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2009年5月7日木曜日

神田の駅前でのストリートファイト

~酒に飲まれてはいけません~


 先日、SMAPの草なぎさんが、酒に酔って困ったことになってしまったようです。私も飲む機会が多いのですが、新人の頃、熱海で行われた事務所の忘年会で、酔って涙を流しながら「我々の監査はこんなことでいいいいのですか」と、仕事でいつも一緒の主査とパートナーに殴りかかってしまったことがあったので、それ以来、記憶がなくなるほど飲むということはなくなりました。
 酒癖の悪い人は、どこの世界にもいるものです。日頃は非常にまじめで、口から出る言葉は常識ばかりの人でも、いったんアルコールが入ってしまうとそれまでの言動をどこかに置き忘れてしまったかのように、人格が突然変異を起こしてしまうのです。タイプ的にはすぐからんできて説教を始める人や暴力的になる人、社内の人の噂話しかしない人や泣き上戸などいろいろあるようですが。
 ごく親しい男と酒を飲むときには、あまり言葉を交わさずに、静かに飲みたいものであると考えている私としては、できれば酒癖の悪い人とはお友達になりたくないものであると常々考えているのです。仕事上は、いつもチームを組んで行動しているため、仕事終了後は帰りに仲間と一杯やることはよくあります。気の会った仲間と飲みに行くときは楽しい酒になるため、仕事の疲れを忘れることができるのですが、お付き合いで断りきれずにしぶしぶ後をついていくとき、そしてそのメンバーの中に酒癖の悪い人がいるときなどは、せっかくのお酒も台無しになってしまいます。


 大昔のことになりますが、結婚式を間近に控えたある日、今思えば早く家に帰ればよかったものを、仕事帰りに先輩に一杯やろうと誘われ、神田にある小さな居酒屋ののれんをくぐったのがそもそもの間違いのもとでした。最初のうちはみんなで和やかに談笑していたのですが、途中からTの様子が急におかしくなり始めたのです。それは、U先輩の「お前はまだ専門学校のアルバイトをやってんのか」という言葉がきっかけでした。その時点で既にTの目がすわり始めていたのに気がついてはいたのですが、こちらも酔って気が大きくなっていたため、よせばいいのに「いつまでもそんなことをやっていてはいかんよ、きちんと監査の仕事に専念した方がいいよ」と追い討ちをかけて、Tを挑発してしまったのがいけなかったようです。
 飲むピッチが早くなったなと思ったのですが、どうやら臨界点を超えたようです。いきなり上司のUさんのところに醤油のビンが飛んできました。Uさんは、いつものことで慣れているらしく、「ホッホッホッ」と笑いながら体をヒョイとひねり、なんなくそれをかわしてしまったのでした。その後も爪楊枝入れ、こしょうの入った瓶、割り箸、杯等、次から次へと飛んできたのですが、それをあざ笑うかのように、ことごとくかわしてしまったのです。私はあまりの軽快さにあっけにとられてしまいました。
 投げるのがなくなってしまったTは、ブスッと押し黙ったままになってしまったため、我々もそろそろ店を出ることにしました。店を出るとTはにこにこ笑いながら、「よー、お前のカミサンになる人の写真を見せてみろよ」と言ってきたため、私も酔ったせいもあってつい喜んでしまい、写真を取り出したのでした。その写真をさっと取り上げたTは、それを地面にたたきつけるなり、足で踏みつけたではありませんか。私は信じられない状況を目の当たりにして、ただただボーゼンとしていたのですが、こんなアホにかかわっているだけ損だと冷静に考え、その写真を丁寧に拾い上げたのです。
 Tは「越山さん、もう一軒行きましょうよ」と左手で私の肩を抱くようにしてもたれかかってきてので、フッとわたしの気が緩んだ瞬間でした。Tの右ストレートパンチが私の顔をめがけて飛んできたのです。不意をつかれた私はよけることもできず、唇の右側にまともに受けてしまいました。生まれてこのかた殴り合いのけんかというものをやったことがなかった(小さい頃は別として)私は、この後どう行動すべきなのか一瞬迷っていたのですが、Tの口からは意外な言葉が漏れてきました。

T「殴れよ」、

私「・・・・」

��「殴ってみろよ」


 Tは両手をだらりと下げたまま、歩道の真ん中に立っていました。私はいつの間にか「お前は先輩に対してどういう態度をとったのかわかっているのか?お前のようなヤツを殴ったら、俺の手が汚れるわ」と、怒鳴り散らしていました。私はなんだかむなしくなり、たくさん集まった野次馬の視線が、我々二人に集中して注がれる中、黙って神田駅の改札をくぐり抜けたのでした。
 家に帰って鏡の中の顔をのぞいて見ると、やはり口の中が切れていて、はれあがっていました。その日の夜は、何回か自宅に電話があったのですが、受話器を取る気にはならず、布団の中にもぐりこんでしまいました。翌日も同じメンバーで仕事をすることになっていたため、「Tは明日、一体どういう顔をして会社に出てくるのだろうか」と考えていたのですが、翌日Tは、前日飲みに行ったメンバー全員に、サントリーロイヤルを配りながら、「昨日はすみませんでした」と、ひたすら謝っていたのです。
 「飲んだら暴れるな、暴れるなら飲むな」、今でも酒を飲むときは、このことを忠実に守ろうと思っているのです。

 お酒は楽しく飲みたいものですね。

 私小説第2弾でした。


2009年5月6日水曜日

どうしてこう3月決算の会社が多いのか

~監査法人は今の時期大忙しです~


会社の決算日はそれぞれですが、一般的には大部分の会社が3月決算を採用しています。決算が締まった後に財務諸表監査が始まるため、4月の中旬くらいから6月の中旬くらいまでは、一年で一番忙しい時期を迎えることになるのです。毎年6月下旬になると、特定の日に上場会社の株主総会が集中するのですが、株主総会をスムーズに終わらせたいという思惑があるのか、とにかく3月決算の会社が多くなりました。おかげで我々公認会計士の会計監査は大変です。連結・個別財務諸表の監査に審査、内部統制の監査・審査、有価証券報告書のチェック、報告会の資料作成等、株主総会が終了するまでは、ほっと息をつく暇もないくらいです。


その間は土日もゴールデンウイークも関係なし、来る日も来る日も残業する日々が続きます。特にGWは一年で一番いい季節で、ゴルフをするには絶好の日和が続くわけですが、この仕事をやっている限り、このいい時期にゴルフをするのはあきらめなければなりません。中間決算があったころは秋も忙しく、結局、会計士がゆっくりゴルフをすることができるのは、真夏の暑い時期か真冬の寒い時期しかないのだと観念していました。今は四半期決算なので、いったいいつ休んだらいいのだ。


私も以前は、どうせGWといったところで、どこもかしこも人人人で疲れるばかり、こんな日には仕事をやるに限るなどと自虐的に笑いながら、せっせと審査資料などを作っていたものでした。そして、夜家へ帰って「今日はどこそこの高速道路のインターチェンジは50キロの渋滞でした」などというテレビのニュースを眺めて、「せっかくの休みなのにかわいそうにね」と同情することで、自分を無理やり納得させていたわけですね。
この時期は、会計士だけでなく、会社の経理の人たちも大変です。最近は決算発表の早期化が叫ばれているし、会社が作成しなければならない資料も年々増える一方です。それに会計士の監査対応もしなければならないし、しかも期限のある仕事が多いため、時間に追われるし、ミスがあって会計士に指摘されると、決算財務報告プロセスの内部統制がどうのといわれてしまうため、ストレスも相当なものだと思います。大部分の会社では、経理の方たちはまじめな人が多いので、プレッシャーに負けずにがんばってくださいと、ついエールを送ってしまいたくなります。


我々会計士の立場からは、できるだけ決算月が分散してくれると仕事が一時期に集中しなくて助かるのですが、そんなことを言っても会計士の都合で決算月が決まるわけでもなく、今後もますます3月決算の会社が増えていくような気がします。
それでは一体なぜ3月決算の会社が多いのでしょうか。暦年は1月1日から12月31日までですので、それにあわせたほうがいいような気がしますが(現に外国の会社は12月決算が多い)。流通業界などは、2月がちょうど冬のバーゲンセールが終わって、衣料品が冬物から春物への入れ替え時期にあたるため、在庫が少なくて棚卸しが楽であるという理由で、2月決算が多いようです。日本で3月決算会社が多いのは、やはり国家予算のからみがあるからでしょうか。学校の新学期が始まるからというのは、どう考えてもあまり関係がないでしょうね。
四半期決算が始まるまでは、会社の決算がばらついていたら一年中忙しいことになるので、逆に集中してくれた方が終わった後は楽になっていいではないかと考えていました。その方が7月・8月に夏休みをゆっくり取れるので、それはそれでメリハリがあってよかったわけです。今は夏でさえも、お盆休みの頃までは四半期レビューで忙しくなってきました。代休・有給で2~3週間夏休みが取れた当時が懐かしいですね。


受験生の皆さんへ・・・もうすぐ短答式試験です

~厳しいハードルが待っているが、やるしかないのだ!~


 高校時代か大学時代か忘れましたが、以前加藤諦三先生の本をよく読んでいて、その中に「人間というのは、現実をありのままに受け入れて生きていかなければならない悲しい存在である」と書かれていたのを今でも記憶しています。この言葉は当時の私にとっては大変衝撃的な言葉で、その後の私の人生における考え方の基本方針となってきました。大学受験も一度失敗し、公認会計士試験二次試験に合格したのも2回目だったし、日商の1級も2回目合格(いきなり1級から受けたのだからしょうがないのだ)、そういえばそろばんの3級合格も2回目でしたね。シンガーソングライターになる夢を捨てきれず、日商1級合格後、一年間の期間限定でがんばってみたのですが、実力不足で早々と断念したこともあります。すべて現実をありのままに受け入れてやってきたのです。そのおかげで、例えば仕事で誰かが失敗したとしても、決して怒ることはせず、「わかった。で、次どうする?」と切り替えることもできました。
 古きよき時代というか、以前はそれで何とか乗り切れたのでしょうが、最近は世の中が複雑化してきており、なかなかそう簡単には割り切れなくなってきているような気がします。一般的にも、教育の現場もそうですが、職場においてさえも、いわゆる「いじめ」が横行しているようですし、必要以上に人を追い込んだりすることもあるようです。いくら「現実をありのままに・・・」といっても、無理して受け入れようとすると、どこかで何かがはじけてしまいます。大変な世の中になってきました。


 5月24日には、公認会計士試験の短答式試験が実施されます。以前は、短答式試験合格後、論文式試験に合格すると、その段階でばら色の将来像を抱くと同時に目の前に可能性という文字が広がって見え、「オレは日本一の公認会計士になってやるぞ!」という気持ちになるのですが、今年はどうやら試験合格後も就職問題という悩ましい問題が待っているようです。
 ここ2年ほど、試験合格者が従来の2倍以上になってしまったため、今まで人手不足だったこの業界も昨年で大体落ち着きを取り戻しました。今年は昨年並みの合格者が出た場合、就職できない試験合格者が大量にあふれてしまうかもしれません。
 社会問題化する前に、早めに対策を立てる必要があると思います。このままでは試験に合格して実務補習所の修了考査に合格しても、公認会計士として登録できないということになりかねません。こちらは「現実をありのままに・・・」ではすまされない問題です。
 また、仮に今年試験に合格できなかったとしても、あきらめる必要はありません。先は長いので、またチャレンジすればいいではないですか。


 私はというと、あいかわらず現実をありのままに受け入れて、その中で「人生も仕事もしょせん遊びのうち」と、はぐれ雲のような心境になりました。加藤諦三先生のように「・・・悲しい存在である」などとは全然思っていないのです。