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2012年4月18日水曜日

国をはかる物差し

~幸福度ランキング~





 今私の手元に清水書院から出されている「国をはかるモノサシの話(GNPからGNH)」~「幸福度」ランキングから見えてくるもの~という小冊子があります。もともとは「日本で一番幸せな県民」(PHP研究所)という本から引用したもののようです。


 我々が普段生活していて、何をもって幸福であるかを判断するのはなかなか難かしところがあるのですが、この小冊子では先程の本をもとにして簡潔に解説してありました。GNPは言わずと知れた国民総生産の事であるし、GNHは以前に「東北を日本のブータンに」でも取り上げた国民総幸福量の事です。


 幸福度をはかるために様々な項目を指数化して総合ランキングを割り出した結果、上位3県は、福井県・富山県・石川県という結果になったようです。愛知県は21位、秋田県は37位、東京は思ったより低く秋田県の一つ下で38位、そして47位は大阪でした。青森県にも住んだことがあるのですが40位、公認会計士試験を受験した宮城県は36位です。


 10代後半から11年間住んでいた東京は、確かにこの時期を過ごすとしたら最も魅力的な場所でしたが、生活・家族部門では最下位です。自分の可能性を試す、あるいはダイナミックな仕事をするには最高かもしれませんが、退職後に暮らすとしたらもっと住みやすい場所はたくさんあると思います。この部門の上位3県は、長野県・島根県・福井県でした。


【労働・企業部門】
ここへ来ると中部地区の県が顔を出してきます。静岡県が4位、愛知県が5位です。東京が意外と低く32位。評価項目に離職率や総労働時間、正社員比率があるため低いのだろうか。トヨタはきちんと雇用を守ってくれるので愛知県の順位も高いのでしょうね。大阪が46位というのはなぜだろう?


【安全・安心部門】
日本ほど治安のいい国はないといいます。深夜に酔っぱらったおっさんが無防備で一人ふらふら歩いていても、よほどのことがない限り襲われるということはありません。田舎の方では、いまだに留守をするときでも鍵をかけないで出かけるところもあるくらいです。ランクはついているものの、日本全体が安全な国なのだと思います。


 幸福にランクがあるのかどうかはわかりませんが、少なくとも現在の日本は経済力が幸福度の大きな指標になるという時代ではないような気がします。

2012年4月16日月曜日

撮影所見学とサイン

~映像の不思議~





 20代のころ、ある映画会社の調布撮影所に何度か行く機会がありました。ちょうど石原裕次郎が喜びの酒「松竹梅」のCMを撮影しているところに出くわしたため、その様子を眺めていました。その後移動しようとしたところ、目の前を渡哲也舘ひろしたちが歩いています。たまたま一緒にいた女性が渡哲也のファンだったということもあり、私がサインをもらってきてあげましょうと色紙を持って近づいて行ったのですね。そうしたら渡哲也は振り返るなり厳しい顔で、顔の前でダメダメと手を振ったのでした。その光景を見ていた峰竜太が私のところにやってきて、すまなさそうに私が代りにサインをしてあげると言って、色紙に「峰竜太」と書いてくれました。この人いい人なんだなとつくづく思ったものです。


 サインで思い出したのですが、今年の中日は昨年までと違ってずいぶんファンサービスに徹底しているようです。サインなどにも快く応じているようなのですね。それはそれで大変結構なことだと思います。これは自分で直接聞いたわけではなくて又聞きなのですが、落合前監督に言わせると、まだプロで全く実績のない例えば昨年のドラフト1位の選手がファンにサインをせがまれると、自分はもう一人前の有名選手なんだと勘違いしてしまい、それは本人のためにはあまりよろしいことではないのだそうです。それはそうですね。わかるような気がします。ひたむきに頑張れよな。


 さて映画の撮影の話です。撮影所にはいろんな小道具があり、時代劇でかぶる「かつら」もその一つです。役者さんがかつらをかぶって刀を差して武士の格好をしているのですが、そのかつらと自頭の境目があまりにもくっきりしていて、かつらをかぶっているのが露骨にわかってしまうのですね。このまま撮影して本当に大丈夫なのだろうかと、こちらが心配になるくらいです。ところが、いざカメラを通してフィルムに焼き付けて映像となったものを見てみると、全くかつらのかぶり際がわかりません。これはいったいどういうことなのか、ずうっと疑問に思っていました。


 NHKの大河ドラマ「平清盛」の撮影をめぐっていろんな意見が出ているようですが、最近では撮影機械の性能がアップしたり、テレビがハイヴィジョン化したりして、細部まで詳細に映像で表現されるようになってしまいました。番組によってはそれはそれでいいのでしょうが、歴史もののドラマにとっては、ちょっとやりにくいでしょうね。

2012年4月13日金曜日

水と美術品

~世界を駆け巡る美術品~





 瀬戸にある陶磁資料館で中国の焼き物展が開催されていたため、見に行ってきました。龍泉窯の青磁が中心でしたが、完成度が高く妥協を許さないといったところはさすがです。ものがいいだけに中国物は高価で取引されるため、贋物も多いといわれています。でも、近年作られた贋物はともかく、例えば700年ほど前に作られた贋物をはたして贋物といっていいものだろうか。


 それはさておき、今まで中国物にはあまり興味がなかったのですが、今回焼き物展を見たのをきっかけに、早速写真が中心の中国物の焼き物の本を買ってきて、ぱらぱらめくっていました。


 最後のほうのページに解説記事が載っていたため読んでいたのですが、最近中国物が高く売買されているようです。よくよく読んでみると、この本に載っている壺が2005年に30億円で落札されたと書いてあるではありませんか。どんな壺だったかなとページをさかのぼって写真を見たのですが、う~ん、これが30億円ですか。見た目数百万円くらいに思えるのですが。当時の中国陶磁では最高値だったそうで、イギリス人が購入したそうです。


 その本によると、その後2010年のサザビーズ・オークションで、28億円で落札された美術品があり、その後も魚文瓶が72億円で落札され、今現在、東洋の美術品では最高値だそうです。いずれも中国人が購入したようですね。


 美術品は世界を駆け巡るというか、世界各国から日本に入ってくるものもあれば、日本の美術品が海外に出ていくケースもあります。以前は朝鮮物や中国物が日本にもかなり入ってきていましたが、今では韓国へ行っても朝鮮の美術品は韓国の許可がなければ日本に持ち込めなくなりましたし、韓国では自国の美術品を見直す動きが盛んになり、逆に日本にある朝鮮の美術品が韓国内に持ち帰られるようになったようです。


 美術品の移動はその国の国力を反映するようで、先程の例にもあるように、最近では中国人が美術品を買い占めているようです。先日もテレビの特別番組で放送されていましたが、中国で成功した人がアメリカに移住するケースが多いのだそうです。その人たちは並みの大金持ちではなくて、50万ドルくらいのお金ならば、ハンドバックを買うくらいの感覚なのだそうです。50万ドルといったら4千万円ですぞ!4千円ではないのですぞ。これでは勝負にならないではないですか。

 
 日本は残念ながら最近国力が衰えてきているからなのか、美術品を購入するという文化がなくなってきていると、先程の本の解説者は嘆いていました。なるほど、そうかもしれませんね。


 最近読んだ本に「水惑星の旅」があるのですが、この本によると、最近日本の山が得体のしれない外国人に買い占められているのだそうです。山を丸ごと買うということは、そこを流れている川や水源も買い占められているわけです。日本は豊富に飲料水があるためあまり実感はないのですが、世界中で日本ほど飲み水に恵まれている国はないのだそうです。そこで、日本の水が狙われているのですね。うかうかしていると、そのうち石油タンカーに水を積んで海外に持って行かれてしまうということになりかねないとその本には書かれています。考えてみると我々日本人は、500mlあたり100円と、ガソリンより高価な水を飲んでいるのですよ。日本人はおっとりしているので、そのあたりの危機感に乏しいですから心配です。


 美術品も水も外国資本に買い占められてしまうのだろうか。

2012年4月11日水曜日

古本で得る新しい知識

~OB一発分で一日が過ごせる~





 先日夜のNHKニュースを見終わった後、何気なくテレビをそのままつけていたら、歴史秘話ヒストリアが始まりました。見るともなく見ていたら「中原淳一」の特集でした。中原淳一といえば、連れ合いの部屋の作り付けの本棚にある膨大な量の古本の中で、ひときわ大きな存在感を誇っている本の表紙に名前が書かれているのを覚えていました。てっきり映画監督か何かと思っていたのですが、戦前戦後の雑誌「少女の友」「ソレイユ」の表紙に絵を描いていた人のようです。初期の作品は、竹久夢二の作風になんとなく似た雰囲気があるような気がしましたが、戦後に描く絵はだいぶ変わったようです。いずれにしてもこの時代の女性たちのあこがれの的だったようですね。本棚にはそういった昭和初期の雑誌がたくさんあるのですが、私とはちょっと趣味が違うので・・・


 休みの日などはジュンク堂をはじめ、あちこちの本屋に足を運んで、焼き物や骨董関係の本を買いあさっているのですが、興味のある本は大体購入してしまったため、最近物足りなくなってきました。それでも知識欲は全く衰えないため、貪欲に本を探しています。新しい本が発行されるのを待っていると、とても先に進めないため、しょうがないので過去に発売された本をネットで探すことにしました。


 アマゾンで検索して昭和50年代に発行された本を購入してみたところ、これが思ったよりきれいでよかったのです。なるほどこういう手があるのですね。便利な世の中になったものです。ネットでは飽き足らず、自宅の近くに焼き物関係の古本をたくさん置いてあるお店がないかどうかを調べてみたのですが、これがあったのですよ。早速車で駆けつけました。


 お店の中をのぞいてみると、その充実ぶりに驚いてしまいました。あれもほしいこれもほしい状態です。昭和40年代の発行で、固い箱に入って一冊8万円で売られていた大きな写真付きの限定本が、驚くほど安い値段で売られています。同じような本が他に何冊もありましたので、その中からとりあえず自分の興味のあるものだけ購入しました。


 雑誌関係も、これはもう申し訳ないくらい安い値段です。大切にとっておくための本ではなく、単に楽しみながら勉強するための本や雑誌ですので、こんなにありがたいことはありません。30冊ほどまとめ買いしてしまいました。


 例えば今手元にある「盃と徳利―酒はうまく古美術は楽し 小山富士夫編」は、昭和38年発行で定価は320円です。これが500円。500円といえば、お昼に食べる杵屋のけんちんうどん単品大盛りが680円ですので、一回のお昼代より安いではありませんか。私の使用しているゴルフボール、スリクソンのニューボール一個分です。なんとOB一発分で、一日中楽しめて知識を深めることにもなるのです。


 今まで古本はあまり購入しようという気にはならなかったのですが、自分が興味のあることを研究しようと思ったら、ここ1~2年の現代本よりも過去にさかのぼっていけば、何十年分の書物が山のようにあるということがわかりました。私にとっては大発見です。


 世界は広がるばかり。古本屋さんめぐりが当分続きそうです。

2012年4月9日月曜日

収集癖は遺伝するのか

~今までたくさん集めたもの~




 この写真は何を撮影したものかわかりますか。






 答えは、今は製造されていない穴の開いた50円玉を針金に通したものです。ざっと千枚くらいあります。私の父親が昭和30年代の後半から40年代にかけて集めたもので、いつか私がいただくつもりでした。母親が亡くなる何か月か前に、私に「持って行け」と言っていたのですが、こんな重いものを狭いマンションの中に置いておくことはできないので、そのまま実家に置いてあるはずでした。実家に戻った時に、私の部屋にあるサイドボードの扉を開けてみたところ、なんとこれが置いてあったのです。ほこりまみれでかなり汚れていましたが、ざっと拭いて撮影したのが上の写真です。


 50円玉が千枚ですので、単純計算すると5万円です。今考えてみると、時間をかけて必死に収集した割には、それほど価値のあるものではないのでしょう。ためしにこの千枚を、年度別に分けてみようかと考えました。聞いたところによると、大量に製造されていた年度のものは、ほとんど50円硬貨としての価値しかないのですが、中にはあまり製造されかったために非常に数の少ない年度のものがあり、それは結構な価値になるのだそうです。年度別に分類して、数の少ない年度のものが価値が高いということになるのでしょう。でもさすがにこれだけの枚数を年度別に分ける気力がわいてきませんでした。いつか暇になったら、あるいは将来古美術店でも開業したら年度別に分類してみたいと思います。


 小さいころからいろんなものを集める癖がありました。集め始めるともう止まらなくなってしまいます。河原からきれいな石を拾ってリュックサックに詰め込んできては家で眺めていましたし、使い切った空のボールペンまで集めて自己満足しているときもありました。学生時代によく集めた新聞のスクラップも実家においてありますが、かなりの量です。


 ほかに今まで集めたものといえば・・・


  ● レコード、CD、レーザーディスク
  ● 写真週刊誌のフォーカスやフレイデー
       ・・・創刊号から数年間集めました
  ● スポーツ雑誌「ナンバー」
       ・・・創刊号からかなり。ほかに雑誌の創刊号はたくさん。
  ● 日本酒のレベル


 等があります。自分が今まで何十回と行った講演のレジュメや作成した原稿も残していますし、写真のネガも18歳くらいのものから保管しています。


 たくさん集めるつもりはないのですが、40歳台になってから2~3年に一台くらいのペースでオリジナルギターを制作するようになったため、置く場所に苦しくなってきました。昨年の夏、秋田で一緒にゴルフを回った人は、ドライバー30本にアイアンを20セット、キャディバックは数えきれないくらいあるといっていました。どこにも収集癖のある人はいるものですね。


 自分は時計に興味がなくてよかったとつくづく思っているのです。

2012年4月6日金曜日

がれき処理問題

~なぜ受け入れられないのか~





 東日本大震災からの復興がなかなか思うように進まないのは、やはりがれき処理の問題があるからだと思います。これを被災地だけで処理しようとやっていたら、その処理だけでおそらく何十年もかかってしまい、とても復興どころではないでしょう。ここは日本全国一致団結して協力して、みんなの力で復興に協力しようではありませんか。と思っていたのですが、ことはそう簡単にはいかないようです。


 東京都が石原知事の決断でいち早くがれきの受け入れを表明し、作業に取り掛かっています。秋田県も佐竹知事が岩手県庁を訪れて、東京都に次いでがれき受入れの基本協定を結びました。東北の新生に向けて協力体制を作っていただけるということで、うれしい話です。その後もいくつかの自治体が受け入れを表明しているのですが、なかなか次から次へと全国的に広がるということにはならないのですね。


 自治体側ががれきの受け入れを検討あるいは表明しても、住民が反対するケースが多いようです。ニュースを見ていると、地域住民の一部が受け入れ表明をした自治体側に詰め寄り、「故郷」を合唱したというではありませんか。自分の古里さえよければそれでいいと考えているのだろうか。


 確かに国の原発関係に関する対応のまずさや発表に対する不信感、議事録を作成していないなど真実を明らかにしたがらないというか、隠そうとする体質を考えると、「とても信用できない」といった気持ちはよくわかります。でも、いつ同じようなことが自分たちの身に降りかかってくるかもしれないし、ここは「自分たちだけが良ければいい」という考えは捨てて、国家プロジェクトとして全面協力していただきたいものです。それが結果的に回りまわって自分たちの幸せにもつながるはずではないですか。


 地震が発生した時、あるレストランで食事をしていた人たちが一斉に外へ飛び出したのですが、そのうちの大部分の人は地震がおさまった後食事代を払って帰ったそうです。そして、その場では払わなかった人も翌日にはレストランへやってきて、食事代を払っていったそうです。日本人はそういった礼儀正しくて思いやりのある民族のはずです。


 「災害に県境はない」と秋田県の佐竹知事は言っています。がれきを受け入れて処理しても、そこに住んでいる人には何も影響がないのだということをきちんと説明して、それが確認できたら、全国ベースで取り組んでいただきたいです。住民が受け入れ反対で自治体側とももめているニュースは、日本人として恥ずかしので、もう見たくないです。

2012年4月4日水曜日

桜の季節

~どんなことがあっても変わらないものがある~





 毎年この時期になると桜が満開になります。昔から職業柄4月1日になると行わなければならない業務(監査の事は書かないと新年に約束したので、このあたりの表現は難しいのですが)があり、ある会社にお伺いするたびに、立派な桜の木に咲いている満開になった花を確認して、また新年度が始まるのだなと気持ちを新たにしたものでした。


 桜にもいろんな種類があるようです。昨年の11月、友人から小原カントリーでゴルフをやろうと誘われたのですが、理由は四季桜が満開だからということでした。こんな時期に桜が咲くのかなと思って半信半疑で行ったのですが、行く途中広範囲にわたって見事に桜が咲き誇っていたため驚いてしまいました。また、ゴルフ場の中でもあちこちに桜が咲いており、この時期ゴルフをプレイしながら花見ができるという、大変贅沢な気分を味わうことができたのです。


 また、寒桜というのもあります。私が会計士補のころによく行っていた会社が、群馬県と埼玉県の県境にあったのですが、毎年2月に1週間ほどお伺いしていました。仕事の合間に寒桜の名所をご案内いただいたのですが、この時初めてこの寒い時期にも桜の花が咲くのだということを知りました。小さな花びらが控えめに咲いている姿はなかなかかわいげがあってよかったです。


 もう一つ驚いたのが、京都のあるお寺(名前は忘れました)で見た桜です。時間制のタクシーで案内していただいたお寺に、なんとモミジと桜を同時に見ることができる名所があったのでした。確か足助方面にもこのようなスポットがあったような気がします。私のゴルフのホームコースには、一年中紅葉色をしているモミジが植えられており、いつも心を和ませてくれます。「ノムラ」というモミジだとキャディさんに教えてもらったのですが、 「ノムラ」 が正式な木の名称なのか、それともノムラという人がホールインワンでも達成して記念に植えた木なのかは、私自身わかっていないのです。


 毎年この時期になると自宅近くの川沿いに咲いている桜を見に行きます。シーズンの終わりごろになると、川の中が桜の花びらでいっぱいになり、みごとに水面を覆ってしまいます。4年前に過労で体調を崩した時に、1人で桜を見ながらこの川のほとりをのんびり歩いていたことを思い出します。毎年変わらぬ風景を見ることができるということは、それはそれで幸せなことであると思っているのです。

2012年3月30日金曜日

マスターズの思い出

~今年はタイガーの復活はあるのだろうか~





 今年ももうすぐマスターズが開催されます。また寝不足の4日間を迎えることになるのですが、今年も無事にテレビ観戦できることに幸せを感じるのです。テレビで見ているだけでもコースの美しさが伝わってくるため、プロゴルファーになった人は「いつか自分もあの舞台で」と夢見ることでしょう。


 マスターズを見始めたのはいつころからなのか、はっきり記憶はないのですが、歴代優勝者の名前を見ていると、30年くらいは間違いなく見続けているはずです。その中で最も印象に残っているのは、ジャック・ニクラウスが最後に優勝を飾った試合です。ニクラウスが46歳の時だったと記憶していたのですが、資料を見たら1986年の事でした。頭の中に印象的なシーンが鮮明に焼き付いています。マスターズの最終日、首位と何打差かは忘れましたが、バックナインのプレイは圧巻でした。神がかり的に次々とバーディーを奪っていきます。そして大観衆が総立ちとなって興奮して叫びました。「Jack is Back(でいいのだろうか)、つまりジャックが戻ってきた!」と。バーディパットが入りそうになると、低い体勢からパターをカップ方面へ「入れ」とばかりに突き出します。そして見事に入ると大きく立ち上がって両手でガッツポーズ。観衆にはたまりません。感動的なシーンでした。18ホール終了時点では、後続組が追いつき追い越してくるだろうと予想していたのですが、神のいたずらかなかなかスコアを伸ばすことができません。結局ニクラウスの大逆転優勝でした。


 印象的なシーンはほかにもたくさんあります。グレッグ・ノーマンが最終日に大量リードでスタートして、初のマスターズ制覇かと思われたのですが、信じられないような崩れ方をしてニック・ファルドに逆転されてしまいます。また、当時のタイガーのライバルだったデビット・デュバルが、優勝が見えてきた最終日のバックナインで、なんと池に入れてしまい(記憶では2発だったような?)、ボー然として立ち尽くすシーンもありました。濃い色の大きなサングラスをかけていたため、顔の表情は読み取れませんでしたが、体全体からはとても周りが声をかけられそうもないくらいの落胆さが見て取れました。その後しばらくデュバルの名前をPGAツアーで聞くことはありませんでした。


 タイガーが出てくるまでは、フレッド・カプルスが好きだったのですが、タイガーが出てきてからは、ずっと彼を応援しています。大昔のニュースステーションで、まだ学生のころのタイガーを特番を組んで放送していたのですが、キャスターの久米博さんが「近い将来ゴルフ界で大活躍するはずですので、ぜひ名前を覚えておいてください」と言っていたのを覚えていました。それから数年後、プロに転向したタイガーは想像を超えるようなプレイを我々ゴルフファンに見せつけ、他の追随を許さないようなゴルファーになっていきました。そんな時に起こったのが例の事件です。


 その後のタイガーはゴルフに精彩を欠いていますが、今年はどうなのだろうか。ペブルビーチでの最終日のパッティングを見ている限りでは、なかなか厳しいような気もしたのですが、ついに久々の勝利。今年はやってくれるのではないかとひそかに期待しているのです。


 ダメになった時こそ応援してあげるのが、本当のファンなのですよ。

乱塾時代

~いつか来た道とならないように~





 小学生のころに習字とそろばんを習った以外は、塾というものに通ったことがないのです。そもそもわが人生、一度も親から「勉強しろ」と言われたことはありません。大変な田舎に住んでいたため、たぶんですが周りに塾などに通っている友達はいなかったし、仮にいたとしても、うらやましいなどとは思わなかったでしょう。かわいそうな奴と同情していたに違いありません。自分はというと、いつも走り回っていたような気がしますし、ギターをはじめ自分のやりたいことや遊びに夢中になっていました。


 塾なるものに興味を持ったのは、大学生時代に「松下政経塾」が開校されると知った時です。こんな生活でいいのだろうかともがいていた自分にとっては、現状を打開できるきっかけになるのではないかと考えたからでした。結果的には入塾を断念することになりましたが、松下政経塾新聞をとって刺激を受け、「松下政経塾講話録」というシリーズ本が出されましたので、それを読むのをいつも楽しみにしていました。


 さて時代は変わって平成24年。大阪の「維新政治塾」から始まって、名古屋では「東海大志塾」 「河村たかし政治塾」が立ち上がりました。応募者も殺到しているようです。滋賀県では「未来政治塾」がスタートするようですし、既存の政治塾も含めると、結構な数にのぼります。この現象をどうとらえたらいいのでしょうか。


 日本の政治は、数年前に与党が自民党から民主党に変わり、既存の殻を破って何かやってくれるのではないかと国民はみんな期待したのですが、結局はばらまき政策もあって借金が増える一方で、将来の不安は増すばかりです。増えた借金に危機感を持ったのか、今度は増税に突っ走っています。震災の復興も全くスピード感はないし、将来の被災地のビジョンもなかなか伝わってきません。内閣の支持率も低下しているようです。


 こういった頼りない政治に、国民は不満と不安でいっぱいなのです。それではどこの政党を支持したらいいのかと考えても、なかなか思い浮かばない。そこで既存の政党ではなくて、何かやってくれそうな人にどうしても注目が集まってしまうのです。何やらこの国は危険ではないですか。


 歴史を振り返ると、昔、吉田松陰「松下村塾」がありました。これはきちんとしたポリシーがあったと思います。なんとか塾というのは言葉の響きもいいし、若者的にはなんだかかっこいいのですね。でも言葉で言っている政策内容の響きのよさだけでなく、その向こうに見えるものや実行可能性等も冷静に考えたうえで、本当に任せていいのかどうかを判断しなければならないのだと思います。


 マスコミがはやしたてすぎると一時的なブームに乗ってしまい、日本はあらぬ方向へ進んで行ってしまうのではないだろうかと心配になります。日本人は熱しやすいところがあるため、きちんと足を地につけた報道や政治を行っていかないと、いつか通ってきた道を歩んで同じ過ちを犯しかねないような気がする・・・というのは、ちょっと考えすぎでしょうか。

2012年3月28日水曜日

今年のプロ野球、順位を予想する

~責任の重い原監督~




 今年ももうすぐプロ野球の開幕です。応援するチームがあると、一つの試合あるいは一つのプレーに一喜一憂することになります。もうすでに起こってしまったことはどうにもならないとわかっていながら、なんでプロなのに外野フライも打てないのかと地団駄を踏むのですが、よく考えてみると相手もプロなので、外野フライを打たれないように配球を考えて投げているわけです。わかっているのですが。


 さて、当たらないとわかっていながら今シーズンの各球団の成績を大胆に予想してみましょう。まずセリーグから。


■優勝:ジャイアンツ
今回の補強と現在の戦力で優勝できないわけがないではないですか。たぶん10ゲーム差以上離してダントツの優勝だと思います。補強した選手が出場すれば、その分誰かが試合に出ることができなくなりますが、長いシーズンではけが人が出るのは当たり前で、結局は戦力の厚さが物をいいます。優勝できなかったら?・・・たぶん鶴の一声で、来年は落合監督でしょう。


■2位:タイガース
昨年は強いと思っていたのですが、城島が予想外で結局Bクラスでした。戦力的には強いと思うのですが、何しろ優勝するのは大体20年に一度くらいなので。


■3位:カープ
マエケンも結婚して、昨年みたいな成績で終わることはないでしょう。若い戦力が伸びてきているため、今年は終盤まで粘ってAクラス確保か。


■4位:スワローズ
一昨年の後半から力をつけてきたし、監督もしっかりした方のようですが、宮本選手がご高齢なのと、若手も今年はだいぶ相手に研究されると思うので、フルシーズンを通して考えると厳しいのでは。


■5位:ドラゴンズ
昨年優勝したけれど、今年は落合前監督が抜けて苦戦しそうです。打線は今年も厳しいと思われ、そうすると監督の采配が物をいいます。高木新監督はいい人だと思いますが、勝負師としてどこまで非情になれるか。OBで固めたコーチ陣が仲良しクラブになるのではないかという心配もあります。また、補強したのはケンシン山崎ではちょっと・・・こちらも中日OBで、当初こそお客は呼べるかもしれませんが、勝負の世界はそんなに甘くはないはず。結局勝てなくなって客足が遠のき、観客動員数も減少する可能性も考えられます。こうしたマイナス思考をぜひ打破していただきたいと思います。


■6位:ベイスターズ
すまぬ。当分難しい。監督がマスコミに話題を提供し、ファンを楽しませてくれるかもしれませんが、監督としての力量は未知数。ただ、打者も投手も若手に生きのいい選手が出始めているため、勝敗よりも個々の選手に注目したいです。


続いてパリーグ。


■優勝:ホークス
昨年優勝を勝ち取った選手が軒並みチームを離れてしまいましたが、その分残った選手に頑張ってもらいたいです。秋山監督もなんとなく名監督になりそうな雰囲気が出てきました。


■2位:バファローズ
地味な球団ではありますが、徐々に戦力が整ってきたような気がします。岡田監督の毒舌に選手がいじけないで耐えることができれば、優勝も狙えるのではないでしょうか。


■3位:ライオンズ
中村選手はやはり魅力的ですね。王選手のホームラン記録を狙ってほしいです。甲子園を沸かせた菊池選手もそろそろ頭角をあらわしてほしいのですが、投球フォームをダイナミックに変えた分制球力がちょっと心配です。


■4位:ファイターズ
ダルの抜けた穴はやはり大きいですね。実践からかなり遠ざかっていた監督の力量も未知数。若いながら4番を張る中田選手の活躍次第ではないでしょうか。


■5位:マリーンズ
2年前に日本一になったのに、なんで急にダメになっちゃうの?一度低迷してしまうと、そこから這い上がるのはなかなか厳しいですね。


■6位:イーグルス
本当は優勝してほしいけれど、実力的には厳しいのでは。八つ当たりしたり選手をけなしたり椅子やベンチをけったりする星野監督の性格は、はっきり言って東北人向きではないです。そんな中、田中選手はよくやっていると思います。ドラゴンズの落合前監督だったら優勝候補に挙げるのですけど。


 さて、シーズンが終わってどんな順位になっているか、楽しみです。

2012年3月26日月曜日

意外と高い各国の消費税率

~日本の倍以上の国も~




 新聞を読んで驚いた人が多いのではないかと思ったのが、欧州各国の消費税率の高さです。そういう私も驚いた1人なのです。


 日本では現在消費税率は5%です。導入当初の1988年は3%でしたが、1997年に5%へと引き上げられています。この税率を段階的に10%まで引き上げようといろいろ議論されているわけです。10%というと一気に今現在の2倍です。ずいぶんな話だなと思うのですが、新聞によると、フランスでは19,6%から21,2%に引き上げる方針が表明され、イタリアも21%から23%へ引き上げるのだそうです。そんなに高かったとは知りませんでした。ちなみに現状は、ギリシアとポルトガルが23%、イギリスが20%、スペインが18%です。どこもかなり高いですね。もちろんだからといって日本の消費税率をこの先どんどんあげていってもいいのだ、ということにはなりません。


 国民から税金を徴収する方法は各国でまちまちであり、日本では消費税が導入される前は、直接税である所得税が中心でした。所得税は税率が累進的となっているため、所得が高い人ほど税率が高くなっていきます。課税所得が発生する人は、税率は5%から始まって最高40%、住民税を含めると最高税率は50%となります。ある面負担能力主義というか、課税所得が発生しない人からは税金を徴収しませんし、多く稼ぐ人からたくさん税金を徴収することで、なんとなく納得感があります。ただ問題は所得の捕捉が十分ではないことだと思います。「クロヨン」あるいは「トーゴーサンピン」といわれるように、税金をごまかしている人が後を絶たず、不公平感があるということですね。


 これに対して間接税である消費税は、消費することによって間接的に税金を払うことになるため、所得の捕捉率は高く、そういった面では平等感はあります。ただ、所得の多い人も少ない人も同じ税率で負担することになるため、所得の少ない人にとっては相対的に税金負担割合が高くなってしまいます。これを「逆累進性」といって消費税の欠点であるといわれているのです。生活の苦しい人が今日食べるお米を購入するのにも5%の消費税を払いますし、大金持ちの大馬鹿野郎の息子に、ベンツCLクラスのAMGを購入してやるのも5%の消費税なのです。


 日本は長い間、歳入は直接税が中心でしたが、今後は広く負担させることができる消費税中心の社会になっていくのでしょう。ただ、今検討されているのは、税金の直間比率を見直すために消費税を増税して所得税を減税するのではなくて、消費税率をアップして、なおかつ所得税の負担も増やしてやろうという雰囲気です。国民の負担はなかなか大変ですね。1%税率をアップさせるだけで単純計算するとおそらく兆円単位の増税効果があると思われるのですが、逆に消費が冷え込んで企業業績が悪化し、法人税収が減少することも考えられます。


 それから消費税の問題点を一つ。それは益税問題です。本来であれば、企業は消費者から受け取った税金から仕入れ等のために支払った税金を差し引いて差額を国庫に納める必要があるのですが、消費税法の中には簡易課税制度や特例ルールが定められていて、必ずしも消費者からいただいた税金がそのまま国庫に納められているとは限らないケースがあります。税率が上がると益税もその分増えることになります。


 消費税率を上げるのであれば、そのあたりの消費税法の見直しも同時に行っていただきたいものです。

 


2012年3月23日金曜日

借金地獄に無関心でいいのか

~もう借金生活はしたくないのです~




 国の借金、つまり国債や借入金が、2012年度末には過去最大の1,085兆円ほどになるのだそうである。日本の人口1億2千万人で割ると、1人当たりなんと約900万円です。赤ん坊からお年寄りまで含めての平均金額です。二人家族で1,800万円、5人家族だと4,500万円です。大変な金額ではないですか。


 私の場合、大学卒業時にはスーツを一応1着持っていたのですが、社会人になると毎日それだけを着ているわけにはいきません。しょうがないのでスーツを買わなければならないのですが、なにしろお金がありませんでした。そこでやむを得ずキャッシングをしてスーツを購入しました。初任給はというと、今までいろいろ援助してくれた親に感謝の気持ちを込めて、父親にはカルチェのライターを、母親にはハンドバックを買いましたので、あっという間になくなりました。


 初のボーナスを当て込んで、当時はほとんど誰も持っていなかった27インチのテレビを購入したのですが、ボーナスの支給対象期間が、入所後勤務していた期間とあまり重なっていなかったため、見込み違いであまりもらえませんでした。またしてもキャッシングです。キャッシングのお金を返すためにさらに別のところからキャッシングをするという、まさに自転車操業の状態が1年ほど続いたでしょうか、頭の片隅には常に借金に追われているような嫌な気持ちがありましたが、まぁ何とかなるだろうという気分でした。


 月末になると当然のごとく生活が苦しくなるのですが、そういう時は同期入社のYさんから1万円ほど借りて、それでも飲みに行くのをやめませんでした。今考えると、ハチャメチャな生活です。


 車の購入も住宅もローンでした。それでも必死に働いて徐々に返済しているのですが、国の借金は自分自身の借金ではないとはいえ、これだけ膨らんだ金額を目の当たりにすると、なんとなく将来が不安になってきてしまいます。利息だって毎年膨大な金額になるでしょうし、利払いに汲々として、借金の元本自体は今後減るどころか膨らむ一方なのでしょうね。いくら消費税を引き上げて増税しても、国債の利払いに追われるような状況では、結局国民が借金の利息を払わされていることになってしまいます。


 今後長期的に人口が減少していく一方の日本ですが、少子化傾向にあるのは結局将来の事を考えると、どうしても防衛本能が働くからではないのでしょうか。これでは悪循環ですね。将来に明るい未来が待っていれば、辛抱強く頑張ろうという気持ちになるのでしょうけれども。


 日本の将来は本当に大丈夫なのだろうか、不安になってしまいます。

2012年3月21日水曜日

「ALWAYS」から「下山の思想」へ

~希望に満ちた日々はもう終わったのか?~




 今年の冬にヒットした映画「ALWAYS 三丁目の夕日‘64」を私も見に行きました。昭和39年といえば東京オリンピックのあった年、ちょうど日本がすごい勢いで山に登っていた時期でもあります。映画を見ていて思ったのですが、よくこれだけ当時のものを集めたものだと思います。


 映画を3Dで見るのは初めての経験だったのですが、メガネの上にメガネをかけなければならなかったため、本来のメガネのパットが鼻の頭に食い込んで痛かったです。3Dメガネをはずしてみると映像がなんだかぼやけて見えるため、やむなくメガネを指で押さえ続けながら2時間30分見続けましたが、そういった不便さを吹き飛ばすほど映画自体は面白かったです。東京タワーのてっぺんが目に突き刺さりそうなくらい近くまで到達し、赤とんぼは手で払いたくなるくらい近くを飛び交い、紙飛行機が私の頭の横を通り過ぎていきました。なかなか迫力があったのだ。


 戦後の焼け野原から19年たって見事な復興を遂げた日本は、オリンピックの開催をきっかけに高度経済成長期に入っていきます。みんなが明るい未来を信じ、昨日よりも今日、今日よりも明日は必ず進歩していると実感できた頃でもあります。私も当時は小学生でしたが、確かに貧しかったけれど、自由でのびのびと過ごすことができ、そこら中に笑いがあったような気がします。


 そして現在。その年に生まれた赤ちゃんは、今ではもう47~48歳のはずです。五木寛之さん「下山の思想」によれば、昨年日本は下山の途中で、東日本大震災という第二の敗戦のような経験したのだけれど、再び山頂を目指して登りつめようなどということは考えずに、再び立ち上がって、実りの多い豊かな下山を続けてはどうかというのですね。


 確かに日本は、今まで奇跡的な発展を成し遂げてきたけれど、ちょっと無理をしすぎてきたような気もします。そしてその反動がいろいろな統計にも表れているようです。自分自身を振り返ってみてもそんな気がします。


一般企業を例にとってみても、通常50年間も一流企業でい続けるというのは、ごく少数の企業を除いて本当に数少ないと思います。新聞によると、名だたるグローバル企業でさえも何千億円もの赤字決算を組まなければならないのが今の日本の現状です。


 東京オリンピックのころを夢見て、再び頂上へ登りつめようとするのか、あるいは登りはもういいからゆっくり下山して行こうではないかと発想を転換をした方がいいのか、なかなか難しいところです。


 今の自分は、表面的には下山体制に入っているように見せかけているのですが、それは世を忍ぶ仮の姿。所を変えていろんな面で、もうひと踏ん張りしなければならないとひそかに考えているのです。

2012年3月19日月曜日

私、ヨーグルトの味方です

~ゴパンは買わなかったけれど~




 最近私の連れ合いが、夕食後に台所でゴソゴソと何かやっていたため、こっそりのぞいてみたのですが、なんと自家製ヨーグルトを作っているではありませんか。ヨーグルトは小岩井農場で作っている無糖のやつを近所のスーパーでまとめ買いしておいて、朝食後に蜂蜜をかけて食べるのですが、冬場は冷えるためパタッと食べなくなってしまいます。マンション暮らしのため、「なるべく物は持たない、いらなくなったものはすぐ捨てる」を基本方針にしているため、わざわざこの冬の寒い時期にヨーグルトメーカーなるものをネットで購入して物を増やさなくてもいいではないか、どうせすぐに飽きるに決まっている、今までもそうだったではないかと詰め寄ったのですが、購入してしまったものはしょうがありません。


 我が家では今までも思いつきで(といったら怒られるか)いろんな家電製品を買っているのですが、すぐに飽きてしまい、廃棄処分にしてしまったものも少なくありません。今使っている物も含めてざっと例を挙げてみると


玄米発芽器
休眠中。

ジューサー
最初は面白くておいしくて毎日使っていましたが、洗うのに手間がかかり結局廃棄処分。

おかゆ製造機
実家に送る。

もやし製造機
廃棄処分。

温泉卵器
たまに思い出したように使いますが、すぐしまってしまう。

コーヒーメーカー
2回買いましたが、結局はドリッパーとペーパーフィルターにポットのお湯をまんべんなくかけて入れたコーヒーが一番おいしいことが分かったので、こちらも廃棄。

スチーマー(顔に蒸気をかけるやつ)
昨年末登場。当初は気持ちがいいと毎日使っていましたが、いつの間にか置き場所に困っている。

頭皮マッサージ器
これも昨年末に登場。使ったのだろうか?

ゴパン
友人から「ゴパン」で作ったパンをいただいて、食べてみたらおいしかったといって買おうとするので、日本の由緒正しい朝食を毎日摂取している私は「絶対食べるはずがない」と断固反対。結局買わず。正しい選択であった。


 そして今回登場したのがヨーグルトメーカーというわけなのです。


 さてこのヨーグルトメーカーですが、なかなかの優れものです。種菌と牛乳を発酵器に入れてかき混ぜ、発酵器の温度を42度に設定して、タイマーを12時間にセットします。時間がたったら冷蔵庫にしまい、2時間冷やすと立派なヨーグルトの出来上がりです。これがなかなかおいしいのですよ。小岩井農場のヨーグルトに全く引けを取らないおいしさです。牛乳の代わりに豆乳を入れると豆乳ヨーグルトが出来上がりますし、種菌で作ったヨーグルトを使い回しして次のヨーグルトを作ることもできます。私は飲みませんが、コメを使えば甘酒も作ることができますし、お好みの納豆だって作ることができるのです。


 これを機会に麹菌の事をいろいろ調べてみたのですが、様々なケースで活躍しています。味噌や醤油はもちろんお酒や焼酎もそうですね。それに塩辛や鰹節にまで使われていることが分かりました。


 今までカビだと思ってバカにして悪かった。これからは冬でも毎日ヨーグルトを食べることにします。


 麹菌も乳酸菌もえらい!



2012年3月16日金曜日

消費税議論に思う

~国と民間の考え方の相違~




 消費税増税議論が盛んになってきていますが、先日ある新聞記事を読んでいて、多少の違和感を覚えました。直接税である所得税は、所得が増えるにしたがって税率が上がる累進税率を適用しているのですが、課税されるほどの所得がない人は所得税を払う必要はありません。これに対して間接税である消費税は、物を購入(消費)するたびに税金を負担していることになるため、所得があるなしにかかわらず、基本的には国民全員が負担することになります。ある面平等ではありますが、収入の少ない人にとっては物の値段が消費税分だけ上がることになってしまうため、ますます生活が苦しくなってしまいます。ここが消費税の難しいところです。


 消費税を増税する以上、このような逆進性はやむを得ないのであって、この事実を受け入れて増税するかどうかを議論するのかと思っていたのですが、政府・民主党の考え方はどうも違うようです。いわゆる所得の低い人たちに、1人当たり年1万円を支給するというのですね。対象者は所得税を支払うほどの所得のない人で、全国で数百万人に上るそうです。そして、支給するための経費が年間で最大一千億円規模になる可能性があるとも記載されています。


 そこでちょっと待てよなのです。数百万人の対象者を仮に5百万人と仮定しましょう。私の計算が正しいとすると、5百万人を対象に一人1万円支給すると、5百億円です。そして支給するための経費が1千億円というわけです。この5百億円を支給するのに1千億円かかるという発想が、なかなかすんなり腹の中に納まらないのですね。もっといい方法があるのではないのかと。


 一般事業会社では、例えば従業員の給与を5百億円増やすために、1千億円の経費がかかるというのであれば、決してこのようなことは実行しませんし、5百億円の増収を見込んで1千億円投資するということも、社会的貢献等よほどのことがないかぎりゴーサインは出ないでしょう。もっとも赤字球団を持つことはありますが、それは広告宣伝効果を考えての事です。


 本来国がやらなければならない政策は一般事業会社とは異なりますので、民間の発想ではおかしいと思っても、国としてやることは正しいと納得できることはたくさんあります。でもこれでは子ども手当の発想と一緒でばらまきと言われてもしょうがないでしょうね。一人1万円といえば月に9百円ほどです。事務経費に1千億円のお金を使うのであれば、もっと他に使い道がいろいろあると思いうのですが。また、1人一万円を支給するなどという安易な発想ではなくて、雇用を増やす、あるいは生涯賃金が増えるような施策をもっと考えていただけたらいいなと思います。



 同じ日の同じ新聞の別の面に、若手の新規就農を拡大するために、経営が不安定な就農直後の収入を保証する目的で、国が最長7年間にわたって年150万円を支給する仕組みの導入を検討しているという記事が掲載されていました。農業分野への若手の参入を促して、今現在1万人ほどいる若手就農者を2万人に増やすのが狙いだとそうです。


 こちらの記事は読んでいてしっくり腹の中に納まりました。

2012年3月14日水曜日

税金はなるべく払いたくないもの

~確定申告の無料相談は結構忙しい~




 確定申告の時期ももうすぐ終わりです。税金を払うのは国民の義務とはいえ、できることならばなるべく少なくて済むにこしたことはありません。サラリーマンならば源泉徴収で毎月税金を払い、年末調整で1年分の精算を行います。でも、例えば医療費控除を受けるときや年末に子供が生まれたときなど、場合によっては税金の還付を受けることができるケースがあります。そんな時は自分で確定申告をしなければならないのですが、普段申告書を作成したことのない人にとっては、結構面倒くさいものがあります。ましてや、還付を受けることができるのに、気が付かないケースもあることでしょう。知らない人が損をするというのが税金のよろしくない仕組みです。


 私も税理士登録をしていた時期があるのですが、そうすると年に一度は確定申告の無料相談員を行わなければなりません。もともと当時の公認会計士試験3次試験の受験科目の中では法人税法が得意中の得意であり、試験に合格してからも所得税や相続税・資産税を集中的に勉強していたため、税理士登録してからも特に困ることはありませんでした。したがって、無料相談に出かけて行っても、どこからでもかかってきなさい状態で、特にプレッシャーを感じることもありませんでした。


 今は基本的には相談員である税理士は、申告書の代筆を行ってはならないことになっていますが、私が相談員をやっていた初めのころは特にそういった制限はありませんでした。したがって、申告書を書いていただくよりも、自分で書いた方が早いため、下書きから清書まで、ひたすら自分で書きまくっていたのです。9時ころから始まって、相談者がいなくなる大体16時ころまで続くのですが、その間ひっきりなしに書いていますので、12~15人分の申告書を作成することになります。これはかなり疲れました。


 最近では、基本的に税理士は代筆は行ってはならないということになりましたので、相談にのってあげて申告書の書き方を指導してあげるだけでよくなりました。それでも、お年寄りの方や、体調の悪い人が相談にやってくると、「代筆はできないことになっていますので自分で書いてください」と冷たく突き放すことはやはりできません。税務署員に見つからないようにこっそりと申告書を書いてあげるのです。


 無料相談をやっていて困るのは、領収書の束をバラバラ持ってきて机の上に広げ、これで申告書を書いてくださいというやつです。集中して相談をこなしているときに、このような無神経な人が来ると、一瞬逆上しそうになるのですが、ここは心を冷静に保ち、

「しっかりご自分で集計してから持ってきてくださいね」

 とお引き取り願います。また、もっとすごかったのは、医療費控除を受けたいといってバラバラと領収書を持参してきたお姉さんがいて、よくよく源泉徴収票を見てみると、源泉税がゼロだったことです。こちらも、


「お姉さん、税金を払っていないのに還付はできませんがね」

 と言ってお引き取り願いました。


 たまに高額の給与所得がある人が、医療費控除の申告に来ることがあるのですが、うらやましくてわざと間違えてしまいたくなることもあります(ウソですけど)


 無料相談とはいえ、やはり相談に来る人はみんな真剣ですし、お金に関することでもありますので、ミスがあってはならないとこちらもかなり神経を使います。今年も早いもので確定申告の時期も終わろうとしていますが、払い過ぎや還付漏れにはくれぐれも注意しましょう。

2012年3月12日月曜日

四文字熟語・・・「一陽来復」

~今の日本にふさわしい言葉~




 たぶん貴乃花あたりが大関に昇進したころからだったと思うのですが、昇進を伝えに来る使者を迎えたときの言葉に、四文字熟語が使われるようになりました。「謹んでお受けいたします。大関に名を汚さぬよう、○○○○今後も精進致します。」などと述べる際の、○○○○のところに四文字熟語が入ります。それが「一意専心」だったり「不撓不屈」だったりするわけですね。稀勢ノ里が昇進した時には、久しぶりに四文字熟語が使われなかったのですが、それはそれでシンプルでよかったと思います。


 先日ある雑誌を読んでいたら、「一陽来復」という言葉が目に飛び込んでみました。普段あまりお目にかかったことのない言葉でしたので、気になってさっそく調べてみたのですが、その意味するところは、「冬が終わり春が来ること。悪いことが続いた後で幸運に向かうこと」なのだそうです。なんとなく今の日本、あるいは我々の生活が置かれている立場にふさわしい言葉ではないですか。


 バブル経済が崩壊してもう20年になろうとしています。失われた10年から失われた20年です。このままずっと冬のままなのではないかと思っていた日本に、昨年さらに震災が追い打ちをかけました。国民全体もなんとなく耐えることには慣れているのですが、一人一人がここらで根本的に発想を転換し、今の閉塞感を何とかしたいものです。きっかけはないものでしょうか。


 新聞によりますと、宮城県をはじめ被災した地区の土地をとりまとめ、一大農業地域に生まれ変わらせようとする試みがなされるようです。そこには最先端の農業技術を取り入れ、民間企業が資金や技術・ノウハウを投入することによって、安くて新鮮な農産物が提供できるようにするそうです。「一陽来復」のモデルケースになってほしいですね。


 四文字熟語で思い出すのは、秋田出身のシンガーソングライター山平和彦の歌「放送禁止歌」です。彼は残念ながら数年前、名古屋において交通事故で亡くなったようですが、私が中学校時代にフォークギターを練習し始めたころ、この歌をギター弾きながらよく歌っていました。アルバムジャケットの絵を、私の中学時代の美術の先生が「俺が描いたんだぞ」と言っていたのを思い出します。歌詞の中には「一陽来復」はありませんでしたが、「七転八起」はありました。


 がんばりましょう。

2012年3月9日金曜日

朝の時間の有効活用

~早起きして自分のやりたいことをやろう~




 学生時代といえば当然のことながら夜型の生活をしていました。夜遅くまで自分のやりたいことをやっているということがなんとなくカッコよく感じていたこともあります。ところが会計士試験に合格して、いざ出勤ということになると、180度生活時間を転換して、きちんと決められた時間に早起きしなければなりません。当時から比較的睡眠時間はよくとっていたほうで、8時間くらいは寝ていたでしょうか。


 あるとき事務所の会計士が雑談しているのが耳に入ってきました。その人が言うには、「よく7時間も寝ていられるな。そんなに寝ていたら頭が腐る」のだそうです。グサッときましたね。ばかばかしいのであまりノウハウ本は買わないのですが、早速書店に行って、確かその頃売れっ子だった竹村健一の本だったと思いますが、睡眠時間を減らすノウハウ本を買ってきてしまいました。


 その本によると、睡眠時間を減らすのは慣れるのが一番で、8時間寝ている人だと7時間半を2週間、その後7時間を2週間といったように、2週間かけて30分ずつ減らしいくのがいいのだそうです。早速実行してみたら、結局6時間まで減らすことができました。当時勤務していた東京の職場は10時までに出勤すればよかったため、毎日夜中の2時前には決して寝ることのない充実した日々を送ることができました。0時くらいまでは勉強したり本を読んだり、そのあと2時~3時くらいまでは、ヘッドフォンをつけて電子ピアノの練習をしたり作詞作曲に没頭します。そして寝酒を飲みながらレコードを聴くという、今から考えると黄金の日々でした。


 さて結婚して名古屋にきてからは、なかなか自分だけの時間を満喫するというわけにはいきません。出勤時間も早くなり、勤務時間も長くなりました。本当は仕事が終わって家へ帰ってからも、ご飯は後で作るので、ゴルフの打ちっぱなしにでも行きたいところですがそれも許されず、晩御飯のおかずを作ります。酒でも飲みながらゆっくり食事をとるともうかなり遅くなっているため、まとめて何かをやるということがなかなかできにくくなってきました。結局新聞でも読んで、気が向いたらギターでも弾き、あとは好きな本でも読んで寝てしまいます。


 年を取ると睡眠をあまりとらなくてもよくなって、早起きになるといわれていますが、私の場合はなかなかそうならないのですね。たまに早く目が覚めることはありますが、まだ暗いのに起きてしまうのはもったいないと、ぐずぐず布団の中にもぐりこんでしまいます。いっそのこと布団をはね上げて起きてしまえばいいのにと後で後悔するのですが、4年ほど前に働きすぎて体調を崩したことがあったため、体を休めなければという意識がどこかにあるのは間違いありません。


 でも、もういいではないか。ここでそろそろ生活パターンを変えて、再び自分だけの時間を取り戻すのだ。それでは朝の時間をどう過ごすのか。新聞は別に電車の中で読めるので、せっかくの時間を使うのは勿体ありません。私の場合は「飲む、打つ、弾く」にしようかと思います。



■飲む
朝から酒を飲むわけにはいかないため、飲むのは抹茶です。朝起きて新鮮な気分で自分の好きな茶碗にお茶を点てるのです。朝のコーヒーはもうしばらく前にやめました。朝の抹茶の一服で、頭の中がすっきりします。


■打つ
ばくちは一切やりません。私の場合の「打つ」はキーボードです。つまりこのブログもそう。朝は頭が新鮮ですので、キーボードも休むことなく打ち続けることができます。


■弾く
もちろんギター。出かける前の10分間ほどでもギターを弾いていると、無心の境地でいることができるため、気分転換になります。新鮮な気持ちになって、玄関のドアを開けることができるのです。


 健康的でいいではないですか。



2012年3月7日水曜日

責任を取る人取らない人

~妻が・・・部下が・・・秘書が・・・選手が・・・~




 もうだいぶ前になりますが、「妻が・・・妻が・・・」と繰り返し、自分のやったことに対して責任を認めようとしない人がいました。数年前にも、母親から億単位のお金をいただいても申告せず、ばれてからあわてて申告した人がいました。


 昔は、一般事業会社でも不祥事があった場合、社長がテレビのインタビューにでてきて、「俺は知らなかった。やったのは部下で悪いのは部下だ、ワシには関係ない」というコメントをよく聞きました。見苦しいとは思いながらもなんとなくそれが通ってしまう風潮があったような気がします。そういう人は自分の不手際は人のせいにして、人の手柄は自分の手柄にしてしまいがちです。


 しかし、「部下が部下が」というのは、裁判が許しませんでした。某社の部下が犯した横領事件の責任は、横領を食い止めるような仕組みを作ってこなかった取締役にもあるという判決が下ったのです。その取締役は、損害賠償責任を負うことになりました。この判例ができたおかげで、「俺は知らなかった」と言ってしまうと、「情報の伝達」がうまくいかなかったことになってしまい、そうした仕組み(いわゆる内部統制というやつ)を作ってこなかった自分の責任になってしまうのです。つまり、自ら墓穴を掘ることになってしまいます。


 政治の世界ではそういった経済社会の常識が通用しない世界なのだろうか。秘書が・・・で通ってしまうのでしょうか。インサイダーの問題もなんだか寒い事件ですね。


 世の中には本当は実質的には自分のせいではないにしても、それをぐっとこらえて責任だけは取ろうとする人もいます。危ういですけれども。


 某野球チームの監督は、成績が上がらず、選手に坊主になれと言ったようですが、ドラゴンズの落合前監督は、優勝できなかった責任を取って、自分が坊主頭になってしまいました。今ではその姿がすっかり板についてしまいが、先日自宅にしまいこんである雑誌を整理していたところ、落合選手がオリオンズから中日へ移籍した時の最初のキャンプの模様を伝えるベースボールマガジンが出てきました。おお懐かしい。サムライを思い出させるようなお姿。その時のコメントが載っていたので読み返してみましたが、やはり普通とは違うコメントで、面白かったです。

2012年3月5日月曜日

猫だって嫌なものは嫌という

~おかしいといえない社風~




 物心ついたころから犬を飼っていました。そして実家にはつい数年前まで、帰ると必ず私を待っている犬がいたのです。そんなことが関係しているのかどうかはわかりませんが、犬を連れて散歩している人と道端ですれ違うと、必ずと言っていいほど犬が私に近寄ってきます。飼い主が強引に連れて行こうとしても、犬は私の方を振り返りながら、名残惜しそうな顔をしています。私にはわかるのです。


 東京から名古屋に移り住んでからは、しばらくは連れあいあの住んでいた職員住宅にもぐりこんでいました。ある日そこに生徒が猫を連れてきたのですが、いろんないきさつがあって、その猫をつい引き取ってしまうことになったのです。猫を飼うのは初めてだったため、どのように扱っていいのかわかりません。最初は犬と同じように接していたのですが、気まぐれでこちらの思うように行動してくれないのですよ。しかりつけるとますます人間関係?が悪くなってしまいます。それでも、仕事が終わって家に帰ってドアを開けると、うれしそうに背中を床にこすりつけてごろごろやっているのはやはりかわいいし、私が一人で部屋に閉じこもって勉強などをやっていると、こっそり部屋に入ってきて、背中を駆け上ってきたり、消しゴムをころころ転がして遊んでいたり、疲れると膝の上で寝ていたりします。


 かといって話しかけても知らんぷりです。なれ合いを拒むというか、食事を与えるとき以外は人間に媚びることはしません。高貴な生き物なのだ。小林まこと「ホワッツ マイケル」という猫漫画を読んで、やっと猫の習性を理解してきたのですが、結局は部屋の中で猫を飼ってはいけないということになってしまいました。やむなく車で秋田まで連れて行き、連れ合いの実家に預けることにしたのです。でもそこは猫天国。今でも4匹飼っていているのですが、遊び盛りで大変なのだ。


 自由気ままに生きている猫ですが、それに比べて人間社会はどうでしょう。生活が懸かっているから嫌な仕事でも「わかりました」といってやらなければならないし、理不尽だと思いながらも文句もいわずこなさなければなりません。それぐらいは当たり前の事として受け入れるしかないのですが、職場が言いたいことも満足にいえない社風であってはやはりよくないですね。


 正しいことなのに、言ってはいけないこととして我慢している人は、猫を見習ってほしいです。

2012年3月2日金曜日

志野の陶片にお刺身を載せていただく

~陶片からパワーを~

 私の職場の机の上には志野の陶片が置いてあります。




 さりげなく素朴な絵がいいではないですか。志野の皿に特徴的な絵です。


 仕事の打ち合わせに来た人からは、頻繁にこれはなんですか?と聞かれるため、その都度「桃山時代の志野の陶片です」と説明するのですが、なかなかその価値がわかっていただけなくてもどかしい思いをします。


 毎月第4土日にセラミックパークで開催される骨董市で購入したのですが、単なる陶片だといってバカにしてはいけません。


 志野の陶片は、今では窯後からも発掘されることはないため、数が少なく大変貴重なのです。もしこれが陶片ではなく、桃山時代の志野の皿で完品であったなら、値段は数百万円するはずです。ほんとですって。


 この陶片を見ていると、心が和むから不思議です。触ってみてもなかなか感触が良くて、桃山時代の無名ではあるけれども陶工のパワーがひしひしと伝わってきます。

 そのパワーをもらいながら、かろうじて日常業務をこなしているのですよ。


 ただ飾っているだけでももちろんいいのですが、せっかくだからたまには使ってあげなければなりません。


 なんに使うのか?箸置き?私の貧弱な発想では、これにお刺身をのっけてみるくらいしか思いつきません。




 このお刺身を肴に、辻村史郎さんの制作した志野のぐい飲みでお酒をいただくことにします。生きる元気をもらうのです。


 ぐい飲みも桃山時代のものだったらいいのに…。





2012年2月29日水曜日

君は計算が得意だから・・・

~職業の選択~




 作家の浅田次郎さんの本に「君はうそつきだから、小説家にでもなればいい」とう本があります。ご自分の過去を振り返ったエッセイなのですが、なかなか面白かったです。「小説家に」ではなくて「小説家にでも」というところがいいですね。それにしても、うそつきと小説家を結びつけるとは。


 学生時代、やんちゃでいたずらで問題児(ご本人の言葉です)だった浅田さんは、先生に微笑みながら言われたことを今でもはっきり覚えているそうです。その後いろいろ紆余曲折があったのですが、小説家になりたいという信念を最後まで貫き通し、遅れはしたもののご自分の夢を実現されました。


 職業を選択するきっかけは、人それぞれいろいろあると思いますし、また様々な偶然が積み重なって、たまたま今の職業にたどり着いたという人も多いと思います。私の父親も戦後の混乱期にいろんな偶然があったようですが、56歳で税理士にたどり着き、今でも現役です。


 私はというと、小学校の2~3年生でしたか、何がきっかけとなったのかは思い出せないのですが、なぜか椅子を作り、それが大人たちに褒められたこともあって、大工さんになりたいと思っていました。結局は大工さんから公認会計士に進路変更することになったのですが、その間にも、歌手になりたい、歌を作りたい、シンガーソングライターになりたい、会計士試験に通った後も、小椋桂のように二足のわらじを履いてみたいと思って、必死に歌を作っていました。公認会計士を選んだのは、決して「君は計算が得意だから公認会計士にでもなりなさい」といわれたわけではありません。


 ゴルフをラウンドしていて、例えば落としどころが限られているようなトリッキーなホールで、たまたま理想通りのいいショットが打てたりすると、「さすが会計士、計算通りですね」などとひやかされることがあるのですが、計算が得意→計算高いと連想してしまい、あまりいい気もちはしません。そもそも私は計算があまり得意ではないので。ましてやゴルフはつくづく計算のできないスポーツだと思います。無心でプレイしているときはいいのですが、なんとなく調子が良くてスコアカードを見てみたら、残り2ホールをボギーペースで30台などと気が付いてしまうと、たいてい次のホールでOBを打ってしまいます。不思議なものですね。ましてや人生においては計算などできるはずもありません。


 私の身近にいる怪しい税理士は、父親に「おじいさんの後をついで、自衛隊に行きなさい」といわれたようです。そこから一大発奮し、学生時代に税理士試験の簿記・財表合格、翌年税法3科目一発合格という離れ業を演じました。何がきっかけになるかはわかりませんね。


 NHKドラマ「監査法人」では第2話で、公認会計士の健司が飛鳥屋の裏帳簿を暴こうと不動産屋を回ります。そして、土地の大幅な時価下落の実態をつかみ、鈴本公認会計士にその事実を突きつけるのですが、そこで健司は鈴本公認会計士にきつい一言をかけられます。

「不動産屋にでもおなりなさい」と。

もちろん健司は不動産屋にはなりませんでしたが。

2012年2月27日月曜日

東北を日本のブータンに

~都会がうらやましいというわけではない~




 最近、大阪都構想だとか中京都がどうだとか、第二の東京都づくり構想が話題になっていますが、私としてはそんなことよりも、東北のほうに想いがいってしまいます。


 先日新聞に、小さな特集ですが、ブータンの生活ぶりが取り上げられていました。ブータンといえば昨年、かっこいい国王と美しい王妃が来日し、その控えめで常に祈りをささげている姿に多くの日本人が好感を抱き、ちょっとしたブータンブームになりました。


 わずかな記事でしたが、新聞によりますとブータンは仏教国で、そんなに物質的に豊かではないけれども家族とのつながりを大事にし、失業率は高いけれども国民の満足度も高いようです。来日の際に話題となった国民総幸福量(GNH)という指標が、憲法でも取り上げられているのだそうです。


 震災からもうすぐ1年になろうとしていますが、東北はもう経済力や工業生産高では都会にはかなわないのだし、あほバカお笑いタレントに無理に迎合する必要もないし、カネがモノをいう世界とは無縁なわけだし、常に何かに追われているような生活や愚かな評価に一喜一憂するような虚しいだけの出世競争も都会の人たちにくれてやればいいし、株や円相場も上がったり下がったりしたって、それがどうしたと思っていればいいし、それだからこそ、東北独自の世界を築き上げればいいではないですか、と思うのですがいかがなものでしょうか。


 東北には、時には厳しいけれども雄大で豊かな自然があるし、食べ物やお酒もおいしいし、水も豊富にあるし、温泉だってあまり知られていないだけで、循環ではない源泉かけ流しの温泉がたくさんあります。いい観光地もたくさんあるのですが、広告宣伝が下手なだけで、見どころはたくさんあります。人々は無口だけれどやさしいし、犬や猫も満足そうな顔をしています。土地が広いので、マンションみたいな狭苦しい部屋に閉じこもっている必要もありません。


 冬にゴルフができないとか、骨董のいいやつが都会に集まるという、私にとっては少し個人的なマイナス要因はあるけれども、一度国民総幸福の概念を導入して、東北のこれからの進むべき道を考えてみてはいかがでしょうか。

2012年2月24日金曜日

スマホのない生活にどこまで耐えられるか

~活字人間の抵抗~




 私自身アナログ人間かデジタル人間かと聞かれたら、言うまでもなくアナログ人間に決まっています。しかも、紙に書いてある活字を読むのが人生の喜びの一つになっているのです。


 ただ、ケータイ電話は便利だということで、比較的早い時期に購入した記憶がありますし、カメラもデジカメが出始めたころに、小型ではなくて、当時としてはかなり思い切っていいやつを購入したはずです(電池がすぐに切れて困りましたが)。でも、音楽関係はイヤホンで聞く気にはならなかったため、そういったたぐいのものは購入しませんでした。


 さて時代は変わって今の世の中、大変便利なものがいろいろ出回ってきました。個人的には非常に興味はあるし、いつでも購入しようと思っているのですが、いざとなると超えることのできない壁があって、いまだに時代の流れに取り残された人を演じることになっているのです。それというのも、便利ではあると思うけれども、どうしても生活に必要なものではないという気持ちがあるからなのでしょう。


 ケータイはもちろん持っていますが、最近やっとメールをたまに使い始めたばかりで、ほとんど通話に利用するだけです。ケータイにいろいろ機能がついているのでしょうが、自慢ではないけどネットも利用したこともありません。新幹線の切符を取るのも、周りの皆さんは「何とかエキスプレス」で予約しているようですが、私は自分で自動券売機で購入しています・・・自慢にはならないけど。


 こういったデジタル機器を利用する気にならないのは、あの分厚い説明書が悪いのだと思います。どうやって読みこなせというのだ。しかも、何か新製品が出たというと、順番待ち状態で、手に入れたいと思ってもその段階でもう嫌気がさしてしまうのですね。購入手続きも面倒くさそうだし。


 と、いろいろ今まで取り残されてきた理由を長々と述べてきましたが、もうここまで遅れた以上、どうせなら最先端の機器を今年こそ手に入れるのだ。そして、どこにいても最新の情報を入手できるようにするのです。最後尾から最先端に一気に飛び越えるのですよ。


 でも、例えば日経の電子版を契約してスマートフォンで読もうと思っても、また電子書籍を読もうとしても、もう眼が悪くなっているため、あの小さな字がまともに読めるのだろうか・・・。だったら大きめのiPad2でも購入した方がいいのだろうか・・・でもiPadで電話はできないしなぁ・・・などと考えているうちに、また買いそびれてしまうのかも。
 

2012年2月22日水曜日

最近聞いた変な日本語

~あまり気にしないほうがいいのかも~




 たまたま評論家の小林秀雄河上徹太郎等の文章を読む機会があったのですが、このころの文人の書く文章というのはやはり難しく、日本語もしっかりしているし、私の頭の中の辞書にはない漢字もたくさん出てきて読むのには苦労しましたが、内容は非常に面白かったです。


 もちろん現代作家の中にも日本語にこだわりを持っている人たちがいて、清水義範さんもその一人です。最近読んだ本にも、若者言葉や日本語のむずかしさをテーマにした小説がありました。また、年末年始に秋田へ帰って何気なく自室の本棚を眺めていたら、「日本語の乱れ」という本が置いてあったため、つい読み直してしまいました。


 最近ある会合があり、それなりの立場にある人が挨拶をしていたのですが、その中で「ジョジツに」という言葉が出てきて気になってしまいました。おそらく「如実に」の事なのだろうなとは思ったのですが、自信を持って言われたため、もしかしたら私の勘違いなのかもしれないと心配になり、早速国語辞典で調べてみました。「ジョジツ」はなかったし、WORDで変換してもそれらしき言葉は出てこなかったため、なんとなくホッとしてしまいました。


 もう一つかわいくて笑えたのが、「リメンバーメール」です。これはすぐに「リマインドメール」の事だと気が付きました。リマインドとリメンバーは、日本語的にも英語的にもなんとなく言いたいことや発音が近いため、それなりに伝わるものがあって、納得感はありました。


 同じ人ですが、「メールをバックスペース何とかで送れば・・・」とも言っていました。これはさすがにすぐにはぴんと来なかったのですが、言っていることの意味からすると、おそらく「BCC」の事なのでしょう。


 いずれも自信を持って言われるので、そっとしておいてあげましたが、おそらく自分もどこかでおかしな日本語を使っているのかもしれません。「付け焼刃」はてっきり「つけやきば」と読むに違いないと思っていたのですが、「ゆけやいば」と聞いておかしいと思い、これも調べてみたら、この読み方もありなのですね。


 年をとると、テレビのアナウンサー達の言葉尻をとらえて、いちいち文句をつけるようになるのだそうですが、自分のそういった姿はあまり想像したくありませんね。


 それにしても「ということになります」はますます勢力を拡大するばかりですが、もう気にしないようにします。


2012年2月20日月曜日

林住期6年生

~まだまだ未熟な林住期の過ごし方~




 50歳からは仏教でいうところの「林住期」に入ります。そして25年間続くわけです。林住期に入ったら、もうガツガツすることなく、自分の意のままにやりたいことをやって穏やかに過ごしなさいということです。昔から25年刻みで人生を考えてきたため、この発想は私にはぴったりで、50歳になる直前から林住期を意識していました。


 ところがたまたま50歳を迎えたときに、重要な役職が回ってきたため、相変わらず全力疾走してしまいました。性格的になかなか手を抜くことができないため、どうしても一生懸命やってしまいます。本当はその性格を変えるところから始めなければならないのかもしれませんが、こればっかりは直すのは無理のようです。


 3年間の任期が終わった後は、徐々に本来あるべき生活のペースをつかみつつあります。つまり、それまではなんとなく優等生を装っていたけれど、ここ1~2年かけて徐々に不良化してきたということです。嵐山光三郎さんの本にもあるように、「不良中年は楽しい」を実践していかなければなりません。


 細川護煕さんは総理大臣も務めた方でしたが、60歳でさっさと政界を引退して表舞台からは姿を消してしまいました。その後は田舎に引きこもり、農業をはじめ晴耕雨読の生活をしているようです。また、陶芸家を目指して辻村史朗さんのところに弟子入りし、自分で新しい世界を楽しんでいます。先日も焼き物の本を探していたら、彼の立派な作品集が出ていました。辻村史朗さんといえば、たまに名古屋にもいらっしゃるようで、2年ほど前に志野のぐい飲みをいただいたのですが、機会があったらお会いしてみたいです。


 それはともかく、私にとっては実質54歳から始まった林住期ですが、これが25年間続くという保証はどこにもないのです。何が起こってもおかしくない世の中ですので。多くの人にいえることかもしれませんが、震災以来なんとなく生き方に対する考え方が変わってきたのではないかと思います。自分が本当にやりたい、あるいはやらなければならないことはなんなのかと。


 もう煩わしいことやつまらないことにかかわることなく、またそんな人は相手にしないで、林住期らしい時間の過ごし方を実践していきたいものです。

2012年2月17日金曜日

白磁で熱燗をいただく

~雑器でもいいから使えるものを~


 骨董といっても鑑賞陶器もあれば使って楽しめる雑器もあります。

 といっても前者はおそらく全く手が出ないため、私の場合はもっぱら使って楽しめるものが中心です。今回はこの冬に熱燗用として活躍している徳利をご紹介します。


 焼き物といっても陶器磁器があるのですが、土物の徳利を熱燗用として熱湯で温める気にはならないため、陶器はもっぱら冷酒用です。

 といっても、直接酒杯に注いだ方が早いということもあって、あまり使いませんが。それに対して磁器の徳利は、丈夫で傷つきにくいし、熱湯にも耐えられるため、燗酒用として冬場には大変重宝しています。



 
 この白磁の徳利は、李朝初期のものであるといわれて購入したのですが、いろいろ調べてみると、しもぶくれの形からいっても肌のつやからいっても、おそらく李朝後期のものなのでしょう。


 もともと李朝の陶磁器は、中国のものが完成度の高い作品が求められていたのと比べて、なんとなくアバウトで遊び心があるというか、おおらかで細部にとらわれない作品が多いです。


 この徳利もちょっと傾いているような気がしますし、愛嬌がある形が気に入っているのですが、口辺がちょっと歪んでいるため、いわゆる酒切れがあまりよくありません。


 したがって、お酒を注いだときに、注ぎ切れなかったお酒のしずくが、つつーっとしもぶくれの胴体に流れ落ちてくるのですね。

 それを、掌をすぼめて流れ落ちるのを止め、なでなでしながらお酒を徳利にしみこませるわけです。そうすると徳利に一段と艶が出てくるのですよ。これを「育てる」といいます。


 傍らでは、私の連れ合いが何を愚かなことをやっているのだというような顔をしていますが、それが楽しみなのだからいいではないですか。

 中には徳利と一緒にお風呂に入るという収集家もいるそうですから。
 
 
 磁器ですので、私の代だけではとても育てきれないと思うのですが、この先たくさんお酒をいただいて、魅力のある徳利に育ってもらいたいものです。



2012年2月15日水曜日

おはようカラスの不思議

~カラスは賢い~




 カラスほど人に嫌われている鳥も珍しいと思います。昔からなんとなく不吉なイメージがありますし、ごみはあさるし、カーカー泣いていると、なんとなくバカにされているような気もします。


 毎週月曜日と木曜日はゴミ出しの日で、私もよく出勤途中で生ごみを出すのですが、カラスが袋を突き破ってしまい、道端にごみが散らかっている光景をよく目にします。そこで人間はいろいろ考え、2年ほど前からカラスが嫌いだといわれている黄色の網を作り、ごみ袋の上から網をかぶせるようにしました。それで被害が一時減ったような気がしたものです。


 先日自宅に回覧板が回ってきたのですが、それを読んで驚いてしまいました。なんと、カラスが集団で行動し、黄色のネットを一緒に取り外してしまうのだそうです。だからネットはきちんとかぶせましょうと。


 カラスはゴルフ場にもよく現れます。キャディさんがカートの荷物置きにおにぎりの入った袋を入れておこうものなら、くちばしで上手にチャックを開け、中のおにぎりだけ持って行ってしまいます。意地悪して、おにぎりにからしをたっぷりつけてやると、それは持って行かないのだそうです。キャディさんだけでなく、我々プレイヤーも袋の中にキャンディーなど入れておくと、上手に持って行かれてしまいます。見張り役もいるのだそうです。ゴルフ場でカーカー泣いているのを聞いていると、なんとなく下手なプレイを笑われているような気がして、あまりいい気はしませんね。


 今年も何回かゴルフ場に足を運んでいるうちに、またいつものメンバー達と顔を合わせ、やぁやぁ今年もよろしくとなります。ひと通りあいさつを終えて練習場に向かおうとしたところ、親しい人から声をかけられました。何事かと思って振り返ると、カラスが「おはよう」と言っているというのですね。はぁ?と思ってクラブハウスのほうへもどりかけたら、ハウスの天井に一匹のカラスが悠々と立ち尽くしてあたりを見回し、まぎれもなく「おはよう、おはよう」と言っているではありませんか。


 ハーフタイムにレストランの方に聞いてみたのですが、最近ここには「おはようカラス」がいるのだそうです。我々が聞いたのは間違いなかったのです。おはようと話す鳥は、九官鳥かオウムだけだと思っていたのですが、カラスの頭の良さには驚くばかりです。


 ゴルフをやっていると、いつも同じ失敗を繰り返す自分がいて、つくづく学習能力のなさを嘆かざるを得ないのですが、カラスの社会はもしかして彼らなりにかなり高度な社会を形成しているのではないだろうか。


2012年2月13日月曜日

力なき正義は無力なり!

~「ペンは武より強い」というけれど~




 先日新聞の本の広告を見ていたら「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」という、結構衝撃的なタイトルの本が出ていました。よく売れているのだそうです。内容の紹介文を読んでみたら、伝説の柔道家木村政彦や国民的ヒーローだった力道山のほかにも、大山倍達ジャイアント馬場などの懐かしい名前が出ていました。かつて格闘技ファンだった私としては、ぜひその本を読んでみようと思ったのですが、少年時代の思い出が壊れてしまうのではないかと思い、結局購入するのをやめてしまいました。


 年明け早々、梶原一騎の弟である真樹日佐夫が亡くなりました。そういったこともあったのか、ふと頭の中をよぎったのが「力なき正義は無力なり」という言葉です。確か大山倍達を題材にした漫画「空手バカ一代」にあった言葉だと思います。


 「力なき正義は無力なり」この言葉は、私の出身大学の大先輩が残した言葉「ペンは武より強い」と全く正反対の言葉ではありませんか。理想は後者で現実は前者か、あるいは国や置かれている立場、時代によってどちらが真実なのか異なるということなのかもしれません。


 どの番組か忘れましたが、たまたまテレビをつけてみたら「池上彰」のテレビ授業が放送されていました。なんとなく聞いていると、国によっては体制派に都合の悪いことをいうと、公開処刑される(確か70万人といったような記憶があるのですが)ところもあるようです。まさしく恐怖政治ですね。また、別の国では、処刑されないまでも、しょっ引かれて投獄され、強制労働に従事させられたり、あるいは然るべき人でも出てくるのでしょうか、無理やり思想を変えさせるような行為が行われているのだそうです。身の回りにゲシュタポや憲兵のような人でもいるのかもしれませんね。怖いですね。


 こんな環境で暮らしていたら、言いたいことがあっても押し黙ってしまいます。とても「ペンは武より強い」などとはなかなか言えないでしょう。気の弱い私なんかは、手足のしびれで歩けなくなり、耳鳴りで音が聞こえなくなり、不整脈で心臓が止まってしまうかもしれません。


 昨年アフリカで起こった民主化の動きは、今年さらに広がっていくのかどうかわかりませんが、いくら正義を振りかざしてみても、結局は武力がなければ弾圧されて改革はならなかったのだと思います。


 今年は世界各国で、指導者たちを選ぶ選挙が予定されていますし、交代も行われることでしょう。政治の世界も「数の力」が物をいうわけですが、その数は「正論自由」で獲得した数であってほしいです。


2012年2月10日金曜日

料理は楽しい

~グルメではないけれど~




 震災以降は外食が減って「家飲み」する人が増えているのだそうです。私の場合は昔から典型的な家飲み派でした。気の合う仲間達とたまに外で飲むのと、仕事上のお付き合い以外は基本的には家で飲むことにしています。年を取ってくると、外で飲んだ場合、飲み終わった後自宅まで帰るのが面倒だということがあるのかもしれません。また、つい2年ほど前まで、頻繁に外で飲む機会があり、ちょっと外飲みに疲れたということもあるのでしょう。その点自宅で飲む分には、手酌で飲むペースも自分のペースですし、好きな時間に飲むのをやめることができます。そして、そのまま本でも読んで、眠たくなったら布団にもぐりこむだけですので楽でいいです。


 また我が家では、それぞれの事情で別々に外食することはあっても、一緒に外食することはほとんどありません。わざわざ自宅から外食しに出かけたり、どこかで待ち合わせて食事をなどということは、一年に2~3回もあるだろうか?記憶によると昨年は1回だけです。


 もともと二人とも働いているため、結婚以来「先に家へ帰った方が晩御飯を作る」という鉄の掟がしっかりあるのです。先に帰ってご飯ができるのをだまって待っていても、決して出てくることはないため、自分で作らざるを得ないわけですね。学生時代から料理を作るのには抵抗がなかったため、何の苦も無く作ってしまいます。そこらの居酒屋で出てくる料理よりも、自分で作った方がはるかにおいしいですし、自宅にはいいお酒もたくさんありますし。


 家に帰って冷蔵庫を開けてみると、食材が入っています。その限られた食材の中から想像力を働かせて、その日のおかず・・・というよりも酒の肴といった方がいいのか、とりあえず食べるものを考えます。焼きナス(作り立てはうまいし、余ったら翌日の朝食に)、たまたまご(玉ねぎ炒めに卵をかけたもの)、豚キムチに白菜の豚肉はさみ蒸し、牡蠣のバター炒めやキュウリのぶつ切りなど様々です。しかも作るのが早い。豚の生姜焼きは、前日の夜から醤油・みりん・酒・しょうが汁に漬けて冷蔵庫に入れておくのですが、昼食に近くのお店で食べる生姜焼きより絶対自分で作った方がおいしいです。


 楽しみは土曜日です。自分で近くのお店に食材を仕入れに行くのですが、土曜日は日本酒の日ですので、肴を選びます。自分でいただく料理をイメージしながら買い物をするのもなかなか楽しいものです。特に冬場は、おでんもそうですが、なべ物、それに味噌煮込みうどんの季節。一般的な食材にこだわらず、おいしそうな食材を買ってきては鍋にどんどん投入するのですが、これが絶妙な味になるのですね。一日では全部食べきれないし、残っただしにうどんを入れたりしていると、三日ほど食べることができます。必殺「Shizukaスペシャル」。安上がりなのです。



2012年2月8日水曜日

自宅に救急車が・・・

~秋田であった本当の話~



 前にも書きましたが、今年の冬はかなり厳しいようで、東北の人たちが心配です。毎年雪に関係する事故が後を絶たないのですが、今年も雪下ろしの最中に屋根から滑り落ちてお亡くなりになったとか、骨折して重傷を負ったというニュースを耳にします。また、仮設住宅に住んでいるお年寄りの方々は、雪下ろしさえできない状態だそうで、こちらも心配です。


 今年の冬は雪の多さもそうですが、風が強いのが特徴のようです。先日、秋田の実家に宅配で食料を送ったのですが、斜め向かいのご自宅に、そばにある会社の材木置き場から木材が風で飛んできて、ガラス窓を突き破ってきたのだそうです。幸いお怪我はなかったそうですが、自宅のそばに救急車や消防車がやってきて、一時は大変な騒動だったらしいです。


 ただどうもご近所の皆様方は、救急車が私の実家のそばに止まったということで、私の父親に何かあったのに違いないと勘違いしたらしく、皆さん心配で家まで駆けつけてくれたらしいです。父親は笑っていましたが、元気だとはいえもう高齢ですのでやはり心配です。肝心の被害にあった家は、窓ガラスがなくなってしまい、ビニールシートで窓を覆っているそうですが、この寒さの中ですので、こちらも大変だと思います。


 年末年始は秋田で過ごすため、その間は冬の厳しさを実感するのですが、本当に厳しいのは1月~2月です。私も東北出身とはいえ、この時期に東北で過ごすことがなくなってからもう35年以上になるため、その厳しさはもう記憶でしかなくなってしまいました。
 

 都会での生活に疲れたからといって、田舎暮らしに憧れている人も多いと思いますし、その手の本もたくさん出版されています。しかし、本当に田舎に住むつもりなら、一番気候のいい時期に田舎暮らしを体験して決めるのではなくて、やはり一番厳しい冬の生活を体験して、それでも田舎に住みたいと思ってからにした方がいいと思います。


 田舎生活は、冬は寒いけれど、でも東北の人たちは心根は暖かいですよ。



2012年2月6日月曜日

農業の将来を考える

~東北の復興に農業は欠かせない~



 田舎暮らしをして農業を始めたいという若い人たちは意外と多いのではないかと思います。若い人でなくても、興味を持っている人はいるでしょう。実は私もそのうちの一人なのです。でも、農家の方に聞いてみると、想像以上に農業というのは重労働なのだそうです。とても片手間ではできないと。農業で生計を成り立たせようと考えると、どうしても引いてしまいます。でもやってみたいです。


 自分が何か農業関係でできることはないか、自分の経験を農業に活かせることはないのかとはよく考えます。何日かでも東北で暮らしていると、その思いはだんだん強くなってきます。地元の新聞を読んでいると、よく農業関係の記事が出てくるのですが、そこで問題となっているのは、就農者の高齢化、需要の先細り、不効率化や休耕田の拡大などです。でもそれは一般的な話で、本当はもっと根本的なところにも問題があるような気もします。


 農協のあり方もなかなか難しいところがあるようですし、農家の皆さんもなかなか自分の代では、土地を手放したくないという土地に対する執着も、農地の効率的利用を妨げる原因になっているのかもしれません。


 私はお米に関しては、新米をいつも農家の方から直接送っていただいているため、市販されているお米を自宅で食べることはありません。もう味が全然違います。周りの友人にお米を送ってあげると、次からは直接その農家の方から購入しているようです。でもなんとなくすっきりしないのは、おいしくて安いお米なのに、コメの値段と送料がほとんど変わらないことです。何か変だなと。


 こんなおいしいご飯を知らない人たちが、日本にも、ましてや世界に目を向けるとたくさんいるはずで、コメの消費量が減っているといっても、何かやり方があると思うのですね。昨年の夏に米で作った麺をいただいてみましたが、これはいまいちでした。また、コメでパンをゴパンが売れているらしい)という試みや、コメを飼料に使うという利用法もあるようですが、コメ本来の用途で十分勝負できるような気がするのですがね。


 また、お米を作るためにはかなりの資金がいるようです。でも例えば耕耘機を購入するにしても、使う時期は限られているのですから、わざわざ購入しなくても、必要な時だけ中古品でもリースすればいいではないですか。そうすればかなり必要資金を低く抑えられるということが、以前日経の特集記事で書かれていました。ここらあたりに農協が絡んでくるのだろうか。


 農家をまとめていけるリーダーシップのある人でも出てくれば、もっと農業に活気が出てきて、変革することができると思うのです。TPP問題もあり、今年は農業に注目してみたいです。

2012年2月3日金曜日

冬に秋田で飲んだ酒

~秋田の地酒のほんの一部ですが~




 秋田といえば美人と米と酒の国。年末年始秋田で飲んだお酒をご紹介しましょう。
まずは秋田駅に到着した時、家族で秋田のステーションビル内のお店で夕食を取った時に飲んだ酒が、「刈穂六舟」「雪の茅舎」。そのあと飲み足りなくて、実家へ帰ってから飲んだ酒が「高清水」


 翌日お寿司屋さんの「たつ福」でいただいたのが「刈穂大吟醸」で、これは元日にいただきました。そして「喜三郎の酒」と続き、名古屋へ帰る前日に家の近くの居酒屋さんでいただいたのが「秀吉」でした。

 自宅に帰ってから、日本酒のラベル集を見たのですが、それにはコメントとして以下のように書いてありました。書いた当時といろいろ飲み比べた今とでは、飲んだ時の印象はまた別のものがあるのですが、新鮮さがよみがえりますので、ご紹介します。




刈穂(平成11年1月2日)

【コメント】
佐藤修(私の高校の友人)は、秋田の酒の中で刈穂が一番うまいといった。なるほど、辛口でなかなか飲みやすい。のどごしがよくソフトな酒といえる。




雪の茅舎(平成11年8月13日)

【コメント】
「日本酒を楽しむ」という本に掲載されていた。日本の銘酒118選の一つ。実家に電話して購入してもらったが、ピリリとした辛口である。また、由利正宗というネーミングもなかなか古風でいいではないか。家で飲んだのだが、あまりにうまかったため、名古屋に帰る前に2本も買ってしまった。




喜三郎の酒

【コメント】
トンネルで有名になった酒。酒の名前に自分の名前を付けるとは、なんと大胆な。越山家と縁のある酒屋だそうだ。味はねっとりするタイプ。舌にからみつくような重みのある味である。




秀吉5カ年熟成大吟古酒(平成11年8月12日)

【コメント】
秋田の酒なのになぜ秀吉なのかということで、今まで買わなかったが、5年物の古酒でしかも限定品とあっては、やはり飲んでみないわけにはいかなかった。ただ、古酒ということもあり、好みによっては評価が割れるところである。



 せっかくですので、ほかにも秋田の酒のご紹介を。




酔楽天(平成10年7月25日)

【コメント】
自分の口の中に入るもので、それまではビールが一番うまいといってはばからなかったのだが、この酒のおかげでそれが誤りだったということに気づかされたという、いわば自分の人生の中では伝説的となってしまったお酒。冷酒・地酒の原点というべき酒である。何しろネーミングがいいではないか。最初にお歳暮として持ってきてくれた斉藤工業のおやじにひたすら感謝!




まんさくの花

【コメント】
辛口の多い秋田の酒の中では、めずらしくフルーティな味の酒である。そもそもこの酒の存在は、職場の友人である磯部氏に教えてもらったものである。そういえば彼も冷酒には目がないのであった。



2012年2月1日水曜日

なぜ難しいクラブなのか

~もっと楽をすればいいのにと思うのだけれど・・・~




 今年もゴルフの初打ちが終わりました。自分でいうのもなんですが、根が真面目なだけに、どうしても自分に高いハードルを課してしまいます。数年前、初心に帰ってゴルフを出直そうと思いました。そう思い込んでしまうと、よせばいいのにどうしても自分に難しい課題を与えてしまうのですね。ドライバーにはディアマナ白のシャフト、しかも70gのやつを差し込み、アイアンは、ブリヂストンのXブレードCBという難しいクラブにDGシャフト付のやつを買ってしまいました。これがかなり厳しいスペックで、結局打ちこなすことができず、ドライバーはシャフトを60gのに差し替え、アイアンのシャフトもディアマナサンプに変えてしまいました。まぁ我々はアマチュアだからそれいいのだ。


 昨年の夏ごろから、力が入りすぎるのか、ドライバーが左方向にひっかけ気味になり始めました。なかなか治らないし気分転換もかねて、新しいのに買い替えることにしました。もう年だし楽なクラブにすればいいのですが、ここでも難しいクラブを選択してしまいます。昨年男子ツアーの最終戦でワンツーフィニッシュしたのが、ヤマハのクラブでした。そのツアーモデルを買ってしまったのですよ。シャフトは、いくらひっぱたいても絶対に左にいかいないというツアーADのブルーシャフトか、フブキのKシリーズか迷ったのですが、結局フブキを装着しました。


 使い始めて2ラウンド目にいいスコアが出たのですが、ドライバーのしなりをなかなか感じることができませんでした。寒くて気温が低いせいなのだと自分に言い聞かせているのですが、おそらく練習不足でまだまだ体に馴染んでいないからなのでしょうね。


 もともと球を打つのが好きですので、打ち始めると時間がたつのも忘れてしまいます。特に面白いのが、意図的に球を曲げることです。コースに出ると目の前に大きな木があり、上からも下からも狙えない時がよくあるのですが、そういったときには木を避けて、例えば右から大きく曲げてグリーンを狙おうとします。多くの場合は目の前の木に当たったり、右へそのまますっぽ抜けてしまうのですが、でも10回に1回ぐらいは見事に木を避けて、大きく右から曲がってグリーンをとらえることがあります。この時の満足感は最高ですね。でも、そんな時に限ってスリーパットのボギーだったりして。


 そんなところにアマチュアゴルフの面白さがあるのだと思います。

2012年1月30日月曜日

世界の初めに言葉ありき

~言葉は神とともにあったのです~




 私はキリスト教徒でもなんでもないので、聖書に特に興味があるというわけではないのですが、新約聖書「世界の初めに言葉があった」というような趣旨から始まるのだそうです。言葉は神とともにあったのだと。そうだったのか。たぶんそうだと思っていたけど。

 
 以前ある女子高で、生徒とその親を対象とした土曜セミナーで講演を依頼されたときに、世界の3大発明はなんだろうかというテーマを取り上げたことがありました。自分なりに答えをある程度用意していたのですが、上位を占めるのはやはり「文字」であり「紙」でありまた「電気」や、さりげなく「簿記」なわけです。決して「ケータイ」「シャワートイレ」ではないのですね。


 そんな中でやはり「言葉」は外せないでしょう。聖書の最初に「言葉は神であった」といっているわけですから間違いありません。


 若いころ「SEPIA」という小冊子を発行していたことがありました。このブログのように、徒然なるままに身の回りで起こった出来事を文章にまとめ、自分で編集して印刷し冊子にして配っていたのです。自分一人で辛抱強く書き続けていたのですが、諸般の事情があったのと、ちょうど中国で天安門事件が起こり、あとはご存じの通りの出来事があって、一言でいうと「弾圧」といえるのでしょうが、それに嫌気がさしてしまい、「SEPIA」もそこで廃刊にしてしまいました。今もその時の冊子はすべて大事に保管してあります。


 その大事な「言葉」をおろそかにするような軽い発言のなんと多いことでしょう。また逆に「キジも鳴かずば撃たれない」とばかりに、きちんとした言葉で国民に説明しようとしない政治家にも失望してしまいます。言葉に自信がないのでしょうか。


 ただ、日本は今のところ戦時下とは違って自由主義国家ですので、言葉や文字を封じ込めてしまおうということが行われていないだけ、まだ救われるのかもしれません。かといって、自分の姿を隠してなんでも発言していいというわけではありませんが。


 消費税の税率アップをはじめとする増税策もいろいろ議論して、その過程を言葉で情報発信し、それぞれの利害を超えた、より良いあり方を求めていく姿勢が大事だと思います。


2012年1月27日金曜日

ゴルコンなるもの

~おじさんの知らない世界が広がっていく~




 先日あるゴルフ場へビジターで訪れていたのですが、雪が降ろうかという冬の厳しい寒さの中、やけに人が多いではありませんか。何か大きなコンペでもあるのかなと思っていたところ、今日は「ゴルコン」で16組入っているというのです。ゴルコンという言葉をその時初めて耳にしたのですが、最近流行っているのだそうです。


 我々おじさんたちが20代のころは、合コンのようなものはありましたが、そのあとディスコに行って一緒に踊ったりするくらいで、ゴルフなどやることになるとは夢にも思っていなかったですね。


 そういえば最近、朝の支度をしながらテレビを流していたところ、街コンなるものがはやっているというのを知ったばかりでした。一定の金額を支払って何か目印のようなものを身につけておけば、あとは街コンに加盟しているお店であれば、時間内ならばどこでも飲食が自由なのだそうです。いろんなお店を回っているうちに、いい出会いがあるということなのでしょう。


 せっかくですので、ゴルコンについていろいろお聞きしました。当日は男女2名ずつの組み合わせでイン・アウトからそれぞれ8組がスタート。合計16組だそうです。64名ですね。ゴルフが終わった後はパーティがあるため遅いスタートになるのだそうですが、仮に暗くなって日没になった場合は、プレイを切り上げパーティを優先するのだそうです。


 アスリートゴルファーを目指す人はゴルコンに参加するのだろうか。プレイが上手であれば「まぁかっこいい」となるのでしょうが、あまりゴルフに夢中になってしまうと、「私よりゴルフのほうが大事なのね」ということになってしまい、そのあたりの加減がなかなか難しいところです。


 街コンゴルコンも、参加する方と運営する方の双方にとってメリットがあると思うのですが、それにしてもいろいろ企画してはやらせる人がいるものですね。今年はどんな企画があるのでしょうか。


 私にとっては骨董コンなど大変魅力的なのですが、たぶん参加する人の平均年齢は60歳をこえるのかも。


2012年1月25日水曜日

「かみその」でお会いしましたね

~見られていた~




 最近はあまり居酒屋というところに行かなくなりました。なんだか騒々しすぎて、飲み友達と行ってもなかなか話が聞こえないのですね。大声で話をしていると疲れてしまいますし、飲んでから家へ帰るのが面倒になってきたこともあります。おじさんたちがゆっくり飲める場所はだんだん少なくなり、行き場のなくなった我々は繁華街から遠ざかってしまいます。


 そんな中で見つけたのが、あまり目立たないところにひっそりとお店を構えている「かみその」という小料理屋さんです。7月に知り合いに紹介していただきました。カウンターが9席、7名入る個室が一部屋とこじんまりしたお店ですが、おいしい料理といい、お酒といい大変気に入ってしまいました。


 初めは私の第2の隠れ家にしようかと考えていたのですが、仕事場所が近いため、仲間を誘って頻繁にお店へ通い詰めるようになってしまったのです。少ない人数の場合はカウンターで静かに話をしながら料理を楽しむことができますし、個室は「密談」をするにはもってこいの場所です。


 ある日仕事から帰って着替えをしていたところ、連れ合いに言われてしまいました。同じマンション(といっても8戸しかないのですが)に住んでいる人から「お宅の旦那さんが、かみそのというお店に若い人たちを引き連れて、奥の個室に入っていきましたよ」と言われたと。このころ頻繁に出入りしていたため、その時の若い人たちがどのグループの仲間だったのかはわかりませんでしたが、世の中狭いなぁと実感させられました。


 しばらくして、休日に古美術店で時間をつぶしていると、おじいさんが一人ぽつんと椅子に腰かけていました。たまにお見かけするため会えばご挨拶はするのですが、どうも体調があまり思わしくないらしく、今までほとんど会話らしき会話を交わすことはありませんでした。その日も熱心に雑誌を読んでいましたので、私もなんとなくお店の中の展示物を眺めていたのですが、突然そのおじいさんに「かみそのでお会いしましたね」と声をかけられたのです。


 一瞬驚いてしまったのですが、かみそので一緒に食事をしたことはないはずですし、お店でお会いしたという記憶もありません。たぶん私が若い人たちと一緒に個室へ消えていく姿を、カウンターから眺めていたのでしょう。かみそのをきっかけに、そのおじいさんとはいろいろお話しすることができました。


 最近私もいろんなところに出没するため、プライベートな交友範囲が広がってきているのですが、偶然とはいえ、かみそのを通じて、またまた世界が広がりそうな気配です。

2012年1月23日月曜日

悲しい宿命 出る杭は打たれる

~出過ぎた杭と曲がった杭~




 出る杭は打たれる。悲しい宿命である。アンサイクロペディアによると、日本人の打杭主義者の割合は83%だそうです。それでは残りの17%はというと、出る杭として打たれる人なのだそうです。そうだったのか!つまるところ日本には2種類の人間しかいないということですね。出る杭を打つ人と打たれる出る杭である人と。


 出過ぎた杭は打たれないとよく言われますが、この辞典では単純に迫害が激化するだけであると結論付けています。それでも少数派はそれを乗り越えて強くなれると。


 では曲がった杭は打たれないのだろうか。あいつはしょうがない奴だから放っておけといわれると、のびのびと力を発揮して思わぬ成果をもたらすこともあるでしょう。でもそれさえも許されず、無理やりまっすぐに矯正させられ、そのうえで打たれてしまったら、なんだかかわいそうですね。


 今はすっかり忘れられてしまった人かもしれませんが、ライブドアの経営者たちがいました。個人的な好き嫌いは別として、マスコミに登場し始めたころは盛んに持ち上げられていたのですが、5~6年ほど前の1月でした。逮捕のニュースが流れ、いったん事件として取り上げられると、これでもかとばかりに打ちつけられてしまいました。あれはいったいなんだったのでしょうか。


 新聞のアンケート調査などを見ると、最近の若い人たちは保守的な傾向が強く、あまり争いごとを好まないのだそうです。なるべく目立たないように過ごし、できるだけ周囲に合わせることによって何事もなく日々を乗り切っていくといいます。防衛本能が働いているからなのでしょうね。


 もともと日本人には「侘び寂」の世界観があったはずです。焼き物の世界ひとつとっても、例えば古田織部は「ひょうげもの」と言われ、彼がプロデュースした作品などは、ゆがみや曲がりがあったものでも、それが面白いということで多くの茶人たちの心をつかんでいます。中国の陶磁器は完璧さを追求したものですが、李朝の陶磁器にはゆがみやシミがあります。でもそうした湧き出たシミさえも、当時の日本人は「雨漏り」と称し、その景色にいわゆる一つの「美」の感覚というか侘び寂の世界を見ることができたはずです。


 最近そういった日本人的な心の余裕がないというか、一定の枠から外れた人間は認めたくないというような、窮屈な世相になってきてはいないかと、心配になることがあります。

 
 ウソをついたり悪いことをしたり、人に迷惑をかけるのは問題外ですが、そうでなければ、出過ぎていても、曲がっていても、そういった個性を認めてあげて伸ばしてあげられるようなおおらかさがあるといいですね。

2012年1月18日水曜日

秋田でいただいた「たつ福」の寿司

~今日が人生最後の日だとしたら~



 以前からこのブログでご紹介している秋田のお寿司屋さん「たつ福」ですが、年末年始の帰省中に2回ほど行ってきました。そしてやはり私の中では日本一のお寿司屋さんなのです。ネタはもちろんですが、大将の包丁さばきをカウンターで見ているだけでも、見とれてしまうほどです。


 本当においしいお寿司を食べるのであれば、カウンターで握りたてをいただくに限ります。テーブルで食べていると、握ってからテーブルへ運ぶまでの間に味が落ちてしまうからです。また、アルコールを摂取しながら食べるのもあまりよくありません。アルコールを飲みながら食べていると、味覚がやはり鈍くなってしまうため、お寿司本来のおいしさがわからなくなるからです。私もお酒大好き人間ですので、ふつうお寿司屋さんに行ったときには必ずお酒を飲みながらいただきます。でも、たつ福にはもう何十回も行っていますが、お酒を飲みながらお寿司をいただいたことは一度もありません。ひたすらお寿司のおいしさを味わうことに集中しているからです。


 このお店ではいつもカウンターで、お任せで頼むのですが、一番おいしいものからいただいてもらうというのが、このお店の方針のようです。そして、必ず最初に出てくるのが、ミナミマグロの大トロです。ここでいきなりお寿司の世界に没頭してしまいます。続いてウニのてんこ盛り(もちろんノリで囲まれていないやつ)がたたみかけるようにして出てきます。そしてヒラメや中トロ、クルマエビにこはだやアナゴ焼き(これがとろけるようにうまい)甘海老と続きます。冬は貝類がおいしいようで、とろけるホタテや赤貝に焼きミル貝、ホッキ貝などが出てきます。そしてお任せの最後はネギトロ巻です。ここでお吸い物をいただき、一通りお任せが終わります。あとはお好みで握ってもらうわけですね。いくつか握っていただいた後、最後はまたしても大トロとウニで閉めます。今回は大トロがあまりにもおいしかったため、結局4貫もいただいてしまいました。




 人生の最後の日に何を食べたいか。この答えはしばらく変わりそうにありません。

2012年1月16日月曜日

ジョブズの本はなぜよく売れたのか

~カリスマ経営者の不在~



 アメリカアマゾンによると、10月に発売されたスティーブ・ジョブズの自伝が、期間が短いにもかかわらず昨年の全米ベストセラー本になる可能性があるのだそうです。日本においても各書店の売れ行き上位ランキングでは、どこの書店でもジョブズの自伝がしばらく一位を独占していました。私も発売と同時に購入して読んだ一人ですが、読まずにはいられないという思いに駆られて購入してしまいました。


 なぜなのか?それはやはり最近人をひきつけるような魅力のある経営者が少なくなってきたからだと思います。かつては松下電器(現在のパナソニック)を立ち上げた松下幸之助さんや、小さな町工場から世界企業に成長させたソニー盛田昭夫さん、世界のホンダ本田宗一郎さんなど、既成概念にとらわれない発想を持ったカリスマ経営者が何人かいました。そしてそういった企業で働くことを誇りに思っていた従業員もたくさんいたことと思います。


 最近はどうでしょう。よく「日本は経済一流政治は・・・」といわれましたが、最近は経済のほうも勢いがなくなってきました。この経営者に注目したい、「革新」という言葉が想像されるような経営者があまり見当たらなくなってきたような気がします。どういう経営理念を持って企業経営を行っているのかが伝わってこないと、そこで働く従業員のモチベーションも高まってこないでしょうね。こういう経営者の下で働いてみたいという思いをスティーブ・ジョブズにだぶらせていた人が多かったのだと思います。


 我が人生を振り返ってみても、短い期間ではありましたが、この人の下で仕事ができてよかったと思えた人が二人いました。もう25年~30年も前の話です。年齢的に離れていたこともありますが、黙ってみているだけでスケールの大きさを感じた人でした。そういった人に若いころに巡り合えたことは、今から考えると非常に運がよかったのだと思います。


 ジョブズの言葉に「今日一日しか生きられないとしたら、今やっていることをやるか」という問いかけがありました。非常に重い言葉です。自分のことを考えると、40代の後半から50代の初めにかけては、かなりの頻度でそういった日々が続いていたような気がします。
はたして最近の自分の生活はどうなのだろうか。


2012年1月13日金曜日

ホークスの憂鬱

~人事考課の失敗例~




 ホークス杉内選手がFA制度を利用して、ジャイアンツへ移籍することになったようです。またしてもジャイアンツの横暴かと思ったのですが、どうも事情は多少違うようです。


 昨年日本シリーズで優勝し、日本一に輝いたホークスですが、和田選手がアメリカ大リーグへ挑戦し、ホールトン投手と杉内投手がジャイアンツへ移籍することになりました。勝ち頭3人が抜けることになります。各球団の支配下登録選手は確か60~70人ほどだと記憶しているのですが、例えば一般事業会社でもそのぐらいの規模の会社で、エース級の営業マンが3人もいなくなり、同業他社へ移籍ということになると、これはもう大変なことです。上司の責任問題に発展することになるでしょう。


 新聞によりますと杉内選手の場合、昨年の契約更改の席上、交渉相手(この場合評価する人)「来年君がFAの権利を取得したとしても、どこも獲得する球団などないよ」という趣旨のことをいわれたのだそうです。事実とすれば、プライドが傷つけられたことでしょう。


 この言葉がずっと頭の片隅に残っている状態で一年間を過ごし、昨年の契約更改の席では、極端な成果主義の報酬を提示されたのだそうです。プロ野球の選手ならば結果がすべてですので、成果主義で年俸が決まるのはやむを得ないとは思いますが、彼らだって生身の人間です。調子が悪い時もあれば、けがをするリスクを常に抱えながら日々プレイしているわけです。どのような交渉だったのかはわかりませんが、成果主義が給与に極端に反映されてしまうのでは、選手にとってもリスクが高すぎて、飲むことができなかったということなのでしょう。


 最終的にはホークスも、成果主義的な要素を排除して、固定性の年俸を提示したそうですが、昨年からのしこりもあり、いくら愛着のある球団であっても去っていかざるを得なかったのだといわれています。人事考課の失敗例でした。


 実力があれば、去って行っても救ってくれる球団があります。でもその球団がジャイアンツだったというのはちょっとなぁ。


 最近新聞で選手の推定年俸が報道されているのですが、年俸金額の後に必ず出てくるあの「プラス出来高払い」というのには、何か違和感がありますね。ちゃんと成績を残せばもっと払うから頑張れよと言われているのと一緒で、成果主義の要素を取り入れているのでしょうが、「出来高払い」という言葉になぜか悲しいものを感じてしまうのは、私だけでしょうか。

2012年1月11日水曜日

地吹雪舞う

~東北の冬は厳しい~




 今年の冬は昨年の12月中旬ごろまでは暖冬かと思っていたのですが、年末くらいから冷え込みが厳しくなってきました。昔から言い伝えがあり、「カメムシ」が大量に発生する年は大雪になるのだそうです。ニュースでは、今年は秋田でもカメムシが異常発生していると聞いていたのですが、その時点では、厳しい冬の気配があまりなかったため、迷信にすぎないのだなとなんとなく油断していました。


 それにしても今年の秋田の大雪はすごい。家の周りを見渡しても雪だらけ。朝から除雪車の雪かきの音で起こされ(雪かきしなくてもいいから助かるけど)、寒くて布団から出るのにも一大決心を要する状況でした。子供のころはもっと内陸の田舎で暮らしていたため、このくらいの雪は当たり前で、かまくらを作って遊んでいたものでしたが、もうそんな光景を目にすることも少なくなりました。


 秋田と盛岡間は「こまち」で移動したのですが、この大雪で山の木々が雪をかぶった光景はまるで水墨画のようでした。走っていく中で移り変わる景色はとても幻想的で、言葉に表すことができないくらいでした。都会の人たちにぜひ見せてあげたかったです。





 平地は風が強く、遮るものがないと雪の降る日は大変です。運転する車に乗っていても視界が悪いし、歩いていると風で雪が舞って、あたかも雪が下から吹き上げてくるような感覚です。これを「地吹雪」といいます。一時「地吹雪体験ツアー」なるものがはやったと聞きますが、そこで暮らす人々にとっては大変なことなのですね。


 東北ではこのような状況が11月中から3月にかけて続きますので、自然に我慢強さが身につくのだと思います。しかもこの間、活動範囲が限られてしまうため、大きなハンディキャップを背負わされることになります。でも最近では、情報はインターネットを通じて入手できますし、物流網もかなり発達してきましたので、昔に比べたらそのあたりは改善されつつあるのでしょう。


 東北は都会に比べたら経済的には恵まれないかもしれませんが、四季を感じることができますし、豊かな自然も多いです。両方ミックスできるとバランスが取れて、いい人生を送ることができるのですが、その夢はなかなかかなえられそうにはありませんね。

2012年1月9日月曜日

なりふり構わぬやりかたはカッコ悪いのでは?

~ジャイアンツの補強に思う~



 川柳番号225「ケンシンよ まさか巨人と いうなかれ」
 これは、元ドラゴンズの川上憲伸選手がFA宣言した時に詠んだ川柳です。


 小さいころは東北の田舎で育ったため、テレビの放映はいつもジャイアンツ戦ばかりでした。しかも当時はON砲が全盛期で、ピッチャーも堀内や金田・城ノ内、それに高橋一三らが活躍し、川上監督が率いてV9とくれば、ジャイアンツファンになるのは自然な成り行きです。なにしろ巨人・大鵬・卵焼きの時代に育ったのですから。


 しかし、大学生のころに江川事件に直面し、その後早稲田大学進学を表明していた桑田を強引に獲得するあたりから、どうも巨人の方針について行けなくなってきていました。後はプロ野球ファンならば誰もが知っているように、カープからは4番江藤と左腕のエース川口を獲得します。ドラゴンズからはプロ野球の4番落合をゲット、スワローズからは4番ラミレスと最多勝のグライシンガー、それにゴンザレスまで引っこ抜きます。パリーグからも、ライオンズからはセーブ王の豊田を獲得し、ファイターズからは強打の小笠原に抑えのマイケル、そのほかにすぐに思いつくだけでもバファローズの谷やマリーンズのサブローを獲得し、それでも不安なのか、アメリカからの補強も惜しみません。


 そして極めつけは今年の補強。今度はベイスターズの4番村田と、日本シリーズを制覇したホークスからは、最多勝のホールトンと左のエースの一人、杉内を獲得するのだそうです。 原監督の心境はどのようなものなのでしょうか。世間から見れば、この戦力ならばだれが監督をやったって優勝できると思われてしまうではありませんか。


 監督の醍醐味の一つは、少ない戦力でいかに勝ち抜いていくかということにもあると思います。落合監督が率いたドラゴンズの1年目は、全く補強を行わずに現有選手の底上げを行ってセリーグを制覇しましたし、古くは先日亡くなった西本さんが、弱小球団と言われたブレーブスやバファローズを率いて優勝チームに育て上げました。
 

 これでジャイアンツが今年優勝したら、野球など面白くもなんともないではないですか。なりふり構わぬ姿というのは、はたから見ていてあまりかっこいいものではありませんね。せめて今年は、年俸の安い選手が一人当たり何億円ももらっている人たちを、きりきり舞いさせる姿でも見てみたいものです。


 でも、そうしたらシーズン終了後、ジャイアンツから声がかかったりして。

2012年1月6日金曜日

ヤツデに花が咲いた

~今年はいいことがありそうな~



 もう30年ほど前からアパートに観葉植物を置き始め、マンションに住むようになってからは、自宅のベランダを、洗濯物を干すスペースを除いてジャングル状態にしました。部屋の中も置き場がないほどの植物であふれかえっています。数年前に、当時のCBCで夕方に放送されていた番組で取り上げられることになり、自宅にテレビカメラが入りました。私がデレデレした間抜け顔でアナウンサーのインタビューに答えている姿がテレビに放映されてしまい、外食に出かけたら食堂のおばさんにまで「テレビに出ていましたね」と声をかけられたのにはまいってしまいましたが。


 職場においてある「タイワンモミジ」も大きくなりすぎて、一部切り取って自宅へ持ち帰ったのですが、挿し木を試みたら見事に成功し、今では5人?の子供達が立派に成長しました。


 我が家で一番古い植物は、「ドラセナ」です。「幸福の木」とも言われています。購入してから少なくとも25年以上になりますが、どんどん成長して天井に届いてしまいます。かわいそうですので、ダメもとで切り取ってしまうのですが、またまた大きくなって天井に届いてしまうのですよ。その繰り返しでとても生命力の強い植物なのです。


 そのドラセナですが、10年ほど前に1回だけ花を咲かせたことがありました。ドラセナに花が咲くなどとは想像もしていなかったため、驚いてしまったのですが、もっと驚いたのはその香りでした。あまりにも甘い香りで怖くなるくらいでしたね。今でも2本あるのですが、花が咲いたのはその一回きりです。今度咲くのはいつになるのでしょうか。


 さて、今回咲いたのは「ヤツデ」です。小さなものを3千円くらいで購入したのですが、よほど環境があっていたのか、あっという間に大きくなって部屋の中に置ききれなくなってしまいました。そこで大きな鉢に植え替えてベランダに置くことにしたのです。そして、1年ほどたった今年、見事に花が咲きました。その写真がこれです。



 写真の中のミツバチに注目です。最近ミツバチが少なくなったと聞きますが、我が家には今年もやってきました。水やりをやっていると、一生懸命蜜を吸っています・・・たぶん。
寒くなってからもやってくるため、どこでどうやって冬を乗り切るのだろうかと心配です。


 今年はいいことが多い年であってほしいですね。

2012年1月4日水曜日

7番アイアンしか持たない石川遼

~自分に高いハードルを~



 新年おめでとうございます。今年の年末年始は秋田で過ごしています。冬の秋田は雪と寒さであまり外に出ようという気にならないので、飲む以外はひたすら部屋に閉じこもって本を読むことにしています。


 こういう生活をしていると、年が明けたからといっても家族や親戚・友人と会う以外は普通の日々の延長ですので、今年こそ何かこれをやってみようという気はなかなか湧いてきません。禁煙はだいぶ前に成功しているし、禁酒などできるはずもないしなぁ。多くの会社の人事制度では、「目標設定」なるものを書かせて、翌年その達成状況で評価するなどということをやっていますが、せめて私生活だけは浮浪雲のように自由人でありたいと思っています。この年になると、目標を持つ人生は疲れるだけですし・・・。

 
 というのは世を忍ぶ仮の姿で、本当は私の活動範囲の様々な分野において、高いハードルを課しているのです。たとえばこのブログ。今年は会計に関する話は書かないことにします。公認会計士のブログなのに何をバカなことを言っているのだ、と思われるかもしれません。公認会計士のブログから会計の話題を取ったら、「翼を折られた鳥」・「口をふさがれたC-3PO(ちなみにスターウォーズに出てくるロボット)」・「7番アイアンしか持たせてもらえない石川遼」みたいではないですか。


 でもいいのです。日頃から感性を研ぎ澄ませて生活していれば、身の回りの様々な出来事に感性が反応し、言葉というものは自然に出てくるものです。


 ハードルは高いですが、どこまで続くか自分でも楽しみです。もしかして、このブログも自然消滅してしまうかもしれませんが、しょせん「私生活は浮浪雲」・「人生は遊び」ですので、その時はその時なのだ。


 以前から温めていた企画「川柳で学ぶ会計の話」を数本書いてみたのですが、自分で読んでみてもなかなかおもしろすぎるので、150本ほど書いたら本にでもしてみたいです。


 もちろん会計の話ですので、このブログには書きませんが。