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2008年1月31日木曜日

中日本五会研究大会

~スパイダーマンⅢになってしまったのだ~


先日、我が家のカミサンが、レンタルビデオを借りてきたのです。タイトルは「スパイダーマンⅢ」、忙しいとは思ったのですが、スパイダーマンシリーズはきっちり見ているため、今回も見ることにしました。映像的な面白さはあったものの、ストーリー性はいまいちでしたね。要は、思い上がった主人公が自分の力を過信してつい図に乗ってしまい、恋人にも見捨てられてしまうという内容でした。「図に乗ってはいけんよ!」と自分にも言い聞かせていたのです。
ところが、今回、中日本五会研究大会でやってしまったのです。昨年からもそうですが、今年に入ってからも、賀詞交歓会や結婚式、各県会の新年会に講演会等、いろんなところで話をする機会があり、どこに行ってもあまり緊張することなく、すらすらと話すことが出来るようになっていたのですね。特に原稿を用意しなくても、引き出しの中にいろんな話題を詰め込んであり、この会の話はこの引き出しから取り出して、これとこれを組み合わせて・・・・と、話題には困らなかったのです。今回、中日本五会で最後の挨拶をするときも、特に難しい話でもないため、原稿を用意することもなく、あらかじめ話す内容を考え、昼休みにメモっておくだけにしていました。


さて、中日本五会の最後に私が指名された際も、壇上に上がってかっこよくしゃべる自分の姿をイメージしていました。特に緊張するでもなく、壇上に上がって「おや、マイクの位置がおかしいな」と思い、手でごそごそやっているうちに、話す内容が、はるか100万光年離れたバルタン星の彼方まで飛んでいってしまったのです。
通常であれば、考えているうちに思い出せるのですが、今回はスパーンと忘れてしまい、まったく頭に浮かんできません。おろおろしながら、何か話したようですが、つじつまが合っていたかどうかはっきりしないのですね。


これではまったくもってスパイダーマンⅢではないかと思って反省したのですが、帰りの新幹線で、「脳腫瘍」「脳梗塞」という脳関係の文字が頭をかすめました。
翌日ゴルフの予約をキャンセルして、14時間ほど睡眠をとった後、日経新聞の夕刊を見ると、AC(公共広告機構)の広告で、日本脳卒中協会の広告が出ているではありませんか。「クラブ持つ 手足のしびれに 要注意」「ふらふらと 酔ってもないのに 千鳥足」などの川柳が載っているのです。ワシのサラカイセンもどきの川柳でけしからんと思ったのですが、内容に思い当たることがたくさんあるため、注意してよく読んでみると
脳卒中の前兆としては
・ 手足のしびれ・・・ここ2~3年、左手と両足のしびれに悩まされているよなぁ
・ 言葉が出ない・・・まさしく今回のケース
・ 二重に見える
・ 激頭痛
等があり、なんとまぁ、あまりにも自分のケースが当てはまるではありませんか。
もちろん、休日もなかなか休みが取れず、夜も毎日遅いということで、過労もあるのでしょうが、もしかしたら、自分が疲れていることすら忘れていたりして・・・タラ~リ(汗の落ちる音)。
 でも、こんなことでめげていてはいけないのだ。今後への戒めにもなったし、おかげで原稿一本書き上げてしまったしね。
転んでもただでは起きない。この精神でいきましょう。

2008年1月19日土曜日

三重県会新年会

~久しぶりの一気飲み2連発だった~


 1月12日は三重県会の新年会です。以前、三重県会の新年会は出席率が非常に高く、大いに飲みまくって盛り上がると聞いていたため、大変楽しみにしていたのです。最初に三重県会におじゃましたのは、昨年6月に行われた県会の総会でした。当時は手足の痺れがひどく体調は最悪だったため、飲む方はかなり抑えていたのですが、回りの圧倒的な飲みっぷりと盛り上がりようには感動すら覚えたものです。三重県会の団結力はすごい(単にお酒を飲むのが好きな人が多いだけというご意見もありますが)、新年会では体調を整えて出席し、佐久間先生と勝負するのだと心に誓っていたのです。


 さて、新年会は土曜日のため、服装はカジュアルでもいいのかなと思っていたのですが、念のために大倉事務局長に問い合わせたところ、全員背広にネクタイですよといわれ、きちんとした恰好で出席。三重県会の会員数は六十数人とお聞きしていたのですが、当日の出席者は38名。なんと出席率7割弱なのですね。山中新県会長のご挨拶のあと、私が簡単に挨拶し、田中先生の乾杯のご発声で宴会スタートです。お店は桑名にあり、ハマグリ中心の料理となりました。
 隣の田中先生と昔話をはじめいろいろお話させていただいていたのですが、どうやら近くで一気飲みが始まったようです。日本酒が約1合くらい入る器でしょうか。だんだん私のほうに近づいてくるではありませんか。私は飲むときは、通常は最初からかなり速いペースで飲む方なのですが、今回は多少用心して、ゆっくりペースだったのです。「こぉしやまぁ、こぉしやまぁ」とコールが沸き起こる中、器に入った日本酒をちょちょいと軽く飲み干したのですね。どうだといわんばかりに空になった器をひらひらさせたのですが、「アンコール、アンコール」とまたしても手拍子です。それではと再びぐぐぐぃ~っと一気に飲み干して、さらにどうだどうだと器ひらひらやったのですが、再びアンコール。応じる余力はあったのですが、明日はゴルフ初打ちのため、まぁまぁといって収めてもらったのでした。


 佐久間さんには、「越山さん、総会のとき、確か今度私と差しで飲むと言いましたよね」と詰め寄られたのですが(よく覚えているなぁ)、翌日初打ちのため、そうでしたっけと、勝負は次回の総会時に持ち越しさせていただいたのでした。大倉局長も一気飲みに加わり、かなり足にきていたようでしたが、みんな飲むのが好きだからしょうがないのだ。
 最後に帰り際、佐久間さんに胴上げされそうになり、持ち上げられそうになったのですが、気持ちだけありがたくいただきました。みんないい人ばかりなのだ。

2008年1月18日金曜日

賀詞交歓会

~挨拶の時間と寿司職人の握りのスピードとの相関関係について~


 いよいよ平成20年がスタートしました。J-sox元年であると同時に、監査の歴史が変わる年でもあるのです。東海会のスタートは賀詞交歓会。東海会の大きな行事の一つであり、各界からご来賓の方々が大勢お集まりになるため、挨拶の内容も事前にかなり考えました。何しろ初めての経験なので、緊張感たっぷしなのです。壇上に上がったとたんに頭の中が真っ白になったらどうしよう・・・などと恐ろしいことは考えないことにしました。従来、東海会の賀詞交歓会には、本部からは副会長がお見えになり、会長のご挨拶を代読するパターンだったのですが、今回は増田会長に直接お越しいただくことができ、ご挨拶いただけるということだったので、大変ありがたかったのです。


 さあ、いよいよ開演です。会場の入り口付近の金屏風の前に正副会長が並んで、通り過ぎる方々に「おめでとうございます、ありがとうございます」と、約200人分話しているうちに、のどがからからに渇いていることに気がつきました。皆さん会場に入られたらすぐ私の挨拶が始まります。水を飲んでのどを潤してからスタートすればいいのですが、用意してありません。近くの水割りを一息に飲み干して挨拶とも思いましたが、緊張のあまり一杯やってから挨拶したなどといわれても困るので、つばを何度も飲み込んでから壇上に上がったのでした。無事挨拶終了。後で他の地域会会長に聞いてみると、やはり水を用意しているのだそうです。来年に向けての反省点が一つ。
私の挨拶の後は、増田本部会長のご挨拶です。会長就任後東海会初登場でしょうか。協会の3カ年計画の話や公会計分野の話など、大変興味深い話をお聞きすることが出来ました。続いて木下協会専務理事のご挨拶です。こちらも東海会初登場。月間の会議数が80回ということで、皆さん驚いているご様子でした。
 私は自分の挨拶が終わってほっとして、壇上に視線を移して挨拶を聞いていたのですが、さらにその先に目を向けると、挨拶終了までの時間を見計らって、寿司職人が一生懸命寿司を握っているではありませんか。乾杯が終わって、いざ立食という事になったとき、皆さん真っ先に向って行って行列が出来るのが、寿司コーナーなのですね。おそらくそれに備えて、あらかじめ準備していたのだと思います。私の挨拶が約4分30秒ですので、その後に挨拶する人の人数と一般的な挨拶時間を予想して、ワシワシと握っていたのだと思います。ところが、増田会長はやはり東海会の会員の皆様方にいろいろお伝えしたいことがたくさんあるため、私の挨拶時間に比べてどうしても長くなります。そのうち、寿司職人の寿司を握るスピードがゆったりしてきました。おそらく心の中で「ん?思ったより長いな、ペースダウンするか」などと考えていたのでしょう。続いてお話好きの木下専務理事のご挨拶ですが、こちらも私の挨拶より長かったため、寿司職人もゆっくりゆっくり握り始めました。そしてついにノルマ達成、握るのをやめてしまいました。でも、この後、森川東海財務局長のご挨拶と、名古屋証券取引所の西川副社長の乾杯のご挨拶もあるのです。その寿司職人は、とうとう、握ったたくさんの寿司の皿に、ラップをかけ始めていたのですね。


 乾杯の挨拶の後は、歓談という事になり、和やかな雰囲気で過ごすことが出来ました。初めてお会いする方や、久しぶりにお会いする方もいて話が弾み、全体的にも大変盛り上がってよかったと思っています。
 松岡副会長の締めの挨拶で中締めとなり、最後は正副会長が入り口の金屏風の前に並んでお見送りです。あれ?一人足りない?・・・城塚先生は?・・・なんと、中で最後まで盛り上がっていたのでした。

2008年1月7日月曜日

「小説会計監査」を読む

 最近、公認会計士業界を題材にした書籍が発売されるようなってきました。書店で平積みになっていたり、売り切れてなかなか手に入らない時もあるようですので、結構読まれているのだと思います。従来から、公認会計士の仕事内容を紹介した本、例えば公認会計士協会が企画した「バー・レモンハート ―公認会計士特別編― 」のようなものは一部ありましたが、監査法人や公認会計士が主役の本格本はほとんどなかったため、仕事に余裕ができたらいろいろ本を書いてみたいなぁと考えていたのですが、先を越されてしまったのだ。


 「小説会計監査」の作者、細野康弘さんは、実は、私が会計士試験2次試験に合格して監査法人中央会計事務所(その後中央青山監査法人)に入所した際に、面接を受けた方でした。その後、当時の中瀬監査室に配属されたのですが、細野先生も同じ監査室だったため、よく一緒に仕事をさせていただきました。細野チームの人たちは、今どうしているのでしょうか。
 今でも忘れられないのは、新人のころ、受取手形の実査に一人で行ったのですが、終了後、調書をまとめて見ていただいたところ、手続きに不備があるということで、再度会社に行って追加手続きをやり直しさせられたことがありました。私としては、非常に恥ずかしい思いをしたわけですが、仕事に対する厳しさを細野先生に教えていただいた貴重な体験として、その後の自分にとっては大きな財産となった出来事でした。
 ここ数年、いろんな会計不祥事が起きて、監査法人内における昔からの古い体質の一掃が言われていますが、勤務時間の長さは別として、仕事に対する厳しさという面では、私にとっては中央会計事務所・中瀬監査室にいた4年間のほうが、今より厳しかったように思われます。ここでの4年間の経験で、公認会計士というのはこういうものだのだという、プロとしての心構えを、いろんなタイプの侍会計士に教えられたような気がするのですね。おかげでその後20数年、公認会計士としてやっていくための土台ができたと思っています。


 昭和59年に名古屋に移り住み、地元の監査法人に入所した私には、その後の中央会計事務所に何が起こっていったのかはわかりませんが、「小説会計監査」を読んで、小説とはいえ、なんとなく細野先生のご苦労が伝わってきました。
 小説の最後の「昨今ではもう、会計士監査などやってられない」ではなくて「でも、そんなことではならない」ということで、今年も会計士業界のために、微力ながらも頑張っていくのです。