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2014年4月30日水曜日

暗渠(あんきょ)

~逆転の発想!~



 エスペランサ村内で、果樹を育てたり野菜を作ったりするためには、水を確保する必要があります。また、大雨が降った場合に備えて、水が流れていく路も確保しなければなりません。全体の敷地の中で、どこにどのように水の流れを作ったらいいのか、これは今後のためにも大変重要な課題です。


 当初考えていたのは、現状梅並木の後ろ側に狭いながらも水の流れがあるため、そこをきれいに片づけて、土管を入れて水路にしてしまうという案でした。さっそくこの考えでどうかとHさんに相談するために、プレハブ小屋に向かいます。


 Hさんは、ここをいったいどうしたいのかと我々の話を聞いています。そのあとでHさんから出てきた案は、逆転の発想というか、全く想像もしていなかった案でした。


 Hさんから出てきた案は、梅並木の裏に水が流れている窪地をさらに広げて水路にするのではなくて、むしろ埋めてしまおうというものでした。埋める際には、冬に梅の木を剪定した際に大量に出てきた枝を使います。これです。



 そして、その上に土をかぶせるのですね。いわゆる「暗渠(あんきょ)」です。


 翌日、造園業者のFさんと庭園見学に行った際にお聞きしたのですが、大量の枝を埋めてつくる「暗渠」というのは、今でこそあまり見かけなくなったものの、昔はよく作られていたとのこと。土の下に適度な空間ができて水が流れるので周囲の樹木にとっても良い環境になる理想的な形なのだそうです。 おお!そうだったのか。それではさっそく行動に移すことにします。


 梅並木のさらに奥のほうには松林があり、そこには伐採された大枝や蔓等が足の踏み場もないくらい散乱していたので、とりあえず人力でも片付けようと考えていたところでした。
 それならば、捨て場所に困っていたそうした枝や小木なども、暗渠にする窪地に集めればいいわけです。梅並木の剪定枝と松林の大枝の両方を有効利用することができるわけです。


 伐採した松の枝を窪地に集めました。こんなにあります。




 そして次に、剪定された梅並木の枝を、一本一本窪地に埋めていきます。




 懸命に作業に没頭する堆肥研究家。


 「え~い!これでもかっ。ニャロッ!」




 そして最後に、上から土をかけます。


 
 この作業に、二人で二日間かかりました。上空高くトンビがぴーひょろ鳴いています。トンビの鳴き声を聞くのは何年振りだろうか。


 最後はこうなりました。素晴らしいです。




 あ~腰が痛て!



2014年4月28日月曜日

81歳の強力な助っ人

~重機をおもちゃ代わりに~

 

 エスペランサ村を整地・開墾するにあたって、最大のネックになるのは、やはりこの広さです。でも、この広さをうまく活用できれば、最大の武器にもなるのです。


 実はこのエスペランサ村内には、81歳になるおじいさん(といったら叱られそうですけど)が、プレハブ小屋を建てて住んでいます。Hさんといいます。エスペランサ村の土地の前の所有者で、この地域一帯を開発された方です。お住まいは大変なお屋敷だときいていますが、日中はほとんど毎日このプレハブ小屋を拠点にして、所有している近隣の土地の整地をしたり、畑作りや鶏の世話をしているのです。なんと魅力的な方でしょう。こういうこだわりを持った人は、わたしは大好きです。


 当初、この土地を私たちに譲ってくれるときに「プレハブ小屋を撤去する」と言っていたので、あわてて引き止めた経緯があります。Hさんは、この辺りの事情に大変詳しいし、何しろ物知りで、話すたびに毎回面白い話題が出てきます。ぜひ「エスペランサ村の村長」として、村を支えていただきたいと考えているのです。


 昨年末、地域の人が集まった時に、私がここでいったい何をしようとしているのかプレゼンを行った話は、拙ブログにも書いた通りです。そこで指摘されたのは、この辺りの土は赤土で、農業には適さないということでしたが、このことは私に重くのしかかっていました。でも、実際にはご近所の皆さんは、立派な畑を作っています。


 私たちはさっそくHさんに、畑の土をどうしたらいいかと相談しました。そうしたらHさんは「いい土を見せてあげるから、車で後からついてきなさい」と言い、四駆の車に颯爽と乗り込みました。


 車を少し走らせたところには、なんと良質の土の山と、大きな油圧ショベル(バックホウ)が置いてあるではありませんか。81歳のHさんは、バックホウにひょいと飛び乗って運転席に入り込むと、華麗にバックホウを操ります。


 そばでは堆肥研究家が見守っています。


 むむむむむ・・・これからどうなる?



 え~!すっご~い!


 よよよよ・・・
 
 

 いえ~ぃ!やったぁ~!



バックホウでひとかきしてとった土を、堆肥研究家が調べています。


 この土なら全然問題ないです。


 Hさんは、この土を使って耕してきたご自分の畑のようすを説明しています。



 ここには、今ひとかきした土以外にも、いわゆる黒土もあり、それから堆肥が混じったような、さらに畑に適した良質の土もありました。


 エスペランサ村の「土問題」に、光明が射した思いです。

 この後「整地・開墾編」は、いよいよ佳境に入ってきます。






 
 
 

2014年4月26日土曜日

税務業務解禁

 3月下旬に税理士登録の申請を行っていたのですが、昨日登録が認められました。これで税理士としての業務も行うことができます。


 少しゆっくりしたかったし、エスペランサ村の開村のこともあったので、税理士登録申請を意図的に遅らせていたのですが、タイミングとしてはこれでよかったのだと思います。


 監査業務は、公認会計士の独占業務です。その監査業務を、昨年まで長年行ってきましたが、今は競業避止義務の縛りがあるため、一休み中。


 上場会社は、大手監査法人が担当すればいいのでしょうが、会社法の監査や任意監査・学校法人の監査は、これからは個人の会計士や中小監査法人へと移っていくのが自然な流れだと思います。クライアントにとってもそのほうが望ましいことだと思いますし、いずれそうなるでしょう。







2014年4月25日金曜日

うれしいサプライズ

~Gのこだわり~


 私にとって「G」といえば、なんといっても「ゴルゴ13」です。「ゴッ、ゴル・・・いや、デューク東郷(冷汗たっぷり)」のゴルゴですが、今回のGはエスペランサ村から比較的近いところにお住まいのGさんのことです。


 4月2日の拙ブログ「コピペの威力」のところで書いたのですが、レストランを経営しているYさんにエスペランサ村のことを伝えてくれていたのが、Gさんだったのです。


 Gさんのお名前は、私も以前から何度かお聞きしていたのですが、私たちがYさんのレストランにお話を伺いにいく時間に合わせて、サプライズでYさんがGさんをお呼びしていたのでした。
 これは大変ありがたかったです。Gさんには、今回の滞在中にぜひお会いしたいと思っていただけに絶妙のタイミングでした。
 


 Gさんは、この地域でインテリア関係の会社を手広く経営する傍ら、様々な果樹の栽培も手掛け、「グリーンツーリズム運動」にも参加されています。趣味も大変豊富で交流範囲も広く、いろいろ面白いお話を聞くことができました。


 その翌日、設計家のNさんの事務所でエスペランサ村の集会所となる建物の図面の最終確認を行った後、さっそくGさんのところに電話しました(Gさんは、設計事務所とエスペランサ村の中間地点に住んでいます)。「よかったら果樹園を見に来ないか」ということでした。なんにでも興味津々の私は、迷わず行くことにしました。


 最初に見せていただいたのは、柿・栗・プルーンの果樹園でした。道路に面して住宅がずっと連なっているその裏手に、よく手入れされた広大な農地が続いているのは意外でしたね。
 続いて案内されたのが、少し離れた場所にあるキウイが栽培されている果樹園でした。これは圧巻でした。


 Gさんの栽培するキウイは、この地域だけではなく各地で評判です。キウイは酸っぱいというイメージがあるので私はあまり食べないのですが、Gさんの作るキウイを食べてキウイ嫌いがなおった女性もいるそうです。このキウイ以外は使わないというケーキ屋さんはじめ、このキウイでなければ困るという人たちにわけているとのことでした。


 
 
 どうもご本人はあまり商売っ気がないというか、本当においしいものをこだわりを持って食べたい人のために栽培しているといった感じでしょうか。一般的に、おいしいものはなんでも、東京はじめ都会に集まる傾向にあるようですが、Gさんは「都会では決して食べるこのできない、ここでしか食べることのできないキウイを作りたい」といっていました。なるほど、その気持ち十分わかります。


 キウイの木が連なるの棚のそばに、剪定されたキウイの枝が山積みになっています。冬の間に毎日コツコツご自分で剪定するのだそうです。これだけの量の枝を毎年剪定するのは寒くて大変だと思うのですが、やはり好きでなければできないのでしょうね。


 そばには堆肥の山がありました。おいしいキウイの決め手は、おそらくこの堆肥なのでしょう。堆肥研究家が目を輝かせ、堆肥の中に手を突っ込んで確認しています。堆肥を試食するのではないかと思わず心配になります。堆肥の中は温かかったそうです。私にも「手を入れて触ってみろ」と勧めていましたが、やめておきました。


 Gさんは「エスペランサ村を訪れてみたい」と言っていました。もちろん大歓迎です。農園のレイアウトをはじめ、いろんなアドバイスをいただけることでしょう。





2014年4月23日水曜日

今の梅並木

 たった今、エスペランサ村から最近の梅並木の写真が届きました。
 とてもきれいです。




人生の楽園

~自然循環型の食生活~


 4月2日、ブログ「コピペの威力 広まる噂」で紹介したYさんに、お話を伺ってきました。Yさんは、東京で37年間サラリーマン生活を送った後、55歳の役職定年をきっかけにご夫婦で田舎暮らしに転身された方です。移住してから5年になるそうですが、今ではお洒落なレストランを経営されています。


 最近私は、毎週土曜日に放送されている「人生の楽園」という番組を欠かさず見ていますが、Yさんご夫婦は昨年この番組に登場されたそうです(このことは、あとで友人から聞きました)。


 レストランには早めの時間に到着したので、車を置いてお店の周りを散策してみます。レストランの隣にはしゃれた小屋があったのですが、そこには2頭のヤギがいました。鶏は朝早く大きな声で鳴くので、近所迷惑になるおそれがありますが、ヤギはおとなしいし雑草を食べてくれるから、エスペランサ村でヤギを飼うのもありかな・・・などと考えをめぐらせます。


 さらに奥へ進むと、広い畑がありました。後でYさんにお聞きしたところ、ご近所の方がメロンを栽培してるとのことでした。
 このあたり一帯、静かな山里といった感じです。


 約束の時間になったので、お店に入ります。Yさんご夫婦が快く迎えてくれました。さっそくランチを注文したのですが、メニューにはこのお店のポリシーが記載されています。ヤギのお乳でスープを作り、堆肥を利用して無農薬野菜を作るという、いわゆる自然循環型」の食生活です。なるほど、こだわりがあっていいですね。今後のイベントの予定も掲載されていました。私の「ギターナマオケ」でよかったら、いつでも駆けつけますで。


 いただいたお料理ですが、サラダは地元産の野菜を使っているようで、どれもシャキシャキ感があっておいしかったです。特にアスパラガスは歯ごたえがあっていいですね。肉のソースも地元産のブルーベリーを用いた特製ソースでした。


 Yさんがおっしゃるには、お客さんの中にはパスタが好きな人もいればパンが好きな人もいるので、だったら両方メニューに入れたらいいではないか、また肉が好きな人がいれば魚が好きな人もいるので、だったら両方メニューに加えたらいいではないかという発想で、かなりボリュームのある料理でした。こういう発想は、お客様にとってうれしいことです。


 食事の後、奥様を交えていろいろお話を伺うことができました。やはり一番迷ったのは住む場所を決めることだったようで、休みを利用してあちこち探しまわったご様子。2年ほどかけて今の場所に定住することに決めたそうです。


 都会に長年住んでいる人たちにとって、里山に住むというのはとても贅沢なことに思えるのですが、地元の人からすると「なんでこんな田舎に住むんだ」ということになってしまいがちです。いろいろ価値観の違いはあるのでしょうが、地元に住んでいると、自分たちの地域の良さになかなか気がつかないということもあるかもしれません。


 Yさんご夫婦は、この地域に住んでからの5年間に、ご自分たちの思いを着実に実行しつつあるようでした。住み始めた当初はいろいろ御苦労もあったと思いますが、少しずつ自分のやりたかったことを実現していこうという前向きな気持ちは、大変参考になりました。おそらく我々の今の状況を聞いて、ご自分たちがこの地域にやってきた当初のことを懐かしく思われているのだと思います。


 ここのレストランとエスペランサ村とは、思ったよりも距離が近いということもあり、今後ともいろいろお付き合いさせていただきたいなと思いました。


 4人でいろいろ話し込んでいると、思わぬサプライズが待っていました。









2014年4月21日月曜日

レイアウト

~うすピンク色の梅並木~


 当初、確定申告の時期が終わったら、エスペランサ村を訪れようと考えていたのですが、今年の冬は3月下旬になってから再び寒さがぶり返してきたため、しっかり雪解けを待つことにしました。


 4月1日、再びエスペランサ村を訪れます。雪が降る前に草をしっかり刈り取っていたのか、全体を見渡すと、やけに広々と感じます。遠くから梅並木を眺めると、うすピンク色がぼんやりと浮き上がっているように見えました。


 近くに行ってみると、梅のつぼみもだいぶ膨らみ始めています。名古屋より1か月ほど遅れてるでしょうか。

 

 この地区では、春が一気にやってくるようで、梅と桜がほぼ同時に咲くそうです。そして、あたりは新緑の時期を迎えます。以前の所有者にお聞きしたところ、ここではこれからワラビやタラの芽などの山菜がたくさん取れるそうで、秘密の場所があるそうです。あとでこっそり教えてもらうのだ。


 今回現場に立ってみれば、どこに何を植えようかとか、いろいろアイディアが浮かんでくるのではないかと考えていたのですが、あまりにも広すぎて、全くイメージがわいてきませんでした。むしろ逆に、ここでいったい何をしたらいいのかと途方に暮れたくらいです。


 こうなったらこれからいろんな方々にお聞きして、あせらず時間をかけて少しずつイメージをふくらませていこうではないですか。



2014年4月18日金曜日

越麻呂の挑戦スタート!

~「整地・開墾」編~



 今日、エスペランサ村から帰ってきました。


 2週間ほど村の近くに滞在していたのですが、なにしろ今のエスペランサ村では、PCをネットにつなげる環境にないので、村に出発する前に、3週間分の骨董関係の投稿を設定しておいたのでした。骨董には全く興味のない拙ブログの読者の皆様には、「また骨董の話かよ」ということで大変申し訳ないことをしたのですが、骨董の話はとりあえずここで打ち止めです。


 来週からは、通常ベースの話題をアップしていきますが、とりあえずここ2週間ほどの出来事を書いていきたいと思います。題して「越麻呂の挑戦 整地・開墾編」です。


 なにやらタイトルだけは五木寛之さんの「青春の門」みたいですが、内容は「不良中年の夢」といったところでしょうか。さてどうなることやら。









酒器の面白さ


~古いものにだわりたい~

 骨董を収集するといっても、焼き物はもちろん木製品・ガラス・書・掛け軸・絵画・布・仏像・勾玉等それこそたくさんの種類があります。骨董市へ行ってみると、その種類の多さには驚かされるばかりですが、その中でもやはり焼き物の占める割合は、かなり高いのではないでしょうか。そして最も高価なものは、なんといっても茶道具でしょう。茶碗一個が数千万円というのも珍しくないそうです。

 
 私は、茶碗は好きですが、茶道はどうも自分には合わないので、茶道具に対する執着はあまりありません。私がこだわりたいのは、やはりというか酒器です。茶碗は、物本来のよさのほかにも、箱書きがあると値段が跳ね上がり、また伝来の良さも値段を決める際の大きな要因になります。私みたいな単なる酒飲み親父には、そこのあたりがなかなかついていけないというわけです。
 

 酒器に関しても、もちろん伝来の良さが関係してきます。青山二郎・小林秀雄・あるいは白洲正子旧蔵などとなったら、値段も跳ね上がったりすることもあるのでしょうが、茶碗ほど極端なことはないでしょう。また、ほとんど日常使いにできますので、物さえよければ、私は仕覆や箱書きにはこだわりません。巾着袋一つあれば、外へ持ち歩くこともできますので、フットワークも軽いです。
 

 酒器にはもちろん、現代物にもいいものもたくさんありますが、やはり古いものにこだわりたいです。なぜ古いものがいいのかは、言葉で表現するのは難しいのですが、あえて言うと、やさしさがある、味がある、それに同じものが二つとないといった希少性、かっこいい、自分だけが持っているといった優越感でしょうか。一度はまったらやめられない、まさに麻薬みたいなものです。吸ったことないですけど。

 それに、昔の人たちが使っていた時の周りの景色はどのようであったのかという、想像する楽しさもあります。

 

辻清明さんはじめ、小山富士夫さんなどいわゆる現代の陶工と言われる人たちも、古い酒器をたくさん集めていろいろ勉強されたと聞いています。いくらいいものであっても、経年変化あるいは使用による変化といったものは、300400年たたないと表れてこないものです。

例えば同じ志野でも、桃山時代のものと、現代の名陶工と言われる荒川豊三や魯山人の創ったものとは明らかに違います。これはいかんともしようがありません。また、昔のものが今も残っているということは、発掘品を別にすれば、それだけ大切に扱われてきたということでもあります。
 

 酒器に関しては、基本的には使えるものですので、口当たりの良さや手触りの良さが大事です。また、一つ一つが小さいため場所を取らないし、種類や形もたくさんあります。窯もさまざまです。それゆえ数多く集めることもできます。したがって、その時の気分で、毎日とっかえひっかえ使うことができます。

 欠点としては、その分集めてもきりがないというか、なかなか終わりがない、終着点にたどり着けないといったところでしょうか。
 

 酒器は、使えば使うだけ変化が生じ、とろとろになってきます。おお、お前もずいぶん飲んできたのだなぁと、語りかけるのも、楽しみの一つです。

 

 

2014年4月16日水曜日

おそるおそる京都の骨董街、新門前町へ

~そうだ、京都へ行こう~

 数年前の、まだ骨董がよくわかっていなかった頃の話です。

 なじみの骨董店でいろいろ教えていただきながら、数多くのものを見せていただいたり、ひっくり返したりのぞいたりしていると、ある程度は真贋がわかるようになってきます。そうすると当然もっと広い世界で見識を広めてみたいと思うようになりますね。これはなにも骨董の世界に限ったことではありません。向上心の強い人であれば、誰だってどの分野においてだって、そういうものなのです。ほかにもっといいものがあるのではないか、自分の知らない名品が、あるところにはあるはずである、自分の目がどこまで通用するのか試してみようという気持ちになって当然です。いわゆる「他流試合」というやつですね。そこで思い出したのは、JR西日本のキャッチフレーズ「そうだ、京都へ行こう」です。早速行ってみます。

 
京都の骨董街といえば、新門前町です。新門前町は、以前骨董には興味がなかった私が、骨董好きな連れ合いに誘われて、一度だけ行ったことがありました。でも、そこで購入したのは、いろいろ迷った挙句、結局は皿の2枚くらいだったでしょうか。印象に残っているのは、あるお店の店先に展示されていた白磁の徳利にすごく惹かれたのと、お店のおばさんに「白磁というのもなかなかいいものですよ」と言われたことです。その時は自分に自信がなくて素通りしてしまったのですが、その良さがわかってきた今となっては、なんで買っておかなかったのかと、大いに後悔しています。
 

新門前町にある骨董屋さんの中で、一軒だけ気になるお店がありました。ネットでいつも見ていたため、一度実際に行ってみようと思っていたのです。お店は思ったより小さかったのですが、中は雑然としていて、あちこちに物が所狭しと置かれています。その中から、三島の暦手の鉢が最初に目に飛び込んできました。そして棚の上には同じく三島の徳利が置いてあり、さらにその隣には高麗青磁の雲鶴紋の鉢が置いてあります。その三点に特に集中しながら、店の中をあちこち眺めていました。
 

一番ほしかったのは、暦手の鉢だったのですが、頭の中で上限金額を設定して、恐る恐る値段を聞いてみます。思ったより安い値段だったので、連れ合いと思わず顔を見合わせたのですが、同じようなことを考えていたらしく、うなずいてくれたので購入することにしました。その店主はどうやら外国人相手が中心らしく、大物の取引相手をお持ちのようでした。いかにも初心者っぽい私たちを相手に、本物と偽物の見分け方、傷の直しの見つけ方等をいろいろ教えてくれます。特に首の直しなどは、最近ではものすごく精巧にできるらしく、肉眼ではなかなか見分けがつかないのだそうです。簡単な見分け方を教えていただきましたが、お店の中ではあまりやりたくないです。
 

三島の徳利も青磁の鉢もほしくて値段を聞いたのですが、持ち合わせもあまりなかったし、旅先では気持ちが高ぶっているに違いないため、間違いを犯しやすいというリスクが頭をよぎりました。ほかのお店を一回りしながら考えようと思って、その店を後にしたのですが、二度目に通りかかった時には結局通り過ぎることになったのでした。
 

一日がかりで新門前町の骨董店を、足を棒にしながら歩き回ったのですが、やはりいいものはお店の奥の方にしまいこんであるのでしょうか、今回もそれ以上の成果物はあがりませんでした。京都駅の構内で「玉の光」と「桃の滴」の大吟醸を購入し、我が家へ向かってすごすごと新幹線に乗り込んだのでした。
 

もっと勉強してから再挑戦なのだ。

 

2014年4月14日月曜日

骨董好きの多い職業

~物を創造する人たち~

 骨董好きの多い職業別ランキングは、多分作家でしょうね。小林秀雄や川端康成が骨董好きだったというのは、あまりにも有名です。
 

 小林秀雄の骨董好きは、青山二郎や白洲正子関係の本や雑誌を読むとよくわかります。骨董にのめりこむうちに、文章まで変わったそうです。
 

 また、川端康成の骨董の買い方も、常人にはなかなかまねのできないような買い方だったようですが、カネ払いは悪かったようですね。骨董業者は、彼の姿を見つけるなり、いいものは隠してしまったとも言われています。持って行かれてしまい、お金は払わないことが多くあったようでした。ほかにも、秦秀雄や室生犀星など、骨董を愛した作家は数多いようです。

 
作家もそうですが、一般的に物を創造する人たちの中には、骨董好きな人が多いのではないでしょうか。芸術家や映画監督、それに芸能人もそうですし、コピーライターなども。もちろん金銭問題もありますので、一大財を成した経済人にも有名な骨董好きは多いです。益田鈍翁、松永耳庵などはその典型例です。
 

公認会計士はどうだろうか。私の身の回りでは、骨董好きだった方は、たった一人だけです。公認会計士は、監査する立場ですので、財務諸表の真贋を見極める力はあるのかもしれませんが、骨董の真贋を見分ける力は、ははたしていかに。

 

 

2014年4月11日金曜日

私とカオリンと骨董の三角関係

~私の名前のなかに含まれている字~

 陶磁器を作るには原料が必要です。粘土ですね。それがカオリンです。そのカオリンの由来を調べてみました。
 

「なんでも鑑定団」で中島先生が解説するなかでよく出てくる窯の名前に、「景徳鎮」というのがあるのですが、その景徳鎮の近くに「高嶺」という名の山地があって、そこから出てくる粘土が、古くから中国陶磁器の原料として使用されていたのだそうです。「カオリン」というのは、「高嶺」の中国音「Kaoling」です。なるほど。
 

 作家の椎名誠さんは、「ナマコ」が大変好きなのだそうです。「ナマコ」というタイトルの本を出版しているくらいです。その椎名さん、なぜ自分はナマコが好きなのかと考えたらしいのですが、あるとき自分の名前である「シイナマコト」の中に、なんと「ナマコ」が入っていることに気がつきました。それで納得したそうです。


 それはそれとして、私もなぜ骨董が好きなのかを考えてみました。そうすると、なんと驚くなかれ、私の名前の中に骨董の「董」という字が含まれているではありませんか。しかも、陶器の原料である「カオリン」です。私はカオリンという愛称で呼ばれたことはありませんが、もし女性だったなら、そう呼ばれていたかもしれないのです。
 

 もうこうなったら、骨董と一生お付き合いするしかないのかもしれませんね。



2014年4月9日水曜日

知らないことを知らないといえる素直さ


~意外性の多い骨董用語~

 骨董をやり始めると、わからないあるいは聞きなれない言葉が次々に出てきます。その都度「焼き物辞典」で調べたりネットで検索したりして、用語に慣れるよう努力しているのです。
 
 私が今までぴんと来なかった言葉はこんな感じ。
 

n  金シャリ…「キンシャリ?」銀シャリなら知ってるけど?あるいは「仏舎利」というのがあるから、骨になんか関係あるの?えっ?えっ??状態でした。

n  インチン…頭の中では「インチンインチンインチンチン」とリフレインしてしまいます。

n  黄瀬戸関係…タンパン・あぶらげ?…アンパンや食パンとは違うようですが…あぶらげなら知ってますよ、あのあぶらげ、揚げたやつでしょう?黄瀬戸と何の関係があるの?

n  袋物…袋物は相対的に価値が高いのだそうです。袋なら私も持ってるけど…二つほど…胃袋と…。

n  桃山時代…桃山時代ってこんなに長かったっけ?出川直樹さんの解説によると、骨董業界では桃山時代から現代までを言うのだそうです。

n  雨漏り…外国人などは、単に汚いだけと思っているかもしれません。

n  育てる…お酒を掌に付けて塗り塗したりして、とろとろにすること。酒を飲むための言い訳に使うようです。

n  べべら…初めて聞いた時は、びっくりしました。

n  虫明け…虫眼鏡を連想しました。

n  三島…三島神社の暦といわれても、見たことないのでどうもピンときません。

n  志野関係の「鬼板」「ねずみ」…鼠と鬼ですか?

n  刷毛目と無地刷毛目と粉引の違い…要は白泥の量に違いがあるようで。

n  砧…昔の洗濯棒の事でしょ?青磁と何の関係があるの?

n  備前関係の「ゴマ」…いいネーミングだと思います。
 

 他にもいろいろあるのですが、例えば「片身代わり」「火襷」「かいらぎ」なんてかっこいいですね。茶碗の種類でも「井戸」「ととや」「雲鶴狂言袴」など、だれが付けたのか面白いネーミングだと思います。


骨董関係の本や雑誌を読んでいて面白いのは、骨董言葉には、なかなか洒落た用語が多いということです。先人たちの発想には、なかなか味わい深いものがあります。

 

2014年4月7日月曜日

六角黄瀬戸はなぜ六角なのか

~六角を思いついた発想を考える~

 酒器の世界では、黄瀬戸といえば六角が有名です。「まだら」と同様、「六角」と聞いただけで頭が反応し、心臓はドキドキ脈打ち、吐く息ははぁはぁと荒くなってしまうほどです。「タンパン」「あぶらげ」「こげ」が六角黄瀬戸のぐい飲みの特徴とされており、この特徴がよく現れたものほど価値が高いとされているようです。
 

六角黄瀬戸には「椿手」といって、こげ茶色をした六角もあり、こちらも数が少なく、なかなか入手するのが難しいとされています。志野といい黄瀬戸といい織部といい、美濃地方の焼き物はやさしくていいですね。
 

それにしても、ぐい飲みはふつう丸い方が飲みやすいに決まっているのに、なぜわざわざ六角形にしたのでしょうか。コップだってまるいし、お椀だってワイングラスだって口をつけて飲むものは、通常まるいと相場が決まっているのです。当然黄瀬戸の茶碗だってまるいし、そもそも六角茶碗など私は見たことはないです。
 

 六角黄瀬戸を作った陶工というかプロデューサーは、どんな思いで六角にしようと考えたのでしょうか。作者が素直でなかったとか、新し物好きだったのかも知れません。それとも「6」という数字にこだわりがあったか、あるいは単に「6」という数字が好きだったのでしょうか。そういえば、落合博満の現役時代の背番号も「6」でした。
 

三角形や五角形など奇数では持った時に不安定だし、四角形だと枡酒になってしまいます。八角だと角が多すぎて飲みにくいし、六角あたりがちょうどプロデューサーのイメージにかなったのでしょうね。といってもやはりもともとは向付に使われていたものが、転職してぐい飲みとして使われるようになったのが本当のところだと思います。それでもいろいろ考えさせられるのが、なかなか面白いところです。




 

2014年4月4日金曜日

手作りキムチの会

~怒涛のキムチ三連発~

 「手作りみそ」の次は、いよいよ「キムチ」に挑戦です。渡されたレシピには、「センキムチ(白菜の即席キムチ」「カットゥギ(大根の角切りキムチ」それに「ペチュキムチ(白菜キムチ)」の3種類のつくりかたが書いてあります。今回も約30人中、男性は二人だけでした。


 これらの3種類について、李先生が作り方を順番に説明していきます。生徒のみんなは、講義のときは前のほうに集まって話を聞くのですが、一人の若い男性(たぶん20歳代後半くらい)は一番前に陣取って、真剣なまなざしで李先生の話を聞いています。聞くどころが、手に持った鉛筆を激しく揺らしながら、必死でメモを取っているではありませんか。おそらく将来お店を持つために、己に厳しく料理の勉強をしているのでしょう。若者よ、がんばれ。


 さて、李先生の講義は続きます。結局、3種類のキムチの作り方を、すべて説明してしまいました。説明が終わった後、李先生の号令が教室に響きます。

 「ではみなさん、作ってください」

 4人でひとチームなのですが、作ってくださいと言われても、残りの時間からいって、どのキムチを作りなさいと言っているのだろうかと、生徒たち(この場合私たちのこと)は話し合っていたのですが、どうやら3種類一度に全部作りなさいということのようです。これは大変です。生徒たちは大騒ぎ。みんなで手分けして、作り始めました。とたんに教室の中がにぎやかになります。こんなに面白い料理教室は、初めてでした。


 出来上がったキムチは、しばらく時間をおいてから食べたほうがいいようですが、我慢できずに家に帰ってさっそく「白菜の即席キムチ」をいただきました。これがうまいのなんの。私はキムチにはこだわりがあり、市販されているものは「宗家キムチ」しか食べないのですが、今回作ったのは、これをしのぐ味でした。


 
 さて、翌日さっそく粉唐辛子を購入してキムチ作りに挑戦です。でも食べてみたら、どうも味が違うというか、激しく辛いのですよ。何かが違うなと思って、レシピに書き込んだメモを読んでいたら、肝心なことを忘れていました。粉唐辛子は、かならず「韓国産」にしてくださいということでした。あちゃー!

 

 韓国産の唐辛子を購入してきて作り直しです。レシピを多少無視して、にんにく多め、塩辛多め、砂糖少なめで作りました。ちょっとニンニクが多すぎたかなと思いましたが、我が家のオリジナルキムチの完成です。


 問題は、キムチを作りすぎて、冷蔵庫の中がキムチだらけになってしまったことでした。これからも試行錯誤は続くのですが、どうやって食べきったらいいのか・・・。

2014年4月2日水曜日

コピペの威力

~広まる噂~

 
 
 日本人は、言葉を省略するのが好きですね。でも高校時代に流行っていて、よくコピーして歌っていた「サイモとガーファンクル」を、「S&G」などと省略形で言われることには、かなりの抵抗がありました。


 最近では、「スマートフォン」は「スマホ」だし「メールアドレス」は「メアド」です。まぁいいでしょう。「あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」は「あけおめことよろ」だそうです。この辺りはお遊びですので、許してあげます。でも、アコースティックギターを「アコギ」というのは、やめてほしいです。


 ここのところはやっている省略語は、「コピペ」です。この「コピペ」ですが、正しく使えば大変便利です。でも誤ってやってしまったら、大変なことになってしまいますので、気をつけましょう。


 さて、エスペランサ村から車で約1時間くらいのところに、東京で37年間サラリーマン生活を送った後、55歳の役職定年をきっかけにご夫婦で田舎暮らしに転身し、今では里山生活をエンジョイされている方がいらっしゃいます。Yさんといいます。


 ブログを拝見すると、Uターン当初は荒れた土地を「開墾」したり、いろいろご苦労されたようですが、今はその地でレストランを経営されていて、予約なしには入れないようです。
 いろいろお話を伺いたいと思い、レストランに食事の予約をするためのメールを送ったのですが、なんと私たちのエスペランサ村のことを知っているというではありませんか。びっくりしました。


 拙ブログでエスペランサ村のことを書き始めたのは、昨年の8月21日の「夏の怪談」あたりで、その後「困難な土地の取得」・・・「堆肥研究家の言い分」・・・と続いて行くわけですが、当初はブログのトップに「エスペランサ村のボタン」がなかったため、他の投稿文に紛れ込んでしまい、なかなか探すのが面倒でした。


 そこで連れ合いが考えたのが、拙ブログのうち、エスペランサ村関連の投稿記事を「コピペ」してワードに貼り付ける、ということでした。私がちょうど「野鳥の来る村」を書いた頃で、それまでの原稿をコピペしてレイアウトを変更して、さらに写真を付け加えて編集してしまったのです。


 編集したエスペランサ村関連の投稿文は、退職した職場の同僚や友人達に近況報告の一環として送ったようです。さらに、昨年私がプレゼンを行ったお宅にも、2部ほど送ったようなのでした。それが、まわりまわってYさんのお手元にも届いたようです。


 こんな偶然はなかなかないですね。いいお話をお聞きすることができそうです。