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2009年12月29日火曜日

感性の話

~物事を見る目は成長する~


 今年ももうすぐ終わろうとしています。仕事の面では、毎日毎日目の前の業務をこなすことで精いっぱいだったのですが、趣味の世界では大きな成長があったと自分では思っているのです。
 今年の何月頃だったか忘れましたが、日経新聞の最終面で「日本の名椀10選」という特集記事が記載されていたのをご存知でしょうか。世の中にこんなに素晴らしいものがあるのかと感動したのを覚えています。その中でも特に一見して心を惹かれた茶碗が、李朝ものでした。どんなにお金を積んでも手に入らないものばかりです。昨年の10月ごろから李朝の骨董に心を奪われてしまい、それが衰えるどころかますます気持は高まるばかりです。もしかして私のご先祖様は、朝鮮の陶工だったのでは?


 最初は自分の感性だけで勝負して、見たり触ったり話を聞いたり、たたいて音を聞いたりにおいをかいでみたりしていたのですが、そのうち写真集を買い集めるようになり、最近では焼き物関係の本を買いあさっているのです。自宅で時間があると焼き物の本を開き、寝る前は写真集を眺め、骨董市があるといっては足を運び、週末には骨董店に出かけ、この道のプロと酒を飲みながら話を聞いたり名品を見せてもらったり、そしてそれをゆずってくださいと無理を言い・・・。大変な一年(一念ともいえる)でした。もしかしてIFRSの勉強に費やす時間の10倍ぐらいは焼き物の勉強をしていたような気がします。


 また、ギター関係では、以前から頭の中でいろいろ想像を巡らせていたのですが、何度か試行錯誤した結果、最近素晴らしい指板のデザインにたどりつくことができました。いったいどんなギターが出来上がってくるのか、今から大変ドキドキしています。
 まさかこの年になって、自分の周りに新しい世界が開けてくるとは夢にも思っていなかったのですが、いずれの世界も奥が深くて面白い世界に巡り合ったものです。


 それはそれで大変素晴らしいことなのですが、文化的なものを追及しているうちに、自分のものを見る目が研ぎ澄まされたのかどうかはわかりませんが、一方で、最近いわゆる世の中のあまりよろしくないものまで見えてくるようになってしまったのには困ったものです。政治の世界もそうですが、自分の身の回りに起こる出来事のなかにも、愚かな行動にみえることが多くなってきたような気がします。景気のせいもあるのでしょうか。
 骨董の世界では、たまに失敗すれば、それをきっかけにさらに真贋を見極める目に磨きがかかるといいますが、仕事の世界では、よろしくない場面に直面してしまうと、モチベーションが下がってしまいます。でも、おかしいことはおかしいと、来年も言い続けようと思っているのです。


 さて、年末年始は秋田で過ごすのですが、焼き物関係の本を10冊くらい持ち込みました。読破するのだ。


2009年12月25日金曜日

「目」の話

~目から出血が・・・~


 前回のブログから、約1ヶ月半ほど空いてしまったのですが、この間いろいろな面で、嵐のような日々を過ごしていたのです。11月の下旬ごろに突然の高熱と腹痛に襲われ、3連休を含んでベッドから起き上がれない日が3日間ほど続いたのですが、食事を取らないでいるうちに完治。牡蠣でもあたったのだろうか?その後、連日の忘年会や実務補習所の2コマ分の準備等であわただしい日々を過ごしていたある日、トイレに行って手を洗って鏡を見た瞬間、ドキリとしてしまいました。なっ、なんと、右の目が出血のため真っ赤になっているではありませんか。
 以前、東海会前会長の前川先生が同じような症状になったのを見て、あまりのすごさに東海会の会長だけはやってはいけないと硬く心に誓ったことがあったのですが、とうとう自分も同じ症状になってしまったのです。しかも、出血の度合いが少し激しいようでした。
 最近めったなことでは驚かなくなっていたのですが、さすがにこのときは驚きましたね。そのまま事務所のあるビルの3階の眼科に、保険証も持たずに飛び込み、検査と止血の治療を受けました。
 検査結果は、失明につながるような異常はなく、赤い目も1~2週間、長くても1~2ヶ月で治るといわれてとりあえず一安心。目薬などそれまでの我が人生で一度もさしたことはなかったのですが、この際お医者さんの言うことをよ~く聞いて、毎日必死でさしていました(目薬が目に入る直前に目を瞑ってしまうので苦労しましたが)。
 後で聞いてみたら、目から出血することはけっこうあるらしく、そんなに心配することはないらしいです。ただ、原因としては、過労やストレス、飲酒に高コレステロール・高脂血症、高血圧等が考えられるようです。私はもともとお医者さんから「あなたはストレスというものがないのですか」といわれるくらい低血圧なのですが、他の要因は見事に当てはまります。最近珍しくストレスがかかるような出来事が続いたしなぁ。


 前回の東海会役員会で、「これから年末にかけて忙しい日々が続きますので、体調管理だけはしっかりやってください」と、ご挨拶申し上げたばかりなのに、肝心の私がこの有様です。ここ7~8年間、マラソンを走った後、休む間もなく駅伝一区を走っているようなものですので、さすがにあちこちで体が悲鳴を上げているのかもしれません。でももうすぐ年末年始の休暇に入ります。秋田に帰ってじっくり静養し、残りの任期の半年間に備えたいと思います。

 
 静養するつもりが飲んでばかりいたりして・・・。


2009年12月24日木曜日

サラカイセン ~273-285~

9月ごろの経営財務を読んでいたら、会計に関する川柳を募集していたので、私も応募しようと思ったのですが、著作権が先方に移ってしまうようなので、結局投稿するのをやめました。
最近は原稿が多かったのですが、久しぶりの川柳です。


273.のれんでも 私の場合は 縄のれん


274.重要な 欠陥あっても 生きてるぜ・・・私のことです


275.今日も飲む 継続性の 原則です・・・これも私のことです


276.借入金 お前はなぜか 貸方科目


277.新制度 出るたび群がる 営利企業


278.アサーション 一体何を 主張した


279.価値変動 丸ごと飲み込む 包括利益


280.平等院 貸借平均の 原理です


281.贈与でも 貸付金と 言ってみたい


282.賄賂でも 預かっただけと 言える人


283.職倫で 接待だめだと 言ったでしょ


284.失敗を 失敗でしたと 言う勇気


285.

2009年11月9日月曜日

ハロー!会計 In 名古屋 開催

~テレビに放映されてしまったのだ~


 今日は日曜日、ハロー!会計の公開講座の日です。さっそく会場に出かけてみると、リハーサルの最中でした。今回は東海地区の中学生が対象で、愛知県や三重県などから親御さんも含め約70名の参加がありました。
 はじめに行われた司会者からの挨拶の中で、「今日は特別ゲストとして、会計の神様であるルカ・パチョーリさんにもお越しいただいております」という発言があったのですが、それに対して子供たちが、どこにいるんだろう?と周りをきょろきょろしていたのがかわいらしかったです。もちろん特別ゲストは、東海会のポスターの中からの参加でしたが。
 また、東京からは急遽「ハロー!会計の父」である御子柴さんが車で駆けつけてくださり、授業の様子をご覧になっていました。
 私も冒頭の挨拶の中で、世界の3大発明の話をさせていただき、文豪といわれたゲーテの言葉を引用して、「簿記」も世界の発明の中ではかなり上位にくるのではないかという説明をさせていただきました。簿記がなければ会計処理はできないし、会社は成り立たず、結果的に資本主義経済が成立しないという、強引で大胆な論法です。
  

 授業の方は、テレビカメラが回る中順調に進み、時間通りに無事終了。ルカ・パチョーリさんもポスターの中で、心なしか微笑んでいるように見えました。ケーキと飲み物でひと休みした後、第2部では公認会計士の仕事の内容をやさしく説明していただきました。公認会計士を目指しましょうではなくて、このような職業もあるよということだけでも、生徒さんの頭の片隅に入ってくれれば、それで大成功だと思います。
 終わった後はアンケート結果を見ながらの反省会です。ドラマで公認会計士を知ったというケースが意外と多かったのには驚きました。昨年から引き続き参加している生徒さんもいらっしゃったようですので、来期以降もハロー!会計を続けていくためには、新しいバージョンも考えなければいけないのでしょうね。その後は懇親会へと直行。事務局の渡辺さんが、ケータイのワンセグでテレビに放映されている「ハロー!会計」の授業の様子を録画してくれたので、みんなでそれを見ながら大いに盛り上がったのでした。


 思えば東海会は、ハロー!会計にかなり力を入れてきました。私の任期中の公開講座はこれで終了し、後は訪問授業を3回ほど行う予定です。協会本部のハロー!会計に対する力の入れ方が、以前ほどではなくなったにもかかわらず、東海会の広報委員会の皆さんは途中で挫折することなく、本当によくがんばってくれました。心から感謝しています。新しい体制になってからもハロー!会計を続けていくためには、今の広報委員のメンバーの半分以上は継続して委員になっていただかないと、難しいと思います。会計の裾野を広げるためには地道な努力が必要で、なかなか大変なのですよ。


 懇親会後、自宅に帰ってみると、静岡方面から留守電がはいっていました。どうやら朝早い時間帯のようです。内容はちょっとここでは書けないのですが、次回の役員会も大荒れのようです。明日電話することにして、こんなときは骨董の写真でも眺めながら、寝てしまうにかぎるのだ。

2009年10月27日火曜日

全国監査役会議in横浜

~加藤和彦は死ぬまで荒野を目指したのか~


 10月19日・20日の両日、横浜にある国際会議場で全国監査役会議が開催されました。私も監査役協会からご招待をいただいていたため、昨年の神戸大会に引き続き参加させていただきました。主題は「激動する経営環境下における監査役のベスト・プラクティス-監査役監査の更なる実効性を求めて-」で、初日が講演と全体会のパネルディスカッション、懇親会をはさんで二日目はシンポジウム分科会が3会場に別れて行われ、私は「監査役と会計監査人の連携をめぐる諸問題」というテーマに参加させていただきました。そして、最後を飾ったのが文化講演です。作家の五木寛之さんが「今を生きる力」というテーマで90分間に亘り話をされ、時間をたつのもわすれて聞き入ってしまいました。
 五木さんがここ数年書かれた本はほとんど読んでいたため、講演の話の内容は本で書かれた内容と重複するところが多かったのですが、やはりユーモアを交えた生の声を聞くことができるというのは、大変ありがたいことです。大学時代に見た映画「青春の門」も面白かったなぁ。懐かしいです。


 五木さんの話の中に出てきたのが、講演の2~3日前に亡くなられた加藤和彦さんの話です。「加藤和彦」といえば、中学~高校時代の私にとっては神様みたいな存在でした。私がフォークソングを始めたのは、中学時代に北山修と加藤和彦の「あの素晴らしい愛をもう一度」を聞いたからであるし(特に12弦ギターのイントロが大好きでした)、私がいまだかつてもっとも練習した曲で、高校時代に行ったコンサートでも必ず弾いていたのが加藤和彦さんの「不思議な日」という曲なのです。そして、家へ帰って調べてみてわかったのですが、「青年は荒野を目指す」という曲は、五木寛之さんの作詞に、加藤和彦さんが曲をつけた作品なのですね。


 私はもう青年ではないのですが、ここ8~9年くらいの間に、カミサン以外のほかの誰もが反対したにもかかわらず、「荒野を目指す」の心境で、「まぁやってみるか」と決断したことが2回ありました。最近また、荒野を目指そうという気持ちがふつふつと湧いてくることもあるのですが、私も五木寛之さんが言うところの「林住期」でもあるし「遊行期」が近づいているしなぁ。それにしても、加藤和彦さんは「もういい歌が作れなくなったから」といって亡くなられたそうですが、62歳になってなお荒野を目指すことを忘れなかったのでしょうか。そして、荒野を目指し続けて力尽きたということなのでしょうか。私にとってはあまりにもショッキングな出来事でした。
 

 昨年10月の神戸大会のときは昼食タイムに時間があまったため、協会本部の財政構造改革と、各地域会の剰余金の問題をいろいろ考えて、サラリーマン会計士川柳をたくさん作った記憶があるのですが、あれから一年、この問題については新しいことが何も伝わってこないのですが、何か進捗があったのだろうか。


2009年10月20日火曜日

静岡方面からの電話パートII

~久しぶりに活気のある役員会だった~


 高野山から帰った週明けは、中小事務所施策委員会主催の研修会から始まりました。本部の山崎副会長が名古屋に初登場。他にも柳沢担当常務理事や協会本部の事務局の皆さんにもお越しいただきました。研修会は13時から17時までの長丁場でしたが、内容的にも重要なテーマでしたので、会場には多くの会員の皆さんが詰めかけていました。懇親会の席では、帰り際に本部事務局の方に「東海会はいい会だから、もっと本部にPRしたほうがいいですよ」といっていただき、私としては大変うれしかったのです。
 翌日は税務研修会が国際ホテルで行われました。第2四半期決算の前という事もあり、この時期は比較的研修会が多いのです。


 週末の金曜日には、東海会の役員会が予定されていたので、いろいろ準備をしていたのですが、前日の夜11時過ぎに、自宅に静岡方面の会員の方から再度電話がありました。協会全体や東海会の会務について、いろいろご質問をいただいたのですが、その中で大きな問題としては、なぜ総会の議案が会員の20%という少ない定数で決まるのか(2割しか支持されておらず、会員の総意ではないではないか)ということなのですね。その場は、翌日の役員会でいろいろ質問させていただきますということで、電話での質疑応答は終了しました。


 さて、翌日の役員会です。審議事項や報告事項はあまりなかったのですが、質問がたくさんあり(数えていなかったのですが、感覚的には50個くらい)、終了予定時間をオーバーしてしまいました。私は、質問にはご本人が納得するまで、すべて懇切丁寧に答えることにしているので、時間が足りなかった分は事務局の応接室で対応させていただきました。
 私が今まで経験してきた役員会は、審議事項に関する説明があり、それに対する質問がたまにあって、その質問も顧問・相談役の先生からの質問が多かったのですが、最近では質問事項も少なくなり、私が本部理事会報告を行って時間を消化するケースが多かったのです。また、東海会としても審議事項が少なくなってきた傾向にありました。今回の役員会は、私が東海会会長になって以来、最も張り合いのある役員会となりました。


 その後、その会員の先生とは会長室でいろいろ雑談もしていたのですが、後日、私の家に本が送られてきたのですね。封を切ってみると「孫子」というタイトルの文庫本でした。翌日お礼の電話をすると、「あまり自分を負い込んで、仕事で無理をしてはいけない」という趣旨の本なのですよと教えていただいたのです。
私にとっては貴重なアドバイスです。ありがとうございました。


2009年10月16日金曜日

地域会の活性化のために

~地域会活動のモチベーションを高める施策をとってほしい~


前回の原稿で、高野山で行われた中日本地域連合会議の際に、中日本五会の会長が集まって、今後の地域会のあり方等についていろいろ議論させていただいたということを書かせていただきましたが、その後、9月25日と10月5日の2度に渡って、全国ベースの地域会会長会議が東京で開催されました。そこで大部分の時間を費やして話し合われていたのが、「地域会活動評価について」でした。この件に関しては昨年が初めての試みで、今年は2回目となり、他の地域会の活動状況を知ることにより、他の地域会を参考にして自分の所属する地域会を活性化させるという意味においては、大変意味のあるテーマだと思います。
来年度からは地域会会長が変わるので、また新しい発想で検討していただければいいのですが、もうかなり慣れてきたので、年間を通じて地域会会長会議の時間のかなりの部分を、このテーマに費やすのではなくて、もっといろんなテーマについて話し合いが行われればいいなと考えています。今年に関しては、地域会にとってまだまだ重要なテーマが残っているはずですので、できればそのテーマについても、ある程度今の段階から情報をいただき、短期間で密度のある議論を真剣に行わなければならないと考えているのです。


本来であれば、もう既に地域会会長としての任期も第4コーナーに差し掛かってきたところでもあり、残りの任期は心静かに過ごしながら、粛々と会務をこなしていきたいと考えていたのですが、最近は今後の地域会の活性化のために、もうひと踏ん張りしなければならないような気がしてきました。


協会本部では、PJ(プロジェクト)チームを作っていろんなテーマで話し合いを行っているようですが、その中には地域会に重要な影響を及ぼす事項もあるようです。でも、内容については断片的に漏れ聞こえてくるだけなので、私たちには実際どのような議論がなされているのかはよく分かりません。


せっかく地域会を活性化させるために、地域会活動評価を通じて話し合いが行われているし、私もそのためにがんばってきたので、今後も地域会のモチベーションを高めていただけるような決定がなされることを期待しています。


内容が明らかになり次第、このブログでもお知らせしたいと思います。


2009年9月30日水曜日

中日本地域会連合会議とOB懇親会

~高松塚古墳と朱雀とゴッドハンドの関係について~


9月12日(土)、中日本地域会連合会議が、和歌山県の高野山で開催されました。高野山といえば、我が人生において多分訪れることはないだろうと思っていた土地だったのですが、せっかくの機会に恵まれましたので家族と出かけることにしたのです。電車でなんと5回も乗り換え、狭くて急な坂道はケーブルカーを利用して、無事たどり着くことができました。
福智院という宿に宿泊することになったのですが、宿の中の受付の辺りには、茶道に使う茶碗が展示されていました。ガラス越しに見ただけなのではっきりしなかったのですが、1万5千円の茶碗と35万円の茶碗の区別がよく分かりませんでした。まだまだ茶碗に関しては修行が足りないのだ。また、私達が泊まった部屋にはトイレがなかったので(いわゆる共同トイレを利用)、朝の厳しいトイレ争奪戦が予想されたのでした。


15時から行われた会議では、各地域会の現状と取り組むべき課題について、真剣すぎるほど真剣に議論が行われました。今後就職難が予想されるため、我々会計士業界に夢があるのかというご意見も出たのですが、ここ2~3年の間のめまぐるしい環境の変化に翻弄され続けたこの業界にとっては、真っ先に解決しなければならない大きな問題だと思います。


夜はOBの方や同伴者も参加して懇親会です。最初に住職さんから法話をいただいたのですが、冗談のおつもりなのかどうかはわかりませんが、なんとなく営利主義的な話もありました。お寺と監査法人は営利主義に走ってはいけないのです。乾杯の後歓談となったのですが、ビールやお酒も出てきたためとりあえず一安心。高野山の料理は精進料理なので、肉や魚はなかったのですが、たいへんおいしくいただくことができました。
懇親会が終了したため、部屋に戻って一呼吸おき、さて温泉にでも入ってゆっくりくつろごうかと思っていたら、突然部屋に電話あり。これから中日本五会(東海・近畿・兵庫・京滋、北陸)の地域会会長が集まって、今後の協会のあり方について議論しようではないかというのですね。あきらめて温泉は翌日の朝に入ることにして部屋に集合。時間を忘れて話し合っていたのですが、高野山にまで来て同伴者を残して午前様ではさすがにまずいので、12時前には解散。翌日は大人の修学旅行が待っているのです。


さて、翌日は朝早く温泉に入り、朝食もおいしくいただき、トイレ問題も無事解決し、いよいよバスツアーです。今回の観光は、奈良県の飛鳥(明日香とも書くようです)が予定されており、「高松塚古墳・壁画館→石舞台古墳飛鳥寺」というコースをたどることになりました。もともと古いものや神秘的な事柄には大変興味があるので、最初の高松塚古墳で壁画館に入り、奈良時代の人々の様子が描かれた壁画をじっくり観察していたのです。そのときは、この時代の人々にとってのトイレ問題は、どのように解決していたのだろうかなどとぼんやり考えていたのですが、後になってみるとこのときの体験が、大げさに言えば、私の最近の深い悩みを解決させてくれるきっかけになったのでした。



 高松塚古墳の壁画館を見学した終わり、自宅に帰って高松塚古墳をネットで見ていたら、ふとキトラ古墳を思い出したのですね。そして、キトラ古墳に描かれている絵を順番にクリックしてみていたら、朱雀のところで私の頭に電撃が走ったのです。「こっ、これだ!!」と。
 昨年の7月に名古屋で行われた全国研究大会が終わった後、「神代欅(何百年もの間、土の中に埋もれていた欅の木)」が手に入ったという情報を、ヤイリギターのゴッドハンドこと小池健司さんから教えてもらいました。サンプルで作ったギターの音色に感動した私は、さっそくその神代欅でギターを作ってもらうことにしたのです。名前にふさわしい神秘的なギターに仕上げたかったのですが、スノーフレークのシンプルなのがいいのか、欅の木をイメージした図柄の模様を、ギターのどの場所にどのように描いたらいいのか思いつきません。他に神代欅にふさわしいイメージの絵がないものかどうか、いつも考えてはいたのですが、なかなかこれといったものが浮かんでこないうちに、時間だけが過ぎていってしまったわけです。いくら古いものが好きだからといって、李朝の徳利や盃を彫ってもらうわけにもいかないし・・・。そこへあらわれたのがこのキトラ古墳の朱雀の絵です。ちょうど指板に収まるような形をしていました。私の頭ではもうこれ以上の絵は思いつかないです。さっそくヤイリギターの小池さんのところに飛んで行き、「朱雀を彫ってください。くださいくださいくださいったらください」とお願いしてきたのは言うまでもありません。
 おそらく来年、私が東海会会長の任期を満了して一息ついているときに、キトラ古墳とヤイリギターのゴッドハンドと私の突発的発想が生んだ、世界でただひとつのギターが出来上がってくるのでしょう。今から大変楽しみです。
 (詳しくは音楽のとびらで・・・)


近畿会の皆さん、ありがとね。
さて、来年の中日本地域会連合会議は、東海会が当番会です。
前回の当番会のときは愛知万博、その前が高山、で、もう一つ前が静岡ですので、次回は三重県で行うつもりです。伊勢志摩、赤福、鳥羽等観光名所もあると思いますので、楽しみにしていただきたいと思います。でも、私はというと、来年の今頃は、東海会会長の任期も終了しているので、参加は懇親会と観光だけという事に・・・。
次期執行部の皆さん、よろしくお願いします。


2009年9月17日木曜日

静岡方面からの電話

~24時間体制で待っていただいたのでした~


 9月11日(金)、ある業界の全国懇談会が名古屋で開催されたため、私も参加させていただきました。ただ、翌日から中日本地域連合会議が和歌山県で行われる予定だったので、準備もあり早めに帰宅。いつもより早めの帰宅に連れ合いも驚いたようすでしたが、静岡の会員の方から連絡があったとのことでした。会員の方から自宅に直接電話があったのは、私が東海会会長になってから初めてのことであったし、24時間体制で電話を待っているということのようでしたので、何事かと気になったこともあり、着替える前に電話をしたのでした。


 内容的には、協会会務の運営に対する質問が大部分でしたが、まとめてみると


  ①会計士協会の総会の定足数の問題
  ②本部会長選挙のあり方
  ③協会本部における監査法人と個人事務所との関係
  ④予算の執行の問題



の話が中心だったと思います。


 私もお話できる範囲内でお答えさせていただいたのですが、詳しい内容は省略することとして、何しろ一朝一夕には解決できない問題ばかりですので、電話ではなく直接お会いして話し合わなければならない事項でもあるのです。また、私としても、東海会の会員の中に、このようなご意見の方もいるということを、本部に進達しなければならないという思いを強くした次第です。


 本部総会においても、「会員の声を聞く会」を形式的には設けていますが、いつも時間がなくて十分とはいえません(今年も確か質問は2~3しか受け付けてもらえなかったと記憶しています)。また、東海会の総会においても、特定の方の質問ばかりで、活発な意見交換は行われていませんでした。


 協会のガバナンス改革の問題も、正副会長会や常務理事会・理事会でいろいろ議論しているし、ホームページやニュースレター等で情報を配信しているではないかと、執行部側では思っているかもしれませんが、なかなか一般会員までは浸透していないというのが現状だと思います。それが定足数の低下の問題や、協会への参加意識の低さにもつながっているのではないでしょうか。これから会員がどんどん増えてくると、協会の運営もますます難しくなってくるような気がします。


 会員の意見をもっと吸い上げる機会を持つことが必要なのですが、静岡県にも年に何回かお伺いする割には、公式の場ではなかなか意見を募っても出てこないのですね。機会をみつけて、いろんな場所・方法でどんどんご意見をいただければと思います。


2009年9月5日土曜日

IFRSの専門家が足りない

~まずは情報収集からはじめましょう~


9月3日の日経新聞によると、国際会計基準を前倒しで適用しようとしている会社がけっこうあるようです。財務諸表を作成する側も監査する側も、短期間で対応するには相当の努力が必要なのではないでしょうか。


IFRSを本当に理解している人は、日本においてはまだまだ少ないといわれています。将来的に、仮にIFRSを全上場会社に強制適用という事になると、監査する立場の公認会計士としては当然のごとくIFRSを理解していなければならないわけですが、今の段階では大手監査法人に勤務する公認会計士ですら、大部分が勉強中といった段階ではないでしょうか。時間はまだまだあるので、あせる必要はないとは思うのですが、公認会計士は会計のプロなのですから、上場会社の経理の人に先駆けて情報を入手し、知識を身につけていかなければなりません。我々は馬ではないので、水が必要だと思ったら水のありかを自ら探し回り、十分補充するだけでなく、不足している人にも分けてあげなければならないのです。2日に行われた協会本部理事会では、協会のIFRS対応についていろいろ議論が交わされたのですが、協会としても「会計監査ジャーナル」やホームページ、研修等を通じてIFRSに関する必要な情報をその都度提供していくということですので、心配は無用とのことでした。


IFRSに関しては、会計の専門家だけでなく、一般企業の方々も大変興味を持っているようですし、早期適用しないまでも、今のうちに対策を検討し始めている会社もかなりあるようです。内部統制監査の対応が一段落したと思ったら、今度はIFRS対応という事で、今後も会計の世界はめまぐるしく変わっていくのでしょう。強制適用される時期が5~6年くらい先といわれていますので、そのときまでには退職していると思われる方(もしかして私もそうですが)は力がはいらないかもしれませんが、10年ほど前から始まった会計ビッグバンの最後の総仕上げともいえる大きな会計のうねりの全貌を、この目でしっかりと見届けたいと考えているのです。


昨日も実はIFRSの講演を頼まれたのですが、たまたま日時が、私がピンポイントで入れた人間ドックの日と重なってしまったのでやむなく辞退。今後いつ講演を頼まれるかわからないので、怠りなく準備だけはやっておかなければならないのだ。


それにしても、グローカルに活動している会社にまでも、IFRSは必要なのだろうか?


2009年9月2日水曜日

そうだ!ポスターを作ろう

~名古屋は優秀なイラストレーターが多いのだ~


公認会計士協会本部も、最近広報戦略に力を入れ始めていますが、東海会だって負けてはいません。このたび、公認会計士協会東海会のポスターを制作することにしたのです。きっかけは、弁護士会さんや税理士会さん等の各士業団体が、それぞれ独自のポスターを作っているにもかかわらず、会計士協会だけがなかったからです。毎年この地区においては、名古屋自由業団体連絡協議会といって、10ある各士業団体が合同で無料よろず相談会や大規模な若手の懇親会等を行っているのですが、それぞれ業界説明用の小冊子やポスター・チラシ等を持ち寄って自らの業界のPRを行っているのです。ポスターがない我々は、なんとなく寂しい思いをしていたわけですね。


公認会計士協会が過去において、全くポスターを制作していなかったかというとそうではなくて、中地会長の頃に何種類か制作していたような気がします。記憶にあるのは「公認会計士はもっと働け」と、「あなたは公認会計士を信じますか」といった大変刺激的な表題のポスターでした。前者のときは、確か私もマネージャーで大変忙しかった頃で(今もそうですが)、これ以上どうやって働けというのだと思いましたし、後者のポスターには、公認会計士協会もけっこう大胆なポスターを作るものだと驚いたものです。


ポスターで真っ先に思い出すのは、名古屋で行われた研究大会用の金シャチポスターですが、あの時は大変だったなぁ。今回も、あのポスターに負けず劣らずのものにしたいと思っていたのですが、今回のポスターは、前回のように特定のテーマに絞ったものとは異なり、理解するのが難しいといわれている公認会計士の業界全体をイメージして制作してもらわなければならなかったため、果たしてどんなものが出来上がってくるか、多少心配なところもありました。でも、いくつかサンプルで出来上がってきたものの中には、なかなかいいイメージのものが含まれていたのです。名古屋のイラストレーターは、優秀な方が多いのだ(何しろ名古屋モード学園があるケンネ)


広報委員会で検討していただき、選ばれてきたポスターを最初に見て思ったのは、井上陽水の曲の「闇夜の国から」でした。「♪闇夜の国から二人で船を出すんだ~。海図も磁石もコンパスもない旅へと♪」。そう、公認会計士は、日本経済のさまざまな場面において、ある時は海図となりまたある時は磁石となり、そしてコンパスにもなって、経済社会を正しい方向へと導いていく使命を負っているのです。そして、ポスターの中では、その役割をイメージされている人物が登場しているのですが、それはもちろんこの人、「簿記会計の父」と呼ばれるルカ・パチョーリなのでした。


もう一度広報委員会で細部をつめ、皆さんに公開したいと思います。


2009年8月26日水曜日

監査とゴルフと寿保年

~秋田の夏は涼しかった~


今年のお盆休みも秋田に帰っていました。ここ数年、夏に秋田に帰ったときは、高校時代の同期生と一緒にゴルフを楽しんでいたのですが、そのご夫婦の娘さんは神谷恭子さんといい、実は女子プロゴルファーの宮里藍選手と高校のゴルフ部の同期生で、一時プロを目指していたのですね。昨年も国体のゴルフで秋田県の予選を勝ち抜き、見事に県代表選手に選ばれた実績の持ち主なのです。今回は私の帰省時期と重なったため、それぞれ別のコースを3ラウンド一緒にプレーさせていただきました。私もあまりはずかしいゴルフはできないなと思っていたのですが、いずれも80台で回ることができ、大変楽しく過ごすことができました。 


監査とゴルフについていろいろ考えてみたのですが、監査は基本的にはチームプレーです。一人で大会社の監査をすることは、今の時代ではあり得ないといっていいと思います。従って、自分だけで判断したり、指示に従わなかったりすると、現場が混乱することになります。これに対してゴルフは個人プレーです。誰に迷惑をかけるでもなく、自分の考え、戦略、方針で思う存分プレーすることができます。もちろんその結果はすべて自分に跳ね返ってくるのですね。思うようにいかず、大たたきしてしまうのも自分の責任ですし、うまく回れたのも自分のゴルフの腕がよかったからです(道具のせいかもしれませんが)。ゴルフの根本的な面白さは、このあたりにあるような気がします。
また、ゴルフに結果論は禁物です。監査の現場では評論家会計士もそれなりに必要かと思いますが、ゴルフの世界では、評論家は嫌われます。「今のは打つのが早すぎた」とか、「肩が回っていない」とかいわれても、もう一度打ち直させてくれるほどゴルフは甘くありません。結果はすべて受け入れて、目の前のトラブルをどうリカバリーするかを考えなければならないのです。後悔してしまうと、後まで引きずってしまい、大崩れしてしまうこともしょっちゅうです。これは、私の仕事のスタンスにも共通しているのですが、人のミスは決して怒らない。起きてしまったことはしょうがない。では、次にどうするかを考えるようにしています。ゴルフから学ぶこともあるのです。
監査法人という組織に入ると、仕事に関してはある程度将来の目処が立ちます。3年後にはシニアになり、さらに5年後にはマネージャー、そして何年か後にはパートナーにと、ある程度将来像が見えるし、それに向って努力すれば、それなりに報われるでしょう。勉強すれば知識として身につくし、新しい仕事を経験すれば、次の仕事にその経験を生かして、ある程度余裕も生まれてきます。しかし、ゴルフの場合はこれがなかなかうまくいかないのですね。同じ失敗を何度も繰り返しますし、なかなか思うように上達しません(うまくなるのは言い訳ばかりです)。いくら反省しても練習しても、自分の思うようにならないのもゴルフの魅力でもあります。
仕事で成仏したらゴルフの練習に専念しようと思っても、多分思うように上達しないでしょう。忙しさを言い訳にすることなく、単純にうまくなりたいというひたむきさ、球を打つのが好きだという純粋さを忘れずにいれば、時間がなくても上達すると思うのですがね。


さて、秋田での私の役割がひとつありました。9月に全国の電力懇談会が名古屋で開催されるのですが、その懇親会の席で、秋田のおいしい日本酒をご披露するために、買出しに行かなければならなかったのです。さっそく、我が53年間の人生で最もおいしいと思われる日本酒である「寿保年」の造り酒屋「小玉醸造」に赴くことにしました。酒蔵見学をお願いしたのですが、東京ドームより広い面積を誇り、今年が130周年という歴史を感じさせる建物や、たくさんある秋田杉でできた大きな樽が並ぶ蔵の中を見せていただき、大変感動的でした。毎日5合飲んだとしても、死ぬまでかかってこの樽ひとつ分かと、人間の小ささを思い知らされたような気がしてため息を漏らしたら、笑われてしまったのです。建物の中をいろいろ案内していただいたのが、まだかなり若い方だったのですが、まじめに熱心に説明してくれました。秋田県人は基本的にまじめなのですね。地元の英雄で、世界的に有名な水中カメラマンである中村征夫さんが高校の先輩らしく、しかも小玉醸造の敷地内に彼の写真の展示室を現在作っている最中でした。11月には完成するんですと、目を輝かせていたのが印象的でした。
電力懇談会用と贈答用と、もちろん自分の分も購入し、満足満足。果たして冷蔵庫に入るだろうか?


秋田での最終日は、あの怪しい税理士が髪を短く刈って茶色く染め、口ひげ生やして丸メガネをかけて登場。陸軍大佐として戦死したじい様の亡霊かと思い、父親も一瞬ひるんだようでした(相当厳しい人だったようです)。怪しい税理士は、いつものようにひとしきり持論を展開し、500mlの缶ビールを6本飲んで、代行で帰っていったのでした。



2009年8月20日木曜日

受験生にお盆休みはないのです

~就職活動の思ひ出~


監査法人に勤務する皆さんは、四半期決算の監査も一段落し、お盆休みでつかの間の休息を楽しんでいることと思いますが、公認会計士試験の受験生にとってはお盆休みなど関係なく、特に論文式試験の受験生はいよいよ最後の追い込み時期を迎えることになります。体調管理には気をつけていただいて、万全の態勢で臨んでいただきたいものです。


私の場合は、今をさかのぼること約30年前、公認会計士試験2次試験(当時は2次試験が最難関でした)を初めて受験したのですが、合格しているような失敗したような微妙な状況で合格発表を待つことになったのでした。大学4年生で、試験終了後がちょうど夏休みだったため、当時実家があった青森市に帰ってなんとなく落ち着かない日々をぶらぶらしながら過ごしていたのですね。私の場合、大学時代に音楽やアルバイトをやっていたこともあり、1年間留年し、しかも就職するつもりもなかったため、今でいうところの「就活」もまったくやっていませんでした。すると親父に言われたのです。「いつまで居候するつもりだ」と。結局1回目は失敗に終わったのですが、2回目は背水の陣で臨み、なんとか合格することができました。


公認会計士試験2次試験に合格して、会計士補になったとしても、いきなり独立して開業するのは無理というものです。したがって、とりあえず実務を覚えるため、監査法人か会計事務所に就職することになります。今は公認会計士論文試験受験後、すぐに就職活動ということになっていますが、当時は合格後に面接が行われていました。合格したといっても、監査法人なるものがどのようなものであるのかよくわからなかったのですが、大部分の会計士補が監査法人に就職していたため、自分もとりあえずそうするしかないのだろうということで、受験仲間と監査法人めぐりを始めたのです。面接を受けたのは、外資系1、中規模法人1、大手法人2の合計4法人でした。


☆以下、私小説



東京での満員電車がいやで、しかも普通のサラリーマン、普通の会社人間には絶対になりたくないと考えていたため、大学時代も就職活動というものは全くやったことはなく、当然面接などというものも経験がありませんでした。

私は学生時代、グループを組んで多少音楽をやっていたこともあり、肩までかかるようなロングヘアーでした。面接を受けるからには当然髪の毛を短くしなければいけないのだと心に決め、バンバン「いちご白書をもう一度」という歌にもあるように、もう若くないさと言い訳して、清水の舞台から飛び降りるつもりで、思い切って髪を切った(つもり)のです。

面接当日、某中規模監査法人へ、スーツを恥ずかしいほどばっちりときめて(これもつもり)お伺いし、代表社員といわれるご年配の先生の面接を受けたのでした。顔を見合せて軽く会釈をし、とりあえず自分の名を名乗ったところ、いきなり面接官から「君の髪は長すぎるではないか」と先制パンチが飛んできたのでした。そして息もつかせぬまま立て続けに「これからは社会人になるのだから、他人に不快感を与えるような髪形はやめて短くし、身だしなみをきちんとしなければいかんのじゃないかね、エー君!」とワンツーパンチを浴びせかけてくるではありませんか。私はいきなりそのようなことを言われて驚いてしまい、その場を無言で退席しようかとも思ったのですが、そんなことをしたらとりあえずこの業界では食べていけなくなるのだろうなと冷静に考え直し、「ごもっともでございます」と心の中で呟いていたのでした。

その後、2法人ほど法人説明会に顔を出したのですが、なんとなくすっきりしません。ある法人の面接でのことです。そこには親しみやすそうな、そして愛嬌のある顔をした2名の先生と、まじめを絵にかいたような2名の先生の、両極端の4人の面接官がいました。一通り事務所の説明が終わった後、いよいよ質問が来る番です。私は一瞬身構え、予想される質問の模範解答を大事にしまっていたのですが、最初に来た質問は「ところで君は、酒は飲めるのかね」でした。私は「えっ????」と一瞬目が点になってしまったのはいうまでもありません。秋田生まれで酒量には自信があった私でしたが、酒量が多いことがはたして採用されるにあたって有利なのか不利なのか、とっさには判断できませんでした。とりあえず「ええ・・・人並みには・・・」と答えると、その面接官は満足そうにうなずいたのでした。そしてさらに追い討ちをかけるように、「じゃぁ歌はどうだ?」と質問してくるではありませんか。私が「えぇ、学生時代はギターを弾きながら歌を歌っていました」と答えると、ますます嬉しそうな顔をしながら「そうかそうか」とうなずいています。そうするうちに、隣の面接官が「君はこっちのほうはどうなんだ?」と、両手で麻雀の牌を倒すようなしぐさをしながら、不安そうに質問してきたのです。「えぇ、大学時代はよく雀荘に通ってましたけど」と答えると、その面接官の目がキラリと光るのを、私は見逃しませんでした。彼は、新しいお友達でも見つけたように、「フンフン」と楽しそうに笑っていたのでした。

面接ではいろいろありましたが、結局は大手監査法人に就職を決めました。決め手はクライアントです。当時はいくつかの監査室に分かれていたのですが、面接の際に、日本公認会計士協会の会長も務められたことのある「中瀬宏道先生の監査室に入れてください」と頼んだのです。そこには日本を代表するようなクライアントがたくさんありました。自分がそのような会社の監査を担当することができるなどというのは夢のような話です。今考えると怖いもの知らずというか、新人の分際でずいぶん思い切ったことをお願いしたものだと思うのですが、入所したら希望通り中瀬監査室に配属になりました。





30年前の私の就職活動の懐かし思い出話ですが、今思えば最後の古き時代だったのでしょうね。私も法人のリクルート活動や面接官を何年かやりましたが、監査法人の財産は人材そのものですし、採用される側も人生の大きな岐路ですので、今は採用するほうも面接を受けるほうも真剣勝負です。私の場合、最終的にはクライアントの充実度はもちろん、事務所の雰囲気、先輩のアドバイス、受験仲間の情報等を参考にして、ここなら大いにやりがいがあるのではないかということで決めました。初任給が高いとか待遇面には全く興味がなく、おもしろい仕事ができそうだな、日本経済に貢献できそうだなというのが決め手です。


受験生の皆さんも、試験が終わるとすぐに法人説明会があり、監査法人めぐりが始まると思います。目先のことに惑わされず、自分が公認会計士としてどんな仕事をしたいのか、将来どんな公認会計士になりたいのか、どんな雰囲気の事務所(厳しそうだとか自由な雰囲気があるとかアットホーム的だとか)で仕事をしたいのかというイメージをある程度持って面接を受けたほうが、自分にふさわしい職場を選ぶことにつながるのではないかと思います。


頑張ってください。



2009年8月11日火曜日

会計士協会全国研究大会が新潟で開催された

~公認会計士はいかにして地元に貢献できるのか~


 昨年は名古屋で行われた公認会計士協会の全国研究大会ですが、今年は8月5日の前夜祭に始まり、6日に新潟で行われました。今年の誕生日は新潟で迎えることになったのです。何しろ、昨年は主催者側でしたので、準備や当日の運営でいろいろ大変だったのを懐かしく思い出しました。新潟県会や東京会の皆様のご苦労はよく分かります。大変お疲れ様でした。今回私は出席するだけでしたので、申し訳ないのですが気が楽でした。すみません(思わず謝りたくなるほど、主催者側はいろいろ大変なのです)
 サブテーマに使われている「グローカリズム」という言葉ですが、ちょうど10年ほど前に新会計基準が登場しかけて、グローバルという言葉が世間ではやりはじめた頃、秋田という田舎出身の私が冗談半分で「グローカル」という言葉を既に使っていたのですが、まさか将来研究大会で使われるとは想像もしていませんでした。グローカルでもいいではないかとあらためて叫びたいですね。

 
 名古屋から新潟までというと、新幹線で約4時間です。12時から地域会会長会議が予定されていたため朝早い時間の出発でしたが、往復8時間というのは私にとっては貴重な読書タイム。東野圭吾の小説に没頭するうちに新潟到着。地域会会長会議では、地域会を含めた協会の今後の財政問題について話し合いが行われました。お金だけの話なのか、あるいはもっと遠くを視野に入れた議論の入り口の段階の話なのかはわかりませんが、時間をかけて取り組むべき議題だと思います。

 
 さて、理事会終了後は前夜祭です。せっかく新潟まで来たのですからおいしい日本酒を楽しまなければなりません。新潟のお酒というと、「久保田」「八海山」「〆張鶴」「越の寒梅」あたりは全国区で名古屋でも手に入るのですが、今回はそれ以外の銘酒を発見し、名古屋にまとめて持ち帰ろうとひそかにたくらんでいたのです。前夜祭で新たに発見したお酒は「吉乃川」でした。もう2~3種類と思っていたのですが、出遅れてしまったのかここまででした。翌日に期待。地域会の事務局の皆さんが前夜祭に参加できなかったのは、ちょっぴり残念でした。

 
 6日は朝から研究大会です。私はもちろん研究会場に足を運んだのですが、実はカミサンにはエクスカーションに参加してもらっていたのです。そして、そのコースには宝山酒造という酒蔵の見学が含まれているのですよ。私の新潟銘酒発見作戦第2弾です。いい大吟醸があったらゲットしておくように、という私の至上命令を受けて参加していたのでした(ウソですけど)。その間、私はまじめに研修を受けていたのは言うまでもありません。
 午前中の講義が終了し、昼食をいただくためにエスカレーターを降りていったところ、東海会の渡辺さんが下で待っているではありませんか。「越山さん、物産展をやっていますよ、いい日本酒はあとわずかですよ、昼食などとっている場合ではありませんよ。」と教えてくれたため、昼食をとらずにさっそく物産展に直行。名古屋の酒屋さんではなかなか手に入らないという「越乃寒梅金無垢」「越乃寒梅超特選」「朝日山酒造の長期熟成酒(轍)」を入手しました。いずれも2~3本しか残っていなかったので、よかったよかった。


 昼食後は午後の講義です。特に「地域社会における公認会計士の役割」には大変興味がありました。秋田出身の私は米どころ酒どころの新潟になんとなく親近感があり、いずれ将来は秋田に帰って地元のために何かできないだろうかと考えていたため、新潟県のパネリストの発表に大いに期待していたのです。特に、最近注目されている農業分野で公認会計士が革新をもたらすことはできないだろうか、新潟にそのような事例がないかどうか注目して聞いていました。でも、内容的には包括外部監査や地方自治体の公会計の分野等行政に関する話は出ましたが、残念ながら農業分野の話はありませんでした。質問をしようと思っていたら、タイムオーバーで終了。こうなったら将来自分がパイオニアとなって、農業に革新をもたらすしかないのだ。
 心に固く誓って会場を後にしたところ、カミサンからケータイに連絡あり。エクスカーションから帰って朱鷺メッセに到着したとのこと。さっそく待ち構えて酒蔵見学の成果を聞きました。ところが、高級大吟醸も置いてあったらしいのですが、見学の後の販売時間があまりなく、参加者の40人が一気に殺到したため、買うのを諦めたというではありませんか。なっ、なんということでしょう。作戦第2弾は失敗に終わったのでした。


 それにしても火坂さんの基調講演はなかなか面白かったですね。着物姿もよかったです。私も来年の2月にあるデザイナーに頼んで着物を作る予定で、たまたま先週の日曜日に帯の布地を物色し、結び方を教わってきたばかりだったため、大変興味がありました。もちろん話の内容にも引き込まれてしまい、真剣に聞いてしまいました。最近の会計士協会の広告も、このあたりが題材のような気がしましたが。


 さて、基調講演の後は研究大会の最後を飾る懇親パーティです。日本酒作戦第2弾に失敗してしまったので、こうなったら最後の手段、日本酒がたくさん置いてあるテーブルに陣取るしかありません。でもあわてなくても大丈夫。新潟を代表する日本酒がたくさん置いてあったので、安心していろんな銘柄をおいしくいただくことができました。ありがとね。新潟の研究大会も無事終了。昨年私は研究大会の期間中8回挨拶をしたのですが、尾内東京会会長も挨拶疲れされたかもしれません。主催者側の皆さん、たいへんお疲れ様でした。


 翌朝、新幹線の改札口のそばのお土産屋さんで、渡辺さんから聞いていた新潟の銘酒「北雪YK35雫酒」を発見。実りある研究大会となりました。新潟まできたら、このまま秋田まで帰ってしまいたかったのですが、仕事が待っているのだ。


2009年8月4日火曜日

監査法人にだって内部統制はあるのだ

~監査報告書作成プロセスの内部統制~


一時は監査の歴史が変わると言われ(言ったのは私もですが)、鳴り物入りで導入された「財務報告プロセスの内部統制」ですが、3月決算の内部統制報告書が出揃ったのをみると、結果的には(表面上かもしれませんが)特に大きな騒ぎになることもなく、なんとなく静かに着地した感があります。それというのも、「内部統制に重要な欠陥があり」という報告書を提出した会社は上場会社のうちのわずか56社で、2%ほどに納まったからです。アメリカのケースでは、導入当初は約16%でしたので、それに比べるとほんとに少ない会社数であるなぁという印象です。「重要な欠陥」といわずに「改善すべき事項」とでもしておけばもう少し多かったかもしれません。制度の本来の趣旨は、「改善すべき事項があったとしても、数年かけて徐々にいい内部統制にしていきましょう」ということであると私は考えているので、大規模会社から新興市場の小規模な上場会社まで含めて、約98%の会社の内部統制に「重要な改善すべき事項がない」というのは、なんとなくすっきりしませんね。今後「重要な欠陥がない」という報告書を提出した会社に、内部統制の欠陥に起因する会計不祥事等が発見されてしまったら、制度の信頼性が揺らぐことにもなりかねないので、注意していきたいところです。


一方で、内部統制を監査する立場である監査法人自体の内部統制はどうなのでしょうか。一般事業会社が「財務報告プロセスの内部統制」であるとするならば、監査法人の場合は「監査報告書作成プロセスの内部統制」といい変えることができるかもしれません。今全国で上場会社監査事務所として登録している監査法人あるいは会計事務所は、準登録も含めると約200あるのですが、「重要な欠陥」のある事務所はゼロであってほしいと願っています。
監査法人の「監査報告書作成プロセス」としては、一般的には監査計画から始まってリスクアプローチに基づく監査や実証手続の監査手続を行い、最終的には監査チーム内で監査結果について会計処理や表示の妥当性を検討し、上位者による調書レビューを受け、その結果を受けて結論を出し、さらに審査員の審査を受けて了解が得られれば最終結論を出すことになります。もちろんその過程では、意見が異なることもあるため、とことん議論して納得のいく結論に達するまで検討するのは言うまでもありません。監査チーム内でいろいろ議論している最中に、監査報告書に最終的にサインをするパートナーが、仮に「オレが責任を取るから・・・」とか「その問題はなかったことにしろ」などといったりしたら、その監査法人の「監査報告書作成プロセスの内部統制」には、「重要な欠陥があり」という事になってしまい、上場会社監査事務所としての登録をはずされ、業務改善命令を受けることになるでしょう。そのようなケースは今の時代、絶対にあり得ないと信じたいですね。どこの世界でも「オレが責任を取る」といった本人が、本当に責任を取ったことなどないというのはよく聞く話です。


NHKドラマ「監査法人」では、ジャパン監査法人の篠原理事長が担当していた銀行の、自己査定の監査で問題が発生し、結論を出す際にきちんと審査会で検討するというプロセスを踏んでいます。審査会においても、理事長が強引に審査を乗り切ろうとしたところ、監査チームが実情を説明し、審査会が理事長の意見を押し返してその決算書に対して適性意見を出しませんでした。審査に関する内部統制が有効に機能していたといえるでしょう。
それに対して、エスペランサ監査法人では、健司がプレシャスドーナツという上場を目指していた会社の財務諸表に粉飾決算を発見し、理事長の小野寺に対して適正意見は出せない旨を進言しました。ところが小野寺に「認めるしかないんだっ!」と一喝され、最終的には粉飾決算とわかっていながら監査報告書にサインしてしまったわけです。このケースでは、「監査報告書作成プロセスの内部統制」に重要な欠陥があったとしかいわざるを得ません。


このように、監査法人においては、単にその会社の担当パートナーの意見だけで監査報告書が作成されるわけではなく、審査員あるいは審査会に対して説明して、了解を得てから最終的に監査意見が表明されることになっているのです。内部統制が重要なのは、何も一般事業会社だけではないということですね。監査法人こそ内部統制をしっかり構築し、適正に運用しなければならないと思います。

2009年7月29日水曜日

解散に辞任に解任に更迭

~人事はいろいろ大変なのだ~


政治の世界でもスポーツの世界でも、人事を巡っていろいろ世間を騒がせているようです。麻生首相の立場も都議選以降、なにやら危うい雰囲気になっていましたが、とうとう衆議院の解散に打って出る事になりました。麻生首相では選挙は戦えないということで、首相の辞任を求める声もかなり大きかったのですが、何とかしのいで選挙に賭けるようです。それにしても、あの「高齢者発言」はいけませんね。総理としての人格を問う以前に人間性を疑ってしまいます。
少し前の話になりますが、日本郵政の社長人事をめぐる「鳩の乱」もなかなか大変でしたね。私が西川さんだったらとっくに辞任しているでしょう。あの粘り強さはすごいと思います。鳩山さんも、解任されても自分の意思を押し通すというのは、それはそれでなかなか見事な態度だと思います。


そういえば、ロッテのバレンタイン監督は戦いが始まる前に今年度での解任を言い渡されていたようで、ひどい話です。ご本人はどんな気持ちで監督として指揮を執っているのでしょうか。監督も選手もモチベーションが下がってしまいますね。また、横浜ベイスターズの大矢監督も、3ヶ月ほど前に成績不振の責任を取って解任されました。辞任も考えていたかもしれませんが、気持ちを切り替えこれから立て直してがんばろうという矢先だったとしたら、さぞかし無念だったと思います。本当は球団も気を使って、解任というより辞任扱いにしてあげればよかったのにと思ってしまいます。


解任で思い出すのは、ジャイアンツの監督をしていたときの長嶋さんです。ミスタープロ野球といわれ、プロ野球の繁栄に多大の貢献をしましたが、監督としての1年目は戦力に恵まれず、最下位に終わりました。それでも2年目には優勝し、しばらくはいい成績を残していたのですが、ある日突然読売に解任されたのです。巨人にあれだけ貢献し、さらに若手が成長してさあこれからというときの突然の解任劇だっただけに、本人としては前を向いて一生懸命走っているときに、突然後ろから刀で切りつけられたような気持ちだったに違いありません。それでも「男のけじめ」という名言を残して巨人を去ったわけですが、その後もずっと再び巨人の監督のチャンスが来るまで待っていたというのは、なかなかまねのできないことです。


私には、どうしてもしがみついていたいものは何もないし、仮に地位とか肩書きとかいただいたとしても何もこだわりはないので、気が楽です。しがみつくということは、そもそも私の「男の美学」に反します。プライドとか誇りだけは失いたくありませんが。


いったん手に入れたらなかなかその地位を手放したがらない人は、よほどその地位にいいことがあるのでしょうが、早く成仏したほうが健康にいいですよ。

2009年7月22日水曜日

日本語は難しい

~専門用語とはいうものの・・・~


  一般企業の総会も終了し、会計士協会の総会も無事終了しましたが、一息つく間もなく四半期決算の監査に突入してしまいます。早い会社ではすでに現場でのレビュー実務は一段落し、「独立監査人の四半期レビュー報告書」のドラフトが回ってくるため、文章を読んで内容のチェックを行うことになります。ここでいつものことですが、出くわすのですね、この文言に。


「・・・適正に表示していないと信じさせる事項がすべての重要な点において認められなかった。


 最初に読んだ時は何を言っているのかよくわからなかったのですが、いわゆる消極的意見表明ということで、二重否定の文言になっています。期末の財務諸表監査では、「・・・適正であると認める。」と、積極的に意見表明を行っているのですが、四半期はレビュー手続きが中心に行われているので保証のレベルが期末監査よりも低いため、このような意見になっているのです。でも一般の人が初めてこの文章に出くわすと面食らってしまうかもしれません。例えばNHKドラマ「監査法人」で、健司が「承認できないと信じさせる事項は認められませんでした」という台詞で小野寺に報告したとしたら、視聴者は「???」状態となってしまうでしょうね。国語的には正しいのかもしれませんが、何回読んでもなじめない言葉の一つです。


 最近IFRS(いわゆる国際会計基準)の導入が、会計士業界をはじめ上場企業の間でも大きな話題となっています。私も一足先に知識を身につけようと、本を買い込んだり雑誌の特集記事を入手して休日に読み込んでいるのですが、これがまたなかなか読みこなすのが大変なのです。IFRSといっても、会計的には特別難しいことをいっているわけではないと思うし、日本の会計基準自体もここ10年間でだいぶ進化してきており、しかも日本基準とIFRSとのコンバージェンスが進んできているため、読めばわかると気楽に思っていたのが甘かったのです。


 私も会計の専門家であり、IFRS特集を読んでみると、そこに書かれているのは間違いなく日本語なのですが、何しろ読んでもすっきり頭の中に入ってこないのですね。当初は私の過労と加齢による脳細胞の老化が原因かなと思っていたのですが、文章そのものが分かりにくいし、普段使わないような日本語がこれでもかとばかりにガシガシ登場してくるので、活字だけが素通りしていってしまい、頭の中にはなにも残らない状況なのです。IFESは日本語の解釈能力がないとなかなか手ごわい相手なのだ。


 同じようなケースはほかにもいろいろあります。たとえば内部統制における「重要な欠陥」というやつです。欠陥というと欠陥商品というイメージが先行してしまうので、大変重い言葉です。事業会社にとっては欠陥商品を発売した段階で命取りになりかねないので、非常に神経を使っているはずです。ですから「わが社の内部統制には重要な欠陥がありました」とはなかなか書きにくいと思います。「重要な欠陥」といっても、本当はそれほど深刻に考える必要はなく、内容的には「改善すべき事項」くらいに考えていただけたらいいのでしょうが、言葉の及ぼす影響と受け止める側の印象もありますので、なかなか難しいところがあります。


 「虚偽」という言葉も一般的にはほとんど使わない言葉ですが、監査業界ではよく使われる言葉です(積極的に口に出しては言いませんが)。クライアントさんに対して監査計画や監査結果を説明する際によく出てくる言葉なのですが、ある著名な社外監査役さんがこの言葉を目にして「会計士業界では虚偽などという言葉を使うのですか」と驚いていたのを思い出します。私も会計士業界の一員ですが、この言葉もどうしても馴染めないですね。


 ということで、すっきりしない日本語が多く登場するようになったのは、やはり翻訳の難しさがあるからでしょうか。それとも私自身が、監査業界ではもう骨董化しているからなのでしょうか。

2009年7月13日月曜日

NHKドラマ「監査法人」製作スタッフが「公認会計士の日」大賞特別賞を受賞した

~私も製作スタッフの一人に入れていただけるのだろうか~


7月6日が「公認会計士の日」であることは、公認会計士以外の方はほとんどご存じないかもしれませんので、このHPでささやかながらPRさせていただくのです。公認会計士法が制定された日にちなんでこの日が定められたわけですが、日経新聞にも全面広告が出ていました。キャッチコピーが「この経済社会は、愛を求めているんだと思う。」というもので、個人的にはちょっと気恥ずかしい言葉でしたね。公認会計士の方や世間の皆さんがこれを読んでどう感じられたのか、ちょっと気になるところではあります。


2日後の7月8日に、日本公認会計士協会の総会が開催されたのですが、13時から17時過ぎまで行われ、いつもながらの長丁場でした。総会終了後、「会員の声」の時間が設けられていたのですが時間がなく、せっかくの企画なのに二人しか質問できない状況で残念です。ここでも、今現在の会計士協会の標語である「会計・監査を日本経済のチカラに」について、質問が出ました。キャッチフレーズはイメージなので、あまりじっくり考えてもいろんな考え方や感じ方があり、人それぞれだと思います。よくよく考えてみると、内部統制の監査が始まって上場会社が対応に追われて疲弊しているという状況もあるでしょうし、多額のコスト負担に困っている会社もあるかもしれません。またそのため、新規上場が減る要因にもなっている可能性もあるため、本当に日本経済の力になっているのかという考え方もあるかもしれません。しかし一方では、正しい会計処理が行われ、監査が有効に機能すれば資本市場の透明性が向上し、ひいては日本経済の力になるとも考えられるわけです。いろいろ解釈できるので、後は感性の問題ですね。私はこの標語は気に入っています。


「会員の声」の後、懇親パーティが行われたのですが、増田会長のご挨拶の後、「公認会計士の日」大賞の発表が行われました。大賞は国際会計基準審議会理事の山田辰己氏が選ばれたのですが、大賞特別賞にNHKドラマ「監査法人」の制作スタッフが選ばれました。この番組が放映されたのが、昨年の6月~7月だったので、♪もう一年たったのですね♪(の「あの唄はもう唄わないのですか」より)。プロデューサーの磯さんや渡辺さん達が授賞式にお見えになっていたので、ドラマ放映後に打ち上げをやって以来、久しぶりにお会いすることができ、いろいろお話ができました。
授賞式の冒頭で、大きなスクリーンにドラマのワンシーンが映し出されたのですが、自分がかかわった番組でしたので、どきどきするやらはずかしいやら懐かしいやらで、不思議な思いがよぎりました。
渡辺さんは7月の異動で東京に戻り、「龍馬伝」を担当されるようです。また、「監査法人」で女性会計士の山中茜役を演じられた松下奈緒さんも、朝の連続テレビドラマ小説で主人公役を担当されるそうですね。当時のメンバーが、いろいろご活躍されるのは、私にとっても大変うれしいことで、自分の励みになります。いろいろ話しているうちに、切符を取っていた新幹線の時間に間に合わなくなってしまったのですが、そんなことはどうでもいいのだ。


総会にはたくさんの会計士が参加されたので、久しぶりにお会いできた方もいて、楽しい時間を過ごすことができました。無事終了して、何よりです。


2009年7月3日金曜日

監査法人を去る人たち

~定年退職に独立に転職~


 6月30日は、監査法人にとって一つの区切りの日となります。3月決算の監査対象企業の総会が無事終了し、有価証券報告書を提出した段階で、監査的にはやっと一年が終わったなとほっと一息つくことができるのですね。そしてこの日をもって、人生に一つの区切りをつける人もたくさん出てきます。この日だけで私のメールの受信ボックスには20通ほどの「退職のご挨拶」が名古屋をはじめ全国から届きました。定年退職される方、独立される方等さまざまです。


 独立される方々は「おーし!やってやろうじゃないの」と意気込みを新たにして、期待と不安と開放感に満ち溢れていることでしょう。また、定年退職される方々は、やることはやった。「わが会計士人生一遍の悔いなし」といって、北斗の拳ラオウのように燃え尽きた人もいるでしょうし、もっと事務所に残っていたいという名残惜しい気持ちの人もいると思います。


 私の場合、東京事務所を事情があって去る時には、その法人の名古屋事務所がなかったため、やむを得ず退職せざるをえませんでした。今であれば、法人内の移動ということになるのですが、昔は監査法人も全国展開していなかったのですね。まだ若かったし、仲のいい同僚やいい後輩・先輩に恵まれて大変楽しい時代を過ごしていたし、東京という都会も気に入っていたので、辞める時はさすがに悩みました。それにしても定年退職で事務所を去る時の気持というのはどのようなものなのでしょうか。私の場合は定年まで勤めることはあり得ないので、想像もつきませんけど。


 監査法人を定年退職した場合の就職制限には結構厳しいものがあります。これでは職業選択の自由がないではないか、憲法違反ではないかと思うこともありますが、競業の問題もあるしクライアントへの天下りと思われることもあるので、辞めた後はおとなしくしていなさいねということなのでしょうね。


 定年以外で辞める場合で、しかも時間がたっぷりある人にとっては、まだまだいろんな可能性が残っています。税務で独立することもできるし、友人と新しく監査法人を立ち上げることも可能でしょう。京都監査法人大阪監査法人があるのなら、「名古屋監査法人」があってもいいではないかと考える人が出てきてもおかしくはないでしょう。


 あるいは一般企業に勤める会計士が増えてきてもいいのではないでしょうか。今後IFRSが導入されることになってくると、どうしても会計の専門家が必要になってきますので、ある程度経験を積んだ公認会計士こそふさわしいと思います。


 それとも退職したらまったく新しい職業についてみるのも面白いかもしれません。たとえば農業などいかがでしょうか。昼は農業、夜は税務でいわゆる「兼業農家」というやつです。おもしろそうでしょう。あるいはいっそのこと公認会計士を廃業して、趣味三昧もいいですね。旅行に温泉に音楽に映画、それにゴルフにバンド活動、骨董収集・・・等々。


 などと思っていられるのも、実際今厳しい仕事をして疲れているためいろいろ想像を膨らませているだけであって、いざ退職となったら酒びたりとなり、実は家でボォ~としているだけかもしれませんが。


2009年7月1日水曜日

ああ!悲しき公認会計士よ

~公認会計士にもっと理解を!~


 協会本部による広報戦略がスタートしました。プロジェクトの目的は


■公認会計士の社会的役割の理解浸透
■公認会計士個人の幸福の実現
■優秀な人材の継続的確保


という事だそうです。


 広報の専門家が公認会計士に対するイメージについて意識調査を行った結果、クライアント等の外部の人たちは、公認会計士に対して比較的ポジティブなイメージをもっており、会計・監査の専門家で、信頼できる職業であるという認識を持っていただいているのですが、逆に公認会計士自身が自分たちに対してマイナーなイメージを持っているというか、自信喪失状態なのですね。これにはいろいろ原因があると思いますが、ここ数年の新聞の論調を考えると、わかるような気がします。


 公認会計士が世間で注目され始めたのは、ちょうど「りそな問題」が起こった頃でしょうか。「監査法人」のことがニュースステーション等テレビでも取り上げられるようになり、ヴェールに包まれていた世界が表に出てくるようになりました。そのときの私のカミサンの反応は「そういえばあんたも確か監査法人というところに勤めているんじゃない?」といったものでした。そのとき私は、この人は私がいったい何を生業として給料をいただいているのか全く興味がないのだなぁと、つくづく思いましたね。それほどこの世界のことは世間では知られていなかったのです。
 ましてや、私が公認会計士試験に合格し、この業界に足を踏み入れるようになった頃はなおさらです。
 

 東京にある監査法人に勤めていた私は、棚卸しの立会いで大垣にある工場に来ていたのですが、そこで当時の公認会計士試験第3次試験合格の知らせを聞きました。晴れて「補」の字がとれ、正真正銘1人前の公認会計士になることが決まった瞬間でした。前日からの約束で、私は当時の婚約者であった今のカミサンと名古屋で会うことにしていたのですが、とにかく一刻も早く合格の知らせを伝えたいと思い、名古屋駅で新幹線から飛ぶように降りると、その勢いで階段を駆け下り、ターミナルホテルのロビーまで転がるように走っていったのでした。

 そして、彼女を見つけるなり、私は晴れがましい表情で自信に満ちた口調で告げたのです。

   「3次試験に合格したよ。やったぜ、イェイ!」

 それに対して彼女はさぞかし喜んでくれると思いきや、きょとんとした表情で

   「???・・・」

 と語っていたのです。私はもう一度、

   「だから、公認会計士の3次試験に合格したんですけど・・・」

 と繰り返し言ったのですが、返ってきた言葉は

   「あっそう」

 と、つれないものでした。公認会計士に対する世間の知名度とはこの程度のものだったのかと、その時私は気がついたのです。


 公認会計士に対する認識というと、難しい試験に通った人というイメージはあるかもしれませんが、税理士や弁護士なら知っているけれど、公認会計士といっても、名前を知っているだけで、実際どんな仕事をしているのかわからないというのが大部分ではなかったかと思います。


 ここ数年は、いろいろ会社の不正会計が相次ぎ、公認会計士は一体何をしているのだというような記事が続いたため、あまりありがたくないイメージが先行してしまいましたが、公認会計士の仕事内容は、資本市場を支えると同時に、経済社会において重要な役割を果たしているのです。これからは、若くてバイタリティがあって志の高い優秀な会計士の卵がどんどんこの業界にはいってくることを期待したいものです。そして、「公認会計士試験に合格したよ」と言ったら、「え~!本当?すご~い!素敵!」と彼女に言われるくらい、広く世間にもっと我々の仕事の内容を知ってもらわなければならないし、またそのためにも日頃からもっとこの業界をPRしていかなければならないと考えているのです。


2009年6月25日木曜日

先週もなかなかすさまじい日程だった


本来であれば今頃の時期になると、有価証券報告書のチェックも一段落し、緊張感から解放され、つかの間の休息を取ることも可能になります。


なのになのに・・・私の先週の日程もすごかったなぁ。


通常の業務以外にも月曜日の午後からは、全国の実務補習所委員長会議が名古屋で開催され、東海実務補習所の所長となっている私は主催者側として参加、終了後懇親会。火曜日は税務業務委員会会議と懇親会。水曜日は地域会会長打ち合わせ会と地域会会長会議が東京で行われ、東海会のほうは広報委員会と懇親会。木曜日は午前中、中部経済新聞社の取材を受け、午後からは名古屋税理士会の総会に招待。金曜日は東海会の部長委員長会議に研修事業委員会と懇親会といった状況でした。


東海会の総会が終わってすぐに、各委員会がさっそく活動を行ってくれているので、私としても大変満足です。基本的には、各委員会にはなるべく出席するようにしているのですが、仕事が重なってしまうケースがあるため、出席できるのは半分くらいでしょうか。


名古屋税理士会の総会には、河村市長がご挨拶されたのですが、名古屋弁丸出しで減税をPRしていました。久野会長も2年任期を3期勤められたそうですが、今回は会長をご退任され、小川新会長が引き継ぐことになりました。久野会長、大変お疲れ様でした。会計士協会としても、できれば税理士会とはあまり波風立てることなく、仲良くやっていければいいと思っています。


中部経済新聞社の取材も今回で3回目ですが、7月6日の公認会計士の日の記事になります。今回も写真をバシャバシャとかなり撮られたのですが、最近床屋にいっている時間がなかなか取れず、髪の毛が伸び放題となっているので、むさくるしい頭の状態で新聞に載ってしまうのだろうなぁ。もう2ヶ月ほど伸ばすと、吉田拓郎のデビュー当時の髪型になりそうな勢いなのですが、伸ばしたくてもそのうち物理的に伸ばせなくなってしまう可能性もあるため、伸ばすなら今のうちなのだ。


2009年6月21日日曜日

九平次に出会った

~偶然に偶然が重なった奇跡なのだ~


 先日、東京事務所の友人から、「名古屋に【九平次】というおいしいお酒があると雑誌に出ていましたよ」という、うれしい連絡をいただいたのです。【九平次】というのはもちろん杜氏さんの名前なのでしょう。挑戦的な名前がなかなか気に入りました。杜氏さんの名前そのものを日本酒の銘柄にしているケースはけっこうあるようで、例えば私の故郷の秋田にも、能代の酒で【喜三郎の酒】という銘柄があります。自分の名前を銘柄にするくらいですので、よほど自信があるのでしょう。「どうだ!」という杜氏さんの意気込みが感じられますね。
 私の名前は「かおる」というのですが、あまり日本酒の銘柄に似合う名前ではないようです。確かにいい香りはしそうですが、なんとなく日本酒の持つ力強さに欠けてしまいます。芳香剤の名前に使えるくらいでしょうか。
「かおる」で思い出すのが、私が心から敬愛するギタリスト、石川鷹彦さんが愛用している「カオルギター」です。このギターは順番待ち状態で、数年以上待たないと出来上がってこないと聞いています。今から頼んでも、出来上がってくる頃には私の指も動かなくなっている可能性もあるため、注文は断念しています。でも私には「ヤイリギター」のゴッド・ハンド、小池健司さんがついているので、それでいいのだ。
 また、「カオリン」という名称も使えそうですが、これは陶磁器の原料だそうです。私の所有している高麗・李朝時代の骨董品もカオリンでできていると思うと、なんとなく愛着が湧いてきます。
この地域の日本酒については、東海会事務局の渡辺さんが詳しいので、早速【九平次】というという銘柄のお酒を知っているかどうか聞いてみたのですが、これはもう当然のごとく知っていて、緑区大高町にある酒蔵で作られていることや、このお酒が置いてある店もすらすら出てくるので、驚いてしまいました。いつかこのお酒を飲んでみたいと思いながら、東海会を後にしたのです。

 その日はたまたま早く帰ることができたので、帰りに骨董屋さんの前を通ったのですが、ちょうど閉店前10分でしたので、ちょっと顔を出してみることにして、店の中に入っていきました。するといきなり店の人が「越山さん、いいところに来た。いいお酒が手に入ったんだわ」というのですね。「えっ、なんというお酒ですか」と覗いてみたら、


ぬわんということでしょう。


 【九平次】ではありませんか。しかも私にくださるという。「本当にいただいちゃっていいんですか」と念押ししたのですが、「私にはこちらがありますので」といって一升瓶の【九平次】が出てきました。「これだと家まで持ち帰るのは大変でしょうから」といって、私に4合瓶を渡してくれたのです。「日本酒のためなら一升瓶でも持って帰れます」と言いたかったところですが、そこはぐっと我慢して、ありがたくいただいて家へ帰ったのでした。
 冷蔵庫で冷やした後、さっそく翌日お気に入りの李朝初期の徳利と、これも李朝初期の三島の盃でいただいたのですが、まさしく至福の時間を過ごすことができました。うまかったなぁ。手に入る店を教えてもらったので、今度は自分で注文して溜め込んでおくことにしようと思っているのです。


2009年6月20日土曜日

総会続きの一週間だった

~2年目が終了したのです~


 5月の下旬から6月にかけては総会のシーズンとなります。会計士協会東海会関係の総会や他士業団体の総会に企業の総会と、かなりの出席回数です。私の場合、5月23日(土)の司法書士会の総会に始まり、翌週の30日(これも土曜日)は三重県会、さらに翌週は、1日(月)が愛知県会、2日(火)が静岡県会、4日(木)が岐阜県会に東海会の総会と、総会一色です。
 昨年までは、各県会の総会は、東海会の総会の前後2週間くらいに亘って行われていたのですが、各県会の決算が東海会の決算に取り込まれるため、原則的には東海会の総会の前に各県会の決算承認を取っておく必要があるということなのですね。確かにそのとおりなのですが、行う方はなかなか大変なのだ。

 東海会の総会も無事終了し、私の任期3年間のうちの2年間が終了し、残り1年となりました。例年ですと、東海会の決算が赤字になるということはなく、毎年、東海会の活動が不十分なのではないかとか、会費を値下げした方がいいのではないかという、同じような質問をいただくのですが、今年の東海会の決算は、どうだどうだの赤字決算なのでした。予算に比べると確かに未達成の部分もあるのですが、会員の皆さんから集めた会費ですので、派手に使うわけにもいかず、このくらいの赤字でちょうどいいと思っています。芸術的なくらい見事な着地点でした。
 そのほかの質問としては、会計士協会が単一会だということで、最近本部に権限が集中しすぎて、地域会の特色がなくなってしまうのではないかというご意見もありましたが、東海会はやりたいことをやっているので、そんなことはないのです。
 各県会の総会の中では、県会の存在自身を問う質問など、重いテーマの質問もあったのですが、県会をどうするか、地域会をどうするかは、東京会の再編がすんだ後の大きなテーマとなってくるのではないかと思います。

 この2年間、私は「魅力ある東海会創り」をテーマに掲げて、自分なりに楽しみながらやってきました。法人の業務もそれなりに面白い面もありますが、協会の仕事ははじめて経験することが多く、人脈も広がるし、充実感を持ってしかも伸び伸びと仕事をすることができるため、いろいろ楽しませていただきました。特にこの1年間は、全国研究大会があり、中日本五会研究大会もあり、しかも、協会とは直接関係はありませんが、HNKドラマの制作にもかかわらせていただきました。楽しい一年だったなぁ。

 そして、いよいよ任期の最終年度の3年目に突入です。私にとっては、この1年間をどうやって過ごすかという問題と、そしてこちらの方がもっと深刻な問題なのですが、任期が終わった後どうしようかという問題の両方を抱えながら、活動していかなければなりません。とりあえず、あと一年かけてゆっくり考えることにするのです。
 総会記念ゴルフはあいにくの雨でしたが、ダブルペリアの帝王牧野さんがまたしても優勝。牧野さんにダブルペリアで運を使い果たさせてはいけないと思い、私もひそかに優勝を狙っていたのですが・・・総会疲れという事で・・・言い訳ですけど・・・。


2009年5月7日木曜日

神田の駅前でのストリートファイト

~酒に飲まれてはいけません~


 先日、SMAPの草なぎさんが、酒に酔って困ったことになってしまったようです。私も飲む機会が多いのですが、新人の頃、熱海で行われた事務所の忘年会で、酔って涙を流しながら「我々の監査はこんなことでいいいいのですか」と、仕事でいつも一緒の主査とパートナーに殴りかかってしまったことがあったので、それ以来、記憶がなくなるほど飲むということはなくなりました。
 酒癖の悪い人は、どこの世界にもいるものです。日頃は非常にまじめで、口から出る言葉は常識ばかりの人でも、いったんアルコールが入ってしまうとそれまでの言動をどこかに置き忘れてしまったかのように、人格が突然変異を起こしてしまうのです。タイプ的にはすぐからんできて説教を始める人や暴力的になる人、社内の人の噂話しかしない人や泣き上戸などいろいろあるようですが。
 ごく親しい男と酒を飲むときには、あまり言葉を交わさずに、静かに飲みたいものであると考えている私としては、できれば酒癖の悪い人とはお友達になりたくないものであると常々考えているのです。仕事上は、いつもチームを組んで行動しているため、仕事終了後は帰りに仲間と一杯やることはよくあります。気の会った仲間と飲みに行くときは楽しい酒になるため、仕事の疲れを忘れることができるのですが、お付き合いで断りきれずにしぶしぶ後をついていくとき、そしてそのメンバーの中に酒癖の悪い人がいるときなどは、せっかくのお酒も台無しになってしまいます。


 大昔のことになりますが、結婚式を間近に控えたある日、今思えば早く家に帰ればよかったものを、仕事帰りに先輩に一杯やろうと誘われ、神田にある小さな居酒屋ののれんをくぐったのがそもそもの間違いのもとでした。最初のうちはみんなで和やかに談笑していたのですが、途中からTの様子が急におかしくなり始めたのです。それは、U先輩の「お前はまだ専門学校のアルバイトをやってんのか」という言葉がきっかけでした。その時点で既にTの目がすわり始めていたのに気がついてはいたのですが、こちらも酔って気が大きくなっていたため、よせばいいのに「いつまでもそんなことをやっていてはいかんよ、きちんと監査の仕事に専念した方がいいよ」と追い討ちをかけて、Tを挑発してしまったのがいけなかったようです。
 飲むピッチが早くなったなと思ったのですが、どうやら臨界点を超えたようです。いきなり上司のUさんのところに醤油のビンが飛んできました。Uさんは、いつものことで慣れているらしく、「ホッホッホッ」と笑いながら体をヒョイとひねり、なんなくそれをかわしてしまったのでした。その後も爪楊枝入れ、こしょうの入った瓶、割り箸、杯等、次から次へと飛んできたのですが、それをあざ笑うかのように、ことごとくかわしてしまったのです。私はあまりの軽快さにあっけにとられてしまいました。
 投げるのがなくなってしまったTは、ブスッと押し黙ったままになってしまったため、我々もそろそろ店を出ることにしました。店を出るとTはにこにこ笑いながら、「よー、お前のカミサンになる人の写真を見せてみろよ」と言ってきたため、私も酔ったせいもあってつい喜んでしまい、写真を取り出したのでした。その写真をさっと取り上げたTは、それを地面にたたきつけるなり、足で踏みつけたではありませんか。私は信じられない状況を目の当たりにして、ただただボーゼンとしていたのですが、こんなアホにかかわっているだけ損だと冷静に考え、その写真を丁寧に拾い上げたのです。
 Tは「越山さん、もう一軒行きましょうよ」と左手で私の肩を抱くようにしてもたれかかってきてので、フッとわたしの気が緩んだ瞬間でした。Tの右ストレートパンチが私の顔をめがけて飛んできたのです。不意をつかれた私はよけることもできず、唇の右側にまともに受けてしまいました。生まれてこのかた殴り合いのけんかというものをやったことがなかった(小さい頃は別として)私は、この後どう行動すべきなのか一瞬迷っていたのですが、Tの口からは意外な言葉が漏れてきました。

T「殴れよ」、

私「・・・・」

��「殴ってみろよ」


 Tは両手をだらりと下げたまま、歩道の真ん中に立っていました。私はいつの間にか「お前は先輩に対してどういう態度をとったのかわかっているのか?お前のようなヤツを殴ったら、俺の手が汚れるわ」と、怒鳴り散らしていました。私はなんだかむなしくなり、たくさん集まった野次馬の視線が、我々二人に集中して注がれる中、黙って神田駅の改札をくぐり抜けたのでした。
 家に帰って鏡の中の顔をのぞいて見ると、やはり口の中が切れていて、はれあがっていました。その日の夜は、何回か自宅に電話があったのですが、受話器を取る気にはならず、布団の中にもぐりこんでしまいました。翌日も同じメンバーで仕事をすることになっていたため、「Tは明日、一体どういう顔をして会社に出てくるのだろうか」と考えていたのですが、翌日Tは、前日飲みに行ったメンバー全員に、サントリーロイヤルを配りながら、「昨日はすみませんでした」と、ひたすら謝っていたのです。
 「飲んだら暴れるな、暴れるなら飲むな」、今でも酒を飲むときは、このことを忠実に守ろうと思っているのです。

 お酒は楽しく飲みたいものですね。

 私小説第2弾でした。


2009年5月6日水曜日

どうしてこう3月決算の会社が多いのか

~監査法人は今の時期大忙しです~


会社の決算日はそれぞれですが、一般的には大部分の会社が3月決算を採用しています。決算が締まった後に財務諸表監査が始まるため、4月の中旬くらいから6月の中旬くらいまでは、一年で一番忙しい時期を迎えることになるのです。毎年6月下旬になると、特定の日に上場会社の株主総会が集中するのですが、株主総会をスムーズに終わらせたいという思惑があるのか、とにかく3月決算の会社が多くなりました。おかげで我々公認会計士の会計監査は大変です。連結・個別財務諸表の監査に審査、内部統制の監査・審査、有価証券報告書のチェック、報告会の資料作成等、株主総会が終了するまでは、ほっと息をつく暇もないくらいです。


その間は土日もゴールデンウイークも関係なし、来る日も来る日も残業する日々が続きます。特にGWは一年で一番いい季節で、ゴルフをするには絶好の日和が続くわけですが、この仕事をやっている限り、このいい時期にゴルフをするのはあきらめなければなりません。中間決算があったころは秋も忙しく、結局、会計士がゆっくりゴルフをすることができるのは、真夏の暑い時期か真冬の寒い時期しかないのだと観念していました。今は四半期決算なので、いったいいつ休んだらいいのだ。


私も以前は、どうせGWといったところで、どこもかしこも人人人で疲れるばかり、こんな日には仕事をやるに限るなどと自虐的に笑いながら、せっせと審査資料などを作っていたものでした。そして、夜家へ帰って「今日はどこそこの高速道路のインターチェンジは50キロの渋滞でした」などというテレビのニュースを眺めて、「せっかくの休みなのにかわいそうにね」と同情することで、自分を無理やり納得させていたわけですね。
この時期は、会計士だけでなく、会社の経理の人たちも大変です。最近は決算発表の早期化が叫ばれているし、会社が作成しなければならない資料も年々増える一方です。それに会計士の監査対応もしなければならないし、しかも期限のある仕事が多いため、時間に追われるし、ミスがあって会計士に指摘されると、決算財務報告プロセスの内部統制がどうのといわれてしまうため、ストレスも相当なものだと思います。大部分の会社では、経理の方たちはまじめな人が多いので、プレッシャーに負けずにがんばってくださいと、ついエールを送ってしまいたくなります。


我々会計士の立場からは、できるだけ決算月が分散してくれると仕事が一時期に集中しなくて助かるのですが、そんなことを言っても会計士の都合で決算月が決まるわけでもなく、今後もますます3月決算の会社が増えていくような気がします。
それでは一体なぜ3月決算の会社が多いのでしょうか。暦年は1月1日から12月31日までですので、それにあわせたほうがいいような気がしますが(現に外国の会社は12月決算が多い)。流通業界などは、2月がちょうど冬のバーゲンセールが終わって、衣料品が冬物から春物への入れ替え時期にあたるため、在庫が少なくて棚卸しが楽であるという理由で、2月決算が多いようです。日本で3月決算会社が多いのは、やはり国家予算のからみがあるからでしょうか。学校の新学期が始まるからというのは、どう考えてもあまり関係がないでしょうね。
四半期決算が始まるまでは、会社の決算がばらついていたら一年中忙しいことになるので、逆に集中してくれた方が終わった後は楽になっていいではないかと考えていました。その方が7月・8月に夏休みをゆっくり取れるので、それはそれでメリハリがあってよかったわけです。今は夏でさえも、お盆休みの頃までは四半期レビューで忙しくなってきました。代休・有給で2~3週間夏休みが取れた当時が懐かしいですね。


受験生の皆さんへ・・・もうすぐ短答式試験です

~厳しいハードルが待っているが、やるしかないのだ!~


 高校時代か大学時代か忘れましたが、以前加藤諦三先生の本をよく読んでいて、その中に「人間というのは、現実をありのままに受け入れて生きていかなければならない悲しい存在である」と書かれていたのを今でも記憶しています。この言葉は当時の私にとっては大変衝撃的な言葉で、その後の私の人生における考え方の基本方針となってきました。大学受験も一度失敗し、公認会計士試験二次試験に合格したのも2回目だったし、日商の1級も2回目合格(いきなり1級から受けたのだからしょうがないのだ)、そういえばそろばんの3級合格も2回目でしたね。シンガーソングライターになる夢を捨てきれず、日商1級合格後、一年間の期間限定でがんばってみたのですが、実力不足で早々と断念したこともあります。すべて現実をありのままに受け入れてやってきたのです。そのおかげで、例えば仕事で誰かが失敗したとしても、決して怒ることはせず、「わかった。で、次どうする?」と切り替えることもできました。
 古きよき時代というか、以前はそれで何とか乗り切れたのでしょうが、最近は世の中が複雑化してきており、なかなかそう簡単には割り切れなくなってきているような気がします。一般的にも、教育の現場もそうですが、職場においてさえも、いわゆる「いじめ」が横行しているようですし、必要以上に人を追い込んだりすることもあるようです。いくら「現実をありのままに・・・」といっても、無理して受け入れようとすると、どこかで何かがはじけてしまいます。大変な世の中になってきました。


 5月24日には、公認会計士試験の短答式試験が実施されます。以前は、短答式試験合格後、論文式試験に合格すると、その段階でばら色の将来像を抱くと同時に目の前に可能性という文字が広がって見え、「オレは日本一の公認会計士になってやるぞ!」という気持ちになるのですが、今年はどうやら試験合格後も就職問題という悩ましい問題が待っているようです。
 ここ2年ほど、試験合格者が従来の2倍以上になってしまったため、今まで人手不足だったこの業界も昨年で大体落ち着きを取り戻しました。今年は昨年並みの合格者が出た場合、就職できない試験合格者が大量にあふれてしまうかもしれません。
 社会問題化する前に、早めに対策を立てる必要があると思います。このままでは試験に合格して実務補習所の修了考査に合格しても、公認会計士として登録できないということになりかねません。こちらは「現実をありのままに・・・」ではすまされない問題です。
 また、仮に今年試験に合格できなかったとしても、あきらめる必要はありません。先は長いので、またチャレンジすればいいではないですか。


 私はというと、あいかわらず現実をありのままに受け入れて、その中で「人生も仕事もしょせん遊びのうち」と、はぐれ雲のような心境になりました。加藤諦三先生のように「・・・悲しい存在である」などとは全然思っていないのです。


2009年4月22日水曜日

東海会の監査

~会計監査とレビュー制度に仕事の充実感を見出せるか~


今日は東海会の会計監査の日で、外部の監査法人による会計監査を受けています。先週の14日には、東海会の4人の監事さんによる会計監査が行われたばかりなので、受ける方もなかなか大変です。また5月15日には、協会本部の東海会に対する監事監査も予定されており、ほんとに大変です。


会計士協会もそうなのですが、監査法人も公認会計士協会の品質管理レビューに金融庁の公認会計士監査審査会の調査があるため、どえりゃあ大変です。ほとんど毎日監査とレビュー対応に追われていたら、若い人たちの監査離れが起きるのではないかと心配です。監査の中に面白みを見出すことができればいいのでしょうが。
一般的に組織が大きくなればなるほど組織を守らなければならないという、いわゆる「組織の論理」が働くため、どうしても「個」が埋没してしまい、サラリーマン化現象が進むのはやむをえないことなのですが、大きな組織の中で大きな仕事をこなすという醍醐味もあるため、どちらを選択するかは、あとは個人の価値観や人生観の問題だと思うのです。


私のケースは、最初は大手監査法人に入所し、そこから、小→中→大といろいろ渡り歩いてきたため、それぞれの組織の良し悪しがよく分かります。最初の「大」のときは、大法人といっても個人の事務所が集まってできたところがあり、いくつかの監査室に分かれていました。私の所属していた監査室は60人~70人くらいの監査室で、しかも上下関係があまりなく、一人ひとりがプロという感じで非常に自由な雰囲気の中、大変過ごしやすい事務所でした。また、この先輩はすごいなという人もたくさんいたため、仕事をやるうえで参考になったし、仕事や趣味においてもおおらかに過ごすことができました。今考えてみると、我が会計士人生の黄金時代だったような気がします。
その後名古屋に来て地元の小さな監査法人に入ったのですが、常勤の会計士が8人しかいない事務所で、どうなるか心配だったのですが、別の大手監査法人と合併することになり、名古屋としては「中」の監査法人となりました。「中」のときは、比較的自由で仕事においても裁量があり、成長していく喜びも実感することができます。たまたま「中」のときに名古屋事務所長をすることになってしまったため、事務所を大きくしたいと死に物狂いでひたすらがんばってきました。毎月100時間以上の残業を4~5年続けていたのもこの時期で、けっこう大変でしたがそれはそれで充実していた時期だったと思います。
そして再び名古屋における「大」となり、組織としてはよかったのでしょうが、そこで働く一人ひとりの会計士にとって「大」となってよかったのかどうかは、私にはよく分かりません。多分ひとそれぞれだと思います。ただ、会計士業界としては、今後はやはり中小の監査法人がある程度大きくなっていかなければならないと考えており、どこかでまた合併や再編の波がこの業界にもやってくるのだろうなと、なんとなく感じているのです。


監査法人は再編の歴史なのですから。



2009年4月15日水曜日

公認会計士の広報活動

~公認会計士のことを知ってもらうためにはどうしたらいいのだ~


 4月15日に東京で臨時理事会が開催されたのですが、昼食後、約30分間にわたり、今後の公認会計士の広報活動のあり方について、ある業者の方からプレゼンがありました。なるほど、公認会計士の行っている仕事のことを世間の皆さんに理解してもらうのは、なかなか難しいのだと思います。おそらく今後、協会としてもそれなりにコストをかけて広報活動を行っていくのだと思いますが、公認会計士のことを真正面から取り上げて世間にPRしていくとしたら、いったいどのような方法があるのでしょうか。


 東海会においては他士業との交流会がさかんで、例えば名古屋自由業団体連絡協議会で10団体が一堂に会し、無料相談会やフレッシュマンフォーラム等を行っています。また最近でも弁護士会や弁理士会さんと意見交換会や懇親会を行っているのですが、業界のポスターがないというのは公認会計士業界だけだということがわかり、急遽東海会として、公認会計士業界のPRポスターを作ることにして、来期の予算に盛り込むことにしました(どんなポスターを作るか心配かもしれませんが、お楽しみに)。


 私も東海会においては広報活動が長く、広報委員を2~3期ほど務めた後広報委員長を担当し、協会本部プロジェクトである漫画によるPR本「バーレモンハート-公認会計士特別編」の制作に係わらせていただきました。東海会会長になってからも、可能な限り新聞広告に出たりラジオの生番組に出演したり、あるいは「ハロー会計」に力を入れてきたりしてきたのですが、全国ベースで公認会計士のことを知ってもらうというのはなかなか大変です。
 昨年は、NHKドラマ「監査法人」がNHK名古屋の制作という事もあり、私が監修を担当するという幸運に恵まれましたし、さらにDVD付録の監査用語集の作成もさせていただきました。監査法人のことがテレビを通じて全国ベースで放映されるという、公認会計士のことをPRするには願ってもない展開となったのですが、すぐにたたみかけて第2弾というわけにもいかず、なかなか難しいところです。


 私に今できることといったら、本を書くことでしょうか。この「越麻呂日記」も気がついてみると、A4判ですでに百数十枚書き上げているし、時間がなくてまだ書ききれていない原稿や過激すぎて却下された分を加筆修正すれば、一冊の本になるでしょう。サラリーマン会計士川柳ももうすぐ300本ですので、川柳に一つ一つに解説を加えれば「川柳で読む会計の歴史」として一冊の本になるのではないかと思います。また、私もこの業界で28年目を向かえ、公認会計士としてはかなり波乱に満ちた出来事をたくさん経験してきているので、私小説として書けそうな気もします。
 ドラマ「監査法人」は原作がなかったので、台本を作りながらの制作だったのですが、健司や茜さん、それにジャパン監査法人やエスペランサ監査法人などの名称は、やはり著作権があって使えないのだろうか。それとも作家の先生かNHKさんの許可を得られれば、使うことができるのでしょうか。小説として、私がこの業界に入った昭和56年ごろまでさかのぼり、2002年くらいに健司と茜さんや小野寺さんなどテレビドラマの人物を登場させ、さらに2010年以降まで物語を展開させていけば、なかなか面白い小説が書けそうな気がするのですが・・・。この3冊で


~公認会計士本、怒涛の三部作!~


 などという事になると、けっこうインパクトがあって、この業界のことを世間の皆さんに知っていただくことができるような気がするのですがね。それに、以前書いた本の改訂版も出したいし。


 独り言ですけど。


2009年4月14日火曜日

地域会会長打ち合わせ会とサランラップ

~冷蔵庫にサランラップが・・・~


 4月14日、夕方から東京で地域会会長打ち合わせ会が行われたのですが、足の痺れがひどくてあまり体調がよくなかったため、その後の食事会はキャンセルし、ホテルに直行したのでした。「開運!何でも鑑定団」を見た後自宅に電話し、「何か変わったことはなかったか?」と尋ねたのですが、なんと「冷蔵庫の中にサランラップが入っていた」といって大笑いしているではありませんか。
 我が家は二人とも働いているため、いっしょに晩御飯を食べるときには、先に帰ったほうが食事の支度をし、後片付けは一緒にするという、結婚以来の鉄の掟があります。昨日は二人とも遅かったのですが珍しく一緒に食事をし、後片付けは、私が食器を洗ってカミサンが残り物を冷蔵庫にしまっていたはずです。私はそのあたりのことを強調して、「サランラップを冷蔵庫にしまったのは私ではない。ボケたのは君のほうだ」と攻勢に出たのですが、今朝の食事は私が後片付けをして家を出たため、全面的に強気に出ることはできません。結局サランラップを冷蔵庫へしまったのはどちらなのか、真相は藪の中なのです。私には、以前洗い終わった食器を、食器棚ではなくて冷蔵庫にしまいこんだ前科があるため、立場的には弱いのですが・・・。二人とも、もう52歳になっているため、ボケが始まったのかなぁ。でも、毎日を時間に追われてあわただしく過ごしているので、たまにはこういうこともあるのだ。


 最近では、女性の公認会計士も増えてきており、結婚して働き続けるためには、ある程度夫の理解も必要だと思います。以前私も女子高の土曜セミナーで「女性公認会計士として強くたくましく生きるための講座」というテーマで2時間ほど話したことがあるのですが、そこの女子高からも試験合格者が出て、私も大変喜んでいるのです。また、東海会でも「女性公認会計士の会」といったものを定期的に開催しており、私は参加できないので、どのようなことが話し合われているのかはわかりませんが、概ね好評のようです。ぜひがんばって、仕事を続けていただきたいと思っています。


 地域会会長打ち合わせ会で話し合われた内容は、「各地域会のウェブサイトについて」や「地域会総会の開催時期の変更(重ならないよう余裕をもって行うために、開催時期に幅をもたせた)」、「公会計監査特別委員による地域会での研修会について」等のテーマで、それぞれ意見交換が行われました。特にウェブサイトの件については、東海会では事務局の皆さんのおかげで大変充実しており、来期には専用サーバを入れて、無料でのE-learningの導入も視野に入れているのです。ただ、それによって研修会の参加者が減ってしまっては、それはそれで困ったことになるため、いろいろ検討が必要です。協会本部では、HP(ホームページ)の一元化も含めていろいろ検討しているようですが、具体的な話がなかなか地域会に伝わってきていません。HPが全面的に本部管理という事になってしまうと、私の「越麻呂日記」もなくなってしまう可能性もあるため、後1年くらい先延ばししていただけると助かるのですが。


第4回社外監査役研究会とテポドン

~ミサイルの落下はなくてほっとしましたが・・・~


とうとう北朝鮮から飛翔体が発射されたのだ。しかも、我が故郷の秋田の上空を通過したというではありませんか。人工衛星といっているようですが誰が信用しましょう。秋田県の新屋に迎撃ミサイルのPAC3を積んだトラックが到着したのはいいのですが、ニュースによると道を間違え(ナビはついていないのかナビは?)、Uターンしようとして壁に激突してしまい、一時動けなくなったというではありませんか。しかも、2回も誤探知したようです。日本は本当に大丈夫なのだろうか。秋田の怪しい税理士が飛ばしているラジコンヘリコプターで打ち落としてもらおうかとも思いましたが、テポドンとは勝負にならないしなぁ。発射前にはきっと目を怪し目にして、悔し紛れに秋田の上空をじっとにらんでいたに違いないのです。
政府は本土に落下する可能性はほとんどないといっていましたが、本当はあまり信用していませんでした。私の実家に落下するかもしれなかったし、私も最近ろくなことがないので、実際何が起こるかわかったものではありません。私は監査法人を退職したら、秋田に帰って農業をやるつもりでおり、カミサンの実家の田んぼと畑をすでに利用させていただく約束をしているのですが、仮にその田畑に落っこちたとしたら、そこで作った農作物など誰が食べるというのだ。私は珍しく怒っているのです。
とりあえずは日本に飛翔体が落下しなくて本当によかったよかった。


それはそれとして、4月2日は第4回社外監査役研究会が開催されました。以前は公認会計士の社外監査役さんばかりだったのですが、今回は監査役協会さんから2名、弁護士会さんからも7名参加していただき、総勢18名となりました。講演のテーマは「リスクアプローチについて」です。監査は一昔前の残高を押さえに行く監査から、最近では会社のリスクを特定して、そこに監査資源を集中させて手続を行うリスクアプローチによる監査に変わっているのです。でも、我々が以前行っていた監査も、基本的にはリスクアプローチだったのですがね。それに理屈付けが行われたということでしょうか。監査業務委員会委員長の山田順先生から説明があり、その後意見交換会が行われたのですが、懇親会も含めいろいろ面白い話が出て、大変参考になりました。社外監査役さんも情報収集にいろいろご苦労されているようですね。


2009年4月11日土曜日

4県合同ゴルフ大会開催

~ダブルペリアの帝王にまたしてもやられてしまったのだ!~


毎年恒例となっている4県合同ゴルフ大会「東海会オープン」が3月28日、名門「藤岡CC」で行われました。今回は静岡県会からも小野先生にご参加いただきましたし、若手の参加も比較的多く、顔ぶれ豊かな大会となりました。私も第一回大会以来久しぶりの参加です。今年はまだ100以上たたいていないし、先々週の日曜日に久しぶりに練習場へ行って470発打ち込んできていたこともあり、結構自信を持って臨んだのでした。
ところが、最初のティーショットを左に大きく曲げてしまったのが、その後ず~っと尾を引く結果となってしまいました。あわやOBかというところでぎりぎり助かったのですが、第2打も引っ掛けてグリーン左のOBゾーンへ直行、打ち直しも引っ掛けてあごの深いバンカーの縁へ直入、2回で出して2パットの結局8で上がってしまい、最初のホールでスコア関係はもうおしまいです。後はゆっくり桜見物を楽しみながら回ったのですが、引っ掛けは最後まで治りませんでした(練習で打ちすぎて、右手に力が入りすぎたのだろうか?)。ゴルフは難しい。
皆さん速いグリーンに悩まされたようで、全体的にも思うようにスコアが伸びなかったようですが、ふたを開けてみるとまたしてもダブルペリアの帝王である牧野さんの優勝。「ゴルフで運を使いたくない」というご本人のコメントでしたが、それにしても恐れ入りました。


ゴルフの場合は、ミスショットをしてもリカバリーの可能性が残されていますし、今回スコアが悪くても、次回がんばるチャンスはいくらでもあります。また、野球でもチャンスで打てなかったり、エラーをしてしまっても、年間140試合以上やっていれば取り返すチャンスはたくさんあります。それでは監査の場合はどうでしょうか・・・?


それにしても、タイガーウッズは、医者から約半年間の休養命令を受けながら、復活3試合目の大会で優勝してしまいました。他のプレイヤーとはゴルフの次元が違うのだろうか。マスターズに期待!


2009年3月27日金曜日

サラカイセン ~268-272~

268.人生にも あるべき 敗者復活戦


269.仕事より 就活よりも WBC


270.勝つほどに 上がり続ける 株価かな


271.イチローと 一郎が占める トップ記事


272.自己評価 一言でいうと 勘違い

2009年3月7日土曜日

新人の補習生は実務に慣れてきただろうか

~いきなり先生と言われてしまった新人の頃~


 現在の補習生の実務補習所入所式が昨年の12月だったため、各監査法人に入所された方々は、もうそろそろ入所後3カ月ということで、監査実務に駆りだされて慣れない日々を送っていることと思います。
 私が監査法人に入所した頃も、1週間ほどは事務所内で研修を受けたり監査調書をみたりしていましたが、その後はすぐに監査現場に駆り出されました。10月入所だったので、ちょうど中間決算監査の真っただ中だったからです。今では各法人とも研修制度がしっかりしているため、1が月ほど社内研修を受けることになっていると思いますが、それでも試験と実務はまったく異なるため、監査の現場に出るといろいろわからないこともたくさんあると思います。何しろ、会計士試験に合格したといっても、それはあくまで教科書的なことばかりですので、私の場合のように実務を全く経験したことがない人にとっては大変です。なにしろ、伝票一枚起票したこともない者が会社の帳簿を監査しようというのですから、今考えるとずいぶん無謀な話だと思いますが、最初はだれでもそうなのです。
 私のデビュー戦は、池袋にあったA社でした。監査調書がたっぷり入ったジュラルミンのケースを持ち運び(これは新人の役目なのですが、今のようにキャリーバックではなかった)、タクシーに乗り込んで会社へ行ったのはいいものの、何をやったらいいのか全く見当もつかず、足が地についていない状態でした。


 会社に到着すると経理の方をご紹介されたのですが、名刺を交換するなり、いきなり「先生、よろしくお願いします」などというではありませんか。先生っていったい誰のことかいな?と思っていたのですが、ただいまの状況から察するに、それはなんだか自分のことのような雰囲気でした。ここで余裕をもって「まぁ、まかせなさい」とでもいうことができたのなら、「あいつは大物だ」ということにでもなるのでしょうが、私の背中にはタラーリと冷たい汗が流れていたのです。
 いざ仕事に突入して、社員の先生に「越山君、精査しなくていいんだからね、試査でいいんだからね」とは言われてみたものの、何をどう監査していいのか全くわかりませんでした。いったい会社にはどういう帳簿があるのかすらわからない状態だったため、監査調書用紙を前にしてボーゼンとしているうちに、時間だけがどんどん過ぎていってしまったのです。
 本当は、会社の人に「どういう帳簿があるのですか」と聞けばそれで済むことなのですが、最初に経理の人にセンセーなどと言われてしまったため、先生というものは何でも知っていなければならない、したがってつまらない質問をしてはいけない、要するに笑われたくない、あいつはアホだと思われたくないという意識が先にたってしまい、なにも質問できないような精神状態になってしまっていたのでした。
 チームの先輩たちはというと、自分の仕事に没頭しており、とても仕事を教えてくれそうな気配すらありません。「仕事は自分で覚えるものである」と身にしみて理解したのはこの時でした。この考えは、今では自分の信念みたいなものになっており、よく上の人に「若い人にもっと丁寧に仕事を教えてやれ」ということを言われたものでしたが、やはり仕事は自分で覚えようという意思がなければ身に付かないものであり、また、自分で仕事を覚えたいという意思のある人は、こちらが黙っていても覚えるものなのです。


 それはともかく、とにかく監査調書を作らねばと焦っていた私は、とりあえず一番楽そうな「受取手形の監査手続」からやろうと決心し、意を決して会社の人に「この手形を見せてください」と言ったのです。「はい、センセー」といった会社の人は、しばらくすると受取手形なるものを持ってきてくれました。受取手形というものはこういうものである、ということはもちろん知ってはいましたが、何を隠そう恥ずかしい話、受取手形の現物を見たのはその時が初めてだったのです。
 私は正直に、「いや~、手形の現物を始めてみましたわ~、これが手形というものでしたか、ハッハッハ・・・」などというと、会社の人は最初は「このセンセーは一体何を言っているのだ」と不審そうな眼でこちらを見ていたのですが、事情を説明するとやっと理解してくれたらしく、やさしく笑ってくれたのでした。その後は、こちらが実務に関してはほとんど素人だということを会社の人もわかってくれたため、逆に経理の人から実務を教えてもらうような形となり、仕事も比較的スムーズに進んだのですが、一日が終わったらどおっと疲れましたなぁ。
帰り際に今は亡きGさんが、「越山君、ウチの連中は聞かなきゃ誰も教えてくれないよ」と言ってくれたのを今でも覚えています。そのとき、「あっ、仕事ぶりを観察されていたな」と思うと、また背中にタラーリと冷や汗が流れ出たのでした。
「センセーといわれるほどバカじゃない」とはよく言われる言葉ですけれど、20年以上たった今でも、センセーと言われるのは本当にいやなものです。
デビュー当時の思い出でした。


2009年3月5日木曜日

サラカイセン ~263-267~

263.100年に 一度の人材不足なり・・・(政治の世界の話です)


264.郵政に ポカンと一撃 かんぽの宿・・・(総務省)


265.GCは ゴルフクラブと 経営者


266.真実の 鏡はキャッシュフローだけ


267.低価する 迷柄多い ジャスダック

2009年2月26日木曜日

中日本五会無事終了

~佐伯さんの「いわゆる節」がさく裂した~


 昨年7月に名古屋で全国研究大会が開催されましたが、引き続き私の任期中でしかも同じ事業年度内に、今度は中日本五会(つまり東海・近畿・北陸・京滋・兵庫の各地域会)の研究大会が、2月21日に開催されました。
 この大会が終了するまでは絶対に風邪をひくことはできないと、体調管理には細心の注意を払ってきたため、そちらの方面ではなんとか持ちこたえたのですが、大会前日、自宅でメガネをはずしてばたばた動きまわっていたところ、ドアの付け根の角に右足を思いっきりぶつけてしまったのでした。激痛が走り、頭の中に「骨折」という文字が思い浮かんだのですが、幸いというかなんというか、右足薬指の裂傷だけで済み(指が2倍くらいに腫れあがってしまいましたが)、足を引きずりながらも何とか当日を迎えることができました。


 当日は、関係者は9時に集合。参加者も順調に集まり、午前中は各部屋でそれぞれ8つの個別テーマで発表が行われました。
 午後のスタートは、私の開催の挨拶の後、増田本部会長の基調講演です。増田会長には、前日も東海会の実務補習所で講演を行ってもらっており、その後夜の食事にもお付き合いいただいていたため、かなりのハードスケジュールになってしまいましたが、出席者約  450名、業界の最新情報をお聞きすることができました。
 その後は「中日本五会 6000人アンケート」の発表で、いよいよ近畿会の佐伯さんの登場です。事前の打ち合わせでは、アンケート結果について、事実だけ淡々と話すという約束だったのですが、「マイクを持ったらこっちのもんでっせ」とばかりに、私見と独断と偏見を交えて大阪弁で約50分間(制限時間は40分の約束でしたが)、佐伯さんお得意の「いわゆる・・・」を連発させて、昔の過激派の演説をほうふつさせる様な大演説を激しく展開させたのでした。35分経過時点で、司会役の花野研修事業委員長が、「あと五分ですぞ」とばかりに、演台の前に立って佐伯さんにプレッシャーをかけたのですが、そんなこと何するものぞ、佐伯節は衰えることを知らず、その後も延々と続いていったのでした。でも、正直いって大変おもしろかったです。


 一呼吸おいていよいよ本日のメインイベント、パネルディスカッションの開始です。テーマは「公認会計士監査の現状と将来」という重いテーマだったのですが、コーディネーターの稲越先生が、中川大臣や佐伯さんを題材にジョークを連発してくれたおかげで会場も和らいだ雰囲気となり、パネリストに対するシナリオにない問いかけもあったようですが、うまくまとめ上げていただきました。皆さん、ありがとネ。
 今回の中日本五会研究大会が無事終了したおかげで、昨年7月の全国研究大会に引き続き行われた私の任期中の大イベントは、とりあえずこれで終了です。責任を果たせてなんとなくホッとした心境です。後は任期終了まで通常業務を流していけばそれはそれでよいのですが、それだけでは面白くないので、またいろいろ考えることにします。

2009年2月25日水曜日

サラカイセン ~255-262~

255.政権の 短さ競う 二世議員


256.みさかいなく 自分の保身に 走る人


257.注意した 本人のせい オレ知らん


258.現職に しがみつくのは いと哀れ


260.就農も 悪くはないぜ 元気出せ


261.兼任も 二つまでだよ 無理するな



262.イチローの 記録に並んだ サラカイセン

2009年2月18日水曜日

サラカイセン ~251-254~

251.大臣に ならなきゃばれない 漢字力


252.渦中(うずちゅう)と 言ってしまった 渦中の人


253.赤ワイン どうやら風邪にも 効くらしい


254.今日も風邪 ちょっと薬を 飲みすぎた

2009年2月17日火曜日

指紋認証PCの問題点

~PCが開けなくなってしまったのだ~


 最近、どこの監査法人もPCの管理には気を遣うようになってきました。紛失でもしようものなら、大変な責任問題になってしまいます。私の場合、PCは所属法人から貸与されているものと、会計士協会東海会から貸与されているものの2台あるため、かなり神経を使います。東海会から貸与されているPCは最新式のもので、中に入るためにはパスワード入力ではなくて、指紋認証方式になっています。
 実は私は大学生時代、東京八重洲口の地下街のレストランで、車の免許を取得するためのお金欲しさに皿洗いのアルバイトをしていたのですが、業務用の洗剤を薄めないで、そのままスポンジに付けて洗っていたため、一カ月も続けているうちに手の表面の皮膚全体が荒れて剥けてしまうという、大変な経験をしたことがあります。その後遺症がまだ残っているためか、毎年冬になって空気が乾燥してくると、掌がカサカサになって皮膚が荒れてしまうのですね。石鹸も合成石鹸ではなくて、皮膚にやさしいせっけんを使っているのですが、特に冬場のゴルフの後は、悲惨な状態になってしまいます。


 今年の冬は、年末年始に自宅でHPの原稿を黙々と書いて(というよりキーボードを叩いて)いたのですが、手が荒れていたため「指紋が照合できませんでした」というつれない返事が繰り返され、なかなかワードまでたどり着けませんでした。何度も何度もトライして、やっとの思いで指紋認証していただいていたのです。
今年に入ってゴルフの始動をした途端、手の荒れがひどくなってしまい、とうとう何度トライしても「そんな指紋の人知らんもんね」ということで、PCに拒否されてしまい、中に入っていけなくなってしまいました。もともと念のため、右手と左手の両方を登録していたのですが、左手はすでにギターダコで指紋がなくなってしまっているため、右手だけが頼りだったのです。
 今回はたまたまPCだったので、東海会のが使えなくなっても所属法人のPCで何とか業務はこなせるのですが、これが例えば自宅の玄関のカギだったらいったいどういうことになってしまうのだ。「優れた防犯システム・指紋錠」などといくら便利さを謳っていても、私のようなケースでは、自分の家に入室できないではないですか。そのへんのところをカギ業者は一体どう考えているのであるか。銀行のATMも指紋認証方式のものがあるようですが、お金をおろせなくなってしまうではないですか。そのへんのところを銀行業界は一体どう考えているのですか。
これが指紋認証ではなくて声紋認証方式だったとしても、風邪をひいてしまってのどがガラガラだったらどういうことになるのだろう。「お~い!おれだよ、おれだってば」と言ってみたとしても、無視されるだけではないですか。
 最新式の車は(確かフーガ)音声認識してくれるようで、例えば「エフエム」と言えばFMラジオがかかるようになっているようですが、発音が悪かったり機械の機嫌が悪かったりすると、なかなか反応してくれないようです。便利になったような気がしますが、何が便利なのかよくわからないですね。


第三四半期の監査も一段落し、暇なことを考えてしまったのだ。

サラカイセン ~243-250~

243.


244.アイファース イファース アイエフアールエス


245.宿泊料 1万2千の 旅館です


246.乗っ取った つもりがいつしか 乗っ取られ


247.あの時は 賛成だったと 今は言い


248.反対を 反対と言える いい社風


249.


250.猫だって いやなものは いやという・・・(言わないけど・・・態度で)

2009年2月14日土曜日

結婚式と藍綬褒章授賞式のダブルヘッダーだった

~おめでたいことが続いたのでした~


 今週は、月曜日が監査役協会中部支部の懇親会へ出席。すでにローテーションで外れてしまった会社の監査役さんに久しぶりに再会して談笑。一日置いて11日建国記念日は、昼が所属する法人の職員の結婚式にご招待いただいており、また夜は前川前東海会会長の藍綬褒章受賞記念式への出席と、なかなか経験できない一日でした。
 結婚式も藍綬褒章授賞式も、私の挨拶が最初でした。挨拶は慣れてきたとはいえ、結婚式の挨拶は、ご両家の人たちにとっては、人生で一番大切で記念すべき式での挨拶ですので、式場で着席し名前を呼ばれるまで待っている間はやはり緊張します。マイクの前に立ってしまえば不思議なもので、比較的落ち着くことが出来るため、今回も何とか無事にこなすことが出来ました。夜にも挨拶があるため、アルコールは控えようと思っていたのですが、目の前にご馳走が並ぶとつい飲んでしまいます。赤ワインをおいしくいただきました。


 結婚式終了後、前川先生の授賞式まで2時間くらい時間があったため、事務所に行って書類を整理し、PCのメールをチェックしよう思ったのですが、キャビネットの鍵をもってくるのを忘れていました。やむを得ず読書。17時少し前にマリオットホテルの会場に到着。前川先生も交流関係が広いため、集まったメンバーはそうそうたる人たちでした。このメンバーの中で私が最初に挨拶しちゃっていいのだろうかと、こちらは結婚式以上に緊張してしまいましたが、堅苦しい話はなしでゴルフの話から始まり、作家の五木寛之さんの本の話で締めました。会場の雰囲気を和らげると言う意味ではよかったのかもしれません。
 挨拶が終わってこれで安心して飲食できると思ったのですが、すでに結婚式でかなり食べていたため、さすがに食事は入りきりませんでした。その代わり飲み物関係は、シャンパンにはじまりビールに赤ワイン、白ワイン、焼酎とほとんど制覇(あまり自慢にならないけど)。


 受賞式の途中で、前川先生を含め大勢のメンバーで三味線の演奏会がありました。以前にエリック・クラプトンがオーケストラを従えてエレキギターの演奏をしていたのをレーザーディスクで見て、やはりちょっと無理があるなと感じたのを思い出したのですが、三味線の演奏を聴きながら、アコースティックギターとのコラボレーションはできないものかと頭の中でイメージして聞いていました。でも、私の好きなフォークソングはどちらかというとしっとりした曲が多いので、三味線の速いテンポの演奏とはなかなかかみ合わないだろうな。でも三味線自体には以前から興味があったので、いつかトライしてみたいと思っているのです。
 授賞式も無事修了。今日一日何とか責任を果たせたと思ってやっと一安心。家に帰ってTVをつけ、サッカーのオーストラリア戦を見たらすでにロスタイム。3分間の観戦でしたが結局ドロー。どっと疲れが出てしまったのでした。来週はいよいよ中日本五会研究大会があります。それまではなんとか風邪をひかないようもちこたえるのだ。

2009年2月3日火曜日

朝青龍の派手なガッツポーズに思う

~日本の国技はもう終わってしまったのか~


 我々公認会計士は、監査でよく子会社や支店に往査するのですが、監査最終日には監査結果の講評会が行われ、各担当者は担当した科目について、どのような監査手続きを実施して、どのような会計処理上の問題点等があったのかを報告することになります。私がまだ若いころは、「何もありませんでした」と発表することは、無能な会計士とのレッテルを貼られてしまうことになるのではないかと思い、この講評会が結構プレッシャーになっていました。従って、監査の過程でどんな小さなことでも指摘事項を見つけたときはほっとしたものです。でも、指摘事項が仮に大きい問題だったからといって、「ウッシャ~!やったぁ!」とガッツポーズをとる事はありません。それどころか、むしろ指摘を受けることで担当者の立場が悪くなりはしないか、上司に怒られるのではないかと心配しなければならないこともあります。


 私は同じ秋田県出身という事もあって、中日の落合監督が好きで古くから応援しており、ロッテ時代から活躍していたのを当時の「プロ野球ニュース」で見ていました。セリーグに移ってからはテレビで応援していたのですが、私は落合選手がいくらサヨナラ打を放っても、ガッツポーズをしたのを見たことがありません。勝負はお互いプロの打者とピッチャーが死力を尽くして戦った結果であり、勝っても負けてもすがすがしい気分で戦っていたのだと思っています。ましてや、打ったからといってガッツポーズをするというのは、全力を尽くした相手に対して失礼だという思いがあったのだと思います。本当のプロは、ガッツポーズなどしないのだ。
落合選手は、デッドボールを受けても、よけられなかった自分が悪いとでもいうように、相手投手を睨み返すでもなく、何事もなかったかのごとく淡々と一塁ベースに向っていきました。逆にぶつけた投手は、戦闘開始とばかりにマウンドから降りてきても、落合選手の態度を見て「オレが悪かった」と帽子を取って謝ります。
 高校野球についても、私は夏の甲子園大会で三沢高校と松山商業が決勝戦で延長18回を0-0で引き分けた試合が行われた頃以前からのファンだったのですが、最近は全然興味がなくなってしまいました。それは、ヒットを打ったり殊勲打を打ったりすると、いつも塁上でガッツポーズをする選手を頻繁に目にするようになってからです。高校野球では「全力で戦った相手に対する思いやり」といったものを教えないのでしょうか。


 ゴルフはどうでしょう。ゴルフはある面自分との戦いです。優勝を左右する場面でロングパットが決まってバーディをとったりすると、おもわずガッツポーズが出るのもいいし、かっこいいなと思ったりします。でも、石川遼選手がプロ初優勝を決めたときは、おそらくタイガーウッズをまねて派手なガッツポーズをしたのでしょうが、あれはやはり周りの諸先輩方のことを考えると、あまり美しくはなかったですね。
そして大相撲の朝青龍です。ずいぶん派手にやってくれました。以前高見山が土俵上でやってひんしゅくをかった事がありましたが、「礼に始まって礼に終わる」という日本の国技にはふさわしくありませんでした。何しろ、大勢の観衆の前で一対一で勝負し、しかも全国の何千万人というテレビ桟敷の視聴者が、二人の全力勝負を見ているわけです。その前で負けた相手を前にして、ガッツポーズはないでしょう。
 今たまたま電車の中で「日経ビジネス人文庫」の「私の履歴書-最強の横綱」編を読んでいるのですが、大鵬など歴代の横綱(双羽黒を除き)はみんな品格がありましたよね。大相撲の歴史が何百年か千数百年かわかりませんが、歴史の重みが大きな音を立てて崩れてしまったような気分です。

あわただしい一ヶ月だった

~今週おいしかったもの~


年が明けたと思ったら、今年もあっという間に一ヶ月が過ぎてしまいました。一月は新年会や賀詞交歓会のラッシュで、今月最後の週も、27日には愛知県会の新年会、29日には地域会会長会議、そして30日には弁理士会の新春賀詞交歓会と、なかなかあわただしい一週間でした。29日には静岡県会の新年会に出席したかったのですが、地域会会長会議と重なってしまったため、残念ながら欠席。愛知県会の新年会は、顧問相談役の先生方がいつもより少なく、例年に比べて比較的若い方々が多かったような気がします。中締めが終わった後、前川先生が「二次会にいく人この指止まれ」とやっていたのですが、止まってしまうと午前様になりそうだったのでそのまま帰宅。


28日は特に協会の行事がない日だったので、自宅にまっすぐ帰ったのですが、味噌煮込みうどんを作ってそれをつまみに焼酎の水割りを飲んでいました。牡蠣と豚バラ肉とねぎをたっぷし投入し、最後に卵を落としてぐつぐつ煮立てると、なかなかおいしい味噌煮込みうどんが出来上がります。「雨漏り」がびっくりするほど浮かび上がっている李朝の徳利を眺めながら、幸せな気分で飲んでいたのですが、先日私のブログの読者からいただいた質問「雨漏りと茶渋の違いについて」を考えていたのです。
湯飲み茶碗でお茶を飲んでいるうちに、茶碗の内側にだんだんお茶がしみこんで出来るのが「茶渋」なわけですが、「雨漏り」は、何十年何百年と徳利にお酒を入れて使っているうちに、お酒が徳利の表面にじわ~っと浮かび上がってくるのをいうのですね(という定義でいいのだろうか?私の持っている李朝の酒器「片口」にも雨漏りがあるのですが、あれは内側にもあるしなぁ)。一般的にはというか、中国や韓国でも、この「雨漏り」が汚いといって毛嫌いされるようですが、これが日本人の持っている「侘び寂び」の感覚にぴったりくるようです。私の徳利には、山々の間から日の出のように朝日がぽっかりと出てくるような「雨漏り」が浮かび上がっており(写真を掲載したらいいのですが・・・)、まさしく私の感性にはまってしまったということなのです。


それはそれとして、今週私が食べたものの中で一番おいしかったもの、それは「ふぐの白子の焼いたもの」でした。鱈の白子は、秋田では「ダダミ」といって、新鮮なやつを生でいただくと大変おいしいのですが、これもうまかったなぁ。もしかして、我が人生の中で初めていただいたものかもしれません。口の中でとろりと溶ける感覚、日本酒にぴったりでした。最近では、一杯のおいしいコーヒーにめぐり合ったり、新しい日本酒と出会ったりすることにでも、人生の幸せを感じるようになってきました。なんとなく先行きの暗い日本経済ではありますが、幸せは身近なところにたくさんあるものなのですね。



2009年1月20日火曜日

やっと見ることが出来たDVD「監査法人」

~この時期の3連休はありがたいのだ~


 仕事始めから1週間が経過し、ありがたいことに3連休なのです。連休初日の土曜日には三重県会の新年会が四日市でありました。三重県会は会員の出席率が高く、昨年に引き続き大変盛り上がった新年会でした。昨年日本酒の一気飲みを2回もご披露させていただいたので、今年もあるかもしれないと思い、ゆっくりしたペースで日本酒を飲んでいたのですが、私も連日の宴会ということで気を使っていただいたのか、今回は一気飲みがありませんでした(なければないでさびしい気もしましたが)。それにしても前三重県会長の佐久間さん、いつもに比べておとなしかったなぁ。
 お酒を飲みながら、山中三重県会長と李朝の骨董の話をしていたのですが、大阪にある東洋陶磁美術館へ見に行くことを勧められました。一度行ってみたいと思っていたところだったので、近いうちに時間を見つけて行ってくることにします。


 残りの二日間は、NHKドラマ「監査法人」のDVDを見ていました。DVDは、11月にはNHKエンタープライズの方から送っていただいていたのですが、年末にかけて、なかなか時間がなく、しかも年末年始帰っていた実家の秋田にはDVDの機械すらなかったため、このときまで見ることが出来なかったのです。
 さっそく開封したら、出てきたのがなんと「監査用語集」ではありませんか。こういった付録を付けてくれるとは、NHKさんもなかなか親切だなぁと思ったのですが、よくよく考えてみたら私が作成した原稿なのでした。
 もう何度も見ているドラマですので、会話まで覚えているくらいなのですが、最近CDを何度も聞いているためか、音楽にもつい関心が向いてしまいました。「この曲はこのシーンで使っていたのか」という視点からあらためて見たり聞いたりしていると、別の意味で新鮮さを覚えます。また、未放送のシーンやインタビューの他、撮影シーンも付録として用意されていました。私が撮影現場にお邪魔しに行ったときに、小野寺さんと話をしていたのですが、その際カメラが回っていたため、もしかしたら私も写っているのではないかと期待してみていたのですが、カメラの角度がちょっと合わなかったようです。でも小野寺さんが挨拶で話していた内容で「会計士に会って税理士との違いを聞いたらぜんぜん違いますといわれました」という「会計士」は、多分私のことなんだろうなと思いましたね。
 そういえば第一話の第一稿をいただいのが、昨年のちょうど今ころです。昨年の会計士協会本部の賀詞交歓会で八田先生をご紹介いただいたのですが、今年も本部賀詞交歓会で八田先生にお会いし、「監査法人」のことが話題になりました。あれから一年。今年ももしかしたら面白いことがありそうで・・・。

2009年1月8日木曜日

いよいよ仕事始めなのだ

~新年早々毎日飲んでばかりいていいのであるか~


今年もいよいよスタートです。何しろ仕事のスタートが月曜日なので、結構先が長いのがつらいところではあります。5日はさっそくあいさつ回り。6日は会計業務委員会の後新年会、7日のパネルディスカッションの打ち合わせとその後の食事会は、事情によりコーディネーターが変更になったため夜はなかったのですが、8日が近畿会の賀詞交歓会、9日が東海会の賀詞交換があり、夜は研修事業委員会の後新年会、10日(土)は、三重県会の新年会へ出席という事になっているのです。三重県会の新年会は、参加者の飲みっぷりが伝説となるくらい激しい新年会で、しかも連荘の最後に控えているため、それまでは体調を考えながら飲む必要があるのです(といっても、飲み始めたらそんなことは考えていないしなぁ)。


もともと体があちこち悪い割には、肝臓だけは自信があるため、つい喜んで参加してしまいます。週が開けても一月いっぱいは新年会や他団体の賀詞交換会等のオンパレードで、なかなか大変なのだ。事務所を早めに退出するときに、職員の皆さんに「お疲れ様でした」と言われると、非常に心苦しい思いをしてしまいます。事務所の皆さ~ん、私が早く事務所を退出するのは、仕事をサボっているわけではなくて、その後公務があるからですからねぇ。
前会長の前川先生は、いったん飲みに行くと2次会・3次会は当たり前、午前様になっても翌日は平気でゴルフと、大変なタフネスぶりでしたが、そこまでは私にはまねができません。まだまだ先は長いので、ワシ流で今年も一年間やっていくつもりです。

年末年始は秋田に帰っていたのだ

~地吹雪がお出迎えだった~


 年末年始は、久しぶりに秋田に帰ってのんびり過ごすことにしたのです。幸い、大雪による遅れも思ったほどなく、システムトラブルも避けることが出来、何とか無事に帰ってきたのでした。でも、冬の秋田は、年内は大吹雪で風がかなり強かったため、雪が地面から吹き上がってくるという、いわゆる「地吹雪」状態で、なかなか外へ出る気はしませんでした。やっぱり冬の秋田は寒いのだ。
 従って、家の中で酒を飲んでいる以外はほとんど読書。特に最近、「突発的高麗李朝骨董収集症候群」にかかっているため、最近読んだことのないほど分厚い本、骨董の贋作の見分け方的な本を必死に読んでいたのです。財務諸表であれば、手で表面をなぞるだけで、会計処理上の問題点をすぐに発見することができるのですが(ウソですけど)、骨董の贋作は、見ても触っても中を覗き込んでも匂いをかいでみても、正直言って自信がありません。「あっ、いいな」と、感性が自然に反応するのに任せています。今のところ、信頼の出来る骨董屋さんからいろいろ教えてもらいながら購入しているため、自分がここ数ヶ月間で購入した数点は、間違いなく真作だと思っているのですが。


 秋田の日本酒は、ほんとにおいしいのですが、残念ながら李朝の徳利と盃は秋田まで持ってくることはできませんでした。この日本酒を、お気に入りの李朝の徳利と盃で飲んだら、さぞかし幸せだろうなと思ったため、さっそく名古屋へ帰る前に日本酒をまとめ買いして、自宅に送ることにしたのです。徳利に「雨漏り」(いわゆるシミのことですね)が出るまでとことん飲んでやるのだ。
年明けの秋田は比較的暖かく、帰るころには雪もほとんど残っていませんでした。やはり暖冬なのだろうか。帰りの新幹線の中で、作家の五木寛之さんの本を読んでいたのですが、人生50歳までは登山のようなもので、60歳くらいから徐々に下山していくものだというようなことが書いてありました。私は一足先に下山を開始して、すばやく退職し、残りの人生を李朝の骨董でも愛でながら過ごしていたいものだと考えていたのです。
 ところがところが、名古屋の自宅に帰って、年賀状を整理していると、ヤイリギターのゴッド・ハンドこと小池健司さんから「いよいよ神代欅のギター制作に取り掛かります」というメッセージあり。う~ん!まだまだ下山するわけには行かないようです。明日からまたハードな生活が始まるのだ。

2009年1月3日土曜日

新年のご挨拶

~東海会ニュースより一足先に新年のご挨拶なのです~


 東海会ニュースより一足先に、新年のご挨拶をさせていただきます。ブログに直接書きこめればもっと早いのですが、今のところ、ブログに掲示されるまでに、いくつかの人的手続きを踏まなければならないので、多少遅れてしまいますが、お許しください。


 新年おめでとうございます。早いもので、東海会会長として、2回目の新年を迎えることになりました。私の任期もちょうど折り返し地点を通過したところでしょうか。昨年は、年明けからNHKドラマ「監査法人」の監修を約半年間に亘って務めさせていただいたのと、ドラマ放映期間中の7月に、会計士協会の全国研究大会が12年ぶりに名古屋で開催されたこともあり、充実した1年間を過ごすことができました。また、内部統制監査や四半期レビューも始まり、適用初年度という事もあって忙しい1年間であり、また印象に残る年でもありました。今年はどんな年になるのか、どんな出来事が待っているのか、今から大変楽しみにしています。幸い、昨年の公認会計士試験合格者も3千人の大台に乗り、新しい仲間も増えました。監査法人勤務者、特に若手の中に疲弊感があることは十分認識していますが、今後はある程度一段落してくるのではないかと思われます。前向きにいきましょう。


 経済的には、昨年後半からの円高・株安の影響で、不安定な状態が続いており、輸出を中心とする企業の多い東海地区の経済にも、少なからぬ影響があるものと思われますし、また政治の世界においても、ねじれ国会が継続中という事で、こちらも不安定なまま、結局年を越してしまいました。安定した経済社会の実現を期待したいと思います。
 会計士業界全体のことに目を移しますと、ここ数年の不正会計に揺れた時期からはやや立ち直った感がありますが、まだまだ監査に対する社会の信頼を完全に取り戻すところまでには至っていないと思います。今後も地道に監査業務を通じて、日本経済の力になるようがんばらなければなりませんし、広報活動を通じて公認会計士に対する期待ギャップの解消に向けて努力していく必要があると思います。
会計の面でも、IFRSの導入に向けた取り組みが始まります。また公会計の確立と地方自治体に対する財務諸表作成支援業務や、政治資金規正法による監査等、新たな領域の業務も拡大してきます。もちろん、今年も内部統制監査や四半期レビュー制度の定着に向けた努力をしなければなりません。我々公認会計士が活躍する場面はたくさんあると思います。会計のプロとして、今年も自分の力に磨きをかけましょう。


 東海会の業務に関しては、4か月分のホワイトボードがいつも真っ黒になってしまうほど盛りだくさんとなっていますが、今年もいろいろ忙しそうです。特に2月には中日本五会研究大会が名古屋で開催されることになっており、しかも第40回という記念大会でもあるため、こちらもぜひ成功させたいと考えております。皆様方のご参加をお待ちしております。
私が東海会会長になってからは、特に広報活動に力を入れてきましたが、今年も同様に考えています。ホームページの充実は、事務局の皆さんががんばってくれていることもあり、さらにバージョンアップするつもりですし、時間がなくて話題はあってもなかなか書ききれていない私の会長日記(越麻呂日記)も、今年は心を改めて昨年以上にワシワシ書いていくつもりですので、ご期待ください。
 また、個人的には4県合同で実施できる行事が、ゴルフや旅行だけでなく、他にも企画がないかどうか考えているのですが、皆さん「オッサン・バンド」はいかがですか。私もまだあきらめていないので、やってみたいと思われる方は、ぜひ声をかけてください。お待ちしています。
 会計士協会本部においては、最近、協会のガバナンス改革や地域会の再編等が話題になっていますが、東海会に影響する事項も出てきています。東海会の活動を活性化させるために、私もいろいろ考えてまいりますが、会員の皆様方からもご意見等ございましたら、会務にいろいろ反映させていきたいと考えていますので、ご協力のほどよろしくお願いします。


 今年も1年間、会員の皆様方のご活躍をお祈りしております。