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2008年12月31日水曜日

今年一年間を振り返る

~会長任期も折り返し地点なのだ~


 今日は12月31日、今年もあっという間に一年間がすぎ去ろうとしています。今年は私にとって一生忘れられないような劇的な一年間となりました。協会業務と事務所業務が毎日の中に複雑に入り込み、複数の業務を同時並行的にこなすという、私の得意技「必殺越山スペシャル」をいろんな場面で発揮できた一年でもありました。
 まずは年明け早々から約6ヶ月間にわたって行われたNHKドラマ「監査法人」の監修です。これは私が個人的に引き受けた仕事でしたが、面白かったなぁ。こういう仕事はもしかしてもう二度と経験できないかもしれませんが、できればもう一回ほどやってみたいものです。「厳格監査」が流行語大賞にノミネートされるのでは・・・と淡い期待を抱いていたのですが、残念ながら没でした。


 ドラマが放映されたのが6月から7月にかけてでしたが、この仕事と同時に進行していったのが、12年ぶりに名古屋で開催された全国研究大会の準備でした。ちょうどドラマ「監査法人」のピークといってもいい、第4話が放映されたころに開催されたため、大会中もいろいろ話題になっていました。研究大会は、私の任期中の最大の行事だったため、無事大成功のうちに終わり、ホッと一息です。大会中、何と8回も挨拶してしまったのだ。
 今年も広報活動には力を入れてきたのですが、「ハロー会計」も順調に行われましたし、私自身も新聞にはちょこちょこ顔を出しました(そのたびに、ゴルフ仲間から冷やかされてしまい、大変恥ずかしい思いをしましたが)。ホームページのほうは、やはり時間がなくて、夏休みと冬休み(つまり今)の時間が比較的とれる時に集中的に書いてきましたが、思っているほど書ききれていないというのが現状です。量的にはかなり不満の残る年となりました。結局、「サラリーマン会計士川柳」のほうでごまかしていたというのが本音のところで、こちらは反省すべき点です。任期中に、原稿150本、川柳300本を目標に掲げていましたので、来年はかなり書くつもりです。


 私の任期もいよいよ後半戦に入るわけですが、おかげさまで、私が歴代の東海会会長から引き継いだ未解決事項はすべて解決。あとは粛々と会務をこなすだけです。なにしろこの仕事は気に入っているので、残りの任期を一日一日かみしめながらやっていきたいと考えています。
 それからもうひとつ、「おっさんバンド」の結成です。こちらは事務所でのデビューはすでに済んだのですが、協会のほうはなかなか集まりません。先日岐阜県会の忘年会に出席した際に、所先生から「私もマーティンを持っているんですワ」という話を聞きつけてしまい、おもわず「にやっ」と喜んでしまいました。来年は「日経大人のバンド大会」に参加だぁ!

2008年12月30日火曜日

修了考査と3次試験

~割れた!!勝利宣言~


 今年も12月20日、21日と実務補習所の修了考査が行われました。年末のあわただしい時期に大変だったと思います。我々の頃は3次試験といわれ、11月に筆記試験、年が明けて1月から2月にかけて口述試験が行われていました。
 難関といわれている公認会計士試験2次試験に合格しても、資格としては会計士補であり、その後実務補習所と実務従事の合計3年間の実務経験を積まなければ、3次試験の受験資格はありませんでした。3次試験に合格して初めて公認会計士を名乗ることができたのです。2次試験に合格してしまうと、目標を成し遂げたという達成感があり、背中に羽が生えてしまって、今までの受験生活で失われてしまった青春をとりもどすのだ~!とばかりに、あちこち飛び回ってしまいます。しかし、日々の生活においては、頭の片隅に3次試験のことが常にあり、2年目になると、もっと遊んでいたいという気持ちと、そろそろ3次試験の準備を始めなきゃいけんなという不安が格闘することになるのです。そして、3年目の春を迎えるにあたって、ついに立ち上がらなければならない状況に追い込まれてしまいます。


 2次試験のときは、誰に注目されることもなく、一人で戦っているため、仮に失敗したとしても、自分のほかには親が悲しむくらいで別に恥をかくわけでもないのですが、3次試験ともなれば話は別です。同期の仲間が同じ事務所に十数人おり、しかも事務所内の人たちは野次馬根性で注目しています。同期の仲間の中で自分だけが落っこちてしまったら、わしはこの先いったいどうやって生きていったらいいのだ~と考えると、失敗したら事務所を辞めてしまおうと真剣に考えたこともありました。
 3次試験は11月の初めに行われていたのですが、私はどういうわけか直前の8月に結婚することになってしまい(試験が終わってからゆっくり結婚すればよかったのですが)、試験の追い込みに結構焦っていたのです。「あいつは結婚したせいで落っこちた」などと言われてしまっては、ウチのカミサンに申し訳が立たないではないかという思いが強かったため、結構頑張ってしまったのですね。その甲斐あって、試験には「お~し、まかせなさい」と、結構自信を持って臨むことができました。


 試験は一科目3時間という長丁場であり、ボリュームがあるため一日目が終わった時にはぐったりしてしまいました。合格の決め手となったのは、2日目の税法でした。この科目は得意科目だったのですが、一問が大きな問題で、非常に複雑な問題でした。すべては計算式が割り切れるかどうかにかかっていました。慎重に計算式を電卓にいれ、「=」ボタンを押す時にはさすがに指が震えましたが、「頼む、割り切れてくれ!」という願いを込めてボタンを押すと、「0.08」、なんと、一発できれいに割り切れてくれたではありませんか。心の中で「ウッシャ~!」と叫び、後は解答用紙に写し間違えないように答えを記入していったのでした。
 税法の試験が終わった後、私の周りで「どうだ?割り切れたか」という会話があちらこちらで交わされていたようですが、割り切れたという声はほとんど聞こえてきませんでした。逆に割り切れなかったほうが正しかったのかなと心配になったくらいです。これで合格と確信した私は、今後、自分の人生でやっと試験から解放されたと心からホットしたものでした。
筆記試験の合格発表は、大垣で棚卸をしている最中に、同じ受験仲間からの電話で知りました。昔はケータイがなかったので、会社の電話の取り次ぎで知ったのですが、幸いにも事務所の同期はほとんど合格していました。口述試験も無事に終わり、やっと肩の荷が下りて、これでやっと「公認会計士」を名乗ることができるようになりました。うれしかったなぁ。今3次試験を受けたとしても、合格できないでしょうね。
今でもたまに3次試験の夢を見るのですが、なぜか不合格の夢が多いのです。困ったものである。


懐かしの実務補習所時代

~麻雀から帰ったら誰もいなかった
��今回は自伝小説ですので念のため)~



 公認会計士試験(私の時代は二次試験)にめでたく合格すると、当時は会計士補といって、1年間(後に2年間)実務補習所に通わねばなりません。実務補習所は夜6時から9時まで行われるため、日中慣れない仕事に気を使ってくたくたになっている会計士補1年生にとって、夜の実務補習所の授業はかなりこたえます。以前のブログで、今年は12月に実務補習所で2回講演を行ったことを書きましたが、私自身は決して真面目な受講生ではありませんでした。当時は全体の雰囲気もそうですが、あまり厳しく受講生を縛り付けることは行われていなかったのですね。


 私の場合、合格当初は東京会所属だったため、講義は当時本郷3丁目にある会計士協会で行われたのですが、6時から始まるためどうしても夕食を取り損なってしまいます。私達の頃は、授業中の休憩は比較的自由だったため、とりあえず紙の出席カードを受け取ると、おもむろに煙草でも吸うように教室の外へ出て、その足で坂を下りたところにある食堂で夕飯(焼きそばがうまかったなぁ)を取り、とりあえず一息つくということを繰り返していました。そして、6時30分ごろになると、何事もなかったかのようにまた教室へ戻ってくるわけです。東京会は人数が多かったため(といっても全国で250人くらいだったので180人くらいでしょうか?)、あまり目立たなかったのかもしれません。中には夕食のついでにビール等を飲みすぎて、真っ赤な顔をして酒の匂いをぷんぷんさせて教室にはいってくるつわものもおり、問題になったこともあったようです。古き良き時代というか、いまの時代はこんなことは考えられませんね。まねをしてはいけません。
 補習所の授業も、いつも面白いテーマであればよいのですが、私自身毎日夜遅くまで趣味やら電話やら何やらで、ほとんど午前2時前に寝ることはなかったため、どうしても睡魔のほうが勝ってしまい、いつの間にかコックリコックリ舟を漕いでしまいます。大学時代の授業の時などは、よく友達同士で代返をやったりしたものですが(もう時効だからいいのだ)、補習所時代は出席カードのダブル提出というやつでした。私はやりませんでしたが(本当だってば!)、出席カードをもらって名前を書き、知っている仲間がいると「今日は頼むな」などと言いながら、そいつに出席カードを渡して帰ってしまうわけです。この出席カードは講義が終わった後、受付で回収するわけですが、人数が多いため、最初のうちは受付の人もいちいち補習生の顔など覚えていません。友達の出席カードを預かった人は、帰り際に出口でとりあえず自分の出席カードを提出し、混雑にまぎれてまた教室内に戻っていくわけですね。そしてまたおもむろに、今度は友達の出席カードを提出することになります。無事、一人二役が完成することになります。これが通じるのは顔がわからない最初のうちだけで、この出席カードのダブル提出は、協会関係者の知れるところとなり、その後は抜き打ちで、授業中に出席カードに判を押すという作戦を取られました。したがって、6時に出席カードをもらって外出し、9時ちょっと前に帰ってくるということもできなくなってしまったわけです。今は磁気カードですので、なかなかこういうわけにはいかないかもしれませんが、人数が増えてきたので、どうなのでしょうか。


 補習所時代の思い出をもう一つ。当時は麻雀がはやっていたため、授業が始まって「退屈だなぁ」と、キョロキョロ周りを見回してみると、同じように退屈そうにしている仲間と目が合ってしまうわけです。「お前とあいつとおれ、そしてこいつ」と目配せをして麻雀の面子を確定すると、バラバラと各人教室を出て行き、いそいそとなじみの雀荘に集結することになります。ひとしきりポン・チー・ロンとやった後、9時前に教室へ戻り、出席カードを提出して帰るということもありました・・・自伝小説だと言ってるでしょ!

 その日はたまたま、のちに日本公認会計士協会の会長になられ、著名な先生の講義だったのですが、どういうわけか「お前とあいつとおれとこいつの日」となってしまい、のこのこと雀荘に繰り出したのでした。さすがにその日はバツが悪く、麻雀をやっていても落ち着かなかったので、「今日はやっぱ早めに戻ったほうがいいんじゃないの」ということで皆さん一致し、余裕をもって8時半前に引き上げたのでした。本郷3丁目の急な坂を登って会計士協会へたどり着いたのですが、いつもと様子が違うようです。なんとなく不吉な予感がして、そっと教室の扉を開けたところ、「ぬわにっ!!」教室の中はひっそりと静まり返り、人っ子一人いないではないですか。んなばかなと思ったのですが、中は真っ暗。突然パット明かりがつき、「ドッキリカメラです」と現れる人もなく、4人はその場にボーゼンと立ち尽くしていたのでした。そして、明日からは心を入れ替えて、真面目に授業に出ような、などと固く心に誓いあったのでした。・・・今日のブログは自伝小説でした。


2008年12月29日月曜日

新入生がやってきた

~実務補習所の所長ということに~


 今年も公認会計士試験の発表が行われ、いわゆる従来の2次試験に匹敵する受験生の合格者が3024名と、ついに三千人の大台を超えました。全国の合格者の中にもなかなか監査法人に就職できないケースもあるようで、4年ほど前のように、今後社会問題化するのではないかと心配になってきます。東海地区でも196名の合格者があり、東海実務補習所と東京実務補習所静岡支所で、それぞれ入所式が行われました。私も27年前の合格した当時のことを思い出してしまいます。
 それが終了すると、いよいよ実務補習所の授業が始まります。東海会会長が実務補習所所長を兼ねることになっているので、いつの間にか私が一応所長ということになってしまいました。補習所の授業は、仕事が終わった後の18時から21時までということで、3時間あります。従来は20時ころに終わっていたケースも多かったようですが、今年は最低20時30分まではやるようにというコメント付きの講演依頼文書を頂いたため、教えるほうも結構大変なのだ。


 私が話すテーマは「所長講話」と「職業倫理」です。このテーマで6時間も話すのも大変だよなぁと事前に思っていたのですが、話し始めてみるとつい熱が入ってしまい、それぞれ時間が足りなくて、最後のほうは時間がなく、みっちり3時間ずつ話してしまいました。昨年のときは、もう一回り小さい会場で話していたため、比較的受講生との距離が近かったのですが、今年は大会場になってしまったため、距離がありすぎてなかなか対話形式にならず、一方的にこちらから話しかけるしかなかったのが残念でした。それでも東京や大阪の場合は一回でできる会場がなくて、2回も話さなければならないことを考えると、東海はまだ恵まれているのだ。
 「所長講話」といっても、私自身補習所時代はあまりまじめな受講生ではなかったので、難しい話を説教じみて話すことはできないため、テレビドラマ「監査法人」の話とか、酒を飲んで翌日動けなくなって、日本橋の駅で気持ちが悪くなって座り込んでしまい、遅刻をした話とか、忘年会で酔っ払って当時の主査やパートナーに殴りかかってしまった話とかで、こんなことをしてはいけませんよという話が多かったのですが、皆さん居眠りすることなく真面目に聞いているので、驚いてしまいました。
 「職業倫理」の講演のときは、話している自分に酔ってしまい、いつの間にか3時間経過していました。もともとは倫理などというものは、生まれてから今まで生きてきている中で、親や学校で教わるべきもので、今の段階で私が教える類のものではないのですが、会計士としての職業に関することで最低限守るべきことは、話しておかなければなりません。教えていて思うのは、職業倫理の大部分が、教えてもらってどうということではなくて、教えられなくても自然に体に染みついていることが多いということなのですね。

 たぶん眠くなるだろうから、眠っている人がいたら当ててやろうと虎視眈々と名簿を見ながら会場を眺めていたのですが、こちらの講義も皆さん真剣に聞いているので、結局は当てずじまいでした。われわれの補習所時代と違って、今の受講生は全体的にみなさんまじめなようです。

CPE制度変更

~来年度から制度が変更になります。皆さんクリアしましょうね~


 公認会計士という人種は、なぜか研修が好きな人が多いようです。私などはどちらかというと、「我々会計士はプロなのであるから、必要な専門知識は言われなくても当然身につけているのが当たり前であって、他にも常にいろんなことに知識欲をかきたてて、普段から勉強するのは当然である」と思っているため、なにも強制される必要などないのであると考えているのです。したがって、「みんなで集まって研修会をやりましょうね」などということになってもどうも気分が乗らず、講師が話しているのを聞いていると、ほぼ間違いなく居眠りをしてしまうのです。

 それでも、今の制度上はCPE制度といって、公認会計士は毎年年間40単位を取らなければならないことになっています。一単位約1時間必要であるため、年間約40時間ということになります。監査法人内に勤務していると様々な研修があるため、だまっていても40単位はクリアできるのですが、それでもぎりぎりで済ませてやろうなどというオロカな考えをもつ輩もいて、40単位取ってしまったから後は不要と思っていたら計算間違いで、結局39単位しかとっていなかったなどという救えない話もあります。
ましてや個人の会計士は大変です。会計士協会が主催する全体研修も、春夏秋冬年4回集中的に行われるのですが、有料でしかも開催される場所が限られているため、交通費をかけて受けなければなりません。地域会主催の研修会もありますが、なかなか大変だと思います。秋田の会計士は40単位取るのは大変だろうな。いったいどうやって取得しているのだろうか。


 それでも、全国の履修義務者の40単位達成率は、約96%くらいだそうです。私などはすごい達成率ではないかと思ってしまうのですが、逆に言うと約4%の方が達成していないということになり、そちらのほうが問題であるということになるのだそうです。公認会計士の人数もかなり増えてきたため、仮に二万人だとしても4%というと、約800人ということになります。プロであるといいながら800人も達成していないではないかとなってしまうのですね。
 毎年40単位を取るといっても、中にはその年によって波があって、昨年はたくさんとれたけれど今年はいろいろあって不足してしまったという方もいるかもしれません、また、過去に全然取っていなくても、「俺が悪かった」と頭を垂れて深く反省し、これから悔い改めて真面目に取っていこうと心変わりしたけれども、過去の不足分があまりに大きすぎて、単位を取っても取っても追いつかない人もいるかもしれません。そういった人たちに朗報です。来年度から制度が変わり、「毎年その年を含めた過去3年間で120単位を取ればよろしい」というように制度が変わることになったのです。したがって、それ以前の単位取得不足は切り捨てられるということになり、「それならやってやろうじゃないの」と考えてくれる方も出てくるかもしれません。
 そのかわり、一定の単位未達成者は「氏名公表」という強硬手段に訴えられることになります。履修勧告や辞退勧告くらいならいいのですが、氏名公表は試験に合格した時だけで十分です。私も将来監査法人を引退して秋田に帰ったら、氏名公表されることになるのだろうか。

2008年12月28日日曜日

サラカイセン ~236-242~

236.あの靴を 投げてやりたい 人もいる・・・念のため、私にはいませんが、注文殺到だそうです


237.


238.「変」な年 それでもいいこと あったじゃない


239.また暴言 この人ホントに 大丈夫?


240.支持率も 消費税率 並に向け


241.胴上げを した後その手を 放す部下


242.下り坂 ブレーキ利かない 巨大企業


242.派遣切り いやな言葉を 生む人よ

第2回目顧問相談役会

~順風満帆の顧問相談役会だった~


 12月8日、私にとっては2回目の顧問相談役会を執り行いました。昨年は初めてということもあり、何をどうやって進めていったらいいのかわからなかったのですが、今回は余裕です。出席者は、前川前会長が昨年に引き続き、都合により出席できなかったのと、体調の都合で御欠席された先生もいらっしゃり、人数的にはちょっとさみしい会となってしまいました。
 さっそくここ一年間の会務の状況や、今後の会務について私自身が考えている事項をご報告・ご相談させていただいたのですが、主な内容は以下のとおりです(顧問相談役会の内容を公表するのはもしかして初めてかも。ただし、差し支えない範囲だけですので、ご勘弁を)


 ・全国研究大会のご報告
 ・地域会活動評価の件
 ・前川先生の藍綬褒章受章の件
 ・公認会計士試験合格者の件
 ・地域会会長会議の内容
 ・今後の事務局体制のご相談
 ・ハロー会計のご報告
 ・監事監査・業務監査の結果
 ・本部の動き


等です。


 昨年は、東海会会長が本部の副会長を担当しないことについて、いろいろ厳しいご意見をいただき、本部の組織や仕組みが変わったことについて、ご説明させていただいたり意見のやり取りがあったのですが、今回は特に何事もなく、スムーズに進みました。ただ、「本部の常務理事や副会長を経験しないと、将来勲章を貰えないよ」というお話もありましたが、個人的には全く興味がなく、大好きなギターに囲まれ、李朝の骨董(最近ハマってしまったのだ)を愛でながら老後を過ごすことさえできれば、それで全面的に満足なのだ。
 それにしても、鈴木先生や朝見先生をはじめ、皆さん大変お元気で、頼もしい限りです。私などは鈴木先生に「長寿会にお入りなさい」といわれているのですが、ちょっと待ってください。私はまだ52歳なのだ。そのお話は、まだまだ先に取っておくことにしましょう。
 今年最後の難関である顧問相談役会を無事突破し、後は19日の部長・委員長・県会長会議を乗り越えれば、今年の東海会の会務もとりあえず一段落です。


あっという間の一年間でした。


CD「監査法人」を聞いてみた

 「監査法人」はドラマであるから、当然音楽がいろんな場面で登場するはずで、そのうえ非常に難かしいというかわかりにくいというか、普段なじみのうすいテーマや言葉が登場するドラマであるため、最初はどんな主題歌やメロディーが流れてくるのか不安だったのですが、実際ドラマが始まってみると、出だしのテーマ曲から、エンドの歌、そしてドラマ全体を通じて流れてくる音楽が、非常にマッチしていて、さすがプロだなと感心させられました。
 今回、村松崇継さんの作曲による「監査法人」のオリジナルサウンドトラックがCDとして発売され、さっそく私も何度も聞いてみました。CDの曲名の中には「往査」とか「粉飾決算」「実査」「内部監査」「架空取引」等の監査の専門用語もたくさん入っており、監査用語をイメージして曲を作り上げるというのは、大変なことだと思うのですが、やはりどんな世界でもプロというのは違うのですね。曲を作る時、音楽が先なのかそれとも言葉やドラマの中のシーンが先なのか、大変興味のあるところです。


 さて、CDの中身を見て(聞いて?)いきましょう。出だしは勿論「監査法人のテーマ」です。聞きなれたテーマではありますが、何回聞いてもいいですなぁ。胸が締め付けられる思いです。しかもピアノのバージョンもあり、また最後もこのテーマで締めくくられていて、3度おいしい構成になっています。
 2曲目が「柱(ささえ)」。ゆったりしたやさしい曲で、心の中に溶け込んでくる曲となっており、私の好きな曲の一つでもあります。くじけそうになった時、支えてくれるのは「誇り」という健司の言葉を思い出します。3曲目が「往査」。最初はゆったり流れて、途中から緊迫感が伝わってきます。まさに監査現場と一緒といったところですね。覚えやすい曲です。その後「闇のその先」「うごめく影」と続き、なにやら不正の怪しい動きが伝わってくるのですが、「無常」で、健司や茜の気持ちが伝わってきます。
 10曲目が「監査法人のテーマ」のピアノバージョンで、同じ曲でもイメージが変わります。私もこの曲をアコースティックギターでコピーできたらいいなと思っているのですが・・・。
 「実査」までも曲にしてしまうのですね。この監査手続きは、非常に地味な仕事なのですが、スピーディな曲に仕上がっています。
 真ん中の15曲目が「健司と知香」です。監査法人という緊迫した場面が続くドラマの中で、ドラマ全体を通じて、ホッとさせてくれたり、緊張感を解いてくれる役割を果たしてくれていたと思います。きれいな曲で、ピアノバージョンもあります。「夢の代償」。チェロの音色は、映画「おくりびと」以来好きになってしまったのですが、さびしく重い雰囲気がいいですね。


 そして出ました、「厳格監査」。一番緊張感があった審査の場面を思い出します。「健司よ立ち上がれ」といったところでしょうか。雰囲気が好きな曲の一つです。次の「厳しい判断」。これもいい曲なのですね。ピアノが効いているし、後半はまたしてもチェロの響き渡る音色がなんとも言えません。
「裏帳簿」は、あらあらあらあら・・・といった感じ。22曲目の「失意の中で」も好きだなぁ。ピアノとチェロともう一つの楽器は何だろう?「監査への誇り」にも出てくるこの楽器はもしかして「オーボエ?」この音色も好きなんだよなぁ。苦しくても、必死にこらえているという感じ。ドラマの中の健司のセリフ「誇りが俺を支えてくれる」は名言ですね。
自分の車で監査に行くことはあまりないのですが、その時はこのCDを車の中で聞いていくのだ。単純な私を笑ってください。

2008年12月18日木曜日

サラカイセン ~231-235~

231.くじ引きで 運命決まる こともある


232.小林よ それで空白 埋めたのか・・・(日本酒のCMごときで江川事件を忘れてもらっては困るのだ)


233.たこ焼きで わかる損益 分岐点・・・「ハロー会計in名古屋」です


234.サントラも 聞いてうれしい 「監査法人」


235.眠れない 夜を過ごした 発表日