カテゴリリンク

2014年3月31日月曜日

移植


~20本の大移動~

 昨年末に「エスペランサ村」のある町で、私がこれからどんなことをやろうとしているのかについて、近所の方たちが集まった中プレゼンを行った話は拙ブログにも書いたとおりですが、そのプレゼンを行ったお宅のお向かいには、更地がありました。

 更地には、以前そのご家族が住んでいた住宅があったのですが、今では取り壊されていて、庭の木々がまるで雑木林のようになって残っています。その木々をなんと私に譲ってくれるというではありませんか。おお!せっかくの御好意ですので、移植可能な木はいただくことにしました。ありがとう。


 エスペランサ村には約5,300坪の敷地があるのですが、20本ある梅の木とその奥の松林、周囲が山桜や栗の木などの雑木林になっているのを除けば、80%くらいは更地です。したがって、村の建物を建てたとしても、今のままではなんとなく殺風景なため、これからどんどん木を植えていかなければならないと思っていたところでした。木をいただけるというのは、大変ありがたい話です。


 さてその移植ですが、以前梅の木の剪定をお願いした庭師のFさんにお願いしました。私は、木の移植というのは、単純に木を掘って、それを場所を移して植え替えるだけだと思っていたのですが、これが大変な誤解でした。


 まずは雪解けを待って移植する木を掘り出すわけですが、この作業自体、根を大切にということで、大変気を遣う作業となります。取り出した木を「根巻き」して一旦仮植えします。 そして半年くらい様子を見て、根がしっかり生えてきて大丈夫だと判断した段階で、やっと移植できるのだそうです。こんなに大変だとは、思いませんでした。詳しくはFさんの3月19日のブログ「落葉樹の仮植」をご覧いただきたいと思います。


        http://konohanoniwa.blog61.fc2.com/
    
           
 
  

 移植する木は、「ヤマモミジ」「ケヤキ」「ヤマツツジ」「アオキ」「ナツハゼ」「サンショウ」「柿」等で、20本以上になるようです。今の更地が売られる前に、エスペランサ村に移植されることになって、樹木も喜んでいることでしょうし、大切に扱っていきたいと思っているのです。



2014年3月28日金曜日

捏造に改ざん

~袴田事件と白雪姫殺人事件~
 
 袴田事件の再審請求の決定は、衝撃的でした。判決が出る前日まで、テレビの報道や新聞を見ている限りでは、どうみても被告は無罪のような印象を受けていたのですが、今回の地裁の決定は、まさしくその通りとなりました。しかも新聞によると、裁判長は、死刑判決の証拠が「後日捏造された疑いがある」と結論づけたといいます。なんということでしょう。


 ヤフーの記事によると、一審で死刑判決文を書いた元裁判官は、「有罪認定は難しい」と思っていながら、結果的に先輩判事に押し切られたということで、半年後耐えられず退官。その後「無実の心証があった」と告白したものの、請求棄却が確定してしまい、今でも車椅子姿で、悔やみ続けているそうです。


 「捏造」で思い出すのは、大阪地検特捜部主任検事による「証拠改ざん事件」です。2010年の出来事でした。記憶に新しい事件です。これも被告は無罪となりました。


 それにしても、人を裁くということが、どれほどその人の人生を左右することになるかということを、裁く側の人たちは考えないのでしょうか。客観的で正しい判断であればまだ救われますが、その人の立場が弱いのをいいことに、「捏造」「改ざん」で、一人の人間を奈落の底に突き落とすというのは、人の道に外れることだと思います。


 袴田事件のことを大きく取り上げた中日新聞の夕刊に、今月29日に公開される映画「白雪姫殺人事件」の解説がありました。タイトルは「つくられていく容疑者像」です。


 解説によると、この映画の重要なキーワードとして登場するのは、「記憶は捏造される」というセリフだそうです。さらに解説を引用すると


 「他人について語るとき、先入観に沿って話を盛ることで、その人物をいくらでも悪人に仕立てられる。無意識の悪意の恐ろしさを痛感させる作品だ」


 
 とあります。なるほど、よくありそうな話です。


 袴田事件といい映画の解説といい、身近なところでこのようなことが起こりうるということを考えると、ぞっとします。





2014年3月25日火曜日

原木シイタケ

~松茸より美味しい原木シイタケ~

 松茸とシイタケのどちらがおいしいと思うかと問われれば、私は恥ずかしながら、正直言ってシイタケのほうがおいしいと答えます。松茸は高いのであまり食べたことがないし、お吸い物で出てくることはありますが、香りがいいだけでそれほどおいしいとは思いません。負け惜しみではないです。


 ということで、今回はシイタケの栽培に挑戦です。
 50歳のころに、恵那に土地を購入してログハウスを建て、この20年間というもの週末になると、お一人で出かけては果樹を植えたり畑を耕しているMさんを、直接訪ねて行きました。目的は、チェーンソーでシイタケ栽培に使う原木を切り倒し、それにシイタケの種菌を仕込むことです。やってやろうではないですか。


 車で恵那インターで降りて目的地に向かったのですが、途中で急激に道が狭くなります。対向車が来たらどうしようかと心配しながら、ようやく待ち合わせの場所「鹿の湯」に到着。Mさんが来るまで待っていたのですが、そこで放し飼いにされていた犬と仲良くなってしまいました。犬には好かれるのだ。


 Mさんが購入した土地は、約2千坪だそうです。とにかく空気が美味しい。ログハウスの周りには「雪割草」の花が咲いていたり、「ふきのとう」が顔を出していました。また私の好きなヤマツツジがあちこちにあります。5月頃はさぞかしきれいでしょう。


http://www.pref.niigata.lg.jp/HTML_Article/yukiwarisou.jpg



 果樹も、プルーンや桃・ブルーベリーに梨や柿、それに私が注目していた桃色の梅ジュースがとれるという梅(たぶん露茜という種類)もありました。私の好きなあけびもあちこちにあります。果樹は実がとれるまで時間がかかりますが、楽しみです。Mさんは、実が熟しても野鳥に食べられてしまうと笑っていました。


 昼食後、いよいよ原木シイタケです。Mさんにやり方を教えていただきました。チェーンソーで切り取った原木に、専用のドリルで次々に穴をあけていきます。堆肥研究家は夢中で我を忘れて没頭しているようです。


 そして、あけた穴に、原木シイタケの種菌を一つ一つ挿入し、トンカチでたたいて埋め込みます。

 これで出来上がり。シイタケ菌が埋め込まれた原木は、日蔭の比較的湿り気の多い所に置いておくのだそうです。約2年後には、立派な原木シイタケができることでしょう。Mさんに教えてもらったやり方で、エスペランサ村で実践するのだと、堆肥研究家も張り切っています。


 原木シイタケが終わったら、今度はジャガイモです。鍬で溝をつくって、ジャガイモの種芋をならべていきます。ジャガイモは保存食ですので、これがあると助かりますね。また、ニラの種も蒔きました。夢中で土をいじっていると、すがすがしい気分になります。いつでもここへきていいですよとMさん。ヤマツツジが咲くころに、もう一度行ってみたいです。


 帰り際にMさんが、採りたての原木シイタケをプレゼントしてくれました。家へ帰ってからさっそく夕食用に天ぷらにしたのですが、肉厚でやわらかく、しかも歯ごたえがあって、申し訳ないほどうまかったです。松茸なんか、足元にも及ばないのだ。


 Mさん、ありがとうございました。



 
   

2014年3月24日月曜日

不治の病

~骨董依存症~


 新聞にアルコール依存症の記事があるとドキッとしてしまいます。そして記事の中に「アルコール依存度チェックシート」でもあろうものなら、すぐチェックしてしまうのです。そういう自分が悲しいです。


 日経新聞の夕刊にアルコール依存症の記事が載っていて、チェックシートがありました。チェック項目はなぜか男性と女性に分かれているのですが、10項目あります。4つ以上あてはまるとアルコール依存症の疑いがあるのだそうです。早速やってみました。

 質問項目は以下の通りです。


・酒を飲まないと寝付けないことが多い
・酒を飲まなければいい人だといわれる
・朝酒や昼酒の経験が何度かある
・家族に隠すようにして飲むことがある
・酒が切れたとき、汗が出たり手が震えたりイライラして苦しいことがある
・酒を飲まないほうがよい生活を送れそうだと思う
・家族に隠すようにして飲むことがある
等々。


 幸い私の場合、あてはまる項目が一つもありませんでした。よかったよかった。

 ただし、ここではたと気が付いたのです。私は骨董依存症ではないのかと。質問項目の「酒」を「骨董」に当てはめてみました。



骨董の事が頭から離れず眠れないことはよくあります。
家族に隠して購入することもあるしなぁ
しばらく骨董屋さんに行かないと汗が出たり震えたりイライラします
骨董をやらなければいい人なのにと連れ合いには言われます
骨董をやらないほうが経済的には生活は豊かだったのは確かです


 なるほど、典型的な骨董依存症です。しかもかなり重症のようです。


でもものは考えようです。骨董病という重い病にかかっているおかげで、ほかの病気にはかかりません。私はほかの遊びや賭け事には手を出さないのです。骨董依存症だといわれようが、それくらいいいではないですか。


 
 

2014年3月22日土曜日

使わないと花瓶にしてしまうぞ!


~徳利はお酒を入れるためのもの~

 思い込みが激しい方ですので、いったんほしいと思ってしまったら、お金がなくてもとりあえずは保管していただいて、あとは手が届くところまでお金がたまるのを待ってから、いそいそと購入しに行きます。この待っている間がたまらなくいいのです。やっとの思いで手に入れたものというのは、愛着がわくというものです。
 

 骨董店でお金を支払って手に入れ、いそいそと自宅へ帰ります。家の中で中身を取り出して、なでなでしながら眺めているのですが、私の悪い癖でその後すぐにしまいこんでしまうのです。日常使う徳利はそれほど多くは必要ないため、いったんしまいこんでしまうと次に取り出す機会がなかなか訪れてきません。私の連れ合いはそのあたりのところが気に入らないのですね。せっかく買ったのに使わずにしまいこんでしまうのかと。
 

私は徳利の形をしている物は、当然お酒を入れるものであるというふうに、何の疑いもない確固たる信念を持っているわけですが、そうでない人にとっては、あの形をしたものは、花瓶にちょうどいいではないかということになってしまうようです。ところが私としては、いったん花瓶で使ってしまうと、なかなかそれにお酒を注いで飲もうという気にはなれません。ですから、それは何が何でも阻止しなければなりません。
 

ただ、徳利でも酒を飲むのにふさわしい種類と、花を生けた方がお似合いのものがあるような気がするのも確かです。徳利として使いたくなるようなものは、形にもよりますが、どっしりした形の粉引・三島・刷毛目・唐津あたりでしょうか。それに対して花入れにお似合いなのは、あまり例を挙げたくないのですが…備前なども一輪挿しにぴったりくるのもあります。また、瑠璃釉や白磁なんかもいいかもしれませんね。床の間にでも飾っておくと絵になります。それは認めます。
 

 それはわかっているのですが、酒飲みとしては、くれぐれも徳利が花入れに使われることのないよう、常日頃から用心しなければならないのです。

 

 

2014年3月21日金曜日

「人が見たら蛙になれ」と青山二郎は言った


~骨董の真贋を見極められるか~

 「人が見たら蛙になれ」とは青山二郎さんの言葉です。別冊太陽の「青山二郎の眼」を読んでいたら、そう書かれていました。青山二郎さんが、自分が集めた骨董に対して語った言葉のようですが、はじめは何の事を言っているのかよくわからなかったのです。

 でも、よくよく考えてみると「いいものは自分が見つけるから、他人が見たら蛙の格好をしていなさいね」と、作品(この場合骨董品)に語りかけていたということなのだと思えてきました。何という自信にあふれた言葉でしょう。よほど自分の見る目に自信がなければ、このような言葉は出てこないでしょうね。本物を見分けるには厳しい目が要求されるのだ!ということを言われたような気がします。
 

骨董の収集家であれば、だれでも贋物をつかんでしまうことはよくあることで、それによって勉強していけば本物を見分ける眼が養われてくるのですが、これがなかなか難しい。それに、だんだん目が肥えてくるにしたがって、知らないで購入した物が、贋物に思えてくるのには困ったものです。
 

 購入できる資金の限られている多くのサラリーマンコレクターにとって、骨董で失敗しないようにするための最大の近道は、やはり信頼のおけるお店を見つけて、そのお店に足繁く通いながら、勉強させてもらうことだと思います。そして、とにかく買い続けるしかないというのがわかってきました。あぁ…。

 

2014年3月20日木曜日

若いということ


~罪な言葉~

ある程度年齢を重ねてくると、「若いですね」なんて言われたら「えっ?そうですか」などと言いながらも、つい口元がゆるんでしまいます。でも、私なんかは現実的で「若く見えますね」と言われても、「だからといって、実際の年齢が変わるわけでもないしぃ」と、まぁいってみれば冷めた気分です。悪い気はしませんが。


でも先日ゴルフの練習場へ行ったら、受付の女性に「55歳以上のシニアの方は、1時間打ち放題だと料金がお安くなりますが、いかがいたしますか」と言われてびっくりしました。料金が安くなるのはうれしいけれど、私の容姿を見て55歳以上だと判断されたのだと思い、大変ショックでした。でも、よくよく考えると、練習場のポイントカードには誕生日くらいは登録されているはずで、機械にカードを読み込ませたときに、年齢を確認したに違いないと、自分では納得しているのです。違ったらどうしよう。
 

私は「お前若いなぁ」と言われることも多いのですが、これは言っている方は、もちろんあまりいい意味で言っているのではなく、「大人げない」「もっと大人の対応をしろ」と言っているわけです。わかっているけど、なかなか大人の対応ができません。これは性格ですので仕方がないでしょう。
 

骨董の場合の「若いんじゃないの?」は、ちょっと刺激的な言葉です。所有している本人が「桃山時代のもの」と信じ込んでいるのに、「若い」つまりもっと「新しい」、極端にいえば「現代物ではないか」と言われたのと同じです。これは聞き捨てならない言葉です。言われた方も傷つきます。
 

もっとも骨董業界でいうところの「桃山時代のもの」という言葉も、ずいぶん曖昧な言葉のような気がします。実際の安土桃山時代というのは、1573年~1603年でしかなく、美術史的には1615年までいうそうですが、それでも40年そこそこです。

この時代は日本の文化が最も栄えた時代だと言われており、「桃山時代のもの」というだけで、どぉ~んと価値が上がります。まともに信じていると、桃山時代というのは、あたかも100年も200年も続いたかのように思えるくらいです。
 

まぁ、それは極端としても、骨董品を若いと言われて黙っているわけにはいきません。特に酒器の場合はなおさらです。育ててあげるしかないではありませんか。
 

ということで、今日も徳利に、お酒を飲ませているわけです。

 

2014年3月15日土曜日

矢入一男社長の言葉

~井戸を深く掘ったからこれまでやってこれた~
 先日の中日新聞の朝刊で、ヤイリギターの社長である矢入一男さんがお亡くなりになったのを知り、大変ショックでした。

  私が初めてヤイリギターの工場へ見学に行ったのは、2003年7月です。私の友人で、長くお付き合いさせていただいている、N鉄道のMさんに誘われて行きました。Mさんはカメラも趣味で、ヤイリの工場内の写真を何枚も撮影していたのですが、ちょうどギター材を保管してある倉庫に二人で入ったときに、社長とばったり出会いました。その時の写真がこれです(右側には私が写っているのですが、トリミングでカットしています)。私たちに気さくに話しかけてくれました。


 その後私はとりつかれたように、ヤイリオリジナルギターの製作をお願いすることになるのですが、最初に作ったスペシャルコア材のギターで、トップがベァクロウ(熊が爪で引っ掻いたような模様の材)のギターを受け取りに行った(あるいはネックの調整にお伺いした)ときも、駐車場で矢入社長にばったりお会いできました。2006年6月の写真です(これも右側に私が写っているのですが、カットしました)。


 すっかりヤイリファンになってしまった私は、矢入社長の映像や雑誌での発言にも注目するようになったのですが、私の手元にある2012年4月発売の週刊東洋経済には、矢入社長のこのような発言が記載されています。

 「職人に恵まれた。経営効率は考えていない。・・・たわけの一つおぼえで同じことをやっている。井戸を深く掘ったのがよかった」


 
 私は最初にMさんと工場見学に行って以来、もう何度もヤイリギターの工場へ行っていますが、行くたびに思うのは、Mさんからいただいた2003年に撮影した写真の中の、職人さん達の真剣なまなざし・表情が、今でも全然変わらないということです。


 職人の技を大切にしてきた矢入一男社長のポリシーが、ヤイリギターには今でも脈々と受け継がれているのだと思います。

 ヤイリファンは永遠です。





 

2014年3月14日金曜日

手作りみそを仕込む会


~手前みそを作ろう~

 ベターホームでは、「お魚料理基本技術の会」のほかにもさまざまなコースがあるのですが、魚をさばくこと以外に関しては、すでに一定レベルに達しているし、レシピに従ってきっちりした料理を作るのはあまり好きではないため、ほかのコースは特に申し込んでいません。

 
 でも、今回単発で実施されることとなった「手作りみそを仕込む会」ですが、これは見逃すわけにはいきません。コメとみそさえあれば、この先何が起ころうと、いくら貧しくても、生き抜くことができるのです。早速申し込みました。なんと参加者32人中、男性は2人だけです。

 
 今回は、包丁を使わないだけ多少気が楽でした。もともと包丁を使うのは手馴れているし何の抵抗もないのですが、4人一組で使うテーブルはやはり狭いのです。しかも、料理教室で使う包丁はかなり切れ味鋭く、いくら慣れているとはいえ、何かあっては困ります。当然気を使います。

 
 さて、みその材料は意外と少なく、大豆と米麹に塩と水だけでした。また、作り方も思っていた以上に簡単でした。

 
 乾燥大豆はすでに煮た状態にあったので、教室では5分くらい煮るだけです。さらに、塩と麹を合わせて袋に入れ、モミモミします。その後、煮た大豆を取り出してつぶしにかかるのですが、これが面白かったです。

 
 つぶし加減は好みだと言われたため、私は「くぬやろ、くぬやろ」などといいながら、しつこくつぶします。でも、こういった単純作業を夢中でやるというのは、気がまぎれるというか、私は好きです。

 
 つぶした大豆は、麹・塩をワシワシかき混ぜて容器に詰め、出来上がりです。後は重石をのせ、蓋をしてねかせるだけです。今後定期的に手入れをしなければならないので、手入れ日を記入するためのラベルを張っておきます。出来上がりがこれ。

 


 4か月後が楽しみです。
 

このみそさえあれば、みそ汁はもちろん、「さばのみそ煮」や「ねぎみそ」「ふきみそ」もOK。「ぬた」も作れるし「アスパラガスのみそマヨあえ」なども面白そうではないですか。
 

メニューの幅が、またまた広くなりそうです。そして、次はいよいよ「キムチ」に挑戦です。