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2010年12月28日火曜日

密室での会話

~公認会計士が税務業務を行うのに、税法の受験は必要か~


 静岡県会の会員である武下先生が黄綬褒章を受賞され、私もその記念パーティにご招待いただきましたので、12月23日の天皇誕生日、会場となっている富士市のホテルまで出かけました。新幹線にしようか車にしようか当日の朝まで迷っていたのですが、久々の長距離ドライブを楽しむことにしたのです。休日で雲ひとつない天気だったため、道路の込み具合が心配でしたが車は順調に進みます。途中で道路の左手に雪をかぶった富士山がくっきりと現れました。今まで何度も新幹線で名古屋~東京間を往復し、そのたびに富士山を眺めてきましたが、これほど鮮明な富士山を見たのは初めてのことでしたので、思わず見とれてしまいました。いったん隠れた富士山が今度は道路の右手に現れ(なぜだろう?)、そして富士インターに到着する頃には、どぉ~んと真正面に現れたではありませんか。その迫力には圧倒されましたね。

 
 「人生は祭りと闘い」の武下先生も、最初は緊張気味でしたが、乾杯があって食事タイムになり、アルコールが入ってからはリラックスムード。私も覚悟はしていたのですが、周りの皆さんが飲んでいるときにウーロン茶で我慢するのは初めての体験です。ビールやワインに合いそうな料理でしたので、飲めなくてつらい思いをしましたが、家へ帰ってゆっくり飲むからいいのだと自分に言い聞かせて、その場は楽しく過ごすことができました。


 テーブルでは、松岡東海会会長と前川元東海会会長が一緒でしたので、帰りは私が車で名古屋までお送りすることにしました。偶然にも現・前・元が密室で3時間語り合うことになったのです。私は車で高速を走るときは、時速200キロで追い越し車線をぶっ飛ばすのですが(ウソですけど・・・)、この時ばかりは走行車線を制限速度内で慎重に運転することにしたのです。


 密室での会談で話題になったことの一つは、税理士法の改正です。現在の法律では、公認会計士は税理士登録すれば税務業務を行うことができるのですが、改正法案が通ると公認会計士が税務を行うためには、税理士試験の税法科目を1科目合格しなければならないことになります。ここが問題なのですね。

 
 私の場合、公認会計士登録後、昭和60年に税理士登録だけは行い、その後5年ほど前に廃業しました。この間、税務業務といえるものはほとんど行わなかったとはいえ、勉強だけはよくやったと思います。当時の3次試験に合格し、公認会計士登録をしたのですが、監査業務についてはその頃はもう達成感があり、幅広い知識を身につけようと新しい分野に手を広げ始めたのです。そのひとつが税法でした。もともと3次試験の試験科目の中では法人税法が得意中の得意でしたが、所得税や相続税の知識も身につけました。財産評価もそうです。公認会計士は勉強が好きなのだ。


 実務はやらなかったとはいえ、税理士登録をすると毎年確定申告の時期に無料相談の割り当てがあります。税理士登録をしていた間は毎年必ず出席し、その都度確定申告書を12~13人分くらい書いてあげていたのですが、それで何かわからないことがあって困ってしまったということはほとんどありませんでした。若い女性が、税金を支払っていないにもかかわらず、領収書をたくさん持ってきて、「これで税金を還付してください」といわれた時は、はっきり言って困りましたが、優しくご説明申し上げておひきとりいただきました。


 試験と実務とは大違いだということは大部分の実務家の皆さんがご存じだと思いますし、この道30年の私も、いま公認会計士試験を受験しろといわれたら、合格できるかどうか分かりません。ベテラン税理士さんも同様だと思います。公認会計士は会計のプロですから、税理士登録をして税務で食べていこうと腹をくくったからには、そのための勉強(実務)を必死になってやるでしょう。お客様にご迷惑をおかけするようなことにはならないと思うのですがいかがでしょうか。

2010年12月23日木曜日

取りやすいところから取ろうというのか

~ピンの人がトーの人たちの増税を決議しようとしている~


今から27~28年ほど前、私がまだ会計士補だった頃、出版社に勤めた高校の同級生の友人から「法律関係の雑学本を出版したのだが、それの税金版を書いてくれないか」という依頼がありました。自信はなかったのですが、文学部出身で当時からアメーバ人間だった私は、面白そうだからといってつい引き受けてしまったのです。法人に迷惑をかけてはいけないと思ったため、ペンネームを使って書きました。その本が昭和59年1月30日に「公人の友社」から出版された税金関係の雑学本です。ネットで検索したら出てきたので驚いたのですが、恥ずかしいので買わないでください。 

それはともかく、その本の中にはこんな質問が書いてあります。


 [質問]クロヨンとは何のことですか。

答A黒四ダムのことです

答B所得税の課税の不公平を言います。

答C漫画の主人公の名前です。


 [正解]




 [質問]サラリーマンには、何故必要経費が認められないのですか。

答Aそんなことはありません。その気になって申告さえすれば必要経費が認められ ます。

答Bサラリーマンに必要経費がかかることはほとんどあり得ないからです。

答C事実上困難であるため、給与所得控除という方法を採用しています。


 [正解]出版当時はC。現在は、ほとんど利用されてはいませんがAも正解


クロヨンという言葉は最近あまり聞かれなくなりましたが、もちろんこの質問の正解は、黒四ダムでも漫画の主人公の名前でもなく、所得税の捕捉率の不公平さを表した言葉です。本来税金の申告は個人個人が自主的に行えばいいと思うのですが、日本のサラリーマンの給与所得は、会社つまり所得の発生源でまるまる100%把握されてしまい、有無を言わさず源泉徴収という形で仮徴収されてしまいます。そして最終的には年末調整で1年間の税金の精算が行われるわけですね。税金を徴収する立場からすると、こんなに確実な方法はありません。中にはアルバイトをしているサラリーマンもいるかもしれませんので、捕捉率は9割~10割でしょうか。


ところが自営業者のように、自主的に確定申告するケースはそうはいきません。税金はなるべく払いたくないもの、中には経費を水増ししたり、事業と家計の区別があいまいになったりとか、あるいは売上を除外したりするケースもあるかもしれません。心情的にはよ~くわかります。そのために税務署の調査が行われては脱税を指摘されることになるのです。所得の捕捉率は5割~6割といったところでしょうか。


農家のケースは所得の捕捉がさらに難しいといわれています。帳面など付けているのだろうか?私も将来農業をやるかもしれませんので、あまり大きな声では言いたくないのですが、3割~4割でしょう。許せ!


このように、所得の捕捉率を大まかに把握すると、サラリーマン9割、自営業者6割、農家4割となるため、それをクロヨンといっていたのです。


でも、その上をいく職業があるといわれています。それが政治家です。私は政治家にはなったことがないのでよくわからないのですが、選挙で土下座してでもなりたい人がいるくらいですから、いろいろおいしいことがあるのでしょうね。結論1割。そこで、政治家も加えた所得の捕捉率を表した言葉がトーゴーサンピンです。この言葉もあまり聞かれなくなりましたが、昔の人は面白いことをいいますね。


話は変わって給与所得控除です。サラリーマンには必要経費が認められないから、自営業者に比べて不公平だとよく言われますが、それは大きな誤りです。サラリーマンにはもともと給与所得控除といって、給与金額に応じて一定割合の控除が認められています。該当項目を個別に決めると手続きが面倒になるため、給与金額に応じて一律的に一定額が決められているのです。10年くらい前でしょうか、給与所得控除に代えて、サラリーマンにも必要経費を認めようという制度ができましたが、必要経費が非常に限定的であるため、この制度を利用している人は日本全国でも100人に満たないのではないでしょうか。制度としては全く機能していません。


結局大部分のサラリーマンが給与所得控除を利用することになるのですが、この給与所得控除に上限を設け、なおかつ役員クラスは半額にしようというのが、今回管政権が法人税率の引き下げの見返りとして打ち出している増税策の一部なのです。何しろ所得の捕捉率が100%ですので、こんなに確実に見込まれる増税は他にはないでしょう。全国のおとなしくて従順なサイレント・マジョリティの反応は如何に。



2010年12月20日月曜日

東海会ニュース250号記念なのだ

~8年と4カ月の歳月が過ぎ去ったのでした~


先日、雑誌「企業会計」-総特集 企業会計激動の時代を読む-を読もうと図書室へ入って、何気なく図書の棚を眺めていたところ、すぐそばに「東海会ニュース」が置いてあるではありませんか。そして同じく何気なく表紙を眺めていたら、なんということでしょう、そこには250号と記載されているではありませんか。ということで、年明けには「東海会ニュース250号記念特集号」が東海会の会員の皆様方のお手元に届くはずです。特集号には、「前東海会会長として」「元広報委員長として」の原稿2本を事務局にすでに提出してありますので、会員の皆様方には年明けにそちらを読んでいただくとして、ブログには広報委員長時代の原稿をほんの少しだけ掲載いたします。


私が広報委員長を担当していた時に、「東海会ニュース第200号記念特集号」を発刊したのですが、東海会ニュースは隔月発行ですので年6冊発行されます。したがって200号から250号までの間に「8年と4カ月」が過ぎたことになります。私も当時は45歳でした。若かった。2番アイアンを使っていた。骨董にも興味はなかった。髭も黒かった。お酒も一升飲めた。ああ!時が経つのは早いものですね。この間自分はいったい何をしてきたのだろう?と振り返ってみたのですが、そうだ、協会の仕事をしていたのでした。この後、順調にいって300号が出るまでにはさらに8年と4カ月かかりますので、監査法人に勤務し続けたとしたら、ちょうど定年退職を迎えるころになっているはずです。その頃にはこの業界はどうなっているのだろうか?IFRSはもう導入されているのだろうか?なかなか予測するのは難しいですね。


では、150号から200号までの8年4カ月はどうだったのでしょう。広報委員長を担当する前は、広報委員と愛知県会の幹事や副会長をダブルで3期ほど勤めていましたので、この期間のほとんどが該当することになります。この間、行事が行われたといっては東海会ニュースに原稿を書きまくっていたのですが、多い時には一冊に3本ほど投稿させていただいたこともありました。会員の先生にも、失礼ながら私が勝手にニックネームをつけさせていただきまして、例えば毛利先生には「ジョン・モーリー(ゴルフのジョン・デイリーからパクリました)」、伊藤先生には「トムカ・イトー(ゴルフのトム・カイトから)」のお名前で、東海会ニュースに登場していただきました。懐かしいなぁ。この頃、東海会ニュースとは別に、「公認会計士は今日も行くのだ!」というエッセイを自己満足で書いていたのですが、今思えばこのころから原稿を書くのが好きだったのですね。すでに物置部屋化している私の自宅の部屋の机の引き出しに眠っているこの原稿を、いつか引っ張りだす機会があればいいなと思っています。


時代の流れかもしれませんが、最近は情報源が新聞や本・雑誌等の紙媒体によるものからネット経由で入手する方法に急速に移りつつあります。私のようなアナログ人間は、ケータイも電話しか利用しませんし、「iPhone」「iPad」なるものも持っていません。こんなことで今の世の中、乗り切っていけるのであるかと思うこともありますが、それでいいのだ。紙だっていいではないか。昔は電話もFaxもコピーもなかったのである。古いものにこそ価値が見出される時代がきっとやってくるに違いありません。紙の東海会ニュースよ、ウェブに負けるな!どうか300号をこの目で見届けさせてください。


2010年12月17日金曜日

最近なんか変だぞ

~気が緩んでいるのだろうか~


 先週の土曜日、ワイシャツの在庫が少なくなってきたので、クリーニングに出すついでにすでに出してある洗濯物を持ち帰ろうとしました。時間がないので2週間に一回くらいしかクリーニング店へは行かないのですが、おかげで15点も溜まっていたのです。いつもの店員さんと違っていたので、新入社員かなと思っていたのですが、洗濯物を私の眼の前にドサッと置いて「ありがとうございました」ときたではありませんか。そのまま袋の中に詰め込もうとするため、念のために「点数が多いので一応数えていただけませんか」と話しかけ、1点ずつ数えていただいたのですが、13点しかありませんでした。そうしたら後ろのほうからごそごそとズボンが2本出てくるではありませんか。いったいどうなっているのだ。


 私は食事関係については、基本的に一日一麺を原則としています。一人のときは、できるだけ栄養が少ないようにと、昼食に麺類を食べることが多いのですが、うどんやそばはもちろん、細くて長いものであれば、パスタであろうがマカロニであろうが春雨・トコロテン・寒天等何でもこいなのです。先日、近くのうどん屋さんで、キツネそばの大盛り(100円アップ)を食べたのですが、レジでお金を支払おうとしたところ、普通盛りの値段を言われてしまいました。100円儲けたと思ってその場を立ち去ってもよかったのですが、親の教育が染みついているのと、根っからの監査人である私にそういうことはできません。「あの~、大盛りなんですけど」と申し述べて、600円支払ってお店を出ました。いったいどうなっているのだ。


 今月に入ってから2度ほど、もう支払っているはずだと思われる請求を言われました。1度目のほうは、先月支払ったばかりで記憶にもあったため、「支払ったはずですけど」と言いきってその場を立ち去ったのですが、もう一方はもう半年も前の話でしたので、そんなはずはないとは思ったものの、仕方がないのでその場で支払いを済ませました。2件とも自宅に帰ってから、箱に保管してある証憑関係の山の中を一枚ずつ探したのですが、いずれのケースも領収書が出てきたのですね。根っからの監査人である私は、この会社の経理はいったいどうなっているのだと思ってしまいます。


 最近日本経済も、景気の悪い状況が長期間継続し、学校を卒業してもなかなか思ったように就職できないし、また就職できたと思っても、自分の希望とは異なる職場についている人が多いのかもしれません。モチベーションが下がっているのでしょうか。経済だけではなく政治も行き詰っていますし、残念ながらどこを振り向いても、あまりいい話は聞こえてきませんね。


 日曜日に、吹上で行われた骨董市に出かけてきたのですが、キッコーマンの古~い栓抜きを見つけてしまい、うれしくて思わず購入してしまいました。200円。骨董市では、自分に見る目がないからなのでしょう、茶碗や酒器等の焼き物はどうしても新しいものに見えてしまい、なかなか勇気を出して購入することができませんでした。本以外のものを買ったのは初めてです。ついに本格的骨董市デビューなのだ。200円でこんなにうれしい気持ちになることができるのですね。他にも、戦争のときに兵士が着ていた軍服や、持っていたと思われる水筒・鞄が売っていたので購入しようと思ったのですが、結局辞めました。特に鞄は、いろいろ詰め込んで持ち歩いたらかっこいいなと思ったのですが、調書用紙が入りそうもなかったので。

2010年12月13日月曜日

IFRSの千ページ本を読み始めた

~時刻表を読むのとは違うけれど・・・~


 試した人はいないでしょうが、例えば時刻表を最初の1ページ目から順番に読み始めていったとすると、どんなに暇で根気強い人でも途中で断念してしまうでしょう。私の場合、読書に関しては、専門書の場合は途中から読みはじめたり、あるいは項目別に読むという読み方は決してしません。いつも最初の1ページ目から読み始めることにしています。専門書以外の一般書ももちろん最初のページから読むわけですが、集中力があった以前は一度読み始めるとその本に集中し、読み終わるまでは他の本には手を出しませんでした。読み終わった本は手帳に本のタイトルとその年の何冊目かを記載し、年間100~130冊を目標にしていたものでした。しかし40代頃からは地下鉄の中とか帰宅後とか寝る前等、複数の本を同時並行的に読む癖がつき、今も3冊読みかけの本があります。そのかわり、人生残された時間はだんだん少なくなってくるので、時刻表に限らず読んでみて面白くない本は最後まで読むことはせず、途中で読むのを放棄してしまいます。

 
 IFRSの本に関しては、業務上必要な本ですので、理解しづらい日本語という翻訳問題の壁はあるものの、時刻表並みとはいかないまでも根気強く読まなければなりません。千ページ本が出ていたのでその本から読み始めようとも考えたのですが、とりあえず今年は経営財務旬間経理情報、それに会計監査ジャーナル企業会計季刊会計基準等に記載されているIFRS関係の記事を読みあさり、200数十ページの本を3冊ほど読了しました。このあたりでいよいよ千ページ本にとりかかろうと考え、IFRS本に関しては定評があり、多くの会計士が読んでいる昨年出版された大手監査法人編著の本にチャレンジしようと思ったのですが、なんと今年の秋ごろにさらに千ページ本の3部作が出版されているではありませんか。辞書代わりに購入しようかとも思ったのですが、そうこうしているうちに12月にさらに千ページ本が出版されていました。こちらは即購入。さっそく読み始めることにします。昨年の年末年始は焼き物の本を11冊読めたので、そのペースでいけば千ページくらいどうってことないのだ。

 
 日本全国には会社数が250万社ほどあるといわれていますが、そのうち数年後IFRSが適用されるのは、上場会社のとりあえずは連結財務諸表だけですので、3,600社ほどの上場会社とその連結子会社だけです。総会社数の1%に達するのでしょうか?このあたりのことを真剣に考えたりすると、千ページ本を前にして気持ちが萎えてしまうので、あまり考えないことにするのです。時刻表を読むのと同じ結果にならないよう、久しぶりに気合十分な私です。ワシだってやるときはやるケンネ。

2010年11月12日金曜日

人事は難しい

~「人事に弁明なし!たとえ間違っていても」というけれど・・・~


  7~8年くらい前になりますか、退職給付会計が導入された後、日本においても人事評価に関して成果主義が流行り始めました。某上場会社が真っ先に取り入れて、長年日本でなじんできた年功序列制度に一石を投じることになったのです。ちょうどその頃、私に講演依頼があり、会計の話(当時は会計ビッグバン)とそれ以外のテーマで、2日間にわたって話をしてほしいと頼まれてしまったのでした。頼まれたからには断ることのできない性格ですので、それでは人事・法務・労務の話をしましょうと見栄を張ってお答えし、それからは特に人事に関して私の猛勉強が始まったのです。

  講演は9月だったため、夏休み中は1日10時間くらい部屋に閉じこもり、人事関係の本を読みあさってはレジュメを作成するという毎日が続きました。その頃は人事関係の新聞記事が毎日のように登場していたため、得意のスクラップで情報を集め、自分なりにそれなりの人事評価体系をまとめることができたのです。

  人事で難しいのは、ほとんどの人が自分を過大評価する傾向があるということでしょうか、あるいは「所詮自分のことはわかってもらえない」という、あきらめがあることでしょうか、評価されるほうからするとなかなか納得感がないということだと思います。「あんたなんかに評価されたくない」と思っている人は多いことでしょう。評価するほうがいくら公平な人事評価を行っていると言ってみても、評価者のお気に入りで能力以上の評価をされた人以外の大部分の人は、自分の評価に対して不満を抱いているにちがいありません。

  そこで出てくるのが人事の格言、「人事に弁明なし!」です。そしてこの後に続く言葉がまだあります。「たとえ間違っていても」とくるわけですね。たとえ弁明したとしても誰をも納得させる人事などあり得ないわけで、その人たちの不満や「なぜだ!」に応えていてはきりがないし、感情のある人間のやることだから、完全な人事考課など無理ですよということから、この鉄則が人事担当者の間で成り立っていたのだろうと思います。人事考課に対する不満を聞いてあげて、それで評価をころころ変えていては、人事制度そのものが崩壊してしまうということになりかねないですからね。


  しかしである。弁明とはいかないまでも、なぜこの評価なのかという説明を、ある程度ご本人に対してしてあげるべきではないでしょうか。納得感のない人事考課が組織の活性化を蝕んでしまうのは、過去の事例が証明していますし、いくら頑張っても評価されず、年功が優先される組織であれば、「やったもの負け」問題がはびこってしまいます。あなたの隣にも、仕事をしているふりをしながら、実はインターネットで遊んでいるという人はいませんか。難しい仕事を頼まれると、今の仕事が忙しいからと言い訳して逃げている人はいませんか。低いハードルを設定して、それをクリアして喜んでいる人はいませんか。高いハードルを設定して、失敗しそうでもそれをクリアしようとトライする人を、私は応援したいと思います。


2010年10月9日土曜日

中日が優勝した

~当たらない予想~


 「会社あるところに会計あり」とは昔から言われてきた言葉です。これは今でも変わりはありません。では会計の何が変わったのか?それは見積もりの要素が入ってきたことです。従来の会計は、あくまで企業の活動の「結果」を仕訳に落とし込んできたのですが、最近の会計には見積もりの要素が大いに入ってきました。ちょうど税効果会計が導入されたころからでしょうか。その後は減損会計・資産除去債務・IFRSと、見積もりと判断の妥当性が重要な要素となってきました。将来のことは誰にもわからないのですが、企業は予想して監査人に納得させて会計処理しなければなりません。会計も随分変わりましたね。


 ところで話は突然変わって、私は落合博満が好きです。現役時代、落合がシーズン後半から一軍にデビューしたと思ったら大活躍、翌年は首位打者、しかも秋田県出身だということもあり、私も注目しはじめました。江川事件のころからスポーツ新聞もとっており、内容によっては朝駅まで駆けつけて3~5紙のスポーツ新聞をかき集め、週末には気になる記事や発言をスクラップしていました。そのおかげでA3判のスクラップブックが30冊ほどたまり、私の貴重なお宝となっています。もちろん落合に関する記事はほとんどスクラップしています。ネットのWikipediaで落合博満を調べてみたら長々と解説してあったのですが、ほとんど記憶に残っている内容でした(昔のことはよく覚えているのだ)。大変面白いです。

 
 中日優勝と前後して、ちょうどテリー伊藤さんが書いた「なぜ日本人は落合博満が嫌いか?」という本を読んでいたのですが、落合は協調性がなく周りと群れず、しかも決して妥協しないし自分の信念を曲げない人間のようです(わかっていましたが)。最もサラリーマンに向かいないタイプ、プロ中のプロ、サムライといった印象でしょうか。なんと素晴らしい生き方でしょう。サラリーマン化した多くの日本人にはなかなか受け入れがたい存在のようですが、特に50歳以上の人たちに拒否感が強いと本には書いていました。しかし逆に最近の若い人たちにはあまり抵抗感がないようです。生き方や価値観が変わってきているのでしょうか。


 話は戻って会計上の見積もり・予想の話です。予想というのはつくづく難しいものだと思います。今年の中日の優勝を一体誰が予想したでしょうか。圧倒的戦力から考えるとだれもが巨人優勝と答えるでしょう。そういう私も、「中日には優勝してほしいけれど、今年は厳しいな」と思っていましたし、ましてや一時首位巨人に8ゲーム差をつけられた時にはBクラス、あるいは5位もありうるのではないかと思っていたのです(すまなかった!落合)。どうしても野球のほうに話がいってしまうなぁ。会計上の見積もりについても、これだけ日々の変化が激しい世の中になってくると、1年先どうなっているのかを予想するのは難しい事ですし、ましてや5年後の業績を予想して的中させるというのは至難の業だと思います。右肩上がりのバラ色の人生を予想するのは簡単ですが、監査人を納得させることができるかどうかは疑問です。会計理論上は、「こうなる確率が○○%で、別の確率が○○%で、加重平均すると○○%です。したがってこの金額です。」という、期待値を用いた予測方法もあるようですが、なんとなく理屈っぽくて説得力に乏しいような気がしませんか。



2010年10月6日水曜日

公正価値について考える

~なかなか攻略できないIFRS~


平成11年ごろから会計ビッグバンが始まり、その後減損会計・内部統制監査と、ここ10年くらいの間に会計監査を巡る環境は大きく変化してきました。アメーバ人間の私は、新しい会計基準等が出るたびにすぐに飛びつき、基準が公表される前でも審議会の議事録を読み込んでは情報を収集していたのです。そのおかげでスタートダッシュだけはよく、周りが勉強し始める頃には様々なテーマでの講演を気持ちよく行うことができました。ところがIFRSだけは言葉の壁に悩まされ、なかなか思うように進むことができません。私の場合、言葉の壁とは英語の壁ではなくて、もちろん日本語の壁です。何しろ私は秋田弁と津軽弁、それに名古屋弁と標準語を話し理解することができるのですが、おかしな日本語が出てくると、そこで「突然的脳回路修復不能無気力思考停止症候群」に陥ってしまうのですね。


これではいけないと反省し、多少の翻訳意味不明語には眼をつぶり、お盆休みから急ピッチでIFRSを勉強し始めました。おかげさまで「経済的便益」にはだいぶ慣れてきましたが、でもまだまだです。特に「金融商品」が難しいということでしたので、昨年12月に書かれた雑誌を読んでいたのですが、「期待損失アプローチ」という言葉がでてきて、またしてもはたと立ち往生してしまいました。「期待」というのは「望ましいことが実現することを願う」という意味のはずですが、「損失」という言葉は、いわゆる当事者にとってよろしくないこと、津軽弁で言うと「いくない(いぐね)こと」のはずです。そうすると私の頭の中では、期待損失アプローチというのは、「よろしくないことを願うアプローチ」ということになってしまいます。これはいったいどういうことなのだろうかと、その場でしばらく考え込んでしまうのですね。人格的に問題があるのではないかと。「季刊会計基準第30号」を読んでいたら、「予想損失モデル」に変わっていたので、これならわかるととりあえずは一安心しましたが。


それにしても最近は何とかアプローチというのが大流行りです。


プロスペクティブ・アプローチ
回廊アプローチ
発生損失アプローチ
ルック・スルー・アプローチ
ダイナミック・アプローチ
ランニングアプローチ・・・(おっとこれは余計でした)


そういえば「連結先行」をなぜ「ダイナミック・アプローチ」というのだろうか。片肺飛行でもいいからダイナミックに飛び立とうという意味に受け取れるのですが、たぶん違うのでしょうね。誰か教えてください。


IFRSで重要な、「公正価値」という概念についても考えてみました。例えば、その道のプロからすれば、どこから見ても現代物で千円くらいの価値しかない白磁の壺を、「これは李朝初期です。官窯でしかも蓋付き。12万円です」と言われて、骨董の価値のわからない私が「それではいただきましょう」と購入してしまった場合、この時の公正価値はいくらということになるのでしょうか。


①取引が成立したので12万円が公正価値です。
②現代物としての評価額千円が公正価値です。
③市場が成立していないため公正価値を測定できません。
④その他。


いかがですか。


IFRSの講演ができるようになるまでには、まだまだ長い道のりがありそうです。


2010年10月4日月曜日

なかなか減らない不正会計

~内部統制監査の効果は~


会計士協会は本部も東海会も新体制になって、このブログも店じまいする日が近いのではないかと思っていたのですが、東海会が昨年8月から今年の8月までの期間でウエブサイトへのアクセス件数の分析を行ってみたところ、この「越麻呂日記」へのアクセス件数がダントツに多かったのだそうです。そうかそうかそういうことだったのか。それではもう少し続けさせていただいてもいいのですね。


内部統制の監査も適用3年目を迎え、監査をするほうもされるほうもなんとなく慣れてきたような気がするのですが、新聞を見ていると、相変わらず不正が後を絶たないようです。アメリカではエンロンワールドコムの不正会計事件、日本でもカネボウ事件ライブドア事件等をきっかけに内部統制の監査が義務付けられるようになったのですが、もともとは会計監査人の監査だけではなくて、不正が起こらないような仕組み(つまり有効な内部統制)を作る側の経営者にも不正防止の役割を担っていただこうという趣旨でこの制度ができたのだと思います。

では、内部統制の監査が始まる前に比べて、導入後は不正会計が大幅に減ったのでしょうか。もう少し期間をとって分析する価値があると思うのですが、表に出てきている不正でも、「内部統制の監査が始まったから発見されたもの」なのか、あるいは「内部統制監査にかかわらず不正というものはおこるもの」なのかにも注目しなければなりません。経営財務を読んでいたら、コストがかかりすぎるため内部統制監査を簡素化(レビューに)するべきだとか、いざ不正会計が発覚してしまったら多大なダメージを受けるため、当然必要なコストとして考えなければならない等、いろんな議論があるようです。資本市場の安定化のためには必要な制度だとは思うのですが、慣れてしまって緊張感がなくなり、形骸化することのないように制度として定着させなければなりません。


もともと不正には、「金品の横領や着服」という面と、「会計不正」に分けられるのですが、前者については公になった場合、金額の多寡にかかわらず不正を働いた人は悪者扱いされ、社会的な制裁を受けることになります。これに対して後者の場合は、不正を働いたということに対して本人に罪悪感が乏しいという特色があるような気がするのですね。なぜかというと、「会社のために仕方がなくやった」という大義名分があるからです。ライブドアの件は別として、一般的に会社が不正会計(粉飾決算)をはたらくケースは、それを行わなければ会社の運営が成り立たなくなるからというケースが多いからです。
例えば、


粉飾をやらなければ上場できない・・・
あるいは債務超過になって上場廃止になってしまう・・・
配当ができなければ株主から経営責任を問われる・・・
入札に参加できない・・・

等々。


結果的に金額も大きくなりがちで、むしろ発覚した場合の影響の大きさからいうと、金品の不正よりはるかに大きくなる傾向があります。


内部統制監査にも限界があり、決して万能薬ではないといわれていますが、この制度が定着したおかげで不正も随分少なくなりましたと、未来の監査論の先生が過去を分析して、結論付けていただきたいものだと考えているのです。


2010年9月30日木曜日

あきらめたらそれで試合終了か?

~思わぬプレゼントをいただきました~


  東海会会長退任後、何人かの方々が私の慰労会を開催してくださったのですが、プレゼントもたくさんもらってしまいました。その中で私が一番気に入ったのは、「あきらめたらそれで試合終了ですよ」というバッチです。このバッチをワイシャツの胸のあたりに付けてうろうろしていたのですが、気がついた何人かの人から「それって安西さんの言葉ではないですか?」といわれました。さっそく調べてみたところ、どうやらバスケットボールをテーマにした青春漫画「スラムダンク」安西先生が発言した言葉のようです。


  確かにあきらめたらそれで試合終了と言えるかもしれません。今年のプロ野球は、パリーグについては西武にマジックが点灯したにもかかわらず、ソフトバンクが最後まであきらめずに頑張り抜いて最終戦で優勝を決めましたし、セリーグも中日が巨人に最大8ゲーム差をつけられながら追い上げて逆転し、この原稿を書いている時点で首位を走っています。「あきらめてはいけんよ」という典型例だと思います。


  それでは我が人生において、あきらめてはいけないと思って頑張ってきたことがあるのだろうかと自問自答してみると、人生の岐路においてあきらめたこともいくつかありましたが、たとえば公認会計士受験に関して言えば、当時は合格率が5%くらいで250人前後しか合格しなかったのですが、確かにあきらめずに頑張りました。ワシントン条約で輸出禁止になっている木「ハカランダ」のギターも、20歳前後のころにいつかは手に入れたいと思っていたのですが、それから約30年後51歳のときに作っていただきました。


  では、今現在あきらめてはいけないと思っていることはあるのだろうか?


会計士業界をいい方向に導いていきたい・・・
事務所をいい事務所にしたい・・・
秋田に帰って農業に挑戦したい・・・
オールキルテッドメイプルのギターがほしい・・
シングルに・・・
志野の茶碗が・・・


  おっとっとだんだん現実的になってきたのでこのくらいにしますが、あきらめずに頑張ることはその人の人生にとって大事なことですし貴重なことだと思います。またそれを美しいことであるという風潮もあります。

  私などは単純ですのですぐ頑張ってしまうのですが、しかし一方で最近のストレス社会においては、がんばりすぎて精神的に不安定になってしまう人も少なくありません。試合終了どころか人生を終了してしまう人も後を絶たない状況が続いています。どこまで頑張れるか、なかなか難しいところです。50歳を過ぎたら精神的に成仏して、さっさとあきらめて気楽な人生を歩んだほうがいいと、五木寛之さんや嵐山光三郎さん等多くの著名人も語っています。無理は禁物・・・あきらめが肝心という言葉もありますし・・・。でも、もう少し頑張ってみますか。


2010年9月16日木曜日

公認会計士の魅力について語る

~受験生の皆さんの判断は正しいと思う~


前回のブログを読んだ読者の方から、「東海会会長を退任した後の私のブログの内容は、緊張感が欠けるのではないか」というお叱りの言葉をいただきました。前回のブログは、ふんどしの話を書きたかったのではなくて、日本の会計が今後IFRS一辺倒になってしまいそうな騒ぎになっていることに対して疑問を投げかけてみただけなのです。(もちろん私も会計のプロの一人ですので、IFRSの勉強は人並み以上にやっていますし・・・たぶん・・・必要性も十分認識しています)そこへ話を持っていくために、腰パンと腹パンとふんどしの三点セットを利用しただけなのですね。賢明な読者の皆さまは、そのあたりのところは十分ご認識されていると思います。(ちなみに先ほどの読者は、私の連れ合いでしたが)


以前このブログに書かせていただきましたが、11日(土)、愛知県内の某会計大学院の公開講座で、「公認会計士の魅力について」というテーマで、1時間ほど講演をさせていただきました。会場には公開講座ということもあり、一般企業の方もいらっしゃったようです。お忙しい中ありがとうございました。最近会計士業界も、試験に合格しても就職できないという「就職待機者」があふれているということで、受験生に暗い影を投げかけているような状況なわけですが、そうではなくて、公認会計士という職業ほどいろんな可能性にあふれていて、経済社会のあらゆる局面で活躍しているということを、公開講座の場を借りてPRさせていただきました。世間ではあまり知られていない業務もあるのですが、公認会計士の行う業務の一例をあげてみると


  ◆監査(内部統制を含む)
  ◆税務(税理士登録をする必要があります)
  ◆株式公開支援業務
  ◆包括外部監査(県民や市民の期待に応える)
  ◆企業再生
  ◆企業評価・M&A・合併・買収・株価や合併比率の算定
  ◆公会計の分野・財務4表の作成支援等
  ◆コンサルティング
  ◆環境会計
  ◆企業内公認会計士
  ◆社外取締役・監査役
  ◆大学教授等教育者
  ◆その他いろいろ


等、多くの分野で活躍しています。そういったいろんな選択肢の中から、自分が活躍したい分野に特化するのもいいし、たくさんの業務を経験するのもいいでしょう。最近は、試験合格後に実務経験というもう一つのハードルができてしまいましたが、これほど魅力のある職業はあまりないと思っています。先日論文試験が終了し、受験生の皆さんは大変ご苦労様でした。公認会計士を目指したということに対して心から応援したいと思います。


2010年9月14日火曜日

今年の夏にはまいりました

~おじさんは、腰パンよりも腹パンが好き~


 今年の夏は初盆ということもあり、実家の秋田に帰って日中は毎日骨董の本を読み、夜になると名古屋から持ってきた古唐津のマイ盃で酒を飲んで、おとなしく静かに過ごしていたのです。ところが、名古屋に帰ってきたら爆発的な暑さ。これにはさすがに驚きました。


 週末は、「この暑さの中、なんでゴルフをしなければならないのだ!」といいながらも、1半回ったりして結構楽しんでいるのですが、問題はゴルフウェア。特にゴルフパンツ(この場合ズボンのことです)が汗でずぶぬれになり、毎回クリーニングに出さなければなりません。そのため痛みが早いのですね。そこで3年ぶりぐらいに新しいのを購入しようと百貨店に行ってみたのですが、3割引で売っていたため喜んで購入することにしました。ゴルフパンツの派手なのはあまり好きではないので、いつも通りの黒やベージュ系からいくつか選んで試着してみたのです。でも、はいてみるとどうもしっくりこないのですね。ずり落ちそうで。そこで店員さんに聞いてみたのですが、今のゴルフパンツは腰パンがメインなのだそうです。そういえば、若手のプロゴルファーのウェアを見ていると、脚が短く見えるのですが、ベルトの位置が腰のあたりにあるからなのですね。いつもおなかのあたりにベルトを巻いてプレイしている私としては、腰パンだとどうもゴルフに集中できそうにありません。そのあたりのことを店員さんに言ってはみたのですが、「今はこれが主流だから慣れるしかありません」と一蹴されてしまったのでした。やむを得ず色には多少妥協して腹パンを1着探し求め、もう1着は腰パンを購入しました。(でも腰パンはまだはいていませんが)


 私は普段の生活時は、ほとんどジーンズとTシャツで過ごしているため、すり減ったジーンズを取換えようと、昨年お気に入りのディーゼルブランドの結構洒落たジーンズを2本購入しました。でもこれがどうも腰パンっぽいのですね。はいていてどうも落ち着かないため、結局は以前のはき慣れたものをさらにすり減らしながらはくことになっているのです。


 流行というのは怖いもので、何か新しいものが流行りだすと、すべてそちら方面に全面的に移行してしまうのには困ったものです。日本人の持っている特性というか集団志向というか、全体主義的発想というか、乗り遅れたら怖いという心理状態が大きく働いているのでしょうか。もっとおじさんの意見も大事にして、選択に幅を持たせてほしいものです。会計に関しても最近はIFRS流行りで、セミナーだ研修だコンサルだITだと全面的にIFRS一辺倒状態ですが、日本の会計は本当にこれでいいのだろうか?


 その点、大相撲はいろいろ不祥事が重なったとはいえ、さすがに伝統を維持しているというか、相撲取り全員が腹でまわしを締めています。これでこそ日本の国技!腰フンの相撲取りなど見たくもないし、もしそんな奴が現れたら、相撲はもう見ないもんね。「ふんどしのひもを締めなおして・・・」という言葉がありますが、これも腹でひもを締めているからこそ効果があるのであって、腰でふんどしのひもを締めていたら効果もないだろうなぁ。



2010年8月6日金曜日

法人の成長と個人の幸せを考える

~監査法人は統合の歴史である~


経済界では、企業同士の統合が破談になるケースが最近目につきます。たとえば「キリンHD(ホールディングス)」と「サントリーHD」の統合中止や、「高島屋」と「H2O(阪急百貨店と阪神百貨店の経営統合によって誕生した持株会社)」の決裂は記憶に新しいし、我が故郷の秋田でも県内にあるスーパー4社の経営統合が撤回されたというニュースが流れていました。お互いにメリットを見出して統合を進めていったのでしょうが、その過程で考え方や戦略の相違、社風の違い等いろいろ異なる思いが出てきたのでしょう。そのあたりは経営のトッププロ同士が交渉に当たっているのですから、感性を研ぎ澄まし、敏感に微妙なにおいを感じとるのでしょうね。


監査法人は、特に大手はそうですが、統合の歴史そのものです。両手の指が足りなくなるのではと思えるくらい統合を繰り返して、多くの事務所がひとつの事務所として成り立っています。公認会計士は会計・監査のプロであり、一人ひとりがプロ意識を持って行動してしまうため、従来はサラリーマン意識というものはほとんどありませんでした。統合によって組織がだんだん大きくなってくると、サムライ会計士の多い事務所全体をまとめていくというのは、なかなか大変なことだと思います。


一般の事業会にとっても、会社が大きくなるということは望ましいことにちがいありません。しかし、そこで働くことになる個人個人にとっては、一概そうとは言えないことなのであると、最近いろいろ考えさせられるのです。統合によって、それまではできなかったような、いろんな業務をできる機会に恵まれ、自分をさらに飛躍させることのできる人もいるでしょうし、異なる環境の中で目立たなくなってしまう人もいると思うのですね。

経済界で統合を目指す経営のプロの方は、統合比率のことや統合後の戦略等の他にも、そこで働く個々人の幸せまで考えて行動しているのかどうか、大変興味があります。個人の幸せまで考えて行動できる経営者は、人間的にも大きな人なのでしょう。

企業がグローバル化し、生き残っていくためには規模の利益を追求する必要があるとは思うのですが、そこで働く個人の幸せも考えて行動できる人こそ、必要とされるのだと、最近特に思うのです。


顧問として役員会に出席した

~46な日々・・・趣味の世界へ~


7月30日、松岡新会長の下での東海会役員会に、顧問として初めて出席したのですが、なんだか気恥ずかしというか居場所がないというか、変な気持でした。今回の役員会では、各委員会の委員長の先生方全員から、それぞれ今後の方針や活動状況を報告していただくという新しい試みがなされていたのが印象的でした。私のときは、自発的にお願いしていたのですが、このほうがいろんな情報を役員の方で共有できますし、会も緊張感があっていいのではないでしょうか。


私が勤めていた3年間は、それ以前の引き継ぎ事項を最初の1年目でほとんど解決し、後はのびのびとやらせていただいたのですが、自分で企画してできなかったことがたった一つだけありました。それは東海会4県合同の同好会を作る企画として、東海4県から同好の仲間を集めて、バンドを作ることでした。岐阜県会のT先生がアコースティックギターを弾くとお聞きしていましたし、ブログや東海会ニュースでも呼びかけていましたので、3年間あればなんとかなるのではないかと考えていたのですが、結局集まらず断念したいきさつがあります。あわよくば前川前会長が退任時の総会で三味線を御披露したように、私も総会でコンサートでもやろうと考えていたので、多少残念な思いがありました。


その代わりと言っては何ですが、7月5日に観光ホテルで久しぶりにバンドを組んで演奏を行いました。バンドメンバー6人で、若宮にあるBLスタジオに3週連続土曜日にこもって練習をし、スタンバイOK。当日の演奏中は声援や手拍子ありで、自分の演奏している音や他の演奏者の音がよく聞こえないくらい盛り上がり、うまく弾けたのかどうかもよくわからなかったくらいなのですが、やってよかったと満足しました。そして、このバンドでベースを担当していただいたのが、なんと驚くことなかれ、今の東海会副会長の山田順先生なのです。ありがとね。終わった後は目標がなくなり、なんとなく気持ちの張りがなくなってしまったのですが、来年あたりはドラムとキーボードも加え、日経主催の全国オヤジバンド中部地区予選会ぐらいには出てみたいと思っているのです。バンド名はまだ考えていないのですが、「IFRS」をちょっと曲げて「JFRS」、訳して日本不良中年、あるいはカッコよく「ミッドストリート」なんかを考えています。


会計士の仕事は緊張感を伴う仕事が多いため、やはり趣味を持つことは必要ですね。私の仲間でも、金魚の世話をしたり、水晶を集めて心の安らぎを求めたり、最近になってフルートやサックスを始めた方もいらっしゃいます。カメラの収集(常にマイカメラを持ち歩いている人)、孤高のギタリストを自称する人、オーディオマニア等さまざまです。


そうそう、そういえば、私が今制作依頼中の神代欅のギターの制作過程が、ヤイリギターのホームページで公開されることになりました。


私も朝家を出る前に、ギターを10分間くらい弾いてみたり、朝夕抹茶を入れて心を落ちつけたりすることで、自然にハードな仕事を乗り切る工夫をしているのだと思っています。


2010年7月22日木曜日

公認会計士の日の広告

~FM愛知で放送していただきました~


7月6日は「公認会計士の日」です。今年もそうですが、例年新聞に名刺広告を出し、それに文章や図等を付け加えて、公認会計士のことをPRしています。でも、おそらくじっくり目を通すのは公認会計士が多く、それ以外の方は少ないのではないでしょうか。インパクトのある広告というのはなかなか難しいものです。


今年は、新聞広告に加えて、FM愛知さん「公認会計士の日」のことを説明していただきました。当日の朝、担当者の方からお電話をいただいて、11時50分前後の放送になるというご連絡をいただいたため、その時間帯になったとき、じっとラジオに耳を傾けていました。なぜ私がこの時間帯にラジオを聴くことができたのか?それは、申し訳ないのですが午前中だけお休みをいただいていたからなのです。
皆さんも、一般的に昼食時は込み合うため、早めに食事に出る機会があるかと思いますが、東海会がある伏見の駅近辺で私がよく行くラーメン屋さんは、この時間帯でも大変込み合うのです。そして、いつもFM愛知のラジオが流れていりのですね。ラーメンをいただきながら、公認会計士の日の説明に耳を傾けた人もたくさんいらっしゃったことでしょう。


FM愛知さんの公認会計士特集は、今後も続きます。先日いろいろ打ち合わせをしたのですが、9月から10月にかけて、夜に5分間番組を4回ほど流していただけることになりました。公認会計士とアナウンサーの方が、対談形式で行う予定ですが、内容は今のところ未定です。堅苦しい話だと印象に残らないし、原稿を棒読みしているような話し方だと聞いているほうが恥ずかしくなるため、なかなか難しいですね。公認会計士は役者ではないし。でも、これを機会に公認会計士がいろんな媒体に登場するようになると、この業界のことをもっとPRすることができると思うのです。毎年、あるいはぜひ定期的にこのような機会を設けていただきたいものです。


ご期待ください。


倫理規則が変わったぞ

~骨董の神様は私のブログを読んでいるのであろうか~


7月7日、公認会計士協会の本部定期総会が帝国ホテルで開催され、無事終了いたしました。増田会長の下における理事会構成メンバーは、3年間の任期を終了することになります。引き続き山崎新会長の下でご活躍される方もいらっしゃいますが、私の場合は藤沼前会長時代から増田会長のまでの6年間務めてきた協会本部理事を、ここでいったん退任いたします。あまりお役に立てなかったかもしれませんが、刺激的な6年間でした。


今回の総会で私が注目したのは、「倫理規則」の一部変更に関する議案でした。以前このブログの「経済的便益の巻」でもちらっと書かせていただいたのですが、実務補習所で倫理規則を教えていて一番気になったのは、「用語の問題」でした。その原稿にも書こうかどうか迷ったのですが、読んだ方に変な誤解を与えると困ると思ってあえて書かなかったのが、倫理規則に出てくる「脅迫の脅威」という文言です。私の倫理規則の講義を聞いたここ3年間の補習生は印象に残っているかもしれませんが、「脅迫の脅威」とは何やら穏やかではない話ですねといった説明をさせていただきました。まだ実務についていない会計士試験に合格したばかりの補習生に、監査を実施していると、会計士が会社から脅迫されることでもあるのだろうかという、変な誤解を与えたくなかったのですね。
ところが今回の総会で倫理規則が改正され、用語の変更として、「脅迫の脅威」「不当なプレッシャーを受ける脅威」に、「脅威」「阻害要因」に変更されることになりました。なんとなくホッとした気分です。そういえば、内部統制における「重要な欠陥」も変更することが検討されているようです。「改善を要する事項」くらいでいいような気がしますが。ついでに四半期レビュー報告書の例の文言「適正に表示していないと信じさせる事項が・・・認められなかった」も何とかしていただけると、これを読まれる多くの関係者の方々もホッとされるのではないでしょうか・・・私の個人的な見解ですが。


それはそれとして、協会活動がとりあえず一段落したということもあり、なんとなく自分への御褒美を考えていたのですが、先日ヤイリギターのゴッドハンドこと小池健司さんからご連絡があり、2年前から構想を練ってきたギターが、とうとうネックの太さの微調整ができるところまでたどり着いたというご連絡がありました。いままで郵便やメールでいろいろやり取りしていたのですが、今回は工場までお伺いして、現物をじっくり見てきたのです。ムフフフフフ!。


それから数日後、ブログで以前「念じれば通じるのであるかの巻」で書かせていただいたのですが、ほしいほしいとひたすら念じていた唐津のぐい飲みや、刷毛目の盃(しかも鶏龍山!)が、なんということでしょう、偶然私の目の前に出現したのです。骨董品は二度と生産できないものですので、ほしいものは時間をかけて、ひたすら運と出会いと偶然に任せるしかないのですが、仮に骨董の神様がいるとしたら、御褒美として私の願いをかなえてくれたのでしょうか。それとも骨董の神様は、私のブログをお読みになっているのだろうか?

2010年7月3日土曜日

総会記念ゴルフで優勝してしまった

~これもひとつの御褒美か~


東海会の総会を無事に乗り切り、懇親パーティも終わって自宅に戻ったら、急に疲れが出てきたため、お気に入りの絵唐津の片口型ぐい飲みで日本酒を流し込み、感傷に浸りながら静かに雨の音を聞いていたのです。ん?でも明日は総会記念ゴルフではないですか。土砂降りの雨だったらいやだなぁと思っていたのですが、ダブルぺリアの帝王こと牧野先生が晴れ男だそうで、一縷の望みにすがって眠りに就いたのです。


翌日の朝は残念ながら雨。レインウェアを着用して練習場へ行き、球を打っていたのですが、疲れからか打ち終わった後にパッティンググリーンやクラブハウスまで戻る気にならず、そのまま一番ティグラウンドの周辺にある椅子に深く腰掛けたまま、皆さんが来るのを待っていました。でも、なかなか皆さんが集まってこないのですね。スタート時間が近くなったので心配していたのですが、なんと、私がスタート前の挨拶の集合場所に行くのを忘れていただけの話でした。


コンペが行われた南山カントリーは、私のホームコースなのですが、「難産カントリー」と言われているくらい、中部地区では難しいコースなのです。初めて来た人は、「二度と来るまい」と思うか「もう一度挑戦したい」と思うかのどちらかのようです。
最初は雨が降っていましたが、途中からは何とか小降りになり、無事18ホール回ることができました。結果はなんと優勝!今まで頑張ってきた御褒美かもしれません。東海会会長を退任し、昨日の総会の挨拶が最後の挨拶で、今後は挨拶からやっと解放されたと思っていたのですが、またまた優勝者の挨拶。でも、このような挨拶なら何回やってもいいのだ。


翌日は、同じコースでマンスリー大会です。この勢いで、マンスリーも優勝だぁ!と意気込んで臨んだのですが、3番ホールでOB2連発を叩き、あえなく玉砕。トホホホ・・・。ゴルフは難しい。


2010年7月1日木曜日

退任のご挨拶

~充実した「林住期」最初の3年間でした~


東海会ニュースよりも一足早く、会長退任のご挨拶をさせていただきます。


6月18日に行われました東海会の定期総会が終了し、おかげさまで私も会長の任期を無事満了することができました。3年間は長いのではないかと思っていたのですが、終わってみればあっという間でした。振り返ってみて一番印象に残っているのは、やはり就任時の決断です。


当時の私は、所属監査法人の名古屋事務所長も4年目に突入し、協会活動としては東海会副会長に本部理事、法人のマネジメントと同時に多くの監査クライアントを担当し、某監査法人との統合話に頭を悩ませ、毎日250通前後のメールをこなすという状況で、いつ倒れてもおかしくないという恐怖と闘いながら、精神的にも体力的にも極限状態で毎日を過ごしていたのです。そんな中で突然降ってきたのが、東海会会長を引き受けくれという話でした。
私にとってはもったいないくらいのお話でしたが、性格的に引き受けてしまった以上はとことん頑張ってしまうし、手足のしびれ等体調もかなり悪い状態でしたので、自分では残念ながらお断りしたほうがいいのではないかと結論付けていました。ただ、研究大会には未練がありましたが。
しばらくは頭の中がモヤモヤしていたのですが、その後鈴木正男先生や幅勇雪先生のアドバイスもあり、また所属法人の名古屋事務所長も代わっていただけるということでしたので、風向きが変わってきました。私はもともと50歳になったら、仏教でいうところの「林住期」ということで、この先の人生は自分の好きなことをやって過ごそうと考えていましたので、むしろ東海会の会長という業務を楽しんでしまおうと考えることにしたのです。また、12年ぶりに名古屋で開催される全国研究大会を、過去のしきたりにこだわることなく、自分なりのオリジナリティをもってやってみたいという思いもありましたので、無謀だとは思いながらも東海会会長をお引き受けすることにしたのでした。心情的にはマラソンを走り終えた後で、続けざまに駅伝一区を走るようなものでしたが、これが私にとっては大変な幸運でした。


さっそく研究大会のポスターにはこだわり続けて強行突破し、またその年の12月にはテレビドラマ「監査法人」制作の話がありました。通常業務をこなしながらも年明けからは本格的にドラマのシナリオのチェックやストーリー展開・制作等の打ち合わせを、研究大会の準備と同時並行的に半年ほど行い、研究大会の開催中にドラマのストーリーがピークをむかえるという最高の展開となったのですね。もちろん全国研究大会の開催は、私にとっては大変達成感のある仕事でした。特に前夜祭の盛り上がりは印象的で、研究大会の成功を確信した瞬間だったと思います。


それから、私のブログである「越麻呂日記」。途中でかなり脱線しましたが、思いのままに書かせていただきました。川柳は目標通り300本を達成。原稿のほうは、当初は週一本で合計150本を目指していたのですが、途中なかなか時間がなく、書きたいことはたくさんあったのですが、原稿にしたのは130本くらいでしょうか。これで肩書きが取れましたので、これからは肩の力を抜いて、もっと自由な立場で書くことができると思います。何しろ「ペンは武より強い!」のですから。


この3年間は、「魅力ある東海会創り」を私のオリジナルテーマとして活動してきました。この間、役員の皆さま方、ならびに各委員会の委員の皆さま方におかれましては、ボランティアにもかかわらず活発に活動していただきましてありがとうございました。また、事務局の皆さま方にも大変お世話になりました。ありがとうございました。個々の委員会の活動につきましては、紙面の関係で詳しくご紹介することはできませんが、大変活発に活動されておりました。特にハロー会計につきましては、全国的にも特筆するに値すると思います。お疲れ様でした。


今後、会計士業界が取り組んでいかなければならない課題はたくさんあると思います。名古屋における全国研究大会のテーマが、「夢!魅力ある公認会計士」でした。この業界の将来を、公認会計士一人ひとりが真剣に考えていかなければならない、ある面過渡期に来ているのではないかと思っています。自信を持って魅力ある業界であるということができるよう、微力ながらできるところから行動していくつもりです。


今は任期を無事満了することができてホッとしているところですが、東海会会長を引き受けさせていただきまして、本当にいい経験をしたと思っています。おかげさまで充実した日々を過ごすことができました。また、皆さま方にもいろいろご協力いただきまして、大変感謝いたしております。途中で、山田洋久副会長がお亡くなりになったり、私の母親が他界したりでつらい時期もありましたが、何とかゴールまでたどり着くことができました。退任後は顧問だと言われてもピンとこないし、ましてや長寿会はまだまだ先の話です。これまでは、自分のため、法人のため、業界のためと頑張ってきました。時間はまだたくさんあります。社会のためというには年齢的にまだ早いかもしれませんが、これからは、この3年間の経験を生かして、さらにもっといろんな方面で幅広く活動できればいいなと考えているのです。


3年間、いろいろありがとうございました。


2010年6月10日木曜日

公認会計士の将来を考える

~「夢!魅力ある公認会計士」と自信を持って言えるか~


私の東海会会長としての「越麻呂日記」も、残りわずかとなってきました。かなり抑えたとはいえ、比較的書きたいことを書いてきたので、本来であればこの日記もいつ終焉を迎えてもおかしくなかったのですが、幸い「越麻呂日記」は面白いと言ってくださった先生もいらっしゃったので、何とかここまで持ちこたえることができたのです。感謝!


最近よく考えるのが、2年前に名古屋行われた研究大会のテーマ「夢!魅力ある公認会計士」のことです。私にとっては非常に思い入れのあるテーマで、公認会計士という職業ほど面白い職業はないと、真剣に考えて選択したテーマでした。この業界の明るい将来が限りなく続くものと確信を持っていたのですね。
研究大会における奥田元経団連会長の記念講演の冒頭で、私が挨拶した原稿には、このようなことが書かれていました。


「・・・テーマは、夢!魅力ある公認会計士とさせていただきました・・・公認会計士の業務はこんなに魅力がありますよ!また、達成感や満足感を得られて、充実感を味わうことができますね!あるいは、いろいろな仕事ができて楽しいですよね!ということを、特に若い会計士にアピールしたいと考えて、このようなテーマにいたしました。・・・仕事のおもしろさとか業務の多様性、あるいは将来の可能性という面では、大変魅力的な業界だと思っておりまして、将来に夢を持っていただきたいという思いを、このテーマにこめさせていただきました・・・」、と。


確かにその後、公認会計士の業務は、内部統制の監査が加わり、公会計の分野でも広がりを見せ、国際会計基準の採用へと向かって進んでいます。新しい分野へチャレンジするごとに、会計のプロとしての知的好奇心を刺激してくれています。以前に比べて公認会計士という職業や監査法人の行っている業務も注目されるようになってきました。

おかげさまで、公認会計士を目指す人が増えてきたのは大変望ましいことなのですが、その一方でここ2~3年、試験合格者が一気に増えたため、就職問題や実務補習所の運営等新たな課題も浮き彫りになってきています。「公認会計士制度に関する懇談会」でいろいろ議論されているようですが、この業界のことを本当に理解していただいたうえで、将来に明るい展望が開けるような結論に導いていただけるよう、期待したいと思います。


先日、名古屋のある大学から講演依頼があり、9月にお話をすることになっているのですが、とりあえずテーマを決めてくれと頼まれました。もちろん「公認会計士の魅力について」とお答えしておいたのは言うまでもありません。


2010年6月2日水曜日

経済的便益とは?

~日本語が植民地化される「脅威」を認識して評価して除去しよう~


 「お~い!そこのコンダラ、こっちへ持ってこい」

野球場での練習風景です。どうやら、先輩が後輩に命じているらしいのですが、言われた後輩のそばには、グラウンドを固めるためのローラーがそばにあるだけです。コンダラ???「あの~、コンダラって何っすか?」と、後輩。「だから、お前のそばに置いてあるコンダラだよ」


最近、地下鉄での通勤時に「梶原一騎伝 夕焼けを見ていた男」を読んでいるのですが、 子供のとき、ちょうどカラーテレビが出始めた頃に、スポ根漫画「巨人の星」が放映されていたのを思い出します。

「♪思い込んだら 試練の道を♪」

という歌詞がうたわれている画面の中で、主人公の星飛雄馬が、いかにも重そうなローラーを、汗をかきながら苦しい表情で引いている場面が映し出されるのですが、その姿を眼の中に焼き付けられている方も多いと思います。その先輩は、その歌を聴きながら「思い込んだら」を「重いコンダラ」と取り違えてしまったのですね。

私などは、エイトマンの歌詞の中にある

「♪行こう 無限の 地平線♪」

と歌っているところの歌詞の意味がわからず、「ユコームゲン」っていったい何の意味だろうと、かなり後年になるまでわからないままでした。昔は、今みたいにやたらとテレビの下に、日本語の字幕が出ることはなかったのです。

「♪夕焼けこやけの赤とんぼ おわれてみたのは いつの日か♪」

「おわれて」も、狼かクマにでも追われたのだろうかと、しばらくわからなかったのですが、おそらく「背負われて」「おんぶされて」の「おわれて」ですよね・・・たぶん・・・自信ないけど。
私の友人の中には「順風満帆」をいまだに「じゅんぷうまんぷう」と言っている方もいます。バブルをバルブと言っている方も・・・。


IFRSの勉強をしていると、収益の認識のところで必ず出てくるのがいわゆるひとつの「経済的便益」というやつです。「経済的」は日常会話でもよく使うので、比較的なじみがあるのですが、「便益」というのは、なかなかなじみのない言葉ですね。ちなみに新明解国語辞典で調べてみると「それを使うことが自分にとって便利であり、かつ利益がある様子」と書いてあります。なるほと、確かにその通り。でも使わないよなぁ、この言葉。経営財務によると、IFRS適用第一号となった会社も、収益の認識基準を、出荷基準から着荷基準へと変えたそうですが、その変更理由にもこの「経済的便益」という用語が出てきます。そのうち「便益」が新聞や雑誌に氾濫するのだろうか。便益便益便益便益・・・


先日JICPAジャーナルのIFRSに関する記事を読んでいたら、金融商品会計に関するところで、とうとう出てきました。「まれでない回数の売却」が売却目的とみなされて・・・。「まれでない回数」とは一体どういう回数なのだろう。頻繁とは違うのだろうか。「頻繁ではないけれども少なくはない」といったニュアンスなのだろうか。ちなみにこちらも新明解国語辞典で調べたのですが、「まれ(めったになくて、珍しい様子)は載っているのですが、「まれでない」はありませんでした。「まれ+でない(つまり否定・・・英語で書いてもDeny・・・デナイ・・・なんちゃって)と解釈すればいいのだろうか。う~ん!よくわからん。


この3年間、実務補習所で「職業倫理」を教えてきたのですが、「脅威を認識した場合、評価して除去するか許容可能な水準まで軽減しなければならない」というようなことがレジュメに書かれていたため、いわゆる翻訳して説明しました。はたして聞いている補習生は、すんなり頭に入っただろうか?


私は日本語が好きなので、本や雑誌を読んでいるときに、よくわからない言葉が出てくると、頭の中が整理できずに途中でつかえて、先に進めなくなってしまいます。こんな日本語が世間にあふれ出てきたら、私は発狂するかもしれません。その前に、早く秋田の田舎に引っ込んだほうがいいのだろうかと真剣に考えてしまいます。それとも、慣れて乗り切るしかないのでしょうか。生活もかかっているし。


先週の日曜日、日本酒を飲もうと刺身を何種類かスーパーから買ってきて、部屋の中に飾ってある高麗時代の鉢に盛るつもりで手にしたところ、カミサンに「それ、オキッパだから、しっかり洗ってね」と言われてしまったのですね。この場合の「オキッパ」は、もちろん置きっぱなしのことです。「オキッパ」くらいだったら、苦笑いするだけですませられるのですが。


戦中、日本国民は、今でいうところの「カレーライス」を、「からし入り汁かけめし」と言っていたそうです。野球でも「ストライク」「いい球」と。日本酒は米ジュース・・・というのはウソですけど。


2010年6月1日火曜日

東海会顧問 幅先生が永眠されました

~「それでもやるしかないだろう」の一言が決め手だった~


 元東海会会長で、東海会顧問をされていた幅先生が、5月27日、お亡くなりになりました。今年の2月にはお元気そうなお姿を拝見していただけに、大変ショックです。

 幅先生が、東海会副会長・会長等、東海会の要職を歴任されていた頃が、ちょうど私が愛知県会の幹事や広報委員を長年担当していた時期と重なりました。愛知県会の行事に参加しては東海会ニュースにひたすら原稿を書きまくっていた時期です。「君の書く文章は面白いな」といつも幅先生には喜んでいただき、私もそう言っていただくのが楽しみで協会活動をやっていたような気がします。会長を退任されてからも、中日本五会等の懇親会の席で、堂々とご挨拶される幅先生の姿を遠くから眺めながら、いつもかっこいいよなぁと思っていたものでした。

 
 4年前の12月末、突然私に東海会会長就任の話が舞い込んできたのですが、年末年始に秋田でじっくり考えて、最終的にはお引き受けできないと結論付けたのです。お断りする理由は山のようにありました。若すぎるし・・・今でも仕事が忙しすぎるのにこれ以上は・・・手足のしびれや不整脈等の体調不良・・・今は話せない秘密の話し・・・等々。


 そして、年明け後に行われた東海会の賀詞交歓会の会場で、鈴木先生や幅先生から東海会会長立候補の話があったのですが、丁重にお断り申し上げたのです。その後しばらく会場をうろうろしていたのですが、再び幅先生と立ち話をする機会がありました。そこで先生が言われたのですね。「君もいろいろ大変だとは思うが、それでも引き受けるしかないんじゃないか。考えてみてくれ」と。この言葉が私の心に重く響き、こうなったら法人業務だろうが協会業務だろうが、とことんやってやろうじゃないのと、東海会会長の重責をお引き受けすることにしたのでした。


 その後3年間、何とかここまでたどり着き、私の任期も残り20日間ほどとなりました。無事任期を満了した暁には、幅先生のところに行って

「お引き受けするまでは、ずいぶん迷っていたものですが、幅先生の一言で決心がつきました。おかげさまで3年間、無事乗り切ることができました。いい経験をさせていただきました。」
と、ご報告するつもりでいましたので、とても残念でなりません。


 心からご冥福をお祈りしたいと思います。


2010年5月29日土曜日

「人が見たら蛙になれ」と青山二郎は言った

~財務諸表の真贋を見極められるか~


「人が見たら蛙になれ」とは青山二郎さんの言葉です。別冊太陽の「青山二郎の眼」を読んでいたら、そう書かれていました。青山二郎さんが、自分が集めた骨董に対して語った言葉のようですが、はじめは何の事を言っているのかよくわからなかったのです。でも、よくよく読んでみると「いいものは自分が見つけるから、他人が見たら蛙の格好をしていなさいね」と作品(この場合骨董)に語りかけていたということのようです。何という自信にあふれた言葉でしょう。よほど自分の見る目に自信がなければ、このような言葉は出てこないでしょうね。本物を見分けるには厳しい目が要求されるのだ!ということを言われたような気がします。


最近、人間社会でよく見かけるのが、上の人が自分を見たら急に宝石になろうとする人です。目がくもっている人は、それをまともに受け入れてしまい、すぐ「あいつはいいやつだ」と騙されてしまいます。人を見る目のない人や、自分のお気に入りの人だけを差別してかわいがる人には困ったものですが、これが経営者となると最悪です。自分にとって都合の悪いことをいう人は排除し、おとなしく黙っている人たちで周りを固めてしまったら、たしかにやりやすいかもしれませんが、自分が裸の王様になるだけなのに。それに気づかない人がトップに立つと、その組織は崩壊してしまうでしょう。

また、鞄になろうとする人もいます。「上の人を見たら鞄になれ」を信条とする人のなんと多いことか。鞄になるどころか、人間宅急便となって、鞄を持ち運んでしまう人もいるようです。こういう人を「カバン持ち」といいます。あなたの周りにもよくいますね。


世の経営者の中には「会計士が見たら美人になれ」とばかりに、お化粧直しをした財務諸表を作成する人もいるようです。それを見た会計士も、常に職業的懐疑心をもって監査にあたらないと、財務諸表の真贋を見分けることはできないでしょう。骨董の収集家であれば、だれでも贋物をつかんでしまうことはよくあることで、それによって勉強していけば本物を見分ける眼が養われてくるのですが、会計士の監査となると、そんなのんびりしたことは言っていられません。贋物の財務諸表を見分けるだけの「眼」が常に必要です。どこから見ても蛙にしか見えないような監査調書を作成することのないよう、緊張感を持って監査を実施しなければなりません。


27日に行われた地域会会長会議の帰り道、新幹線の中で村田喜代子さんの「人が見たら蛙に化れ」という本を読んでいたのですが、なかなか面白い本でした。会議の今回のアジェンダの一つが「地域会の活動評価について」でしたが、もう3年近く毎回同じテーマが出てくるので、この時ばかりは私も蛙になっていましたが。

2010年5月14日金曜日

東海会の事務局長に渡邉さんが就任

~大倉さん、お疲れ様でした~


東海会事務局長の大倉さんが、3月末で定年退職となりました。引き続き私の任期が終了する6月までは事務局に残ってお手伝いしていただけるのですが、とりあえずは一区切りです。事務局長として約13年間、大変お疲れ様でした。
この間、大倉さんは、パソコンをかたくなに拒否し、ひたすらワープロを打ち続けていたのです。そのワープロも今では交換部品がなくなり、最後まで持つかどうか心配でしたが、残り後1カ月、なんとかがんばってほしいものです。


大倉さんの場合、長谷川元会長の途中から事務局長に就任され、その後3年ごとに、幅先生、小澤先生、前川先生、そして私と5人の会長を支えてこられました。みなさん個性があるので、変わるたびにいろいろ気を遣われたことと思います。またこの間、名古屋での全国研究大会も2回開催されましたし、この業界の浮き沈みもいろいろご経験され、ご苦労も多かったことと思います。ありがとうございました。


大倉さんの後任として、4月から事務局長に就任されたのが、渡邉さんです。私と渡邉さんは同じ年齢ですが、一緒に飲み比べてみたら、私のほうが少しだけお酒が強いようでした(あまり自慢にはなりませんが)。事務局での勤務期間が長いため会務に精通しており、人脈もたっぷしです。どのような活躍をしてくれるか、今後に期待したいと思います。


先日の東海会役員会後に行われた、東海共済会代議員総会において、東海共済会の解散も決議され、この3年間で、東海会における未解決事項はすべて決着。後は1カ月後の総会を無事乗り切れば、私の任期は終了です。そのあとは、東海会の顧問としての役割を果たすことになるのですが、あまり会務に口出しすることなく、東海会の活動を静かに見守っていきたいと考えているのです。「長寿会」への入会を勧められているのですが、まだ53歳だしなぁ、それだけはまだ勘弁していただきたいものです。


私が東海会会長を退いた後、この「越麻呂日記」はいったいどうなってしまうのだろうか?最後のほうは当たり障りのないものになってしまいました。書きたいことはたくさんあったのですが、いろいろ差し障りがありそうだったので・・・。


サラカイセン ~296-300~

296.


297.参院選 政治とスポーツ 混同し


298.ローテーション 定年前に 期限切れ


299.その人を 選んだ人は 貴方です

2010年4月7日水曜日

マイ盃のブームなのだ

~「マイ箸」があるなら「マイ盃」があってもいいではないか~


先日の新聞に、子供たちが間伐材を利用して、「マイ箸」作りに励んでいる姿が写真で紹介されていました。会計士協会の増田本部会長が「マイ箸」を持ち歩いているということは、知る人ぞ知る、知らない人は知らない、有名な?話ですが、私の場合は「マイ盃」なのです。自分のお好みのものを持ち歩くというのは、なかなかこだわりがあっていいではないですか。


日経新聞の2月の「私の履歴書」は、細川護熙元総理大臣が執筆されていましたが、その中に、細川さんがある陶芸家のもとに弟子入りする話が出てきます。その陶芸家は辻村史朗さんというのですが、先日その辻村さんが制作した志野の盃をいただくことができました。本当は桃山時代か江戸初期の志野の盃を手に入れたいのですが、それははかない夢。仮に目の前にあったとしても、高価すぎておそらく手が出ないでしょう。骨董を収集するようになってからは、現代ものにはあまり興味がなくなっていたのですが、志野の盃に関しては当面は現代ものでしのぐしかないのです。

たとえ現代ものでも、使っているうちに酒を吸い込んで、とろとろに変化していくのを期待したいのですが、なにしろ自宅で日本酒を飲む機会は限られているので、膨大な時間が必要です。こうなったら少しでも多く酒を飲ませる機会を増やすために、毎日持ち歩くしかないではありませんか。また、一日も早くとろとろ化させたいので、邪道ではありますが、夜自宅に帰ってから朝出かけるまで、その盃を日本酒の入った器の中に漬けこんでいるのです。私の行動は異常だろうか?

本来であれば、紅茶で煮詰めるとか、土の中に埋め込むとかすれば、もっと骨董品らしく見えるのかもしれませんが、私は悪徳骨董業者ではないし、そもそもそんな事をすれば酒の味が落ちてしまうので、自然体で(どこが?)いくことにするのです。何ヶ月かして盃に変化あったら、またご報告したいと思います。

先日、骨董市に行くついでに、美濃にある美術館と、瀬戸の陶磁資料館をはしごしてみてきたのですが、志野の焼き物は感動モノでしたね。また、桃山時代の陶片に触ることができただけでも大満足でした。


会計士協会のHPにはあまり関係のない話かもしれませんが、監査も自分なりのこだわりと創意工夫を持ってやっていただけたらと思います。

サラカイセン ~292-295~

292.数年後 あなたも私も 除去債務


293.大学の 代返国会 よりはまし


294.子供手当 いずれ自分の つけとなる


295.報酬を 開示できない もどかしさ

2010年4月6日火曜日

人事の季節

~運命は自分で切り開くものと思っていたが~


年明けに、五木寛之の「人間の運命」を読んだのですが、重苦しい本でした。高校2年の夏に親友を海で亡くしてからは、目に見えない何がしかのものは信用できなくなると同時に、運命というものは「自分で切り開くもの」と思い続けてきました。大学受験もそうでしたし、音楽の道に挫折して公認会計士試験を目指したときも「自分で切り開いた」つもりでした。その私がなんとなく「運命」みたいなのものを、このところ感じるようになったのですね。ここ7~8年の出来事が、あたかも目に見えない何がしかのものに導かれるように行動していたのではないかと・・・。


☆以下、私小説



健司45歳の時の3月に、当時所属していたエスペランサ監査法人に、代表社員の枠が2つできたらしいのです。普通こういった人事というものは、事務所を統括する人が人知れず打ち合わせをして決めるものだと思うのですが、その時は小野寺代表社員が健司ら社員を集めて


小野寺:「君たちの中から代表社員を決めなければならなくなった」


というのですね。仕事には自信があった健司ですが、年齢的にも経験的にも後輩である健司は自ら辞退を申し入れたのです。健司は東北出身でしたが、東北人というのはこういう時に控えめだからだめなのですね。小野寺は、


小野寺:「一晩考えさせてくれ」


というセリフを残し、その日の打ち合わせは終了したのでした。


翌日の朝、健司は小野寺代表社員に呼び出されて説明を受けました。


小野寺:「君は仕事はよくやってくれているし、事務所に対する貢献は申し分ないが、年功だから今回は我慢してくれ」


健司:「ねっ、年功ですか?」


この「年功だから」という小野寺の言葉が健司の頭の中からしばく離れず、その後、成果主義が企業の中で一般的になってきたときに、健司は人事関係の本をひたすら読み漁ることになるのですが、それはさておき、「年功」のおかげでその年における、健司の代表社員への推薦はなくなったかに思えました。


なんとなくすっきりしない気持で過ごしていた健司ですが、2週間ほどたったある日、副理事長の篠原専務理事から直接電話がかかってきたのです。


篠原:「どうして君が推薦されなかったのだ」


健司:「年功だそうです。それに自分から辞退しました」


以下もっと書きたいけれど省略(いつか機会があったら)

その後さらに一カ月くらいたったある日、再び篠原専務理事から電話がありました。


篠原:「君を代表社員に推薦することになった」


健司:「えっ!本当ですか?いったいどういうことなんですか?」


こうして健司は、土壇場のタイミングで代表社員に滑り込むことになったのでした。





この時、OZさんが電話で言葉をかけてくれなかったら、私が事務所長になることはなかったでしょうし、カネボウ事件を契機にみすず監査法人が清算に追い込まれる過程で、名古屋事務所が人員・クライアントともスムーズにそのまま統合することもなかったでしょうし、ましてやその後、私が東海会会長になることもなかったでしょう。このブログもなかったし、テレビドラマ「監査法人」の内容も別なものになっていたにちがいありません。映画の「バック・トゥ・ザ・フューチャー」ではありませんが、私自身まったく別の人生を歩んでいたと思われますし、結果的にいろんなところに影響を与えることにもなったのでしょう。


そう考えた時、OZさんの一言から一本の線に導かれるように、その後のいろんな出来事が結び付いて、きれいにつながっていったような気がするのです。これからの人生、どうなるかはわかりませんが、これが運命というものだったのかも・・・。


気のせいかもしれませんが、年をとったせいか、そんな気がするのですよ。


2010年4月1日木曜日

サラカイセン ~286-291~

286.限度額 引き上げられても 金はなし


287.その発言 末代までの 恥となる


289.この国は 言った言わぬの レベルかな


290.熱冷めて 破談が続く 産業界


291.そのしこな そろそろなんとか してあげて

2010年1月6日水曜日

偶然は続く

~島岡達三の作品に出合った~


以前のブログで、日本酒「九平次」を巡る大変珍しい偶然話を書かせていただいたのですが、今度は「焼き物」を巡る偶然話です。


昨年の暮れに、一年間お世話になった骨董店へご挨拶にお伺いしたのですが、その際、人間国宝の「島岡達三さん」といって、最近お亡くなりになられた作家の作品を私にくださるというのですね。「縄文象嵌」という作法で焼かれた徳利と湯のみでした。私がそもそも焼き物(最初は現代作家)を集め始めたきっかけが、松本洋一さんという私と同年代の現代作家が焼き上げた、縄文時代の土器を思わせるような自然釉の力強い作品を見てからなのですが、縄文という言葉を聞いただけで、私の体内を流れている縄文時代の血が騒ぐのです。
その後、年末年始は実家のある秋田に帰り、30日には「怪しい税理士」と連れだって、私にとっては日本一のお寿司屋さんである「たつ福」に出かけたのです。そこに出てきたお寿司を乗せる皿が、どう見ても「縄文象嵌」なのですね。そんな偶然があるはずはないし、乏しい知識をひけらかして恥をかくのも嫌なので、その場はおいしくいただくことに専念し、満足して帰ったのでした。
年が明け、しばらく秋田には戻ってこられないと思った私は、新幹線の出発時間が14時であることを確認し、私の連れ合いを加えて3人で、名古屋に戻る当日の昼に再び「たつ福」へと向かったのでした(このあたりの時間は切符をとるときに計算済み)。お正月ということもあり、取れたての生きている伊勢エビの握り(一匹から4貫しか握れない)や、これも生きているアワビの握りをはじめ、こんなウニ食べたことないというような甘いウニなど、どうだどうだと言わんばかりの食材が、次から次へと出てくるではありませんか。(私の隣では、生モノが食べられない連れ合いが、かっぱ巻きがおいしいと喜んで食べていましたが)
食べ終わって、これでまた働く気力が出てきたと思ったところ、お店の職人さんが「実はこの皿は人間国宝の作家が作った皿なのですよ」というではありませんか。しかも「最近亡くなったのですよ」というのですね。その言葉にピンときて、「それってもしかして島岡達三さんではありませんか」と私が聞き返したのと、お店の職人さんが「島岡達三さんというんですよ」というのが、同時に重なり合ったのでした。


今回の年末年始は、新聞とテレビはシャットアウトし、ひたすら焼き物の勉強をして、当初の予定通り10冊読破し、帰りの新幹線で11冊目を読みながら帰ったのですが、こういった偶然があるから人生というものは面白いのですね。

2010年1月5日火曜日

新年のご挨拶

 東海会ニュースが東海会会員の皆様のお手元に届くのに、もう少し時間がかかりそうなので、ホームページのほうで一足先に新年のご挨拶をさせていただきます。


 新年おめでとうございます。早いもので、東海会会長としての最後の年を迎えることになりました。これまで2年半に亘り、いろいろ会務にご協力いただきましてありがとうございます。残り約半年となりましたが、引き続き任期終了までがんばって行きたいと思いますので、よろしくお願いします。
 平成22年もいよいよスタートいたしましたが、ここ数年、我々会計士業界を取り巻く環境は大幅に変化いたしました。昨年、内部統制監査の適用一年目が終了したところでありますが、一段落する間もなく、今度はIFRS(国際財務報告基準)導入の話題でもちきりです。適用する会社側も監査する会計士側も、今年はIFRS対応に追われる一年となりそうな予感です。
 経済的には、円高・株安の影響やデフレ経済の中で、生き残りをかけた厳しい状況が続くことが予想されますが、心の中に「ゆとり」を見失わなければ、自分の身近なところに小さな幸せを感じる瞬間をいくつも見つけることができると考えているのです。経済や企業がどんどんグローバル化し、会計までもが国際化する中で、人々はやすらぎを求めているのですね。また、そういう国際化の時代だからこそ、日本人が本来持っている「おもいやり」とか「ひかえめ」の気持ちや、「侘び・寂び」の感性が重要視されてくるのではないでしょうか。今年は日本のよさをもっと見つめなおしたいものです。


 会計士業界全体のことに目を移しますと、解決しなければならない課題もいくつか残されています。協会全体の財政構造改革と地域会の活性化という相反する問題をどのように両立させていくのか、試験合格者の未就職問題の対策をどうするのか、監査法人と個人事務所の関係のあり方、地域会の再編はどうあるべきか、公認会計士の広報のあり方、高品質の監査業務を提供し続けるための仕組の問題、CPE制度の更なる徹底等、いずれも重要な課題だと思っています。こういった課題を地道に解決していく努力を、今後とも続けていかなければなりません。
 また、東海会の会務につきましても、先日新しい執行部が決定し、6月の総会後は新たな体制でスタートすることになります。ここ2年半に亘りまして、各委員会の皆様方には積極的に活動していただきましたし、私自身もホームページをはじめ、広報活動にはかなり力を入れてまいりました。4県合同の行事につきましては、残念ながらバンド結成というところまではいけなかったのですが、旅行やゴルフはこの後もぜひ継続していただきたいと思っています。最近は若い会員の参加者が多く、今後もぜひ盛り上げていただけたら幸いです。


 今年はなかなか厳しい一年になりそうですが、私個人といたしましては、会計のプロとして活躍したい気持ちもありますし、ここ7~8年間忙しすぎてできなかったことをやってみたいとも思っています。また、一段落したら、新しい分野で活躍する機会を見つけてみたいという気持ちもあります。いずれにしても、常に気持ちに「ゆとり」を持って、しかも遊び心を忘れないように、これからの日々を過ごしていきたいと考えているのです。


 今年も1年間、会員の皆様方のご活躍をお祈りしております。