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2008年8月28日木曜日

業界説明会と研究大会の打ち上げ

~今年の受験生は動きが速いぞ~


 今日8月25日は東海会主催の業界説明会の日です。公認会計士試験論文式試験が終了し、受験生としてはほっと一息、本当はゆっくりしたいところだと思うのですが、いきなりリクルート活動開始なのです。大変お疲れ様です。
 昨年は、合格者に比べて求人数が圧倒的に多いと予想されていたからかどうかはわかりませんが、出足が鈍く、業界説明会に来ていただいた受験生も80人弱でした。今年もそんなものかなと思って、挨拶のため去年と同じ会場に行ったのですが、どうやら今年は参加者が多いらしく、商工会議所で一番広い会場に変更になっていました。約140人の参加者があったようです。
 昨年、合格者が前年の2倍に増えたため、仮に今年も同じくらいの合格者が出た場合、東海地区の場合はちょうど合格者と求人数が均衡するようなのですね。そのため、今年は昨年に比べて皆さん自分の入りたい監査法人に就職したいため、真剣になっているのかもしれません。説明する監査法人のほうも14法人ということでしたが、ジャパン監査法人やエスペランサ監査法人は来ていませんでした。東海地区もだんだん激戦地になってきたような気がします。
 受験生の皆さんも、単に初任給が高いとか、支度金が出るとか、飲みに連れて行ってもらったなどというつまらないことで監査法人を選択するのではなくて、自分がどんな会計士になりたいのか、どんな仕事をしたいのか、どんな社風の職場で働きたいのかを真剣に考えて、就職先を決めていただきたいと思います。何しろ、一生に一度の(たぶん)選択になるのですから。


 さて、業界説明会が終了した後は、7月17日に行われた研究大会の反省会と、少し遅れましたが打ち上げなのです。反省会といっても、これだけの大成功だったので、東海会といたしましては、こうべを垂れて、「わるかった」などと反省することなどとくにないのだ。30分ほどで切り上げて、打ち上げに突入ということになったのですね。
 私が東海会会長に就任してからは、常に頭の片隅に研究大会のことがちらついていたのですが、「案ずるより産むがやすし」各プロジェクトの担当の皆さんや、事務局の大倉さん・渡辺さん達の底力というか集中力というか瞬発力というか大活躍のおかげで大成功に終わったのでした。打ち上げも、おいしい日本酒のオンパレードで大変満足しましたし、大いに盛り上がりました。今回の打ち上げが終了して、これで私の頭の中からは、「研究大会」という文字が奇麗になくなったのです。でもその代り、中日本五会という文字がちらつき始めたのには困りますが。
 二次会、三次会と、前川前会長と小林愛知県会長が最後まで残り、終わったのが2時半だったようです。こちらも大変お疲れ様でした。

2008年8月25日月曜日

サラカイセン ~168-172~

168.GGよ プロの守備かと 北京の空


169.金取れず 腹を切ると 言う監督


170.勝てないと やるのは選手と 言う監督


171.金よりも 光り輝く 銅もある


172.雨だって いいではないかと 大曲

2008年8月19日火曜日

公認会計士制度が出来て60周年なのだ!

「不動産屋にでもおなりなさい」と鈴本公認会計士は行った!


 今年は公認会計士制度が出来て60周年という、節目の年になりました。私も行ってきたのですが、7月8日には東京のメルパルクで60周年記念行事が行われ、多くの会員が集まっています。テーマも「激動の10年から信頼の未来へ-監査を日本経済の力に」ということで、なかなかかっこいいテーマでしたね。ここ10年間に起こったいろんな出来事がDVDでまとめられ、会場で上映されていましたし、川北先生のお話も大変面白いものでした。
 考えてみると、私も二次試験に合格してから丸27年ですので、公認会計士制度ができて60年間のほぼ半分をこの業界で過ごしたことになります。あっという間ですね。最近では昔のことを思い出すことが多くなりました。


 NHKドラマ「監査法人」でも、公認会計士業界の草分け的存在として、鈴本公認会計士が登場していましたが、なかなか迫力がありましたね。健司が「あおなみ興産」の決算内容を調べようと、鈴本会計士事務所を訪れるのですが、いろいろ追求するためにジャブを繰り出す健司に対して、鈴本会計士はまったく同ずることなく「公認会計士としての資質にもとる。不動産屋にでもおなりなさい」と、強烈な回し蹴りを一発、健司に食らわせてきたのです。
 私が健司の立場で追求していたら「秋田にでも帰って、兼業農家にでもおなりなさい」とでも言われたのでしょうか。あるいは「下手なギターでも弾いていなさい」と言われたでしょうか。


 私が今でも印象に残っているのが、公認会計士協会の会長も勤められた、中瀬先生です。私の入所したときの中央会計事務所第四監査室のトップだったお方で、それこそ「雲の上の存在」と言う言葉がぴったりの先生でした。中瀬先生の懐の広さ、人柄、スケールの大きさと言ったものが、お話をお聞きしているだけで伝わってくるのですね。
 今でも私の周りには、公認会計士の草分け的な先生たちが何人かいらっしゃいますが、皆さんやはり個性的な方々が多いです。でも、私の仕事ぶりがまだまだ頼りないせいなのか、いろいろ励ましてくださる先生方が大多数で、私もいろいろアドバイスをいただいて大変助かっています。
 60年というと、人間では還暦という事になるのですが、激動に飲み込まれそうになったここ数年でした。これからは100周年に向けて、ある時は大胆に、またある時は地道に、この業界のためにがんばっていくのです。

NHKドラマ「監査法人」Q&Aシリーズその10

Q.10 「財政監督庁」とは、どのような組織ですか?


Ans
��. もちろん架空の組織です。
��. 金融庁の中の組織です。
��. 公認会計士協会の中の組織です。



 財政監督庁というのはもちろん架空の組織で、ドラマ用に作家の方が考え出した組織ですが、しいていえば金融庁が近いという事になるのでしょうか。ドラマの中では、宮島局長さんが、なかなかいい役を演じていらっしゃいましたね。


 公認会計士の組織としては、公認会計士協会があり、自主規制としての立場を貫いています。いわば、公認会計士全体を統括する立場にあるわけで、いろんな規則や会員に関わることなどは、理事会で決定することになっています。また、例えば品質管理レビューなども、会計士協会自らが各監査事務所の品質管理体制をレビューするようになっており、制度が出来てから7~8年になりますが、企業不祥事が相次ぐようになってきているここ数年は、年々厳しくなってきているようです。
 会計士協会が行う品質管理レビューは、大手監査法人の場合大体2年に1回対象になるのですが、内容的には、特定のクライアントが選定され、しっかりした監査が行われているかどうかを調査することになります。最近ではサプライズといって、あらかじめ対象クライアントを教えないで、いきなり当たるケースもあります。大体、一社当たり1週間くらいかけて行われ、その間いわゆる当たった監査チームは緊張感を持って、レビューに対応することになります。
 また、個別クライアントの監査の実施状況だけでなく、事務所全体の管理体制がどうなっているのかをヒアリングを行いながら調べていくことも行われます。例えば審査制度がどのようになっているか、監査担当者と審査を行う人が、独立しているかどうか、品質管理体制に不備はないかとか、研修制度はどうなっているかとか、調書の管理状況、人事評価はどうなっているか等等。我々日頃は監査する立場にあるわけですが、レビューを受けると、監査される側の立場がよくわかります。当たった人は大変で、私の担当する会社は、昨年は当たりませんでしたが、過去2回当たっています。何か問題があったら、責任問題になりますし、単に自分が責任を取ればいいというだけではなくて、法人全体の問題にも発展する可能性がありますので、大変神経を使います。


 また、公認会計士監査審査会という組織もあります。5年位前に金融庁の中の組織としてできました。公認会計士協会のほうで、監査事務所に対してレビューを行ってはいるのですが、当時はいろんな事件が相次ぎ、企業不祥事がなかなか減らなかったため、公認会計士協会のレビューが甘いのではないかという批判が出てきたのですね。決して甘かったということはなかったと思うのですが、時代が悪かったというか、そういう流れになっていったということだと思います。


 公認会計士監査審査会では、公認会計士協会の行ったレビュー結果をさらに調査するという目的で当初出来上がった組織ですので、会計士協会のレビューが当たった後は、必ず公認会計士監査審査会のレビューを受けることになります。
 ちょうどカネボウ事件をはじめ、いろんな会計不祥事を受けて、一昨年ぐらいに大手の4大監査法人に調査が入りました。数ヶ月にわたって行われましたが、これが大変厳しいものだったと聞いています。
 他にも大手監査法人の場合、社内のレビューがありますし、また、提携先のレビューもあるでしょう。感覚的には、一年中監査とレビュー対応に追われているという状況ではないでしょうか。


 監査が単に書類を作るだけの業務になってしまったら、それこそ監査に興味がなくなってしまい、監査現場を離れる若手会計士が増加することにもなりかねません。私は、監査という業務は大変魅力的な仕事だと思っていますので、そのあたりのところをどのように対応していくのか、大きな課題だと思っています。


もしかして、例年の中日本五会で、この問題を取り上げることになるかも・・・。

「わるいけどオレ、手加減しませんよ」と健司

「そういう人が危ないんだよなぁ」と心療内科の先生は言った!


 3月18日に「耳鳴り」が突然発生し、もう5ヶ月になります。耳鼻科を紹介していただき、2箇所の病院へ行ってみたのですが、なかなか治りません。耳鳴りが起こった当初は、この先どうなるのだろうかと真剣に思い悩んだのですが、耳鼻科の先生には「耳鳴りはなかなか治らないため、慣れるしかないのです」と、きっぱり言われてしまいました。でもその言葉通り今では慣れてしまい、治るまでじっと待つしかないなと長期戦に臨むことにしたのです。
 先日も、お盆休みに秋田の同級生とゴルフをしたのですが、昼食後に薬を飲んでいたため、よくよく見てみると、どこかで見た薬ではありませんか。「なんとしたなや(通訳・・・どうしたのですか)?」と聞いてみると、昨年から耳鳴りが止まらなくなったそうです。そういえば、6月ごろでしたか、陶芸家の谷本洋先生の個展を見に行ったときも、隣で年配のお客さん同士が「最近耳鳴りがひどくてね、なかなか治らないんだわ」などと話しているのが聞こえてきたこともありました。最近耳鳴りで悩んでいる人が多くなったのか、あるいは私がそういう年齢になってしまったのか、そのあたりはよくわかりませんが。


 私の場合、耳鳴りの原因は「過労とストレス」とはっきりしているため、念のために事務局の渡辺さんにしっかりした心療内科の先生をご紹介していただいて、みてもらいに行ってきたのです。初めて行ったとき、1時間半くらい話をしたのですが、ちょうどNHKドラマ「監査法人」の放映中だったこともあり、職業を聞かれて話題がそちら方面へと行ったのですね。
 心療内科の先生も、「監査法人」をご覧になっており、「あの若い会計士のように、自分に厳しく、何事に対しても真っ向から突っ走っていくまじめな人が危ないんですよ」と、健司にきちんと忠告していたのでした。「わるいけど、オレ、手加減しませよ」と、大変かっこいいのですが、そういうふうにモチベーションを常に高く持ち続け、己に対して、何年間も厳しくあり続けることは、ドラマでもそうですが、精神的に疲れてしまいます。私も突っ走ってしまうことがありますので、先生は健司を通じて、私に忠告していたのではないかと考えているのです。
 私も考えてみれば、もともと忙しかったのですが、特にここ5年くらいは怒涛のごとくいろんなことがあり、夏休みと年末年始を除き、ほとんど毎月100時間以上の実質残業を行っていたため(労基の方は読んでいませんね)、体のどこかがおかしくなるのは、当たり前のことなのだ。この5年間、手足のしびれにはずいぶん悩まされましたが、これが「くも膜下出血」とか「心筋梗塞」等で取り返しがつかなくなる前に、耳鳴り程度で済んで、逆によかったなと今では考えるようにしているのです。昨年自宅で1回、今年は事務所で一回、気分が悪くなって倒れてしまい、危なく救急車で運ばれるところだったのですが、3回目はもうないように注意しようと思っています。ギターが弾けなくなってしまったら、楽しみがなくなるではないか。


 今年の4月からは内部統制の監査が始まり、もともと人手不足の中、上場会社4千社の内部統制監査や四半期レビューが加わることになります。皆さん大変だとは思いますが、後1~2年で監査法人の人手不足は解消するのではないでしょか。自分の体調と相談しながら、限界を超えないよう注意して、乗り切っていただきたいと思います。

2008年8月18日月曜日

サラカイセン ~163-167~

163.口パクの 子供の将来 気にかかる


164.驚きと うそで演じた 開会式


165.気合より 冷静さが ものをいう


166.本番で 力を出す人 出せぬ人


167.いつの間に ブログの読者が 増えていた

2008年8月17日日曜日

お盆休みの最後に雑学を一つ

☆株式会社とは ~東インド会社と関が原の戦い~


 みなさんも世界史の授業で習ったことがあると思いますが、世界で最初に設立された株式会社は、1602年に設立された、オランダの東インド会社です。つまり、日本が「関が原の戦い」の真っ最中だった頃に、ヨーロッパでは株式会社という制度が登場し、株への投資が行われていたということになります。このあたりが文明の相違といったことになるのでしょうか?株式会社制度はそれ以来400年もの長きにわたり、われわれの経済社会に根付いていることになります。


 株式会社の仕組み事態は、基本的には現在においても昔からあまり変わっていません。例えば、皆さんの頭に中に何かすばらしいアイディアがひらめいたとします。商品化したら大ヒット間違いなし。ウッシャ~!と思ったのはいいけれど、先立つものがありません。商品を作るには工場が必要ですし、材料を仕入れなければなりません。また、従業員を雇わなければならないし、お店も必要です。どうも個人の力だけでは自分のアイディアを実現できそうにもありません。さてどうする。
 ここで登場するのが株式会社制度です。まずは、周りの人で、自分の考えに賛同してくれそうな人に声をかけ、自分のアイディアを説明して出資を募ります。要するにお金を出してもらうわけです。同調してくれればお金を出してくれるでしょうし、そうでなければ断られてそこまでです。出資してくれた人には、出資金額に応じて証書を発行するわけですが、これが株券です。みんなから出資を募ってそれを元手に事業を展開し、うまくいって利益が計上されれば、出資してくれた人(つまり株主)には、その見返りとして配当金を支払うことになります。株主は出資した甲斐があったということですね。また、仮に事業がうまくいかなかった場合には、出資したお金が返ってこないこともありうるわけですが、出資金額以上の負担は負いません。事業失敗のリスクは、株主全員が出資金の範囲内で負うということで、リスクが分散されるわけですね。


 このように、多くの人からお金を集めて経営を行う会社を、株式会社といいます。
ちなみに、日本における最初の株式会社は、1873年(明治6年)に設立された「第1国立銀行(現在のみずほ銀行)」ですが、オランダ東インド会社から送れること約270年ということになります。

今年も受験の季節がやってきた

~この時期、受験生はどのような気持ちで過ごすのでしょうか~


 もうすぐ公認会計士試験が始まります。昨年合格者が今までの約2倍となり、従来に比べたら受かりやすくなったかもしれませんが、やはり難しい国家試験であることには違いありません。受験生の皆さん、大変お疲れ様です。


 私も今をさかのぼること約30年近く前は受験生だったわけですが、当時はいわゆる二次試験が最大の難関でした。もともと生まれが東北であるということと、当時は仙台の試験会場にはクーラーが効いていたため、仙台で受けることにしたのです。
 仙台に行く前に、東京の高田馬場駅付近で友人と待ち合わせをして、「では、行ってくるよ」と話したところ、レジュメの入った紙袋で両手がふさがっていた私の姿を見て、「それがお前の青春の重みというヤツだな」と笑って言っていた友人の言葉を、つい最近のことのように、今でもはっきり覚えています。


 合格発表の日の朝6時、約束の電話のベルは鳴りませんでした。合格の手ごたえは確かにあったはずなのですが・・・。前日の夜から飲み始めたロバートブラウンは、すでに三分の二ほどなくなっていましたが、頭の中は冴え渡るばかりでなかなか寝付けません。午前3時ころ、ウトウトしたような気がしますが6時前にはパッチリと目が覚め、視線はアイボリーホワイトの電話に釘付けになっていました。
 数日前、同じ受験仲間だったHM氏に会い、「6時には発表になるから受かっていたらすぐ電話するよ」と言われたばかりだったので、その言葉をじっと信じていたのです。
 「この1年間、やれるだけのことはやった。もう一年この勉強を続けろといわれても、気持ちが続かないだろうな。今回落っこちたらもう受からないだろうな。でも、だめだったらもう一度やるしかないだろうな。親父には、去年いつまで居候するつもりだ(実はこの年の3月に大学を卒業し、浪人生活をしていたのだ)といわれているしなぁ」などという事をぼんやり考えているうちに、時計の針は7時を回り、8時を通り越し、そしてもうすぐ9時になろうとしていたのです。
 「しかだねなぁ~、もう一年やるべが」と覚悟を決めかけたとき「リ~ン!早く出ろ!」とばかりに、それまでおとなしかった電話のベルが、突然けたたましく鳴ったのです。ベッドから飛び起きて、受話器をわしづかみにして耳に当てたところ、そこから聞こえてきたのは、これまた受験仲間のHS氏からでした。その時私は「コシちゃん、受かっているよ」という言葉を確かに聞いたのですね。
 頭の中が真っ白になり、やったぁぁぁぁぁ!!とばかりに右手の拳で思わずガッツポーズを作っていたのですが、HS氏の「イッチャン(同じく受験仲間の市村君で、今の協会本部の常務理事)も受かっていたけど、僕はだめだったよ」という言葉を聞いたときは、おもわず唾を飲み込んでいました。私は高まる気持ちを押し殺して「残念です。またがんばってください」というようなことを言うと、静かに受話器を置いたのです(その後HS氏も合格)。そしてアパート内で隣近所のことも何も考えず、大きな声で「ウッシャ~!」と叫んでいたのでした。


 とりあえず、秋田の実家に電話しなければと思い、ダイアルを回そうと(当時はダイアル式の電話だったのだ)思ったのですが、興奮して手が震え、指がうまくダイアルに掛からないのです。やっとの思い出ダイアルを回したところ、受話器の向こうに出てきたのは母親でした。母親は今日が合格発表日であることを知っていたのですが、「もしもし、オレだけど」という私の言葉に対して、開口一番「落ちたべ~」でした。
 なぜ、「落ちたべ~」なのか、それは大学受験のときに前科があるからなのです。「絶対受かっているから」などと親に言っておいて、発表のときに親に電話で言った言葉が「落ちだ」でした。そのときの親の落胆ぶりは、顔には出さなかったものの相当なものだったようで、今回の公認会計士二次試験も、試験終了後、私がいくら「絶対に受かっているから心配するな」と言っても、ぜんぜん信用していないようでした。ぐやじい!
 「落ちたべ~」と耳元で言われた私は「受がった~!」と受話器に向って大声で叫んでいました。母親は「いがった、いがった」と言った後は、言葉になりませんでした。私もなんとなくジ~ンとこみ上げてくるものがあり、「もしかしたら今の自分は、今まで生きてきた中で一番充実した時間の中にいるのかもしれないな」などとぼんやり考えていたのです。「とりあえず、お父さんに教えてくるから」と言い残し、母親は電話を切ったのでした。
 父親は手術のため入院していました。思えば昨年、1回目の受験に失敗して、大学へも行かず、自宅でごろごろしていたときに、「いつまで居候しているつもりだ!」とムチを打ってくれたのは父親でした。これからはやっと自分の足で立って歩いていけるのです。そう思うと自然に力がこみ上げてきて、「お~し!やってやろうじゃないの」と、柄にもなく力んでしまったのでした。

懐かしい人に出会えた全国研究大会

~忘年会で大暴れしてしまったことを思い出したのです~


 サラリーマン会計士川柳(サラカイセン)の148にも書いたのですが、先日行われた全国研究大会では、前夜祭や懇親会で、大変懐かしい人たちに出会うことができました。今はなき大手会計事務所の東京事務所に勤めていたとき以来ですので、もう22~23年ぶりくらいになります。
 前夜祭では、IKさんという女性が私のところに来てくれてのですが、お会いした瞬間その人とわかったくらいで、ほとんど変わっていないのですね。一年後輩だったのですが、そのころはスタッフ同士みんな仲がよく、一緒に旅行へ行ったりしていたのですが、そのときの写真が笑顔のまま、未だに私のアルバムの中から微笑みかけているのです。
 懇親会ではKMさんにお会いしました。KMさんは、私が入所当時、主査だった方で、仕事に対しては大変厳しい方でした。その代わりといっては何ですが、お互いお酒が大好きでしたので、いつも仕事帰りに飲みに連れて行ってもらったものでした。懇親会のときも二人で地酒を何回もお代わりしながら、昔話に華を咲かせていたのです。


 KMさんというと、一番強烈な思い出は、私が忘年会で暴れてしまったことです。事務所に就職すると、年末には必ず忘年会に参加することになります。何しろ全員顔をそろえて一箇所に集まるということは、どこの会社でも結構珍しいのではないでしょうか。ましてや監査法人の場合、いつも数人で行動しているため、ほぼ全員そろうのは、新年会と忘年会、それに夏の全体研修くらいしかありません。今では忘年会といってもスマートな感じになって、不参加を決め込む人もいるようですが、昔は参加するのは当たり前、みんなの前で何か一つ芸をやらなければ一人前とみなされないような雰囲気はどの会社にもあったような気がします。
 会社の人がそろって熱海などへ行き、温泉に入って浴衣に着替え、それぞれ各人に与えられたお膳を前にして、偉い人の挨拶を、ビールがぬるくなってしまうのを気にしながらじっとこらえて聞いている。そして、乾杯の音頭があっていざ歓談が始まり、だんだん盛り上がってくると、みんなで手拍子をとって歌を歌い、また、芸達者な人が日頃から鍛えたかくし芸を披露する・・・といったところが、昔の日本のサラリーマン社会の由緒正しい忘年会だったような気がします。
 10月に入所して、最初の忘年会は箱根で行われました。その時生まれて初めてテニスを教えてもらったのです。その後、浴衣に着替えて卓球大会が始まります。卓球はほとんどみなさん学生時代に試みた経験があるだけに、なぜか熱が入って盛り上がってしまうのですね。そして、いよいよ宴会へと突入するわけですが、ここで必ず行われるのが新人の挨拶と芸の披露です。同じ新人のKW氏は、青江美奈の“伊勢崎町ブルース”で色っぽく歌い、拍手喝采を浴びていました。私の場合は、挨拶と自己紹介が結構受けたので、芸の方は、歌を歌うことだけで勘弁してもらいました。
 宴会もどんどん進んでくると、ビールやらお銚子をもって、みんなについで回る人が多くなってきます。新人の私はどうしていいかわからず、自分の席でボーゼンとしていると、そこへ同期のYGさんがやってきました。彼は「コシチャン、ちゃんとみんなにお酒をついで回らなければいけないよ」と忠告してくれたため、私もビール瓶を持って、YGさんの後をず~っとくっついていったのでした。「う~ん、これかぁ、サラリーマン社会の忘年会というものは」と、ほとんど感動したのを覚えています。


 2回目の忘年会は、西熱海で行われました。2回目ともなると、私も多少余裕を持って臨むことができたのですが、逆にそれが災いして、かなり深酒をしてしまいました。宴会が終わって、各々気の会う仲間同士がグループを作り、各部屋で飲んでいたのですね。私は、若手グループで集まって飲んでいたのですが、そのうちTが部屋にやってきました。彼も私もかなり酔っていたのですが、プロレスごっこのような恰好になり、酔った勢いで私はTに対して、布団の上にバックドロップを食らわせてやったのです(もちろんおふざけですが)。Tはふらふらと立ち上がると、おもむろに窓の方へ行き、窓伝いに隣の部屋へ行こうとするではありませんか。夜も大分更けてきて、外は真っ暗でよく見えなかったのですが、確かこの部屋は十数階だったはずです。そのことに気がついた我々は、あわててTの行動を止めようとしたのですが、Tは我々の制止には耳を貸そうともせず、ベランダ(あったかな?)伝いに隣の部屋へ行ってしまったのでした。今考えると、ずいぶん無謀なことでした。
 さて、一段落すると、みんなで他の部屋をのぞきに行きました。入った部屋は、中堅クラスの人たちが集まっていた部屋でした。そこではなにやら仕事上の難しい話をしたようです(というのは、このあたりはかなり酔っていたため、あまり記憶がないのです)。はじめのうちは、私もただ黙って話を聞くだけだったのですが、そのうち監査実務に対して自分が抱いていた理想と現実のギャップを訴えなければならないという思いに駆られ、酔った勢いも手伝って「今の我々の監査はこんなことでいいのですか?」と、涙をぽろぽろ流しながら訴えていたのでした。


酒を飲んで酔っ払うと、タイプ的には
��1)はしゃいでしゃべりまくる人
��2)怒りっぽくなり、説教する人
��3)泣き上戸
��4)愚痴っぽくなる人
��5)何も変わらない人


と、まぁ大体5段階くらいに分けることが出来ます。私は普段はどちらかというと⑤に属するわけですが(そうじゃないという人もいますが)、このときは③に属する人になっていたようです。そして後から聞いた話ですが、前にいた部屋でプロレスごっこをやっていたこともあってか、その部屋にいた私の仕事上の上司に当たる人達、つまり今回懇親会で久しぶりに再会したKMさんにも殴りかかって行ったらしいのです。私の今までの人生で、酒を飲んで記憶をなくしたのは、後にも先にもその時だけでした。その後そうなったかは、誰も話してくれなかったし、私も聞くのが怖かったので、黙っていることにしたのです。


 次の日は、懇親ゴルフでしたが、朝起きると真っ先にトイレに直行する羽目になりました。そして、スタート前の記念撮影の直前にももう一度、みんなを大分待たせてしまいました。そして、1組目のスタートだったのですが、記念撮影の後も我慢できずにトイレに直行し、そこでまたしても皆さんを待たせる羽目になってしまったのでした。5番アイアンで打ったティーショット(この時の写真は、今でも私のアルバムに貼ってあるのですが)は、いきなり右45度方面に飛んでいきOB。二発目も、すかさず「打ったらすぐ走る人」になっていたのでした。
 途中でギブアップしようかとも考えたのですが、何度も水分を補給しながら18ホールを回り終わったときには、もうヘロヘロ状態になっていました。でも、コースから見た富士山がきれいだったのは、なぜか鮮明に覚えています。


 翌日の朝、KMさんに忘年会での出来事をわびたのですが、「まぁ、酒に酔った上でのことだから」とはいってくれたものの、しばらくは飲みに誘ってはいただけませんでした。でも、今回こうして全国研究大会で久しぶりにお会いして、再び大吟醸の入ったグラスを重ねて、昔話をしながら一緒に飲む機会に恵まれ、本当によかったなぁと思っているのです。KMさん、名古屋までお越しいただいて、本当にありがとうございました。来年は、また新潟大会でお会いしたいものです。

2008年8月16日土曜日

ソニーの株をコンビニで買うことが出来るようになるのであるか!

NHKドラマ「監査法人」Q&Aシリーズ


Q.9 株式を証券取引所に上場することによって、どのようなメリットがあるのですか?


Ans
��. コンビニで株を買うことが出来るようになります。
��. 資金調達を行うことが出来るようになるし、会社が世間に知られるようになり、優秀な人材が集まってきます。
��. ドーナツが売れるようになります。



 NHKドラマ「監査法人」で、健司のファンという井上の作った会社「プレシャス・ドーナツ」の上場を巡って、いろんなドラマチックな場面があったのですが、企業家にとっての重要な目標の一つは、自社の株式を上場させることでしょう。
株式上場が成功すると、銀行からお金を借りなくても、証券市場から資金調達することが出来、新たな設備投資を行うことが出来ますし、株式が流通するようになると会社も有名になり、優秀な人材が集まってきます。また、取引先も増えるでしょうし、自社商品を買ってくれる人も増えることと思います。もちろん、上場前に株式を持っている人にとっては、上場後、何倍、何十倍の値段で株式を市場に売却することが出来るため、多額の売却益を得ることができます。
 もちろん、メリットばかりではありません。株主が増えるといろんな発言が株主からあるため、株主総会を乗り切るのも大変気を使うことになるでしょうし、経営者にとっては株価や配当へのプレッシャーから逃れることは出来ません。
 また、上場すると、財務諸表を公表することが必要になりますので、公認会計士又は監査法人の監査が必要になりますし、今年の4月1日から始まる事業年度からは、財務諸表監査と同一の監査人から、内部統制の監査も受けなければならなくなりました、アメリカでは内部統制の監査にお金がかかりすぎ、上場を取りやめたりする企業があると聞きますが、日本の場合はそこまで細かい手続は要求されていないため、上場を取りやめるほどの影響にはならないと考えられます。


 株式上場には、デメリットを押しのけて余りあるメリットがあると思われるため、監査法人へ支払う監査報酬などは、上場を維持し、その会社の財務諸表を信頼していただくために、最低限必要な支払であると、経営者や監査役の方々には、前向きに考えていただきたいと思っているのです。何しろ、日本の監査報酬は、アメリカに比べて安すぎるのだ。


 上場した株式は、証券会社を通じで売り買いすることになるのですが、最近はケータイでも株を売買できるようになったようですね。コンビにではどうでしょうか。


 コンビニは、我々の日常生活に欠かせないものになりつつあります。おにぎりや弁当・飲料はもちろんのこと、パンツやおでんまで実にさまざまなものを手に入れることができます。最近ではATMを置いているところもありますし、さらに今後はクリーニングの取り扱いも行うようです。しかし、コンビニがいくら便利になったからといっても、株を買うことはできません。コンビに行って、「ソニーの株を千株くださいな」と言ってみたところで、誰も相手にしてくれませんよね。
 実際に株の売買を行うためには、株を売り買いするところ、すなわち証券市場が必要なわけですが、それが証券取引所です。不特定多数の買いたい人と、不特定多数の売りたい人がそれぞれ証券市場に注文を出して、株の売買を行うことになります。
 ただ、証券取引所で株の売買が行われているといっても、自分で証券取引所まで足を運んで買いに行くわけではありません。株の売買を行っている人は、全国にたくさんいるため、みんなが証券取引所まで押しかけたら、それこそ大変なことになってしまいます。実際に私達が株の売買を行うためには、近くの証券会社の窓口へ足を運ぶことになります。「ソニーの株を千株買いたいのですが」と窓口で言えば、今度は丁寧に対応していただけるでしょう。
 証券会社ではたくさんのお客さんからの注文を受け付けるわけですが、そういった全国の証券会社からの注文が、今度は証券取引所へ集められ、株価が決まることになります。いわゆる需要と供給の関係で値段が決まるわけですね。すなわち、ソニーの株がほしいという人が多ければ株価は高くなりますし、売りたい人が多ければ、株価は下がることになるのです。当然のことながら、株を安く買って高く売れば儲かりますし、逆に高く買ってしまって安く売ることになれば損をすることになります。
 テレビのニュースや新聞で、日経平均株価が上昇したとか下落したとかよく話題になっていますが、株価は日本経済に大きな影響を及ぼします。


 もちろん公認会計士がクライアントの株を売買することは、基本的には禁じられています。

簿記を発明した人は偉い

~世界の大発明とゲーテは言う~


NHKドラマ「監査法人」Q&Aシリーズその8


Q.8バランスシートといわれて何を思い出しますか


Ans
��. バランスシートとくれば貸借対照表に決まってるがね。
��. 私なら簿記の基本原則「貸借平均の原理」ですね。
��. 表裏一体、借金も財産のうち・・・かな。
��. シートノックで、なかなか倒れない人のことでしょ。



 NHKの渡辺さんと、事務所で台本の打ち合わせをしているときに、台本の中で篠原理事長と健司がバーで会話するシーンが出てくるのですが、「人生はバランスシートのようなもの」という意味の会話が、最初の方の(第一稿か?)台本に書かれていたのですね。このあたりは会計のシーンとはまったく関係ないため、私の出番ではないのですが、私ももうすでに50年くらい生きているので、何か味のあるセリフでも考えてみようと思い、篠原理事長に「人生はたとえて言えばバランスシートのようなもの、いわば簿記で言うところの“貸借平均の原理”で、長い人生どこかでバランスが取れるものだよ。つらいときもあればうれしいこともある。無駄なことをやっているように思われても、いつか役に立つことだってあるし・・・」などと考えていたのですが、作家の方が理事長に言わせると「・・・・表裏一体、借金も財産のうち・・・」という事になるのですね。会計士がバランスシートというと、すぐ「貸借平均の原理」を思い出すのですが、さすが作家の方はいうことが違うというか、台本を読んでいると、「う~ん、なるほど。奥が深い」と思ってしまいます。
 このシーン以外にも、さすが作家の方は違うなと思えるようなセリフが、第6話にまでわたって数多く出てきており、このドラマに素晴らしい作家の方を選んでいただいて、私としても大変感謝しております。このあたりは、私にはまだまねのできないところでもあり、修行が足りないのだと思います。永平寺に行って修行してこようかな。でも、私は作家を目指しているわけではないから、これでいいのだ。そういえば確か「本気で作家になる方法」などという本が書店に出ていたような気がしましたが、こっそり読んでみようかな。


 ところで、世界の三大発明は何かと聞かれた時、皆さんは何を思い浮かべるでしょうか?ケータイやパソコンも確かに便利ではありますが、やはり力不足です。長い歴史を考えると、言葉・文字・紙・電気などが思い浮かびます。特に「世界の初めに言葉ありき」と旧約聖書で断言しているだけに、言葉は確かに世界の大発明といえるかもしれません。ところで簿記もかなり上位に食い込むのではないでしょうか?皆さんご存知のゲーテは、その著書の中で「複式簿記が商人に与えてくれる利益は計り知れないほどだ。人間の精神が生んだ最高の発明のひとつだね」(岩波文庫より)と、登場人物に語らせているくらいです。
 簿記というと地味な印象を持つ方が多いようですが、簿記の考え方は言葉の壁を越えて世界共通の考え方となっています。企業があるところには必ず会計があり、そこで帳簿記録を行うことは必要不可欠となっています。また、企業だけでなく、町の小さな個人商店でも同様です。日々の取引において、一体何にお金を使ったかは気になるところですし、誰にどれだけの債権があるのかも記録しておかないと、後で損失をこうむることになりかねません。
 実際に帳簿記録が行われるようになったのは、やはり商取引が盛んになった頃ですが、現存する最古の帳簿記録は、イタリア・フローレンスの公文書で発見されたもので、フローレンスの銀行における1211年の日付が付されているものです。それ以来現在まで、会計はどんどん複雑になっているのです。
 簿記は帳簿記入の略語と言われていますが、英語で言うと「Book Keeping」です。そして日本にはじめて西洋式簿記を紹介したのが、一万円札でおなじみの福沢諭吉であるといわれています。
 資本主義を支えているのが株式会社制度で、株式会社は例外なく決算を行わなければなりません。決算書をどうやって作成するかというと、それは会計や簿記の世界です。ですから、簿記は地味な言葉ではありますが、大げさに言えば、資本主義を支えているといっても過言ではないのです。変な理屈かもしれませんが、それだけ簿記は大事な技術だということができると思います。


 たまにはまじめなことも書くのだ。

サラカイセン ~158-162~

158.日刊紙 どれもこれもが スポーツ新聞


159.カネなんか 誇りが私を 支えてくれる・・・(健司「お金と権力は後からついてくるものです」)


160.引継ぎを 求める小野寺の 目に涙


161.


162.ゴルフする ばれてはならぬと 日焼け止め・・・(塗りまくったりして・・・)

2008年8月14日木曜日

初めて本を書いた25年前のこと

~時間があったらじっくり本を書いてみたいのだが~


秋田の高校時代の友人に、縄田屋というのがいるのですが、彼とはその後も長い付き合いになっています。大学時代、私は文学部西洋史学科という立場でありながら、途中で会計士を目指してしまい、縄田屋は、商学部でありながら作家を目指すという、なぜか妙なめぐり合わせになってしまい、お互い変わったやつだなぁ~と言い合っていたものでした。
その縄田屋がある日、大変魅力的な話を持ってきたのです。まだ公認会計士二次試験に合格して1~2年目のころだったと思います。それは、本を書いてみないかという話でした。
「面白法律雑学読本」という本を出すのであるが、その税金版を出そうということになり、彼の友人に会計士がいるということで、私が指名されることになったわけです。
本を書けるという自信はまったくなかったのですが、こんなチャンスはめったにないと思い、「ワシに任せなさい」と大見栄を切ってしまったのでした。会計士の書く本というのは、どうしても硬いものが多いため、出来るだけ面白おかしく書いてやろうと決心したのです。
本の形式は、まずはじめに質問があり、それに対して回答をA.B.Cと三つ用意し、その中から正しいものを選択するという方式で、後は解説をつけるというものでした。今、私がHNKドラマ「監査法人」Q&Aシリーズでやっている、あの方式ですね。


結局仲間にも執筆を依頼し、221の問題と回答を作り上げたのでした。毎日毎日仕事が終わった後、机に向って原稿を書くというのは、なかなかつらいものがありましたが、やがて本になって世の中に出回ることを考えると、ついついヨロコビを感じてしまい、真夜中にアパートの狭い部屋で、一人ニヤニヤ笑っていたのでした。


書き上げた原稿を、出版社に渡してから本が出るまでの間が、なんと長く感じられたことか。ある朝、日経新聞に目を通してみたとき、一面の下のほうに、囲みで新刊本の紹介として「面白税金・経済雑学読本」という文字が目に飛び込んできたときは、本当に自分の書いた本が世に出るんだなと、実感したものでした。
後日、出版社から本が送られてきたため、あちらこちらに配って回りました(今見てみると、第一刷発行が、昭和59年1月30日となっています)。同僚の会計士からは、内容について指摘もありましたが、本をこの世に送り出したというヨロコビでおおらかな気分になってしまい、「え~の、え~の。そんな細かいことはえ~の!」とえ~のおじさん化していたため、あまり気にも留めませんでした。でも、本当は読者の批判には、謙虚に耳を傾けなければならないのだ。
その後、いろんな本屋を回ってみたのですが、やはり置いてあったのですね、ワタクシ達が書いた本が。おもわず鼻の穴がムフムフと、5ミリくらい膨らみましたね。「秋田の第一勧業銀行の待合室さも置いであったや!」と、秋田に住んでいる私の弟(つまり、今の怪しい税理士)からも電話があり(彼も執筆者の一人だったのだ!)、そ~か、そ~か。そんな北の果てにもワシらの書いた本が置いてあるのかと、なんとなく「遠い都会の下宿に暮らしている自分の息子を思う、地方の田舎に住む年老いた親の気持ち」に近いものになりましたね。
ところが、最後にたった一つ思わぬアクシデントがありました。あの縄田屋が、この本を最後に、会社を辞めると言い出したのです。原稿料として○○万円(買取だったのだ)と書いてある小切手を私のところに持ってきたその夜は、二人で練馬にあるスナック小麻木で、朝まで飲み明かしたのでした。


今すぐにでも、本の2~3冊は書けそうな気がするのですが、夏休みが終わるとまた仕事に追い回されることになって、目の前の業務をこなすのに精一杯という事になるのでしょうかね。

篠原理事長の「時代と戦っている」が気にかかる

~NHKドラマ「監査法人」Q&Aシリーズその7~


Q.「しいていうと時代かな・・・ある時は善といい、ある時は悪という・・・」これは、どんなことを想定しているのですか


Ans
��.日本人の自我のことです。
��.男女交際のことです。
��.例えば「旧長銀の元頭取が逆転無罪になった」ようなこととでもいいましょうか。



会計士協会の全国研究大会が終わって一段落したため、心身の静養をかねて温泉に出かけたのですが、そこで前から気になっていたことを、うちのカミサンに尋ねてみたのですね。「ある時は善で、ある時は悪というものにはどんなものがあるかな?」と。すると即座に答えが返ってきたのです。「日本人の自我」と。私などは、「男女交際」などとつまらないことを考えていたのですが、いきなり難しい言葉が返ってきたため「う~ん、なるほど」といったきり、それ以上その会話は途切れてしまったのでした。
他にも例えば「働くことの美しさ・・・ワーカホリック」「マクドナルドの店長の残業代」など浮かんできたのですが、温泉に入って、うすらぼけ頭化している状況では、なかなかいいものが浮かんできませんでした。
「粉飾決算」が、「ある時は善」という事はありうるのでしょうか?確かに粉飾決算には大義名分がつきものであり、粉飾をしなければ会社が債務超過になって上場廃止になるからとか、粉飾しなければ配当が出来ず、株主から責任を追及されるからとか、「仕方がないんだかんな!」と、なんとなくやむをえないではないかという思いがあり、罪悪感が乏しいことは事実かもしれません。堀江時代のライブドアは、むしろそのような消極的な理由ではなく、時価総額を上げたいという積極的理由から粉飾を行ったという、珍しい例だと思います。とにかく、いずれにしても、粉飾決算が「善」という事にはならないと思いますし、もちろん時代に関わらず、今後もあってはならないことだと思います。
と思っていたら、7月19日の日経新聞にこのような見出しが載っていました。「旧長銀粉飾 元頭取ら逆転無罪 最高裁判決 会計処理、違法といえず」「厳格な会計へ過渡期 新基準 明確でなく」というものです。つまり、当時は厳格な資産査定へと向った金融行政の転換期で、会計基準も過渡的な状況にあったとの判断を示したわけです(新聞記事より)。今の基準では、貸出金に対する貸倒引当金不足で、明らかに「有罪」という事になるのでしょうが、当時は新基準が強制適用されているわけではなく、緩やかな不良債権処理を事実上容認する方式だったから、「悪ではない」したがって「無罪」という事になるのでしょうね。
我々会計の専門家からすると、なんとなくすっきりしない判決ではありますが。


「男女交際」は、昔(昭和の中ごろまで?)は禁止されていたようですが、今の学校教育ではどうなっているのでしょうか?街中を歩いていても、なんとなくあっけらかんとしたものだと思うのですが、恥じらいとか控えめといった日本人の美徳は一体どこへ行ってしまったのでしょうね。

2008年8月12日火曜日

会計士補は今日も行くのだ

~ NHKドラマ「監査法人」Q&Aシリーズその6 ~


Q.6 健司の年齢で大会社の主査に抜擢されることもあるのですか?


Ans
��.当然です。バリバリやってもらわなければ困るのだ
��.篠原理事長の飲み仲間だから、特別抜擢されたのです。
��.厳格監査を押し通さないと、なかなかなれませんね。



 そろそろお盆休みという人も多いと思います。私も休み中なので、仕事から解放されると、たまに過去を振り返ったりするようになりました(8月5日で52歳になったのだ)。私が受験生のころは、今の時期はちょうど2次試験が終了して合格発表を待っている期間で、なんとなく落ち着かない日々を過ごしていました。公認会計士2次試験に合格して監査法人に勤め始めたころ、合格前に夢見ていた世界と現実の世界とのあまりのギャップに驚き、落胆と哀しみと怒りと愛情をこめて作った歌があります。「会計士補ブルース」といって、仕事をしながら、心の中ではいつもこの歌を口ずさんでいました。歌詞は、いろいろ誤解を招くおそれがあるためここには書きませんが、27年前は今と違って、出張なんかに行くと会社との接待も結構あったし、ゴルフもよく行われていたようです。


ちなみに一番の歌詞だけ


一.電卓の音が鳴り響き 今日も朝から販管費
   書類の山に気も沈む
   朝から晩まで請求書 めくりめくって領収書
   ついでに月末おいらの飲み屋の請求書
   不況愛嬌なんのその
   会計士補は今日も行く


二.会社の接待大切に・・・・おっとっと、ここで止めておきます。


 この歌は、昔ジャイアンツの柴田勲選手が二軍の合宿所生活時代に、二軍選手の生活ぶりを、哀愁をこめて作った歌があったこと(曲名も歌詞も覚えていませんが)を思い出して作ったものです。
 合格当初はまだ若く、理想に燃えているため、「こんなことではいかん!」と思うのですが、時間がたつにつれて「なんか変だな?」に変わり、いつしか「まぁいいか・・・」となっていくのでしょうか?いやいや、そんなことはないのだ。
 私が入所した当時も、入所後2~3年で(つまり会計士補のときでも)、小さい会社の実質現場責任者(いわゆる主査)を任されることもありましたし、それは今でも変わらないと思います。監査法人内の正式な肩書きとして、主査(マネージャーという事もありますが)と名乗るのは、一般的には公認会計士になって4~6年くらいたってからと思われますが、健司が北陸建設工業の主査を、初めて任されても何の不思議でもありませんし、東都銀行のように、日本を代表するような大会社の主査を、パートナーの吉野さんが担うということもなんら不自然ではないのです。
 第一話の北陸建設工業の監査で、小野寺さんからメールがきて「初めての主査で大変だと思うが、君たちはプロフェショナルなのだから、がんばれ・・・」のシーンには思わず涙してしまいました。若い会計士にとって、「会社を任される」という事は本当にうれしいことであり、私などは、重要な会社になればなるほど、ヨロコビを感じたものです。
 今の若い人はどうなのでしょうか?難しくてリスクの高い会社ほどやりがいがあって面白いと思っているのか、あるいは何も問題がなくて楽な会社ほど担当したいと考えているのかどうなのでしょうね。私の場合は、前者の会社を担当すればするほど、力が湧いてきたような気がするのですが、いかがでしょうか。


NHKドラマ「監査法人」Q&Aシリーズその5

Q.5健司も茜も監査法人を退職してしまいましたが、監査法人というのは退職者が多いところなのですか、また、いったん退職して同じ法人に戻ることはあるのでしょうか?


Ans
��.監査法人は競争が厳しく、仕事も大変なため、入社3年で半分は辞めます。
��.そんなことはありません。ほとんどみなさん定年まで勤務します。
��.入社3年間ほど経験を積んで力をつけてから、新しい世界へ挑戦するために退職する人もちらほら出てきます。



 人生におけるサラリーマン生活で、退職届を出すという場面に直面するのは、最近では珍しいことではなくなってきているのかもしれませんが、かつての日本においては、正しく由緒あるサラリーマン生活を営んでいる限り、通常は1回というのが相場でした。しかも、その時期は、定年になったため等の理由で、人生の終盤を迎えるあたり、というのが平均的な生き方だったと思います。それが最近では、「入社3年で何割が退職する」などといわれるようになり、成果主義が原因かどうかはわかりませんが、会社に対する愛着や忠誠心もうすれ、転職を繰り返す人も増えてきているようですね。
私の場合、今はなき某監査法人の東京事務所へ入所したのですが、入所4年目にして、早くも1回目の退職届を出さなければならない場面に直面してしまったのです。その理由は、会社の粉飾を見抜けなかったからでも、クライアントと問題を起こしたからでもありませんし、はたまた同僚と喧嘩をしたからでもありません。ヘッドハンティングされてしまったのだ~!などという理由であれば、なかなかかっこいいいのでありますが、結婚して名古屋に来ることになっただけの話なのです。


 以前は、公認会計士になって力をつけて、独立する人が結構多く、私の二次試験の同期も十数人いるのですが、いまだに監査法人に勤務しているのは、私と協会本部の市村常務理事の二人だけになってしまいました。しかも、ほとんどがすぐに独立し、もう20年くらい二人だけという状況です。最近はなかなか独立するのが難しくなってきたのですが、仕事に多様性が出てきたため、別の世界で活躍する人も増えてきました。それでも監査法人を退職する人は、以前に比べたら大分減ってきたような気がします。
 私の場合、退職届を出したのが29歳の時で、東京という刺激的な都会に住んでいることが楽しくて仕方がなかったころだったため、退職届はなかなか渡せませんでした。他の人の退職届を参考に、震える手で何回も書き直して、やっとの思いで書き上げたのですが、「これを渡したら、もうこの事務所にいることは出来なくなるのだぞ、この東京を離れることになってしまうのだぞ」と思うと、なかなか渡せませんでした。今日こそ渡してしまおうと、代表社員の先生のそばまで行くのですが、また戻ってきてしまったり、言い出そうと思っても口が動かなかったりで、やはり自分はこの事務所に愛着があるのだなぁと、しみじみ思ってしまいました。そして、とうとう震える声で言ってしまったのです。   「オレ、名古屋へ行きます!」


 今は、退職届を受け取る立場になったのですが、みんな思い悩んでの末に私のところに持ってきているのだなぁと思うと、複雑な心境になります。出来れば監査法人に残ってほしいのはやまやまなのですが、公認会計士になるといろんな可能性が開けているため、新しい仕事にぜひチャレンジしてほしいという気持ちもあります。どちらが正解なのかは誰にもわからないし、一回しかない自分の人生なので、好きなように生きるのが一番いいのだ。


 茜さんは、いったんやめた事務所に再び戻ったのですが、一般的にこのようなことはあるのでしょうか。実は何を隠そう、私がそうなのです。名古屋へ来た後、地元の監査法人に入ったのですが、なんとなく失望してしまった私は、当時の渡辺先生に、いったん退職してパートになる旨をお伝えしたのです。独立するつもりでした。ところが、数ヶ月もしないうちに、大手監査法人との合併話が現実化し、自分の活躍する場があるのではないかと考え直し、恥を忍んで、常勤勤務に復活させていただきたいとお願いしたのです。心の広い渡辺先生は、「ああ、いいよ」の一言で、受け入れてくれたのでした。
東京で入所した事務所は、今はもうありません。長い人生、どこで何があるかわからないのだ。


 ドラマの方は、健司もなんとなく近い将来、「エスペランサ監査法人」に復帰するニュアンスで終わっていましたが、続編があるのでしょうか。期待しましょう。

サラカイセン ~152-157~

152.小野寺よ オレの席も 空いてるか?・・・(田代より)


153.この世界 5人に一人は 中国人・・・(13億人いるそうです)


154.地対空 ミサイルに守られ 競い合う


155.柔は金 谷も金で ママはだめ・・・残念でした


156.オリンピックで 高校野球も 色あせる


157.プロが出て 五輪の精神 疑問だね

2008年8月8日金曜日

サラカイセン ~147-151~

147.金シャチも 喜んでいた 前夜祭


148.懇親会 久しぶりの 顔と顔


149.大会も ドラマも終わって 力抜け


151.地域会 評価の向こうに 何がある

棚卸立会は結構疲れるのだ

NHKドラマ「監査法人」Q&A(三択問題その4)


Q4. 第1話で、健司が広い倉庫の中でヘルメットをかぶりながら、棒で指し示して「あれお願いします」といった後、段ボール箱の中身を確認し、「ありますね」とうなずいているシーンがありましたが、この手続はどういう手続ですか?


Ans
��.現場視察といいます。
��.棚卸立会といいます。
��.賞味期限チェックといいます。



 毎年決算月は、棚卸の時期でもあるのです。商品や製品は会社にとっては重要な資産であるため、会社の方は必死になって一個一個在庫を数えて棚卸残高表に転記していくのですね。それを集計して、会計上の棚卸資産残高になります。それでは、その間会計士は何をしているかというと、「棚卸立会」と称して、会社の人がきちんと棚卸実施マニュアルどおり棚卸手続をやっているかどうかを、じっくり見て歩くわけです。見ているだけでは牽制にはならないため、たまには抜き取りチェックも行いますが、健司もそれをしていたのですね。


 心情的には会社の人と一緒に在庫を数えて、棚卸を出来るだけ早く終わらせてあげたいし、会社のほうも当然そう思っているのですが、会計士が行う「棚卸立会」という監査手続は、たまに抜き取り検査はやるものの、会社の人に混じって一緒に棚卸を実施していくという手続ではないのですね。
 監査人としては、その辺のところを会社の人にわかっていただきたいところですが、なにしろみんな忙しくて、在庫を数えているうちにいらいらしていることもあるため、会計士がボ~ッと突っ立っていたりすると、「こらこら、そんなところでぼさっとしていてはいかんではないか、さっさと在庫を数えたまえ」などと、会社の人に怒られてしまうこともあります。言われた会計士もとっさのことでびっくりしてしまい、「あの~、私、会計士なんですけどぉ」と小さな声でつぶやいたりするわけです。
 棚卸資産と一口で言っても業種によってはいろいろあります。百貨店における衣類や、家電販売店のテレビなどは、一個一個数えることが出来るのですが、石油や化学薬品、鉄くずの山、肥料などといったら数えるのに苦労してしまいます。石油の棚卸立会のときなどは、ヘルメットをかぶりながら石油タンクの上によじ登り、中を覗き込んでメーターを数えたりするのですが、高いところが苦手な私は(高所恐怖症なのだ)、石油タンクの上でオロオロするばかりです。そして、「今ここで地震や火災があったら、間違いなく助からないだろうな」などと思いつつも、大事な監査手続ですので、省略するわけにはいきません。
 以前は、棚卸資産を水増しして利益を増やすという原始的な方法で、粉飾決算をやっていた会社もあったようですが、「棚卸立会」さえしっかりやっていれば、そのようなことは未然に防ぐことが出来るのです。しかし、鉄くずの山を数えるときに、「縦約何メートル、横何メートル、高さが何メートルだから、全体で何トンです」などと言われても、こちらとしては、「はぁ~、そうですか」としか言いようのないときもあるのも事実です。


 棚卸立会で最も印象に残っているのは、某製薬会社のケースです。この立会は、新人の登竜門といわれていたのですが、大きな倉庫に天井まで積み上げられている段ボール箱の上によじ登り、Tシャツとジーパンを埃だらけにしながらはいずりまわって数えていくわけです。丸一日がかりで数えるため、終わった後はへとへとになるのですが、肉体労働が終わった後の充実感は、仕事をはじめたばかりの会計士補(当時)にとっては、なんともいえないものがあり、ビールをのどに流し込みながら「会計士の試験科目に体育を加えるべきである」などとみんなで大声で話し合っていると、なんとなく連帯感が湧いてきたものです。
 若いころは、いろんな会社の棚卸を体験できて、それなりに楽しみもあるのですが、もう最近では、できるなら棚卸資産のない会社の監査を担当したいというのが、正直な気持ちなのです。でも、最近ではほとんど棚卸立会に出かけることはなくなりましたが・・・。

2008年8月7日木曜日

「ゴルフバックは宅急便で送りなさい」と鈴本公認会計士は言った!

~監査法人は今でもクライアントとゴルフ三昧なのであるか~


Q.NHKドラマ「監査法人」第一話のシーンに、空港からゴルフバックを担いで降りてきて、クライアントとさっそくゴルフに出かけていく会計士がいましたが、今でもそうなのですか?


Ans.
��.昔はそんなこともあったかなぁ。でも今は絶対ありません。
��.昔も今もそんなことはありません。
��.「ゴルフバックは宅急便で送りなさい」と鈴本会計士。



 私がゴルフを始めた今から25年ほど前、サラリーマンの話題で多いのはゴルフの話でしたが、クライアントと会計士との間の話題で多かったのも、やはりゴルフの話でした。まぁ、酒・歌とともに必修科目だったといえば大げさでしょうか。今でこそゴルフは若い人達や女性の間でも幅広く行われていますが、25年ほど前は「ゴルフは金持ちのやるスポーツである、又はお年寄りのやるスポーツであり、自然破壊の元凶でもある。したがって自分は恥ずかしくてゴルフなど絶対に出来ない」と、固く心に誓っていたのですね。
 ところが入所して間もないある日、代表社員の先生に呼び出されると、いきなり「期末監査が一段落したらクライアントの人とゴルフをやるので、君も9月までに出来るようにしておくように」と言われてしまったのです。私は「ゴルフなんてやったこともないし、そんなもの恥ずかしくて出来ません」と必死に抵抗したのですが、その先生に「業務命令っ!」と一蹴されてしまったのでした。


 夏のボーナスをもらった後、私は上平先輩に連れられて、上野にあるシントミゴルフへと行く羽目になってしまったのです。最初に握力を計った後、先輩は、シャフトがどうしたとかトルクがどうだとかSとかRとか、なにやらわけのわからないことをぶつぶつ言っていたのですが、「ワシがいいのを選んであげるからね」といって買ったのは、ゴルフバッグとシューズ込みで8万円の、マグレガーのハーフセットでした。せっかくのボーナスを何でやりたくもないゴルフクラブにつぎ込まなければいけないのであるかと、まったくもって納得できなかったのですが、その後名古屋に来てからゴルフにのめりこむことになろうとは、そのときはまったく考えもしませんでした。
 さて、ゴルフクラブを買ったのはいいのですが、練習場がどこにあるのかもわかりません。東京にいるときは車も持っていなかったので、ととりあえず電車の駅から歩いていけるところに探さなければならないということで、当時住んでいた江古田の駅から西武池袋線に乗って、練馬方面へと向ったのでした。電車の窓から上石神井と保谷に練習場を発見した私は、とりあえず上石神井の練習場へと直行したのです。
 そこの練習場でクラブを借りて、とりあえず一発目を打ったのですが、実は打ったつもりでも、ものの見事に空振りでした。「な~に、止まっているボールを打つだけではないか」と気を取り直してもう一度振ってみたのですが、やはりボールは元の位置にありました。「あらっ?」などと言ってみたのですが、背後からは冷たい視線を感じ、額からは冷たい汗が流れてきました。その後も、右に左にほとんど直角にボールが飛び出すため、頭の中がほとんどパニック状態になっていたのですが、開き直って力任せに思いっきり打ち込んだところ、今度は大ダフリをしてしまい、クラブがネックのところから折れて、30ヤードほど飛んでいったのでした。
 受付へ行って事情を説明したところ、そのおじさんは「このクラブはもう古いけん、こんなこともあるでしょう。まぁあまり気になさるな」とやさしく慰めてくれたのですね。私は立ち直れないくらいの自己嫌悪に陥り、がっくり肩を落として西武池袋線の電車に乗り込んだのでした。そしてもちろん、ここの練習場を訪れることは二度とありませんでした。
 これに懲りずにその後は、電車と徒歩でバッグを担いで、保谷の練習場まで通いながら練習に励み、何とかコースに出ることが出来るようになったのですが、最初のラウンドで思っても見なかったことが起こりました。
 一昔前のゴルフウェアは今みたいにゆったりとしたファッションではなくて、体にぴったりのウェアだったのですね。私の当時のゴルフは、どちらかというと力ずくでボールを飛ばすことに生きがいを感じていたため、思いっきり踏ん張ってクラブを振ったところ、ズボンが太ももからふくらはぎのあたりにかけて、縫い目に沿ってバリバリッと破れてしまったのです。着替えのズボンを持ってきていなかったため、毛むくじゃらの太ももがむき出しになった私は、その場でオロオロしてしまったのは言うまでもありません。ところが、キャディさんが針と糸で縫いあわせてくれたのでした。そのときのキャディさんが、なぜ針と糸を持っていたのか、今考えてみると大変不思議な気がします。
 ラウンドする前に、社員の先生から「何も考えず、とにかく打ったら走れ!」といわれていた私は、ラウンドが終了するともうヘロヘロになっていました。結果は72・70と、散々なスコアで回ってきたのですが、ゴルフが嫌いになるどころか「ゴルフってなかなか面白いものであるな」と目覚めてしまったのです。
 それまでは、駅のホームで傘を振り回しながらゴルフのスイングの真似事をやっている人や、事務所の中でも手でグリップを作り、窓ガラスに自分のスイングを映している人を見ると「なんてアホなんだろう」と思っていたのですが、気がつくと自分も同じことをしているではありませんか。やっている本人は、得意げに「どうだどうだ!なかなかいいフォームだろう、オメーラとは腕が違うんだよ、腕が」と思っているのでしょうが、やはり見苦しいですね。


 ゴルフは奥が深く、一生楽しめるスポーツですので、ぜひ始めてみましょう。ただ、嫌いな人もいますので、無理強いだけはしないように。
 という事で、昔はクライアントとのゴルフも結構ありましたが、最近はほとんどなくなりました。ましてや、出張先にゴルフバックを担いでいくということは、もうないのでしょうね。
 それにしても、研究大会の後の三好CCでのゴルフ、木下専務理事には恐れ入りました。来年の新潟大会までに、練習して体調を整えて、いい勝負をしたいです。

2008年8月2日土曜日

サラカイセン ~142-146~

142.私にも 時代と戦う 心意気を・・・(理事長がんばれ)


143.聞くほどに 味が染み出る セリフかな・・・(いろいろ考えさせられました)


144.なぁマスター オレにもバーテン やらせてよ・・・(受験生)


145.枝葉見て それはちがうと 言う人よ


146.スケールの 小さい人ほど 自慢をし・・・(ちなみにオレのことだけど)