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2010年10月9日土曜日

中日が優勝した

~当たらない予想~


 「会社あるところに会計あり」とは昔から言われてきた言葉です。これは今でも変わりはありません。では会計の何が変わったのか?それは見積もりの要素が入ってきたことです。従来の会計は、あくまで企業の活動の「結果」を仕訳に落とし込んできたのですが、最近の会計には見積もりの要素が大いに入ってきました。ちょうど税効果会計が導入されたころからでしょうか。その後は減損会計・資産除去債務・IFRSと、見積もりと判断の妥当性が重要な要素となってきました。将来のことは誰にもわからないのですが、企業は予想して監査人に納得させて会計処理しなければなりません。会計も随分変わりましたね。


 ところで話は突然変わって、私は落合博満が好きです。現役時代、落合がシーズン後半から一軍にデビューしたと思ったら大活躍、翌年は首位打者、しかも秋田県出身だということもあり、私も注目しはじめました。江川事件のころからスポーツ新聞もとっており、内容によっては朝駅まで駆けつけて3~5紙のスポーツ新聞をかき集め、週末には気になる記事や発言をスクラップしていました。そのおかげでA3判のスクラップブックが30冊ほどたまり、私の貴重なお宝となっています。もちろん落合に関する記事はほとんどスクラップしています。ネットのWikipediaで落合博満を調べてみたら長々と解説してあったのですが、ほとんど記憶に残っている内容でした(昔のことはよく覚えているのだ)。大変面白いです。

 
 中日優勝と前後して、ちょうどテリー伊藤さんが書いた「なぜ日本人は落合博満が嫌いか?」という本を読んでいたのですが、落合は協調性がなく周りと群れず、しかも決して妥協しないし自分の信念を曲げない人間のようです(わかっていましたが)。最もサラリーマンに向かいないタイプ、プロ中のプロ、サムライといった印象でしょうか。なんと素晴らしい生き方でしょう。サラリーマン化した多くの日本人にはなかなか受け入れがたい存在のようですが、特に50歳以上の人たちに拒否感が強いと本には書いていました。しかし逆に最近の若い人たちにはあまり抵抗感がないようです。生き方や価値観が変わってきているのでしょうか。


 話は戻って会計上の見積もり・予想の話です。予想というのはつくづく難しいものだと思います。今年の中日の優勝を一体誰が予想したでしょうか。圧倒的戦力から考えるとだれもが巨人優勝と答えるでしょう。そういう私も、「中日には優勝してほしいけれど、今年は厳しいな」と思っていましたし、ましてや一時首位巨人に8ゲーム差をつけられた時にはBクラス、あるいは5位もありうるのではないかと思っていたのです(すまなかった!落合)。どうしても野球のほうに話がいってしまうなぁ。会計上の見積もりについても、これだけ日々の変化が激しい世の中になってくると、1年先どうなっているのかを予想するのは難しい事ですし、ましてや5年後の業績を予想して的中させるというのは至難の業だと思います。右肩上がりのバラ色の人生を予想するのは簡単ですが、監査人を納得させることができるかどうかは疑問です。会計理論上は、「こうなる確率が○○%で、別の確率が○○%で、加重平均すると○○%です。したがってこの金額です。」という、期待値を用いた予測方法もあるようですが、なんとなく理屈っぽくて説得力に乏しいような気がしませんか。



2010年10月6日水曜日

公正価値について考える

~なかなか攻略できないIFRS~


平成11年ごろから会計ビッグバンが始まり、その後減損会計・内部統制監査と、ここ10年くらいの間に会計監査を巡る環境は大きく変化してきました。アメーバ人間の私は、新しい会計基準等が出るたびにすぐに飛びつき、基準が公表される前でも審議会の議事録を読み込んでは情報を収集していたのです。そのおかげでスタートダッシュだけはよく、周りが勉強し始める頃には様々なテーマでの講演を気持ちよく行うことができました。ところがIFRSだけは言葉の壁に悩まされ、なかなか思うように進むことができません。私の場合、言葉の壁とは英語の壁ではなくて、もちろん日本語の壁です。何しろ私は秋田弁と津軽弁、それに名古屋弁と標準語を話し理解することができるのですが、おかしな日本語が出てくると、そこで「突然的脳回路修復不能無気力思考停止症候群」に陥ってしまうのですね。


これではいけないと反省し、多少の翻訳意味不明語には眼をつぶり、お盆休みから急ピッチでIFRSを勉強し始めました。おかげさまで「経済的便益」にはだいぶ慣れてきましたが、でもまだまだです。特に「金融商品」が難しいということでしたので、昨年12月に書かれた雑誌を読んでいたのですが、「期待損失アプローチ」という言葉がでてきて、またしてもはたと立ち往生してしまいました。「期待」というのは「望ましいことが実現することを願う」という意味のはずですが、「損失」という言葉は、いわゆる当事者にとってよろしくないこと、津軽弁で言うと「いくない(いぐね)こと」のはずです。そうすると私の頭の中では、期待損失アプローチというのは、「よろしくないことを願うアプローチ」ということになってしまいます。これはいったいどういうことなのだろうかと、その場でしばらく考え込んでしまうのですね。人格的に問題があるのではないかと。「季刊会計基準第30号」を読んでいたら、「予想損失モデル」に変わっていたので、これならわかるととりあえずは一安心しましたが。


それにしても最近は何とかアプローチというのが大流行りです。


プロスペクティブ・アプローチ
回廊アプローチ
発生損失アプローチ
ルック・スルー・アプローチ
ダイナミック・アプローチ
ランニングアプローチ・・・(おっとこれは余計でした)


そういえば「連結先行」をなぜ「ダイナミック・アプローチ」というのだろうか。片肺飛行でもいいからダイナミックに飛び立とうという意味に受け取れるのですが、たぶん違うのでしょうね。誰か教えてください。


IFRSで重要な、「公正価値」という概念についても考えてみました。例えば、その道のプロからすれば、どこから見ても現代物で千円くらいの価値しかない白磁の壺を、「これは李朝初期です。官窯でしかも蓋付き。12万円です」と言われて、骨董の価値のわからない私が「それではいただきましょう」と購入してしまった場合、この時の公正価値はいくらということになるのでしょうか。


①取引が成立したので12万円が公正価値です。
②現代物としての評価額千円が公正価値です。
③市場が成立していないため公正価値を測定できません。
④その他。


いかがですか。


IFRSの講演ができるようになるまでには、まだまだ長い道のりがありそうです。


2010年10月4日月曜日

なかなか減らない不正会計

~内部統制監査の効果は~


会計士協会は本部も東海会も新体制になって、このブログも店じまいする日が近いのではないかと思っていたのですが、東海会が昨年8月から今年の8月までの期間でウエブサイトへのアクセス件数の分析を行ってみたところ、この「越麻呂日記」へのアクセス件数がダントツに多かったのだそうです。そうかそうかそういうことだったのか。それではもう少し続けさせていただいてもいいのですね。


内部統制の監査も適用3年目を迎え、監査をするほうもされるほうもなんとなく慣れてきたような気がするのですが、新聞を見ていると、相変わらず不正が後を絶たないようです。アメリカではエンロンワールドコムの不正会計事件、日本でもカネボウ事件ライブドア事件等をきっかけに内部統制の監査が義務付けられるようになったのですが、もともとは会計監査人の監査だけではなくて、不正が起こらないような仕組み(つまり有効な内部統制)を作る側の経営者にも不正防止の役割を担っていただこうという趣旨でこの制度ができたのだと思います。

では、内部統制の監査が始まる前に比べて、導入後は不正会計が大幅に減ったのでしょうか。もう少し期間をとって分析する価値があると思うのですが、表に出てきている不正でも、「内部統制の監査が始まったから発見されたもの」なのか、あるいは「内部統制監査にかかわらず不正というものはおこるもの」なのかにも注目しなければなりません。経営財務を読んでいたら、コストがかかりすぎるため内部統制監査を簡素化(レビューに)するべきだとか、いざ不正会計が発覚してしまったら多大なダメージを受けるため、当然必要なコストとして考えなければならない等、いろんな議論があるようです。資本市場の安定化のためには必要な制度だとは思うのですが、慣れてしまって緊張感がなくなり、形骸化することのないように制度として定着させなければなりません。


もともと不正には、「金品の横領や着服」という面と、「会計不正」に分けられるのですが、前者については公になった場合、金額の多寡にかかわらず不正を働いた人は悪者扱いされ、社会的な制裁を受けることになります。これに対して後者の場合は、不正を働いたということに対して本人に罪悪感が乏しいという特色があるような気がするのですね。なぜかというと、「会社のために仕方がなくやった」という大義名分があるからです。ライブドアの件は別として、一般的に会社が不正会計(粉飾決算)をはたらくケースは、それを行わなければ会社の運営が成り立たなくなるからというケースが多いからです。
例えば、


粉飾をやらなければ上場できない・・・
あるいは債務超過になって上場廃止になってしまう・・・
配当ができなければ株主から経営責任を問われる・・・
入札に参加できない・・・

等々。


結果的に金額も大きくなりがちで、むしろ発覚した場合の影響の大きさからいうと、金品の不正よりはるかに大きくなる傾向があります。


内部統制監査にも限界があり、決して万能薬ではないといわれていますが、この制度が定着したおかげで不正も随分少なくなりましたと、未来の監査論の先生が過去を分析して、結論付けていただきたいものだと考えているのです。