会の嵐」ですさまじかったです。


 20くらいある東海会の各委員会の忘年会への参加に始まって、勤めていた事務所の忘年会や監査チームの忘年会、他業種の忘年会への参加等、土日を除けば20日以上の連続飲み会で、しかもダブルヘッダーありで大変でした。


 もともとお酒を飲むのは好きだったし、手足のしびれや耳鳴り頭痛・不整脈等、体のあちこちに変調をきたしてはいたのですが、とりあえず肝臓だけは丈夫で、いくら飲んでもびくともしませんでした。


 「自分がいかにいそがしく働いているか」を自慢げに話す人が私の周りにいて(いまでも自慢しているのだろうか?)、それを聞いていると「この人かわいそうな人だな」と思ったものですが、今考えると、「自分がいかに多くの忘年会にお呼びがかかるか」を自慢げに話していた私は、聞き手側からすると、もっと愚かな人に思われていたことでしょうね。恥ずかしいです。


 昨年12月に、この地で高校の同級生7人と忘年会をやり、その場で「Uターン宣言」をしたのですが、それが現実となった今、自分を振り返る心の余裕ができたのだと思います。

2014年12月17日水曜日

冬景色

~白鳥の堤~


 11月30日までは本当に穏やかな天気でしたが、12月に入った途端、天候が急変しました。12月の今の時期で、これほど雪が降るのは珍しいそうです。


 雪かきが大変です。でも、開墾作業が一段落して運動不足ぎみになっていたため、ちょうどいいかも。

 おそらくこの雪はまだまだ序の口で、これから年末年始にかけてさらに積もっていくのでしょう。引っ越しを来年の15日くらいに予定しているのですが、大丈夫だろうか?


 8月にこの地へ来た時に、ホンダの「除雪機」を予約しておいたので、大雪対策は万全です。まだ除雪機を使うほどの雪ではないので出番がありませんが、そのうち試運転してみましょう。


 11月に白鳥が来た、近くの堤です。今は、このようになりました。

 
 
モノトーンの風景も、なかなかいいですね。まるで水墨画のようです。
 
 
 
 
 


2014年12月15日月曜日

シルバー人材センターの人たち

~それは私たちです~

 作家の五木寛之さんや嵐山光三郎さんではありませんが、人生50歳を過ぎたらゆっくり下り坂を降りる」のが理想の生き方です。監査法人で仕事をしていた時のように、何かに追われるようにあくせく働くのはもうやめにしましょう。

 そしてやりたいことだけをやり、後はお気に入りの酒器で好きな酒でも飲んで、たまには温泉にでもつかり、ギターを弾いたり本読んだりしてのんびり過ごすのです。そして、できれば人知れずひっそりと暮らしたいものだと考えているのです。


 ところが、この地に来てからの私たちの行動は、どう考えても目立ってしまいます。「あの人たち、いったいここで何をしようとしているのか」と、町の皆さん興味津々のようです。しかも名古屋と違って人間関係が非常に「濃厚」で、噂があっという間に駆け巡ります。巡り巡って私のところまで循環してくる噂は、事実と異なる噂ばかりでした。最初は戸惑いました。今はもう慣れましたけど・・・。


 先日も、全くの初対面の近所に住んでいるおばあさんに挨拶をしたのですが、

 「ああ、あそこに家を建てている人だね」

 という答えが返ってきます。うわっ、すごい。これでは、へたに悪いことはできないですぅ。


 噂はこのブログにかけない内容のものばかりなのですが、一つだけ面白い噂を聞きました。「私たちが、シルバー人材センターの人たちを雇って、開墾作業をやっている」というものでした。


 「朝早くから夕方まで、刈払い機で草刈りをやっているけど、草刈りの専門家みたいだよ、女性なのにプロみたいだね」

 「なんだかかわいそうに、男の人と女の人が、一生懸命腰をかがめたまま、葦の引き抜き作業なんかさせられて・・・」

かと思えば、今度は

「一輪車で堆肥運びを延々と・・・あれでは体壊すわなぁ」

 といったところでしょうか。

 そんな噂が巡り巡って私たちのところにきます。私たちは近所の人に聞かれます。

 「シルバー人材センターの人たちを雇ったんですか?」

 「はぁ??」

 最初は何を言っているのかよくわかりませんでしたが、しばらく話しているうちに事情を呑み込むことができました。

 「あの・・・シルバーセンターの人たちって・・・それ、私たちなんですけど・・・」


 せっかくの面白い作業を、人にやってもらうなんてとんでもない。まして、高齢の方たちに重労働させて自分たちがぬくぬくしているなんてありえない。「自分たちが自ら開墾することに、楽しみがある」のですよ。







2014年12月13日土曜日

初めての植樹・・・続き

~愛情をこめて一本ずつ~


 いただいた「ブラックベリー」「ラズベリー」をさっそく植えることにしましょう。


 この日も信じられないくらい空が青かったです。


 まずは「備中鍬」穴を掘ります。通常の鍬よりも、はるかに掘りやすいですね。今回植える場所は、夏に刈り取った雑草が枯れて地面を覆っていますがが、もともと畑にしていたところでしたので、土は柔らかく掘りやすかったです


 とはいえ、「いちご白書をもう一度」の歌詞ではないですが、「♪もう若~くないさとぉ~♪」自分に言い訳しながらも、休み休み掘っていきます。無理は禁物なのだ。


 掘った穴に、S畜産から入手した堆肥を埋めていきます。この作業で活躍したのは、「第一区画」で堆肥研究家が愛用した「バケツ」でした。一穴にバケツ4杯の堆肥を投入します。そしてそれに土をかぶせて、足で踏みこんで固めます。固めるのは堆肥研究家ではなくて、私の役割です。


 正式に植えた「ブラックベリー」



 「イエローラズベリー(ジョイゴールド)」です。



 これらは順調にいくと、来年には実がつくはずです。


 「梅」「カキ」続いて三つ目の収穫物になることでしょう。冬に備えて落ち葉をたくさん敷き詰めてあげることにしましょう。






2014年12月12日金曜日

初めての植樹

~いただいたブラックベリーとイエローラズベリーの苗~


 本格的な植樹は来年の春からと考えていたのですが、「元ちゃん農園」のGさんが、「ブラックベリー」の苗があるから分けてあげると言っていたのを思い出しました。


 Gさんは、キウイ園の周りを「ベリー類」で囲んでいて、今年の夏に見学に行った時、ラズベリーもごちそうになりました。その時の味は忘れられません。特にイエローラズベリー(「ジョイゴールド」というらしいです)の味は、大人の味というか、格別でした。


 さっそくGさんに電話して、農園に押しかけます。ブラックベリーは、堆肥の小山に仮植えされていました。

 これを分けていただきます。20本ほどあります。タキイ種苗やサカタのタネのカタログを見ると、1本2千円~3千円くらいします。ここで育ったものは、もともとはコメリで安く買ったものだそうです。高ければいいというわけではないのだ。

 そして、私の好きなジョイゴールドの苗も、その場でスコップですくって、5~6本分けていただきました。


 Gさんといろいろ話していると、ケートラがやってきました。おやっ?東京から移住してきた「自然薯にかける夢」のKさんです。おお!天気がいいとこうやってみんな集まってくるのですね。私もうれしくなってきます。Kさんは、自然薯の勉強会を12月から月一で開催するそうです。この町発で自然薯を盛り上げていきましょう。


 私も自然薯をやってみたいのですが、なにしろ自然薯は土造りが命です。エスペランサ村の今の土の状態ではまだまだ無理でしょう。堆肥研究家は「アケビ園」を夢見ているのですが、私は「ポポーにかける夢」といこうではないですか。


 ブラックベリーやラズベリーは、蔓性の果樹ですので、支柱(イボ竹というらしいです)を苗木のそばにさしておいて、そこに苗木を結んでおけばいいのだ、と単純に考えていたのですが、どうやらそう簡単にはいかないようです。


 GさんとKさんは、素人の私たちにいろいろ教えてくれます。この日も空が真っ青です。


 たくさん教えていただいたのですが、なかなか頭の中で消化できないし、実際にやってみないとイメージが湧きません。


 たった一つわかったのは、ポールの立て方です。一列に並んだブラックベリーの両端に「単管」なるものを地中深く埋めなければならないとのことでした。そして、奥深く埋めこんだ単管と、軽く埋めた単管をクランクで止めて固定するのです。クランクは「自在」というものにしなさいとKさんはアドバイスをくれます。私はメモ帳を用意していなかったため、スマホを起動させメモ帳機能をつかって慣れない手でメモします。

 「単管」「クランク」「自在」「番線」「鋼線」・・・。

 ふぅ~!大変なのだ。

 帰り際、Kさんは「単管」を打ちつけるハンマーを貸してくれました。重い!Gさんは「番線」を引っ張って張り詰める「シメラー」なるものを貸してくれました。


 二人とも、「何かわからないことがあったらいつでも教えてあげるよ」「必要なものがあったら貸してあげるよ」と声をかけてくれました。


 お互い作りたいものは異なるけれども、目指しているものは同じで、要は

 「一生懸命自分の好きなことをやりながら楽しんじゃえ」

 ということだと思います。




2014年12月11日木曜日

「植樹編」スタート

~まずは「原木シイタケ」の「ほだ木」から~

 「整地・開墾編」もいよいよ終わりに近づいてきました。そして「植樹編」の幕開けです。「植樹編」といっても、華々しく活動するのは来年の雪解けを待ってということになるかもしれませんが、その前にやるべきことはやっておきましょう。


 まずは松林の中に育てる予定の「原木シイタケ」の準備です。恵那でMさんの教えのもと、ほだ木にシイタケの菌の打ちこみをしたのは、今年の5月でした。あれは参考になりました。

 
 「原木シイタケ」を育てるためには、肝心の「原木」つまり「ほだ木」を調達しなければなりません。さてどうする。


 ほだ木について、一番くわしいのは「森林組合」です。さっそく地元の森林組合を調べて電話します。森林組合ではほだ木の直接販売は行っていないようで、販売業者を教えていただきました。


 続けて業者に電話しましたが、話しているうちに、森林業界の事情なるものがだんだんわかってきます。新聞等である程度理解はしていたつもりでしたが、現実はなかなか厳しいですね。森の奥まで入っていって、木を切る人が少なくなってきているのだそうです。


 また、それに伴って、ほだ木を売る業者自体もだんだん減ってきているといいます。その業者が住んでいる町では、彼以外はもう誰もいないようですし、その隣町でやっていた業者も廃業したそうです。


 「自分で木を伐りに行きますか」ともいわれて、一瞬その気になりましたが、冬の雪山の中に素人が入っていって、チェーンソーで木を切るといってもうまくいくはずもありません。


 「どのくらい必要ですか」といわれたので、「50本~100本くらい」と答えます。その業者にはもちろん他に取引先もいるので、それだけの量の需要にこたえられるかどうかは、来年の2~3月になって、実際に森の中に入って木を切りに行ってみないと分からないといいます。話を聞いている限りでは、残念ながら空振りになりそうです。


 仕方がないので、ネットで調べてみましょう。アマゾンや楽天で検索してみるのですが、こんな短い木がこの値段ですか?!50本も買っちゃったら大変ではないですか。


 まだ時間はあるので、地元のネットワークや身近な情報、それに足を使って、じっくり探してみることにしましょう。



2014年12月10日水曜日

フジバカマの移植

~エスペランサ村の象徴~


 「フジバカマ」は、エスペランサ村の象徴です。昨年の9月に発見し、拙ブログにも登場しました。


 ネットでいろいろ調べたのですが、いわゆる世間で一般に売られている鉢植えのものは、本物のフジバカマとは程遠い姿をしていました。野生のフジバカマは大変美しいもので、一旦目にするとその魅力に引き込まれてしまいます。私もその一人です。


 野生のフジバカマは絶滅危惧種で、ほとんど目にすることはできないらしく、近くの公園に咲いているフジバカマのそばには、「切り取ったり持ち帰ったりしないように」と立て看板が掛けられていました。ということは、持って行く人がいるのでしょうか。大切に保護してあげなければなりません。


 その野生のフジバカマですが、エスペランサ村では、今年も何箇所かで咲いているのを見かけました。探してみると、結構あちこちに咲いています。昨年気がつかなかったところにも咲いているのを見つけました。


 9月に刈払い機で草を刈る時には、刈り取ってしまわないように注意し、また、フジバカマのそばにピンクのテープを巻きつけた棒を立て掛けて、目印にしておきました。そしてバックホーで天地返しをする際にも、慎重にその場を避けていたわけです。


 さて今回、整地・開墾している場所に残していたフジバカマを、仲間がたくさんいるところに移植してあげることにしました。幸い堆肥も入荷しています。


 慎重に「備中鍬」で根を一緒に付けたまま掘り返します。両手で大切に抱えて運んで行きました。来年の秋ごろには、また鮮やかな紫色で、訪れる人を楽しませてもらいたいものです。



2014年12月9日火曜日

ブナの苗のその後

~驚くべき生命力~

 堆肥がトラックで運ばれてきたのですが、一台分は「村の集会所」がある区画においてもらいました。


 「村の集会所」エリアには、来春、今は仮植えしてある樹木約50本を、正式に移植する予定なので、当然堆肥が必要になります。その堆肥を山積みししてもらった場所のそばには、7月の暑いさなかに植えた「ブナの苗木」が40本あるのです。


 この「ブナの苗木」ですが、植える場所を決めて土を鍬で掘り返してみたところ、土が固く、しかも石ころがかなり混じっていました。ブナを育てるには良い土とはいえません。時間的な余裕がなかったので、堆肥もほとんどあげていません。


 これらの苗木は、移植した後も、暑い日が続いたり、風が強かったり、雨が激しく降ったりという、かなり過酷な環境におかれることになってしまったのです。


 ブナの苗木が気になるので、気をつけて様子を見ていたのですが、だんだん葉が茶色く枯れてきました。やはり無理かなと思っていたのですが、なかには枯れた葉のそばから新しい芽が出てきているのもあり、その生命力の強さに驚かされたりしていたのです。


 さて、今回せっかく堆肥を大量に入手したのだから、遅ればせながら「ブナの苗木」にも堆肥をたっぷり投入することにしましょう。枯れてしまった苗木がたくさんあるのではないかと心配で、一本一本確認しながら堆肥を投入していったのですが、7月に植えた40本は、1本除いてみんな元気に生きていました。


 来年の春になったら、もっと間隔をあけて、のびのびと育つ環境のところに移植してあげましょう。




2014年12月8日月曜日

第二区画・第三区画の整地

~バックホー再び・・・まるで工事現場~


 「第一区画」の畑地帯はバックホーで天地返ししましたが、そのままの状態にしておくわけにはいかないため、Hさんに整地していただきました。おかげ様で、堆肥の投入作業に入ることができました。


 果樹園予定の「第二区画」「第三区画」は、実際に堆肥を入れて果樹の苗を植えるのが来年の予定なので、とりあえずはボコボコの状態にしてあります。でもやはり来年までこのままにしておくのには、外観上抵抗がありました。


 果樹は、広い土地に均等に堆肥を敷き詰める必要はなく、いわゆるピンポイントで投入すればいいらしいのですが、例えば植える種類によっては、狭い範囲でもある程度均等に敷き詰めておいたほうがいいのもあります。


 堆肥研究家は、世間では珍しい「アケビ園」を作るのが夢なのですが、アケビ園予定地には今のうちに堆肥を敷き詰めておきたいのですね。でも、私の技量ではボコボコの土地を整地するのは無理なので、来年の春まで待つしかないとあきらめていました。


 しかし、ここで再びHさんが登場します。先日、「村の集会所」建設の進捗状況を見に行ってみると、なんと「第二区画」の遠くのほうに、以前レンタルしたバックホーより一回り大きなバックホーが力強く活躍しているのが見えました。



 私はうれしくなって、バックホーのそばに駆け寄ります。Hさんは「最近いろいろ忙しいけれど、今日・明日は何とか時間が取れたので、今のうちに整地してあげる」と言います。おお!そうですか。我々も、堆肥の投入作業に力が入ります。


 私も時折、バックホーの作業を眺めていたのですが、その力強さに驚かされます。まるで工事現場にいるようでした。


 すんだ秋空の下、バックホーが炸裂します。


 結局朝早くから夜真っ暗になるまで、Hさんはバックホーを運転しっぱなしでした。


 翌日訪れると、再びHさんがやってきました。運転し続けて、お昼になっても一向に運転をやめようとはしません。私が運転に見とれていると、Hさんはエンジンを止め、ドアを開けて私に声をかけます。


 「ワシは終わるまでやめないから、あなた方はお昼にしてくれ」と。


 83歳のプロが食事もとらずに頑張っているのに、私たちだけ食事に行くはずないじゃないですか。


 こちらもそんなやわではありません。私も「備中鍬」を振りおろして、ブラックベリーを植える予定の場所に、次々と穴を掘っていきます。


 Hさんは休みなしで作業を行い、終了したのは午後3時半でした。

 整地された第二区画です。同様に、最も広い2,500坪ほどもある第三区画も整地されました。宅地分譲しようという誘惑に駆られましたが(うそですけど)、やっと畑や果樹園らしくなってきました。

 

 
 「整地・開墾編」も、もうすぐ終幕です。

 それにしても、この地方の高齢者といわれている人のプロ魂・底力を垣間見た思いでした。

 
 もちろんワシら50代だって、負けていられないのである!

2014年12月5日金曜日

役立ったゴルフ

~レーキでのならし作業~


 私は砂遊びが好きというわけではないのですが、なぜかゴルフボールは「バンカー」の中に入ってしまいます。決して入れようと狙っているわけではなく、むしろ避けているのですが、吸い込まれるように入ってしまうのですね。おそらくゴルフ場の設計家の罠にはまっているのでしょう。


 バンカーに入っても、砂をきれいに爆発させて(いわゆるエクスプロージョン・ショットのこと。ゴルフに興味のない人はすみません)、ピンそばに絡め、一発で沈めてパーという時は、胸のすく思いです。


 バンカーショットを放ったら、レーキできれいに砂をならしましょう。それがゴルファーの礼儀です。でも最近は、ごくまれにではありますが、砂をならさない人がいるようで、これには困ったものです。私は、我が人生数えきれないくらいバンカーショットを放っているし、今年だって156回くらいバンカーに入れているので、レーキで砂をならすのは、得意です。自慢じゃないですが・・・。


 さて、「ねこ」で堆肥を運んで撒くと、その都度小山ができます。満遍なく堆肥を敷き詰めるためには、きれいにならさなければなりません。そこで登場するのはレーキです。平らにならしていきましょう。

 ゴルフをやらない堆肥研究家は、最初は慣れない手つきでレーキを使っていましたが、


 
 ならしているうちにだんだんサマになってきます。

 

 ならしていて気がついたのは、堆肥はバンカーの砂と違ってふかふかだということでした。とても気持ちのいい感触で、ずっとやっていたいという思いに駆られます。


 そして写真からもわかるように、梅の木の先端がピンク色に見えます。もう来年の準備をしているのでしょうか。


 一通りならしたら、さらにこの上に堆肥を重ねていきましょう。S畜産社長も、仕事を終えて北海道から帰ってきたようです。




2014年12月3日水曜日

風雪の洗礼

~いきなりそうきますか・・・~



 天気が多少悪くても、自分のやりたいことをやっている分にはなんら苦ではありません。真っ青な青空のもとで堆肥を運ぶのはとても気持ちのいいものですが、大荒れの天気でない限りは、ピクニック気分で出かけます。


 それにしても、11月いっぱいまでは、ここはもしかしたら静岡ではないのか」と思うくらい、申し訳ないほどの暖かさでした。30日のゴルフも、ぽかぽか陽気の中でした。それが、12月に入った途端天気が急変します。


 12月2日は暴風雪警報が出て、この地方を通る新幹線が一時ストップするほどの風が吹いていましたが、午前中は、先日植えた「ブラックベリー」「イエローラズベリー(ジョイゴールド)」の苗木のそばに、緑色の支柱(いぼ竹)を添えてあげなければならないので、風が強くときおり雪が降る天気でしたが、ケートラに乗って出かけていきます。さすがに手の指が冷たかったです。


 午後はどうしようか迷いましたが、堆肥を投入できる時間がもう限られているため、少しでも作業を進めようと、思い切って出かけました。最近購入した「防寒防水防滑長靴」の出番です。


 一人、黙々と「ねこ」で堆肥を運んでいると、いきなり雲行きが怪しくなってきます。あらっ?と思っていたら、いきなり強風の中、雪が舞い始めました。


 猛吹雪で遠くのほうは白くかすんでしまっています。おお!なんということでしょう。一瞬で景色が変わってしまうのですね、

 

 「おもしろい!実におもしろい!」

 とガリレオ先生のセリフが口を衝いて出てきます。


 吹雪の中しばらく堆肥を運んでいたのですが、このままだとさすがに遭難しそうでしたので、引き上げることにしました。


 いよいよ本格的な冬の始まりかも・・・。


2014年12月1日月曜日

青空の下で

~絶好の堆肥日和~


 天気のいい日には、外に出てできるだけ作業を進めましょう。この青空は、絶好の堆肥日和です。


 ということで、翌日は3人体制でがんばります。3匹の蟻さんたちです。3人だと、いろいろ話しながら作業ができるので、なかなか楽しいです。


 ところが残念ながら、「一輪車」は2台しかありません。でも、使えるものは何でも使いましょう。おお!「バケツ」があるではないですか。小さな蟻さんです。


 「一輪車」で運ぶ作業は、やはり力が必要です。特に、スコップで堆肥をすくって一輪車に積む作業はなかなか大変ですね。ここは二匹の男の蟻さんに任せてください。


 ということで、堆肥研究家はバケツで運ぶ役割を担うことになったのです。小型スコップで二つのバケツに堆肥を投入し、両手でバランスを取りながら、第一区画を何度も往復します。


 バケツでコツコツ運んでいるうちに、やがて堆肥を敷き詰めた部分の面積が増えていきます。


 葦を引き抜く作業は、しゃがんだままの作業で腰を痛めてしまいますが、「バケツでの堆肥運びはいい運動になる」と堆肥研究家は喜んでいました。