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2010年4月6日火曜日

人事の季節

~運命は自分で切り開くものと思っていたが~


年明けに、五木寛之の「人間の運命」を読んだのですが、重苦しい本でした。高校2年の夏に親友を海で亡くしてからは、目に見えない何がしかのものは信用できなくなると同時に、運命というものは「自分で切り開くもの」と思い続けてきました。大学受験もそうでしたし、音楽の道に挫折して公認会計士試験を目指したときも「自分で切り開いた」つもりでした。その私がなんとなく「運命」みたいなのものを、このところ感じるようになったのですね。ここ7~8年の出来事が、あたかも目に見えない何がしかのものに導かれるように行動していたのではないかと・・・。


☆以下、私小説



健司45歳の時の3月に、当時所属していたエスペランサ監査法人に、代表社員の枠が2つできたらしいのです。普通こういった人事というものは、事務所を統括する人が人知れず打ち合わせをして決めるものだと思うのですが、その時は小野寺代表社員が健司ら社員を集めて


小野寺:「君たちの中から代表社員を決めなければならなくなった」


というのですね。仕事には自信があった健司ですが、年齢的にも経験的にも後輩である健司は自ら辞退を申し入れたのです。健司は東北出身でしたが、東北人というのはこういう時に控えめだからだめなのですね。小野寺は、


小野寺:「一晩考えさせてくれ」


というセリフを残し、その日の打ち合わせは終了したのでした。


翌日の朝、健司は小野寺代表社員に呼び出されて説明を受けました。


小野寺:「君は仕事はよくやってくれているし、事務所に対する貢献は申し分ないが、年功だから今回は我慢してくれ」


健司:「ねっ、年功ですか?」


この「年功だから」という小野寺の言葉が健司の頭の中からしばく離れず、その後、成果主義が企業の中で一般的になってきたときに、健司は人事関係の本をひたすら読み漁ることになるのですが、それはさておき、「年功」のおかげでその年における、健司の代表社員への推薦はなくなったかに思えました。


なんとなくすっきりしない気持で過ごしていた健司ですが、2週間ほどたったある日、副理事長の篠原専務理事から直接電話がかかってきたのです。


篠原:「どうして君が推薦されなかったのだ」


健司:「年功だそうです。それに自分から辞退しました」


以下もっと書きたいけれど省略(いつか機会があったら)

その後さらに一カ月くらいたったある日、再び篠原専務理事から電話がありました。


篠原:「君を代表社員に推薦することになった」


健司:「えっ!本当ですか?いったいどういうことなんですか?」


こうして健司は、土壇場のタイミングで代表社員に滑り込むことになったのでした。





この時、OZさんが電話で言葉をかけてくれなかったら、私が事務所長になることはなかったでしょうし、カネボウ事件を契機にみすず監査法人が清算に追い込まれる過程で、名古屋事務所が人員・クライアントともスムーズにそのまま統合することもなかったでしょうし、ましてやその後、私が東海会会長になることもなかったでしょう。このブログもなかったし、テレビドラマ「監査法人」の内容も別なものになっていたにちがいありません。映画の「バック・トゥ・ザ・フューチャー」ではありませんが、私自身まったく別の人生を歩んでいたと思われますし、結果的にいろんなところに影響を与えることにもなったのでしょう。


そう考えた時、OZさんの一言から一本の線に導かれるように、その後のいろんな出来事が結び付いて、きれいにつながっていったような気がするのです。これからの人生、どうなるかはわかりませんが、これが運命というものだったのかも・・・。


気のせいかもしれませんが、年をとったせいか、そんな気がするのですよ。