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2008年2月25日月曜日

静岡県会新年会に愛知県会の新年会

~酔いどれ会計士は今日も行くのだ!~


 今年になってから、新年会をはじめ飲む機会が大変多くなっています。もともと飲むのが好きなだけに、お誘いを受けるとなかなか断れないというかむしろヨロコビを感じている状況ですので、まったく困ったものなのだ。東海会会長は肝臓が強くないと務まらないのかもしれません。そういえば前川前会長も飲むのが好きでしたものね。


 という事で、今回は三重県会に引き続き、各県会の新年会に参加してきたのです。22日は静岡県会の新年会でしたが、なんと会費無料なのですね。前の会議が長引いていたため、始まるまで会員の方々といろいろ意見交換を行っていました。小野先生からは「予算をいつも残していてはいかんよ」とさっそくご注意を受けたのですが、今年度も消化状況があまりよくなく、痛いところを衝かれてしまったのです。毎年同じような状況なのですが、これだけ活動しているのだから、もっと抜本的なことを実施しないといけないのでしょうね。例えばE-Learningを実施するとか、委員会出席者や各種行事参加者に夕食代や日当をお支払するとか(何しろボランティアだからね)いろいろ考えなければいけない時期に来ているのかもしれません。ただ、他地域会との調整もあるしなぁ。
 懇親会が始まった後は、一緒に選挙を戦った(といっても、お互い何も選挙活動はしていないのですが)松島先生からお酌をいただいたり、中村先生や武下先生たちともいろいろ意見交換が出来、大変楽しく過ごすことができました。磯部先生も大変お元気そうでしたし、城塚先生との面白い話もあったりで盛り上がってしまったのです。また、中村先生からは東海会事務局静岡支所設立の要望もあり、今後要検討です。静岡県会の会員の皆様方はいろいろ個性的な方が多く話題が尽きなかったのですが、新幹線の時間があるため、消化不良の状態で去らなければなりません。6月の静岡県会総会の日は、宿泊していろいろ話し合う約束をして帰宅。


 29日は愛知県会の新年会です。こちらはいつも錚々たるメンバーがお集まりになるのですが、小林県会長の面白い挨拶で一気に和やかムードへ。田中先生の骨董品収集の話といい、鈴木先生の昭和初期の歌謡曲の話といい、私のカミサンと趣味が合いそうな話題が多かったのです。そういえば4県合同旅行の時、鈴木先生と隣り合わせになった私のカミサンとは、楽しそうに話がはずんでいたものなぁ。
 途中で日本酒に突入したのですが、前川先生が冷酒を注文したにもかかわらず、出てきたのは本醸造のお酒の単なる「ひや」でした。これに逆上した前川前会長は「冷酒を頼んだのにこんなことではいかんやないか」とさっそく噛み付いたのですね。この一言で特別に大吟醸が次から次へと出てきたため、我々は遠慮せずにおいしくいただいたのでした。


 この後2次会に誘われたのですが、翌日奥田前経団連会長の記念講演会の依頼で、トヨタの秘書の方とお会いする約束があったのと、体力面で危険を察知したのとで、ここはお見送りする側に回ったのでした。後で聞いたら、やはり午前様だったようで、私の判断は正解だったのだ。

2008年2月6日水曜日

怪しい税理士再び!

~冬の秋田は危険がいっぱい~


 今、ヤフーのホームページで「怪しい税理士」で検索してみると243,000件ヒットしたのですが、なんとその中で一番最初に登場するのが、我が「越麻呂日記」の怪しい税理士なのです。このことに気がついたのが昨年の12月くらいで、その時のヒット件数は133,000件でしたが、わずか2ヶ月ほどで、怪しい税理士は2倍に増えてしまったことになるのです。この原稿がホームページに掲載されると、ヒット件数は243,001件という事になるのであろうか?う~ん!
 このことに大変気をよくした私の弟は、年末に家族そろって会食した際に、オヤジに「どうだどうだ」と自慢していたのですが、当のオヤジは意味をまったく理解することが出来ず、「ふんふん?」とうなずくばかりなのでした。そしてさらに弟は、顧問先を訪ねるたびに、「ワシは怪しい税理士だかんな!なめちゃいかんよ!」などとすっかり怪しい税理士を気取っているようです。全体からかもし出す雰囲気がすでに相当程度怪しいので、何も気取らなくてもそれで十分怪しい税理士なのだ。ということで、我が「越麻呂日記」の読者も目下秋田方面へと急拡大しているのです。


 さて、今回も秋田に帰省して真っ先に駆けつけたのが、あの「たつ福」です。今回はミツル君が帰って来れなかったため、最初は一人でこっそりカウンターで食べていたのですが、いつの間にか弟にばれてしまったのですね。一体この情報網はどうなっているのだ。
 そこで、年明けの2回目は弟夫婦を誘って、3人でいただくことにしました。色白で小柄で、藤あや子にちょっぴり似ている秋田美人のムツコさんは、一貫食べるごとに「おいじい~っ!」「信じらいね~」を連発するため、私としてもうれしくなってしまうのです。今回は、大トロ・うに・ひらめ(エンガワも)・サバ・焼きサバ・車えび(鯱みたいに自然に尻尾がそそり立つのが不思議なのだ)・サヨリ・アジ(肉がピンク色の美しい魚でした)・赤貝(ひももうまかった)・トリ貝・ホタテ・アナゴ(タレとシオ)・こはだ・伊勢えび・あわび・ズケ等をいただき、最後は大トロとうにで締めたのでした。この先半年、この寿司を食べることができないと思うと、もはや思い残すことはないというくらいに食べてしまったのでした。
 前日はカミサンの実家で、酒を飲みながらお刺身をいただいたのですが、やはり秋田の魚は身が引き締まっていて、申し訳ないくらいにうまいのですね。ノリコさんもアユコちゃんも豪華なおせち料理に舌鼓を打っていたのですが、私はひたすら刺身だけを食べていたのでした。


 たつ福の帰りに、弟に実家まで車で送ってもらったのですが、その途中で団地の中を通ったら、除雪ブルドーザーが豪快に除雪をしていました。秋田の冬は雪が降らないと逆に彼らの活躍の場がなくなってしまうため、景気が悪くなるそうです。今年の年末年始は雪が少ないので心配なのだ。
 除雪ブルは車道をふさぐ形で一定の間隔で、雪を前に掻き分けてはバックするという作業を繰り返していたのですが、どうやらこちらの存在には気がついていないようです。そこで除雪ブルが前に進んだ瞬間に通り抜けてしまうという作戦に出たのですが、今回は前に雪を運ぶ時間が短く、すぐさまギアをバックに入れたようで、ピーピーいいながらバックし始めたではありませんか。


「うわぁぁぁぁぁ~!衝突だぁ!」


と思った瞬間、私の弟はアクセルを目いっぱい踏み込み、間一髪で通り抜けることができたのでした。すかさず怪しい税理士化した私の弟は、じっと除雪ブルを見つめると「今度○○建設さ電話してごしゃいでやる」といきまいていたのでした。やれやれ。


 秋田の人の車の運転は、雪道でも平気なのですね。走りながら車体を左右に滑らせながら走っていくため、私なんかはどうしても怖くて運転できないのですが、ぶつかりそうでぶつからない微妙な感覚を身につけているのか、当たり前のようにスイスイと運転しています。そういえば以前秋田市内をタクシーに乗っているときに、アイスバーン化した夜の路面を、自転車で平気で進んでいく老人を見かけたことがあります。ちょっと雪が降ったくらいで、骨折者続出などという都会人とは鍛え方が違うのだ。

2008年2月2日土曜日

よその賀詞交歓会にも行ってきた

~それってもしかしてブラジリアン・・・~


 東海会の賀詞交歓会も無事終了したため、他の地域会の賀詞交歓会にも顔を出してみることにしました。11日は近畿会です。冒頭近畿会会長の中務さんのご挨拶の中で、近畿会の賀詞交歓会は乾杯が始まるまでが長いというお話だったのですが、実際に乾杯の挨拶になったのは、6時53分でした。でも、その前にマリンバの演奏を聴くことが出来たのです。華奢な女性の方でしたが、この世界の第一人者という事で、見事な演奏でした。立っているのがつらかったけど・・・。演奏の最後の方で、このマリンバという楽器は、機械的な仕掛けは一切なく、木で出来ているんですよ、ローズウッドですよ、といっているではありませんか。この「ローズウッド」という言葉に私の感性がビビッと反応したのですね。もしかして、そ、それってブ、ブラジリアン・ローズウッドですか?と聞いてみたくなったのですが、ブラジリアンのはずはないではないかと思いながらも、演奏中気になって仕方がありませんでした。演奏が終わってから、この目で確かめようと思っていたのですが、乾杯の挨拶が終わると、そのマリンバは撤去されてしまったのです。う~ん、残念!20時まで飲んで帰宅。


 翌週15日は協会本部の賀詞交歓会です。帝国ホテルに早めに集合。始まる前、森常務理事と雑談。山田広報担当常務理事とお会いし、二人で八田先生にご挨拶。その後開演となったのですが、中央会計事務所時代の同期のイッチャン(市村常務理事のことですが)と出くわし、いろいろ話をしていたのですが、話していたテーブルには「東海会」の看板が大きく立っていたため、都合が悪くなったのか、今度また同期で集まって飲む約束をして、彼は東京会方面へ移動。
 しばらく飲んでいると、澤田副会長に声をかけられ、佐藤ゆかり衆議院議員をご紹介いただきました。佐藤議員の周りには出席していた東海会の副会長の皆さんが続々と集まってくるのですね。それにしても、佐藤議員は本当に岐阜を去って東京五区へ行ってしまうのであろうか。
 結局最後まで残り、荷物を持って帰ろうとタクシー乗り場に移動したら、所属する法人の理事長にばったり。そのまま2次会へ。今日もまたたっぷり飲んでしまったのだ。


 翌日は、地域会会長会議と理事会に出席し、帰りに東京駅構内にある回転寿司で、浦霞のコップ酒であおりながら、9皿ほどいただく。帰りの新幹線の中で、私の履歴書の稲尾和久をじっくり読む。こんな人、今はいないよなぁ。う~ん、残念!