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2008年12月31日水曜日

今年一年間を振り返る

~会長任期も折り返し地点なのだ~


 今日は12月31日、今年もあっという間に一年間がすぎ去ろうとしています。今年は私にとって一生忘れられないような劇的な一年間となりました。協会業務と事務所業務が毎日の中に複雑に入り込み、複数の業務を同時並行的にこなすという、私の得意技「必殺越山スペシャル」をいろんな場面で発揮できた一年でもありました。
 まずは年明け早々から約6ヶ月間にわたって行われたNHKドラマ「監査法人」の監修です。これは私が個人的に引き受けた仕事でしたが、面白かったなぁ。こういう仕事はもしかしてもう二度と経験できないかもしれませんが、できればもう一回ほどやってみたいものです。「厳格監査」が流行語大賞にノミネートされるのでは・・・と淡い期待を抱いていたのですが、残念ながら没でした。


 ドラマが放映されたのが6月から7月にかけてでしたが、この仕事と同時に進行していったのが、12年ぶりに名古屋で開催された全国研究大会の準備でした。ちょうどドラマ「監査法人」のピークといってもいい、第4話が放映されたころに開催されたため、大会中もいろいろ話題になっていました。研究大会は、私の任期中の最大の行事だったため、無事大成功のうちに終わり、ホッと一息です。大会中、何と8回も挨拶してしまったのだ。
 今年も広報活動には力を入れてきたのですが、「ハロー会計」も順調に行われましたし、私自身も新聞にはちょこちょこ顔を出しました(そのたびに、ゴルフ仲間から冷やかされてしまい、大変恥ずかしい思いをしましたが)。ホームページのほうは、やはり時間がなくて、夏休みと冬休み(つまり今)の時間が比較的とれる時に集中的に書いてきましたが、思っているほど書ききれていないというのが現状です。量的にはかなり不満の残る年となりました。結局、「サラリーマン会計士川柳」のほうでごまかしていたというのが本音のところで、こちらは反省すべき点です。任期中に、原稿150本、川柳300本を目標に掲げていましたので、来年はかなり書くつもりです。


 私の任期もいよいよ後半戦に入るわけですが、おかげさまで、私が歴代の東海会会長から引き継いだ未解決事項はすべて解決。あとは粛々と会務をこなすだけです。なにしろこの仕事は気に入っているので、残りの任期を一日一日かみしめながらやっていきたいと考えています。
 それからもうひとつ、「おっさんバンド」の結成です。こちらは事務所でのデビューはすでに済んだのですが、協会のほうはなかなか集まりません。先日岐阜県会の忘年会に出席した際に、所先生から「私もマーティンを持っているんですワ」という話を聞きつけてしまい、おもわず「にやっ」と喜んでしまいました。来年は「日経大人のバンド大会」に参加だぁ!

2008年12月30日火曜日

修了考査と3次試験

~割れた!!勝利宣言~


 今年も12月20日、21日と実務補習所の修了考査が行われました。年末のあわただしい時期に大変だったと思います。我々の頃は3次試験といわれ、11月に筆記試験、年が明けて1月から2月にかけて口述試験が行われていました。
 難関といわれている公認会計士試験2次試験に合格しても、資格としては会計士補であり、その後実務補習所と実務従事の合計3年間の実務経験を積まなければ、3次試験の受験資格はありませんでした。3次試験に合格して初めて公認会計士を名乗ることができたのです。2次試験に合格してしまうと、目標を成し遂げたという達成感があり、背中に羽が生えてしまって、今までの受験生活で失われてしまった青春をとりもどすのだ~!とばかりに、あちこち飛び回ってしまいます。しかし、日々の生活においては、頭の片隅に3次試験のことが常にあり、2年目になると、もっと遊んでいたいという気持ちと、そろそろ3次試験の準備を始めなきゃいけんなという不安が格闘することになるのです。そして、3年目の春を迎えるにあたって、ついに立ち上がらなければならない状況に追い込まれてしまいます。


 2次試験のときは、誰に注目されることもなく、一人で戦っているため、仮に失敗したとしても、自分のほかには親が悲しむくらいで別に恥をかくわけでもないのですが、3次試験ともなれば話は別です。同期の仲間が同じ事務所に十数人おり、しかも事務所内の人たちは野次馬根性で注目しています。同期の仲間の中で自分だけが落っこちてしまったら、わしはこの先いったいどうやって生きていったらいいのだ~と考えると、失敗したら事務所を辞めてしまおうと真剣に考えたこともありました。
 3次試験は11月の初めに行われていたのですが、私はどういうわけか直前の8月に結婚することになってしまい(試験が終わってからゆっくり結婚すればよかったのですが)、試験の追い込みに結構焦っていたのです。「あいつは結婚したせいで落っこちた」などと言われてしまっては、ウチのカミサンに申し訳が立たないではないかという思いが強かったため、結構頑張ってしまったのですね。その甲斐あって、試験には「お~し、まかせなさい」と、結構自信を持って臨むことができました。


 試験は一科目3時間という長丁場であり、ボリュームがあるため一日目が終わった時にはぐったりしてしまいました。合格の決め手となったのは、2日目の税法でした。この科目は得意科目だったのですが、一問が大きな問題で、非常に複雑な問題でした。すべては計算式が割り切れるかどうかにかかっていました。慎重に計算式を電卓にいれ、「=」ボタンを押す時にはさすがに指が震えましたが、「頼む、割り切れてくれ!」という願いを込めてボタンを押すと、「0.08」、なんと、一発できれいに割り切れてくれたではありませんか。心の中で「ウッシャ~!」と叫び、後は解答用紙に写し間違えないように答えを記入していったのでした。
 税法の試験が終わった後、私の周りで「どうだ?割り切れたか」という会話があちらこちらで交わされていたようですが、割り切れたという声はほとんど聞こえてきませんでした。逆に割り切れなかったほうが正しかったのかなと心配になったくらいです。これで合格と確信した私は、今後、自分の人生でやっと試験から解放されたと心からホットしたものでした。
筆記試験の合格発表は、大垣で棚卸をしている最中に、同じ受験仲間からの電話で知りました。昔はケータイがなかったので、会社の電話の取り次ぎで知ったのですが、幸いにも事務所の同期はほとんど合格していました。口述試験も無事に終わり、やっと肩の荷が下りて、これでやっと「公認会計士」を名乗ることができるようになりました。うれしかったなぁ。今3次試験を受けたとしても、合格できないでしょうね。
今でもたまに3次試験の夢を見るのですが、なぜか不合格の夢が多いのです。困ったものである。


懐かしの実務補習所時代

~麻雀から帰ったら誰もいなかった
��今回は自伝小説ですので念のため)~



 公認会計士試験(私の時代は二次試験)にめでたく合格すると、当時は会計士補といって、1年間(後に2年間)実務補習所に通わねばなりません。実務補習所は夜6時から9時まで行われるため、日中慣れない仕事に気を使ってくたくたになっている会計士補1年生にとって、夜の実務補習所の授業はかなりこたえます。以前のブログで、今年は12月に実務補習所で2回講演を行ったことを書きましたが、私自身は決して真面目な受講生ではありませんでした。当時は全体の雰囲気もそうですが、あまり厳しく受講生を縛り付けることは行われていなかったのですね。


 私の場合、合格当初は東京会所属だったため、講義は当時本郷3丁目にある会計士協会で行われたのですが、6時から始まるためどうしても夕食を取り損なってしまいます。私達の頃は、授業中の休憩は比較的自由だったため、とりあえず紙の出席カードを受け取ると、おもむろに煙草でも吸うように教室の外へ出て、その足で坂を下りたところにある食堂で夕飯(焼きそばがうまかったなぁ)を取り、とりあえず一息つくということを繰り返していました。そして、6時30分ごろになると、何事もなかったかのようにまた教室へ戻ってくるわけです。東京会は人数が多かったため(といっても全国で250人くらいだったので180人くらいでしょうか?)、あまり目立たなかったのかもしれません。中には夕食のついでにビール等を飲みすぎて、真っ赤な顔をして酒の匂いをぷんぷんさせて教室にはいってくるつわものもおり、問題になったこともあったようです。古き良き時代というか、いまの時代はこんなことは考えられませんね。まねをしてはいけません。
 補習所の授業も、いつも面白いテーマであればよいのですが、私自身毎日夜遅くまで趣味やら電話やら何やらで、ほとんど午前2時前に寝ることはなかったため、どうしても睡魔のほうが勝ってしまい、いつの間にかコックリコックリ舟を漕いでしまいます。大学時代の授業の時などは、よく友達同士で代返をやったりしたものですが(もう時効だからいいのだ)、補習所時代は出席カードのダブル提出というやつでした。私はやりませんでしたが(本当だってば!)、出席カードをもらって名前を書き、知っている仲間がいると「今日は頼むな」などと言いながら、そいつに出席カードを渡して帰ってしまうわけです。この出席カードは講義が終わった後、受付で回収するわけですが、人数が多いため、最初のうちは受付の人もいちいち補習生の顔など覚えていません。友達の出席カードを預かった人は、帰り際に出口でとりあえず自分の出席カードを提出し、混雑にまぎれてまた教室内に戻っていくわけですね。そしてまたおもむろに、今度は友達の出席カードを提出することになります。無事、一人二役が完成することになります。これが通じるのは顔がわからない最初のうちだけで、この出席カードのダブル提出は、協会関係者の知れるところとなり、その後は抜き打ちで、授業中に出席カードに判を押すという作戦を取られました。したがって、6時に出席カードをもらって外出し、9時ちょっと前に帰ってくるということもできなくなってしまったわけです。今は磁気カードですので、なかなかこういうわけにはいかないかもしれませんが、人数が増えてきたので、どうなのでしょうか。


 補習所時代の思い出をもう一つ。当時は麻雀がはやっていたため、授業が始まって「退屈だなぁ」と、キョロキョロ周りを見回してみると、同じように退屈そうにしている仲間と目が合ってしまうわけです。「お前とあいつとおれ、そしてこいつ」と目配せをして麻雀の面子を確定すると、バラバラと各人教室を出て行き、いそいそとなじみの雀荘に集結することになります。ひとしきりポン・チー・ロンとやった後、9時前に教室へ戻り、出席カードを提出して帰るということもありました・・・自伝小説だと言ってるでしょ!

 その日はたまたま、のちに日本公認会計士協会の会長になられ、著名な先生の講義だったのですが、どういうわけか「お前とあいつとおれとこいつの日」となってしまい、のこのこと雀荘に繰り出したのでした。さすがにその日はバツが悪く、麻雀をやっていても落ち着かなかったので、「今日はやっぱ早めに戻ったほうがいいんじゃないの」ということで皆さん一致し、余裕をもって8時半前に引き上げたのでした。本郷3丁目の急な坂を登って会計士協会へたどり着いたのですが、いつもと様子が違うようです。なんとなく不吉な予感がして、そっと教室の扉を開けたところ、「ぬわにっ!!」教室の中はひっそりと静まり返り、人っ子一人いないではないですか。んなばかなと思ったのですが、中は真っ暗。突然パット明かりがつき、「ドッキリカメラです」と現れる人もなく、4人はその場にボーゼンと立ち尽くしていたのでした。そして、明日からは心を入れ替えて、真面目に授業に出ような、などと固く心に誓いあったのでした。・・・今日のブログは自伝小説でした。


2008年12月29日月曜日

新入生がやってきた

~実務補習所の所長ということに~


 今年も公認会計士試験の発表が行われ、いわゆる従来の2次試験に匹敵する受験生の合格者が3024名と、ついに三千人の大台を超えました。全国の合格者の中にもなかなか監査法人に就職できないケースもあるようで、4年ほど前のように、今後社会問題化するのではないかと心配になってきます。東海地区でも196名の合格者があり、東海実務補習所と東京実務補習所静岡支所で、それぞれ入所式が行われました。私も27年前の合格した当時のことを思い出してしまいます。
 それが終了すると、いよいよ実務補習所の授業が始まります。東海会会長が実務補習所所長を兼ねることになっているので、いつの間にか私が一応所長ということになってしまいました。補習所の授業は、仕事が終わった後の18時から21時までということで、3時間あります。従来は20時ころに終わっていたケースも多かったようですが、今年は最低20時30分まではやるようにというコメント付きの講演依頼文書を頂いたため、教えるほうも結構大変なのだ。


 私が話すテーマは「所長講話」と「職業倫理」です。このテーマで6時間も話すのも大変だよなぁと事前に思っていたのですが、話し始めてみるとつい熱が入ってしまい、それぞれ時間が足りなくて、最後のほうは時間がなく、みっちり3時間ずつ話してしまいました。昨年のときは、もう一回り小さい会場で話していたため、比較的受講生との距離が近かったのですが、今年は大会場になってしまったため、距離がありすぎてなかなか対話形式にならず、一方的にこちらから話しかけるしかなかったのが残念でした。それでも東京や大阪の場合は一回でできる会場がなくて、2回も話さなければならないことを考えると、東海はまだ恵まれているのだ。
 「所長講話」といっても、私自身補習所時代はあまりまじめな受講生ではなかったので、難しい話を説教じみて話すことはできないため、テレビドラマ「監査法人」の話とか、酒を飲んで翌日動けなくなって、日本橋の駅で気持ちが悪くなって座り込んでしまい、遅刻をした話とか、忘年会で酔っ払って当時の主査やパートナーに殴りかかってしまった話とかで、こんなことをしてはいけませんよという話が多かったのですが、皆さん居眠りすることなく真面目に聞いているので、驚いてしまいました。
 「職業倫理」の講演のときは、話している自分に酔ってしまい、いつの間にか3時間経過していました。もともとは倫理などというものは、生まれてから今まで生きてきている中で、親や学校で教わるべきもので、今の段階で私が教える類のものではないのですが、会計士としての職業に関することで最低限守るべきことは、話しておかなければなりません。教えていて思うのは、職業倫理の大部分が、教えてもらってどうということではなくて、教えられなくても自然に体に染みついていることが多いということなのですね。

 たぶん眠くなるだろうから、眠っている人がいたら当ててやろうと虎視眈々と名簿を見ながら会場を眺めていたのですが、こちらの講義も皆さん真剣に聞いているので、結局は当てずじまいでした。われわれの補習所時代と違って、今の受講生は全体的にみなさんまじめなようです。

CPE制度変更

~来年度から制度が変更になります。皆さんクリアしましょうね~


 公認会計士という人種は、なぜか研修が好きな人が多いようです。私などはどちらかというと、「我々会計士はプロなのであるから、必要な専門知識は言われなくても当然身につけているのが当たり前であって、他にも常にいろんなことに知識欲をかきたてて、普段から勉強するのは当然である」と思っているため、なにも強制される必要などないのであると考えているのです。したがって、「みんなで集まって研修会をやりましょうね」などということになってもどうも気分が乗らず、講師が話しているのを聞いていると、ほぼ間違いなく居眠りをしてしまうのです。

 それでも、今の制度上はCPE制度といって、公認会計士は毎年年間40単位を取らなければならないことになっています。一単位約1時間必要であるため、年間約40時間ということになります。監査法人内に勤務していると様々な研修があるため、だまっていても40単位はクリアできるのですが、それでもぎりぎりで済ませてやろうなどというオロカな考えをもつ輩もいて、40単位取ってしまったから後は不要と思っていたら計算間違いで、結局39単位しかとっていなかったなどという救えない話もあります。
ましてや個人の会計士は大変です。会計士協会が主催する全体研修も、春夏秋冬年4回集中的に行われるのですが、有料でしかも開催される場所が限られているため、交通費をかけて受けなければなりません。地域会主催の研修会もありますが、なかなか大変だと思います。秋田の会計士は40単位取るのは大変だろうな。いったいどうやって取得しているのだろうか。


 それでも、全国の履修義務者の40単位達成率は、約96%くらいだそうです。私などはすごい達成率ではないかと思ってしまうのですが、逆に言うと約4%の方が達成していないということになり、そちらのほうが問題であるということになるのだそうです。公認会計士の人数もかなり増えてきたため、仮に二万人だとしても4%というと、約800人ということになります。プロであるといいながら800人も達成していないではないかとなってしまうのですね。
 毎年40単位を取るといっても、中にはその年によって波があって、昨年はたくさんとれたけれど今年はいろいろあって不足してしまったという方もいるかもしれません、また、過去に全然取っていなくても、「俺が悪かった」と頭を垂れて深く反省し、これから悔い改めて真面目に取っていこうと心変わりしたけれども、過去の不足分があまりに大きすぎて、単位を取っても取っても追いつかない人もいるかもしれません。そういった人たちに朗報です。来年度から制度が変わり、「毎年その年を含めた過去3年間で120単位を取ればよろしい」というように制度が変わることになったのです。したがって、それ以前の単位取得不足は切り捨てられるということになり、「それならやってやろうじゃないの」と考えてくれる方も出てくるかもしれません。
 そのかわり、一定の単位未達成者は「氏名公表」という強硬手段に訴えられることになります。履修勧告や辞退勧告くらいならいいのですが、氏名公表は試験に合格した時だけで十分です。私も将来監査法人を引退して秋田に帰ったら、氏名公表されることになるのだろうか。

2008年12月28日日曜日

サラカイセン ~236-242~

236.あの靴を 投げてやりたい 人もいる・・・念のため、私にはいませんが、注文殺到だそうです


237.


238.「変」な年 それでもいいこと あったじゃない


239.また暴言 この人ホントに 大丈夫?


240.支持率も 消費税率 並に向け


241.胴上げを した後その手を 放す部下


242.下り坂 ブレーキ利かない 巨大企業


242.派遣切り いやな言葉を 生む人よ

第2回目顧問相談役会

~順風満帆の顧問相談役会だった~


 12月8日、私にとっては2回目の顧問相談役会を執り行いました。昨年は初めてということもあり、何をどうやって進めていったらいいのかわからなかったのですが、今回は余裕です。出席者は、前川前会長が昨年に引き続き、都合により出席できなかったのと、体調の都合で御欠席された先生もいらっしゃり、人数的にはちょっとさみしい会となってしまいました。
 さっそくここ一年間の会務の状況や、今後の会務について私自身が考えている事項をご報告・ご相談させていただいたのですが、主な内容は以下のとおりです(顧問相談役会の内容を公表するのはもしかして初めてかも。ただし、差し支えない範囲だけですので、ご勘弁を)


 ・全国研究大会のご報告
 ・地域会活動評価の件
 ・前川先生の藍綬褒章受章の件
 ・公認会計士試験合格者の件
 ・地域会会長会議の内容
 ・今後の事務局体制のご相談
 ・ハロー会計のご報告
 ・監事監査・業務監査の結果
 ・本部の動き


等です。


 昨年は、東海会会長が本部の副会長を担当しないことについて、いろいろ厳しいご意見をいただき、本部の組織や仕組みが変わったことについて、ご説明させていただいたり意見のやり取りがあったのですが、今回は特に何事もなく、スムーズに進みました。ただ、「本部の常務理事や副会長を経験しないと、将来勲章を貰えないよ」というお話もありましたが、個人的には全く興味がなく、大好きなギターに囲まれ、李朝の骨董(最近ハマってしまったのだ)を愛でながら老後を過ごすことさえできれば、それで全面的に満足なのだ。
 それにしても、鈴木先生や朝見先生をはじめ、皆さん大変お元気で、頼もしい限りです。私などは鈴木先生に「長寿会にお入りなさい」といわれているのですが、ちょっと待ってください。私はまだ52歳なのだ。そのお話は、まだまだ先に取っておくことにしましょう。
 今年最後の難関である顧問相談役会を無事突破し、後は19日の部長・委員長・県会長会議を乗り越えれば、今年の東海会の会務もとりあえず一段落です。


あっという間の一年間でした。


CD「監査法人」を聞いてみた

 「監査法人」はドラマであるから、当然音楽がいろんな場面で登場するはずで、そのうえ非常に難かしいというかわかりにくいというか、普段なじみのうすいテーマや言葉が登場するドラマであるため、最初はどんな主題歌やメロディーが流れてくるのか不安だったのですが、実際ドラマが始まってみると、出だしのテーマ曲から、エンドの歌、そしてドラマ全体を通じて流れてくる音楽が、非常にマッチしていて、さすがプロだなと感心させられました。
 今回、村松崇継さんの作曲による「監査法人」のオリジナルサウンドトラックがCDとして発売され、さっそく私も何度も聞いてみました。CDの曲名の中には「往査」とか「粉飾決算」「実査」「内部監査」「架空取引」等の監査の専門用語もたくさん入っており、監査用語をイメージして曲を作り上げるというのは、大変なことだと思うのですが、やはりどんな世界でもプロというのは違うのですね。曲を作る時、音楽が先なのかそれとも言葉やドラマの中のシーンが先なのか、大変興味のあるところです。


 さて、CDの中身を見て(聞いて?)いきましょう。出だしは勿論「監査法人のテーマ」です。聞きなれたテーマではありますが、何回聞いてもいいですなぁ。胸が締め付けられる思いです。しかもピアノのバージョンもあり、また最後もこのテーマで締めくくられていて、3度おいしい構成になっています。
 2曲目が「柱(ささえ)」。ゆったりしたやさしい曲で、心の中に溶け込んでくる曲となっており、私の好きな曲の一つでもあります。くじけそうになった時、支えてくれるのは「誇り」という健司の言葉を思い出します。3曲目が「往査」。最初はゆったり流れて、途中から緊迫感が伝わってきます。まさに監査現場と一緒といったところですね。覚えやすい曲です。その後「闇のその先」「うごめく影」と続き、なにやら不正の怪しい動きが伝わってくるのですが、「無常」で、健司や茜の気持ちが伝わってきます。
 10曲目が「監査法人のテーマ」のピアノバージョンで、同じ曲でもイメージが変わります。私もこの曲をアコースティックギターでコピーできたらいいなと思っているのですが・・・。
 「実査」までも曲にしてしまうのですね。この監査手続きは、非常に地味な仕事なのですが、スピーディな曲に仕上がっています。
 真ん中の15曲目が「健司と知香」です。監査法人という緊迫した場面が続くドラマの中で、ドラマ全体を通じて、ホッとさせてくれたり、緊張感を解いてくれる役割を果たしてくれていたと思います。きれいな曲で、ピアノバージョンもあります。「夢の代償」。チェロの音色は、映画「おくりびと」以来好きになってしまったのですが、さびしく重い雰囲気がいいですね。


 そして出ました、「厳格監査」。一番緊張感があった審査の場面を思い出します。「健司よ立ち上がれ」といったところでしょうか。雰囲気が好きな曲の一つです。次の「厳しい判断」。これもいい曲なのですね。ピアノが効いているし、後半はまたしてもチェロの響き渡る音色がなんとも言えません。
「裏帳簿」は、あらあらあらあら・・・といった感じ。22曲目の「失意の中で」も好きだなぁ。ピアノとチェロともう一つの楽器は何だろう?「監査への誇り」にも出てくるこの楽器はもしかして「オーボエ?」この音色も好きなんだよなぁ。苦しくても、必死にこらえているという感じ。ドラマの中の健司のセリフ「誇りが俺を支えてくれる」は名言ですね。
自分の車で監査に行くことはあまりないのですが、その時はこのCDを車の中で聞いていくのだ。単純な私を笑ってください。

2008年12月18日木曜日

サラカイセン ~231-235~

231.くじ引きで 運命決まる こともある


232.小林よ それで空白 埋めたのか・・・(日本酒のCMごときで江川事件を忘れてもらっては困るのだ)


233.たこ焼きで わかる損益 分岐点・・・「ハロー会計in名古屋」です


234.サントラも 聞いてうれしい 「監査法人」


235.眠れない 夜を過ごした 発表日

2008年11月26日水曜日

仕事は突然やってくる

~役員懇親会も秋田県人会もキャンセルになってしまったのだ~


最近、なかなか忙しくてブログが飛んでしまい、大変申し訳なく思っているのです。この間、アメリカ発サブプライム問題で、円高株安が進行し、経済が大幅に混乱状態で、心配になってきます。おまけに政治の方も、お金をばら撒けば、単純に景気が回復するとでも思っているのか、国民を馬鹿にしたような政策で、その稚拙さにはあきれるばかりです。国民をなめちゃあいかんがね。


ということで、11月5日に行われる予定だった、会計士協会の理事による懇親会も、翌日の理事会の後に予定されていた、所属する法人の秋田県人会も、急遽欠席という事になってしまいました。特に秋田県人会は、私の上京に合わせて日程を組んでもらっていたし、おいしい日本酒が飲めて、気軽に秋田弁丸出しで話すことが出来るということで大変楽しみにしていただけに、残念なのだ。
7日も、地域会会長会議が予定されていたのですが、こちらもキャンセル。地域会の再編問題や地域会活動評価の件が議題に上がっていたため、出席したかったのですが・・・。
それにしても、会計士協会の業務がこれだけ忙しくなってきて、しかも監査法人の仕事も増える一方とあっては、その中にあってワシは一体どうすればいいのだ。東海会のホワイトボードには、11月~2月の4か月分の協会関係の日程が書き込まれているのですが、ほとんど隙間がないくらい、マジックで真っ黒けのけに埋め尽くされています。しかも、仕事が重なり、一日分を書く欄に納まりきらず、矢印でぐぐぐ~っと引っ張ってきて日程を書き込んでいる日もあるのですね。そして、4か月分のボードの欄外にはすでに3月の予定もメモされています。その中で、私も優先順位を考えて、会務をこなしているのです。わかってくれるかなぁ。


そして、いよいよ年末にかけては宴会のシーズンです。昨年は、11月20日ころから12月22日まで、ほとんど夜が空いていないという状況で、しかもダブル宴会をどうだどうだと言いながら、むしろヨロコビを感じながら乗り切っていったのですが、今年は昨年ほどではないにしても、今のところ12月上旬までは、仕事と宴会でほとんど夜まで埋まってしまっている状態です。
アルコール漬けのよれよれ頭で原稿を書いていては、また渡辺さんの厳しいチェックが入るため、仕事が一段落したら、年末年始にでもまとめて書きますで、ペースダウンはこの際見逃してください。

2008年11月12日水曜日

移動移動の日々だった

~高速移動はなにしろ体に悪いのだ~

 10月7日、地域会会長打ち合わせ会があったため、東京へ移動したのですが、翌日の臨時理事会の終了後いったん名古屋の自宅に戻り、再度出張の準備をして、9日の朝、ご招待いただいた二日間にわたる監査役協会主催の全国大会に出席するため、神戸へと向かったのでした。
 初日に行われたパネルディスカッションは、ディベート合戦でお互いに自分の意見を戦わせあい、大変見ごたえがありました。ちょうど世界同時株安の時と重なっていたため、短期的な視点で売買する外国人投資家のことが話題に上がったのですが、エピソードとして、こんなのがありました。ある人が外国人投資家に対して「短期的な売買をするのではなく、長期的な視点のもとに売買しなければいけないではないか」と忠告したことに対し、その外国人投資家はこう言ったそうです。「私だってきちんと長期的な視点に立って売買している。その証拠に、きちんと明日のことを考えて売買しているではないか」と。
 パネラーの一人の外国人の方は、非常に日本語が達者な方で、日本の歴史もよく勉強されていました。本当の国際人というのは、やはり単に外国語ができればいいというのではなくて、自国の歴史や外国の歴史もきちんと理解している必要があるなとつくづく思いました。日本の英語教育も、単に小学生のころから英語に触れさせればいいということだけではなくて、日本のことを知った上での英語教育でなければ、本当の意味での国際人にはなれないのではないかと思います。


 また、会社は株主のものだけではないという意見にも共感を持ちました。法律上そうなっているから、あたかも株主のものであるかのように言われているが、それは違う。本当は従業員を含め皆のものなのだと。また、余剰金をたくさん持っていることを、あたかも分配せずに悪いことのように言われるのもおかしいと。日本の経営者は、長期的な投資や従業員の安定雇用のために、ある程度資金を蓄えておくべきで、余剰金をすぐ配当に回して分配せよという発想には納得できないという意見ですね。私もそう思います。ということで、筋書きのないパネルディスカッションで、大変面白かったです。
 翌日は内部統制のパネルディスカッションを聞いて、神戸を後にしました。結局、4日間連続で新幹線移動したことになるのです。実は私は手足のしびれに悩まされているのですが、朝から夜にかけてだんだん悪くなってくるのですね。でも、新幹線で朝から移動するときは、グリーン車でゆっくり座っているにもかかわらず、もうすでに強いしびれがあり、終日悩まされてしまうのです。思うにこれは、高速で移動しているからではないかということなのですね。高速移動は知らず知らずのうちに体に負担がかかっているのではないかとにらんでいるのですが、いかがでしょうか。

サラカイセン ~225-230~

225.ケンシンよ まさか巨人と 言うなかれ


226.落合は 見れば見るほど 秋田の顔


227.ちと疲れ 浮かぶは田舎の 田と畑


228.完全に 燃焼したけど まだ仕事・・・(Qちゃんがうらやましい人)


229.見え見えの 選挙対策 混乱し


230.辞退せよ そんな政策 ありかいな

2008年11月10日月曜日

サラカイセン ~215-224~

215.私にも 注入してよ 活力剤・・・(資本増強がうらやましい人より)


216.川柳の 話題に欠かない この世の中・・・(困ったものだ)


217.ないはずが こっそり出てくる 裏の金


218.あるはずが ないから 裏の金と言う


219.否定した 何の根拠も ない話


220.経済は 一足先に ビッグクランチ


221.一年に 一度は行きたい ホテルのバー・・・(毎日の人も・・・)


222.値上がりは 早いが値下がり ままならず


223.入会を 推されて戸惑う 長寿会・・・(まだ52歳ですけど・・・)


224.グローブが 破れて出てきた 詐欺の爪・・・(おじさん達を音楽から遠ざけた人です)

2008年10月17日金曜日

「おくりびと」の試写会に出てしまったのだ!

~久しぶりの原稿なのです~


 私がホームページに原稿を書くにあたっては、一応手順があるのです。いつも小さいノートを2冊持ち歩いており、1冊は「原稿用」、もう一冊が「川柳用」と区別しているのですね。そして、地下鉄の中や歯を磨いているとき、お風呂に入っているとき、寝る前等、思いついた言葉や原稿のネタを、ノートに書き綴っているわけです。そして、週末時間がある時に原稿にまとめ、東海会事務局の渡辺さんに送信して内容に問題がないかどうかをチェックしてもらい、OKであればそれをホームページ制作会社へ送るという、秘密のルート(もう秘密ではなくなりましたが)が確立されているのです。
 最近は週末に協会の行事や事務所の合宿・仕事等があり、なかなか時間が取れなかったので、とりあえず川柳でしのいでいたのですが、今回は久しぶりに原稿を書く時間を確保することができました。
先日、俳優の峰岸徹さんがなくなられたということを知ったのですが、峰岸さんといえば今上映中の映画「おくりびと」に、主人公の父親役で出演していたではありませんか。驚きました。実は「おくりびと」については、日経新聞の広報部のほうから試写会のご招待があり、新聞に載せるからコメントを書いてほしいというご依頼があったのです。試写会は9月2日だったのですが、この日のうちに東京行きの新幹線に乗らなければならなかったため、夕方の上映というのは厳しいなとは思いながらも、ちょうどモントリオールの大会でグランプリを受賞したということもあり、ついつい新栄の試写会会場まで足を運んだのでした。


 試写会場にはたくさんの招待者が来ていたため、本当に自分のコメントが日経新聞に掲載されるのであろうかと思っていたのですが、映画が始まってみるとそんなことはどうでもよくて、大変いい映画でした。随所にユーモアをちりばめながらも何度も涙を誘う映画で、日本映画の質の高さを感じさせられました。
 私はもともとニュースとスポーツと「田舎に泊まろう」以外は、民放テレビはほとんど見ないことにしています。あの下品でくだらない笑いを誘うような、おちゃらけ番組はとても耐えられないし、いつも大声を張り上げたり殴ったりするドラマのシーン、それにわざとらしさも見る限界を超えているからですね。でも、映画はレンタルDVDを定期的に贈ってもらうようになっており、週末に楽しんでいるのですが、ほとんどが洋画なのですね。でも今回の「おくりびと」は見た人誰に聞いてもいい映画だったという感想が返ってきます。いつまで上映しているかわからないのですが、一度ご覧いただきたいと思います。それにしても「ハゲタカ」のDVDは、なかなかレンタルの順番が回って来なくて困っているのだ。
 9月12日の日経新聞には、「おくりびと」特集の広告が新聞2枚も使って大々的に行われていたのですが、なんと、私のコメントも載っているではありませんか。恥ずかしくて自分のコメントには目を向けられませんでした。

雑誌「中部財界」の取材を受けてしまったのだ

~今回もラジオの生出演はあるのだろうか~


 昨年に引き続き、中部地区の雑誌「中部財界」の取材を10月3日に受けてしまいました。昨年の取材の際は、取材後の雑談で社長と盛り上がってしまい、1時間のラジオの生番組に出演をすることになってしまったのでした。しかし、1時間のうち、肝心の会計士業界の話をしていたのは30分程度で、後は趣味のギターの話に花が咲き、次回出演の際は、生演奏をしてくださいということになっていたのです。
 今回の取材には、社長さんのご都合が合わなかったようで、お会いすることはできませんでしたが、ラジオへの出演はしっかり頼まれてしまいました。う~ん、どうしよう。
 インタビューの内容は、どうしてもNHKドラマ「監査法人」の話と、名古屋で12年ぶりに開催された全国研究大会のほうへいってしまいます。特に「監査法人」の話は、面白い裏話がたくさんあるのですが、いざインタビューということになると、どこまで話していいのかと、つい慎重になってしまうのですね。これが、ドラマの始まる前、あるいは放映中ということであれば、話すことにもかなり気を使い、本来まだ話してはいけないことまで話さないよう(いわゆるカット・オフエラーにならないよう)注意しなければならないと思うのですが、すでに終了したドラマですので、基本的には何を話してもいいと思います。でも、いざ活字になって残ってしまうことを考えると、HNKさんに迷惑をかけてはいけないという思いがどこかにあり、つい言葉を選んで慎重になってしまうのですね。
 「東海会会長に就任して以来、これまでを振り返って」というご質問もあったのですが、これはもう「面白かった」としか言いようがないですね。他にも「東海会の課題」とか「公認会計士のこれから」など、いろいろインタビューを受けたのですが、ここで内容を書くわけにはいかないので、詳しくは「中部財界」をお買い求めください。


名古屋大学でマラソン講演に挑戦した

~5時間枠をこなすのもなかなか大変なのだ~


 東北生まれの私は、結婚式での挨拶やいろんなところで話す挨拶というのは、最近でこそ慣れてきたものの、普段言いなれない言葉を話さなければならないため、なかなか口から思うように言葉が出てこないので、あまり好きではないのです。でも、会計周りの講演というのはあまり抵抗がなく、頼まれればすぐに引き受けてしまっているのですね。
 今回は、名古屋大学の野口教授から、午後1時から6時までの講演を頼まれ、気軽に引き受けてしまったのでした。でも考えてみると5時間もあるのですね。
 会計ビッグバン華やかなりし頃は、講演のテーマに困ることなどまったくなかったため、3時間くらいの講演であれば軽くこなしていたのですが、今回は何と5時間なのです。しかも与えられたテーマが「監査と会計の現代的課題」ということで、何を話そうかなと考えていたところに、NHKさんのほうからドラマ「監査法人」のDVD付録として「監査用語集」の作成を依頼されてしまい、そちらのほうももちろん喜んで引き受けてしまったため、なかなかタイトなスケジュールとなってしまったのでした。


 さて、講演当日9月30日は、大学の夏休みの最終日だということで、聴講者には申し訳ないことをしてしまったのだ。でも、集まった学生が少なかったため、雑談を大いに交えて気軽に話すことができました。それにしても、夏休みが2ヶ月もあるとは何ともうらやましい限りです。もう忘れてしまいましたが、自分が大学生のころも長期間の夏休みがあったのでしょうね。
 5時間といっても、90分の講演が3回ということで、その間15分の休憩時間があったため、そんなに負担にはなりませんでした。しかも質問時間を30分ほど取ってくださいと言われていたのですが、なにも質問がなかったため、結果的には17時30分に終了。喉を枯らすことなくすんだため、翌日の仕事に差し支えることはありませんでした。終わった後に飲んだ生ビールのうまかったこと。
 話した内容は、会計士業界の最近の動向と会計不正事例、それに内部統制監査へと進んでいったのですが、内部統制のことを真剣に話すと時間が全然足りなくなってしまうため、さわりだけにさせていただきました。それにしても、聞いているほうもなかなか大変だったでしょうね。お疲れ様でした。


 私の大学生時代は、一時的に音楽にのめりこんだりアルバイト等であまり大学へは行かず、そろそろ期末試験の日程が発表になるころだと思って大学へ行った時には、ほとんど試験が終わっていたなどということもあり、結果的には1年留年してしまうことになりました。西洋史学科で古代史のゼミに入っていたのですが、高橋克彦の伝奇小説などをよんでいると、古代史に大変興味がわいてくるのですね。今になってみるともっと素直に大学で勉強しておけばよかったなとつくづく思っているのですが、もう遅いのだ。

今度の東海会ニュース臨時増刊号はすごいぞ!

~東海会渾身の一冊なのだ~


 研究大会が終わって約3か月が経過しましたが、現在研究大会の模様を写真集にしようということで、広報委員会と事務局とで編集を行っており、もすぐ皆さんのお手元に届くことになっています。
 前回の12年前の研究大会の際にも臨時増刊号を発行しているのですが、その時はどちらかというと文章が中心で、写真は少なめでした。しかし今回は、研究発表の内容等は「会計監査ジャーナル」にお任せして、東海会ニュースは写真をメインにすることにしたのです。その数何と150枚超!
 ニュースの巻頭は、例のシャチホコのポスターにしようとも考えたのですが、写真の枠の関係で、シャチホコの「口元」しかおさまらず、これではまたひと騒動起こる可能性があったため、急きょ別の写真にしました。シャチホコさんのポスターは、ニュースの一番最後を飾ってもらうことにしたのです。
 思えば去年の今頃は、大阪で行われたCAPA大会の後もポスター問題が解決せずに、いろいろ大変だったのですが、結果的にはなんとかそのまま突っ走ることができました。ポスターに始まりポスターで終わる研究大会ということになるのでしょうか。そういえば、NHKのテレビドラマ「監査法人」の第一話が放映された後の会計士協会の反応も、なんとなく同じようだったよなぁと思うとつい笑えてしまいますが、いずれにしても最終的にはどちらも皆さんのご理解を頂き、大成功に終わったので、よかったのだ。
 写真集は、研究発表の様子や前夜祭に基調講演、懇親会、エクスカーションと盛りだくさんとなっています。新しく東海会事務局に来ていただいた滝田さんの大活躍もあって、見どころ満載になっていますので、ぜひお楽しみに。


2008年10月14日火曜日

サラカイセン ~197-214~

197.分析的 手続きでわかる 初期不正


198.時価会計 凍結議論に 言葉出ず


199.そんなにも 下がらなくても いいじゃない


201.株持てず 実感わかない プアレタリアート


202.ノーベル賞 うれしくないと 言ってみたい


203.補強して 優勝しても 意義あるか


204.CSで かすんでしまう セパ優勝


205.


206.


207.


208.


209.


210.地域会 再編の波 立ち始め


211.毛並みだけ 良くても手腕が ものをいう


213.米国の 動きが気になる IFRS


214.不合格 公表される CPE

2008年9月20日土曜日

サラカイセン ~186-191~

186.リーマンと メリルは サブプラ・ブラザーズ


187.大地震 予言外れて 米揺れる


188.結局は 貪欲な人が 損をする


189.消極的 意見といっても 聞きなれず


190.靴変えて ボールとティで 10ヤード


191.イチローに 先を越された 200本・・・・(200本まで後9本です)

2008年9月19日金曜日

「監査法人」のDVD発売が正式決定なのだ!

~再放送も決定したので、お楽しみに!~


 8月31日(日)、NHKの磯さん、渡辺さんとドラマの打ち上げをやりました。木村さんはすでに次のドラマの制作準備に入っていたため、残念ながら参加できませんでした。以前から一度一杯やりましょうということになっていたのですが、みんな忙しいためなかなか日時が合わず、結局日曜日という事になったのです。
 ドラマの「監査法人」が正式にDVDになるそうです。サントラは10月発売、DVDは11月発売と決定したようです。感想掲示板を読んでいると、こういった要望が大変多かっただけに、本当によかったです。また、その前に、「話題のドラマ一挙放送」という事で、再放送も決まったようですね。10月20日(月)~22日(水)の午後11:15~深夜1:15(BSハイビジョン)だそうです。皆さん、お見逃しなく。DVDの発売前に再放送という事になると、DVDの売れ行きが心配にもなるのですが、DVDには「特典」がついており、ドラマでは放映されなかった場面も含まれているそうですので、DVDも買ってください。くださいったらください。
 ドラマが終わった後は、なんとなく寂しい土曜の夜を過ごしていたのですが、続編にチャレンジしてみたいという気持ちは、みんなにありましたね。その場合に備えて、今から構想をいろいろ練っておくことにします。


 今回のドラマでは、第一回目の放映から多くの反響(特に会計士から)があったのですが、6話全体を通してみると、非常にいい番組だったと思います。宮本武蔵の生涯を描いている漫画「バガボンド」の中に、「一枚の葉にとらわれていては木は見えない、一本の木にとらわれていては、森は見えない。見るとはなしに全体を見る・・・」というようなセリフがあったような気がするのですが、私はこの言葉が好きなのですね。「監査法人」というドラマを全国で数百万人の方々に見ていただくことになり、この業界の全体像がご理解いただけたのではないかと思っています。また、同時に、世間が監査法人に対して注目することになったという事は、おのずと我々この業界で仕事をする公認会計士にもプレッシャーがかかってくるということで、それはそれでいいことではないかと思います。


 監査法人で仕事をする会計プロフェッションであれば、「一枚の葉の虫食いに注目して、そこから根こそぎ大きな粉飾決算を見つけてしまう」というのが理想の姿なのですね。監査の場合は「見るとはなしに全体を見て」いたら、現場で単にぼぉ~っとしているだけで、粉飾決算など発見できないのだ。感性あるいはセンスを磨くよう、努力しましょう。

2008年9月17日水曜日

サラカイセン ~180-185~

180.吸ってない 見たことないし 触ってない


181.決まり手は 浴びせ倒しか 寄り切りか


☆以下、監査用語特集(日本語は難しい!)


182.アサーション 翻訳無理と 主張する


183.脅威とは 一体何が 脅威かと


184.デザインと いっても 監査用語です


185.虚偽ですと いわれて怒る 監査役

2008年9月6日土曜日

サラカイセン ~173-179~

173.総理の座 命をかける ほどじゃなし


174.私には 無理と退職する フクダ (茜ちゃんと一緒か)


175.引き止める その顔すでに 笑ってる (オレの番かと)


176.自らを 客観視するは ゴルゴだけ


177.公会計 基準なくして 監査なし (早く統一してくれ!)


178.米国も 自国基準を ギブアップ (日本はどうなる)


179.サブプラで 血流止まり 突然死

顧問・相談役会に迫る

~顧問相談役会に初めて出席した~


 会計士協会の顧問・相談役の先生は、どこの地域会にもいらっしゃると思うのですが、東海会では顧問の先生が現在7名、相談役の先生は6名いらっしゃいます。歴代の会長経験者が顧問、叙勲を受けられた方が相談役という事になるそうです。皆さん、東海会の役員会に出席することが出来、特に昨年お亡くなりになられた服部先生は、毎回活発に発言されていたのを思い出します。
 その、顧問・相談役会というのが年に1回、現役の会長を交えて行われるという事実は把握していたのですが、実はその中でどのような会話が交わされているのかという事は、今まで謎だったのです。前川前会長も、最初の顧問相談役会に出席されるときに、副会長も同席させてはどうかというご提案をされたらしいのですが、どうも却下されたようでした。また、事務局長を長年務めている大倉さんも、顧問相談役会にだけは出席したことがなく、私が尋ねても「これだけはわからんのですわ」という事で、ますます神秘性が増してきたのでした。
 その顧問・相談役会に出席したのですが、何しろ初めてのことなので、何を準備して、どのような手順で進めていったらいいのか皆目見当がつきません。単なる雑談だけとは思えなかったため、最近の会務の状況をまとめて、とりあえずレジュメを作成しておいたのでした。


 さて、当日です、顧問・相談役の先生方が続々とお見えになりました。肝心の前川前会長は所用のため欠席です。皆さんおそろいになったところで、さてどうしたものかとオロオロしていたのですが、とりあえず「え~っと、どうしましょうか?」と切り出したところ、相談役の先生から「あなたが招待したのだから、あなたが進めていきなさい」とのご発言があったのですね。心の中で「ああ、そうだったんですか」と思いましたが、初めての経験なのでしょうがないのです。
 用意していた会務報告のレジュメをお配りして、それに基づいて最近の業界の動向や、本部理事会での報告内容を話していきました。話はスムーズに進み、皆さん静かにお聞きになっているので、私もほっとしながら軽快に話し続けていたのですが、今回の私の任期のときから、協会本部のガバナンス改革で、本部の副会長の人数が減らされたこところにさしかかったとき、思わぬ強い反応がありました。
 今までは、東海会会長は、自動的に本部の副会長に任命されていたのですが、私の代からは、地域会会長から選ばれる副会長は、13ある地域会の会長のうち、2名が任命されることになっていて、今回は東京会と近畿会の会長が本部の副会長に選任されるという事になりました。「東海会から副会長が出なかったことは、すなわち東海会の地盤沈下である」という事なのですね。「オレが悪かった!」と素直に謝りたいところなのですが、すでに決まっていたことなので、私にはいまさらどうしようもなかったのです。それでもごり押しして「オレにやらせろ」と言うのも、東北生まれで控えめで自己主張をあまりしない私には、とても恥ずかしくてできない相談です。このあたりのところは、私も本部のガバナンス改革やいろんな事情を何度もご説明させていただいてがんばったのですが、東海会の行く末を案じていらっしゃる顧問・相談役の先生方には、なかなか受け入れがたい出来事だったようでした。このあたりは次期東海会会長にがんばってもらうことにしましょう。
 次回の顧問相談役会は、12月の予定ですが、今度はどのような話題になるのでしょうか。またご報告いたします。

2008年8月28日木曜日

業界説明会と研究大会の打ち上げ

~今年の受験生は動きが速いぞ~


 今日8月25日は東海会主催の業界説明会の日です。公認会計士試験論文式試験が終了し、受験生としてはほっと一息、本当はゆっくりしたいところだと思うのですが、いきなりリクルート活動開始なのです。大変お疲れ様です。
 昨年は、合格者に比べて求人数が圧倒的に多いと予想されていたからかどうかはわかりませんが、出足が鈍く、業界説明会に来ていただいた受験生も80人弱でした。今年もそんなものかなと思って、挨拶のため去年と同じ会場に行ったのですが、どうやら今年は参加者が多いらしく、商工会議所で一番広い会場に変更になっていました。約140人の参加者があったようです。
 昨年、合格者が前年の2倍に増えたため、仮に今年も同じくらいの合格者が出た場合、東海地区の場合はちょうど合格者と求人数が均衡するようなのですね。そのため、今年は昨年に比べて皆さん自分の入りたい監査法人に就職したいため、真剣になっているのかもしれません。説明する監査法人のほうも14法人ということでしたが、ジャパン監査法人やエスペランサ監査法人は来ていませんでした。東海地区もだんだん激戦地になってきたような気がします。
 受験生の皆さんも、単に初任給が高いとか、支度金が出るとか、飲みに連れて行ってもらったなどというつまらないことで監査法人を選択するのではなくて、自分がどんな会計士になりたいのか、どんな仕事をしたいのか、どんな社風の職場で働きたいのかを真剣に考えて、就職先を決めていただきたいと思います。何しろ、一生に一度の(たぶん)選択になるのですから。


 さて、業界説明会が終了した後は、7月17日に行われた研究大会の反省会と、少し遅れましたが打ち上げなのです。反省会といっても、これだけの大成功だったので、東海会といたしましては、こうべを垂れて、「わるかった」などと反省することなどとくにないのだ。30分ほどで切り上げて、打ち上げに突入ということになったのですね。
 私が東海会会長に就任してからは、常に頭の片隅に研究大会のことがちらついていたのですが、「案ずるより産むがやすし」各プロジェクトの担当の皆さんや、事務局の大倉さん・渡辺さん達の底力というか集中力というか瞬発力というか大活躍のおかげで大成功に終わったのでした。打ち上げも、おいしい日本酒のオンパレードで大変満足しましたし、大いに盛り上がりました。今回の打ち上げが終了して、これで私の頭の中からは、「研究大会」という文字が奇麗になくなったのです。でもその代り、中日本五会という文字がちらつき始めたのには困りますが。
 二次会、三次会と、前川前会長と小林愛知県会長が最後まで残り、終わったのが2時半だったようです。こちらも大変お疲れ様でした。

2008年8月25日月曜日

サラカイセン ~168-172~

168.GGよ プロの守備かと 北京の空


169.金取れず 腹を切ると 言う監督


170.勝てないと やるのは選手と 言う監督


171.金よりも 光り輝く 銅もある


172.雨だって いいではないかと 大曲

2008年8月19日火曜日

公認会計士制度が出来て60周年なのだ!

「不動産屋にでもおなりなさい」と鈴本公認会計士は行った!


 今年は公認会計士制度が出来て60周年という、節目の年になりました。私も行ってきたのですが、7月8日には東京のメルパルクで60周年記念行事が行われ、多くの会員が集まっています。テーマも「激動の10年から信頼の未来へ-監査を日本経済の力に」ということで、なかなかかっこいいテーマでしたね。ここ10年間に起こったいろんな出来事がDVDでまとめられ、会場で上映されていましたし、川北先生のお話も大変面白いものでした。
 考えてみると、私も二次試験に合格してから丸27年ですので、公認会計士制度ができて60年間のほぼ半分をこの業界で過ごしたことになります。あっという間ですね。最近では昔のことを思い出すことが多くなりました。


 NHKドラマ「監査法人」でも、公認会計士業界の草分け的存在として、鈴本公認会計士が登場していましたが、なかなか迫力がありましたね。健司が「あおなみ興産」の決算内容を調べようと、鈴本会計士事務所を訪れるのですが、いろいろ追求するためにジャブを繰り出す健司に対して、鈴本会計士はまったく同ずることなく「公認会計士としての資質にもとる。不動産屋にでもおなりなさい」と、強烈な回し蹴りを一発、健司に食らわせてきたのです。
 私が健司の立場で追求していたら「秋田にでも帰って、兼業農家にでもおなりなさい」とでも言われたのでしょうか。あるいは「下手なギターでも弾いていなさい」と言われたでしょうか。


 私が今でも印象に残っているのが、公認会計士協会の会長も勤められた、中瀬先生です。私の入所したときの中央会計事務所第四監査室のトップだったお方で、それこそ「雲の上の存在」と言う言葉がぴったりの先生でした。中瀬先生の懐の広さ、人柄、スケールの大きさと言ったものが、お話をお聞きしているだけで伝わってくるのですね。
 今でも私の周りには、公認会計士の草分け的な先生たちが何人かいらっしゃいますが、皆さんやはり個性的な方々が多いです。でも、私の仕事ぶりがまだまだ頼りないせいなのか、いろいろ励ましてくださる先生方が大多数で、私もいろいろアドバイスをいただいて大変助かっています。
 60年というと、人間では還暦という事になるのですが、激動に飲み込まれそうになったここ数年でした。これからは100周年に向けて、ある時は大胆に、またある時は地道に、この業界のためにがんばっていくのです。

NHKドラマ「監査法人」Q&Aシリーズその10

Q.10 「財政監督庁」とは、どのような組織ですか?


Ans
��. もちろん架空の組織です。
��. 金融庁の中の組織です。
��. 公認会計士協会の中の組織です。



 財政監督庁というのはもちろん架空の組織で、ドラマ用に作家の方が考え出した組織ですが、しいていえば金融庁が近いという事になるのでしょうか。ドラマの中では、宮島局長さんが、なかなかいい役を演じていらっしゃいましたね。


 公認会計士の組織としては、公認会計士協会があり、自主規制としての立場を貫いています。いわば、公認会計士全体を統括する立場にあるわけで、いろんな規則や会員に関わることなどは、理事会で決定することになっています。また、例えば品質管理レビューなども、会計士協会自らが各監査事務所の品質管理体制をレビューするようになっており、制度が出来てから7~8年になりますが、企業不祥事が相次ぐようになってきているここ数年は、年々厳しくなってきているようです。
 会計士協会が行う品質管理レビューは、大手監査法人の場合大体2年に1回対象になるのですが、内容的には、特定のクライアントが選定され、しっかりした監査が行われているかどうかを調査することになります。最近ではサプライズといって、あらかじめ対象クライアントを教えないで、いきなり当たるケースもあります。大体、一社当たり1週間くらいかけて行われ、その間いわゆる当たった監査チームは緊張感を持って、レビューに対応することになります。
 また、個別クライアントの監査の実施状況だけでなく、事務所全体の管理体制がどうなっているのかをヒアリングを行いながら調べていくことも行われます。例えば審査制度がどのようになっているか、監査担当者と審査を行う人が、独立しているかどうか、品質管理体制に不備はないかとか、研修制度はどうなっているかとか、調書の管理状況、人事評価はどうなっているか等等。我々日頃は監査する立場にあるわけですが、レビューを受けると、監査される側の立場がよくわかります。当たった人は大変で、私の担当する会社は、昨年は当たりませんでしたが、過去2回当たっています。何か問題があったら、責任問題になりますし、単に自分が責任を取ればいいというだけではなくて、法人全体の問題にも発展する可能性がありますので、大変神経を使います。


 また、公認会計士監査審査会という組織もあります。5年位前に金融庁の中の組織としてできました。公認会計士協会のほうで、監査事務所に対してレビューを行ってはいるのですが、当時はいろんな事件が相次ぎ、企業不祥事がなかなか減らなかったため、公認会計士協会のレビューが甘いのではないかという批判が出てきたのですね。決して甘かったということはなかったと思うのですが、時代が悪かったというか、そういう流れになっていったということだと思います。


 公認会計士監査審査会では、公認会計士協会の行ったレビュー結果をさらに調査するという目的で当初出来上がった組織ですので、会計士協会のレビューが当たった後は、必ず公認会計士監査審査会のレビューを受けることになります。
 ちょうどカネボウ事件をはじめ、いろんな会計不祥事を受けて、一昨年ぐらいに大手の4大監査法人に調査が入りました。数ヶ月にわたって行われましたが、これが大変厳しいものだったと聞いています。
 他にも大手監査法人の場合、社内のレビューがありますし、また、提携先のレビューもあるでしょう。感覚的には、一年中監査とレビュー対応に追われているという状況ではないでしょうか。


 監査が単に書類を作るだけの業務になってしまったら、それこそ監査に興味がなくなってしまい、監査現場を離れる若手会計士が増加することにもなりかねません。私は、監査という業務は大変魅力的な仕事だと思っていますので、そのあたりのところをどのように対応していくのか、大きな課題だと思っています。


もしかして、例年の中日本五会で、この問題を取り上げることになるかも・・・。

「わるいけどオレ、手加減しませんよ」と健司

「そういう人が危ないんだよなぁ」と心療内科の先生は言った!


 3月18日に「耳鳴り」が突然発生し、もう5ヶ月になります。耳鼻科を紹介していただき、2箇所の病院へ行ってみたのですが、なかなか治りません。耳鳴りが起こった当初は、この先どうなるのだろうかと真剣に思い悩んだのですが、耳鼻科の先生には「耳鳴りはなかなか治らないため、慣れるしかないのです」と、きっぱり言われてしまいました。でもその言葉通り今では慣れてしまい、治るまでじっと待つしかないなと長期戦に臨むことにしたのです。
 先日も、お盆休みに秋田の同級生とゴルフをしたのですが、昼食後に薬を飲んでいたため、よくよく見てみると、どこかで見た薬ではありませんか。「なんとしたなや(通訳・・・どうしたのですか)?」と聞いてみると、昨年から耳鳴りが止まらなくなったそうです。そういえば、6月ごろでしたか、陶芸家の谷本洋先生の個展を見に行ったときも、隣で年配のお客さん同士が「最近耳鳴りがひどくてね、なかなか治らないんだわ」などと話しているのが聞こえてきたこともありました。最近耳鳴りで悩んでいる人が多くなったのか、あるいは私がそういう年齢になってしまったのか、そのあたりはよくわかりませんが。


 私の場合、耳鳴りの原因は「過労とストレス」とはっきりしているため、念のために事務局の渡辺さんにしっかりした心療内科の先生をご紹介していただいて、みてもらいに行ってきたのです。初めて行ったとき、1時間半くらい話をしたのですが、ちょうどNHKドラマ「監査法人」の放映中だったこともあり、職業を聞かれて話題がそちら方面へと行ったのですね。
 心療内科の先生も、「監査法人」をご覧になっており、「あの若い会計士のように、自分に厳しく、何事に対しても真っ向から突っ走っていくまじめな人が危ないんですよ」と、健司にきちんと忠告していたのでした。「わるいけど、オレ、手加減しませよ」と、大変かっこいいのですが、そういうふうにモチベーションを常に高く持ち続け、己に対して、何年間も厳しくあり続けることは、ドラマでもそうですが、精神的に疲れてしまいます。私も突っ走ってしまうことがありますので、先生は健司を通じて、私に忠告していたのではないかと考えているのです。
 私も考えてみれば、もともと忙しかったのですが、特にここ5年くらいは怒涛のごとくいろんなことがあり、夏休みと年末年始を除き、ほとんど毎月100時間以上の実質残業を行っていたため(労基の方は読んでいませんね)、体のどこかがおかしくなるのは、当たり前のことなのだ。この5年間、手足のしびれにはずいぶん悩まされましたが、これが「くも膜下出血」とか「心筋梗塞」等で取り返しがつかなくなる前に、耳鳴り程度で済んで、逆によかったなと今では考えるようにしているのです。昨年自宅で1回、今年は事務所で一回、気分が悪くなって倒れてしまい、危なく救急車で運ばれるところだったのですが、3回目はもうないように注意しようと思っています。ギターが弾けなくなってしまったら、楽しみがなくなるではないか。


 今年の4月からは内部統制の監査が始まり、もともと人手不足の中、上場会社4千社の内部統制監査や四半期レビューが加わることになります。皆さん大変だとは思いますが、後1~2年で監査法人の人手不足は解消するのではないでしょか。自分の体調と相談しながら、限界を超えないよう注意して、乗り切っていただきたいと思います。

2008年8月18日月曜日

サラカイセン ~163-167~

163.口パクの 子供の将来 気にかかる


164.驚きと うそで演じた 開会式


165.気合より 冷静さが ものをいう


166.本番で 力を出す人 出せぬ人


167.いつの間に ブログの読者が 増えていた

2008年8月17日日曜日

お盆休みの最後に雑学を一つ

☆株式会社とは ~東インド会社と関が原の戦い~


 みなさんも世界史の授業で習ったことがあると思いますが、世界で最初に設立された株式会社は、1602年に設立された、オランダの東インド会社です。つまり、日本が「関が原の戦い」の真っ最中だった頃に、ヨーロッパでは株式会社という制度が登場し、株への投資が行われていたということになります。このあたりが文明の相違といったことになるのでしょうか?株式会社制度はそれ以来400年もの長きにわたり、われわれの経済社会に根付いていることになります。


 株式会社の仕組み事態は、基本的には現在においても昔からあまり変わっていません。例えば、皆さんの頭に中に何かすばらしいアイディアがひらめいたとします。商品化したら大ヒット間違いなし。ウッシャ~!と思ったのはいいけれど、先立つものがありません。商品を作るには工場が必要ですし、材料を仕入れなければなりません。また、従業員を雇わなければならないし、お店も必要です。どうも個人の力だけでは自分のアイディアを実現できそうにもありません。さてどうする。
 ここで登場するのが株式会社制度です。まずは、周りの人で、自分の考えに賛同してくれそうな人に声をかけ、自分のアイディアを説明して出資を募ります。要するにお金を出してもらうわけです。同調してくれればお金を出してくれるでしょうし、そうでなければ断られてそこまでです。出資してくれた人には、出資金額に応じて証書を発行するわけですが、これが株券です。みんなから出資を募ってそれを元手に事業を展開し、うまくいって利益が計上されれば、出資してくれた人(つまり株主)には、その見返りとして配当金を支払うことになります。株主は出資した甲斐があったということですね。また、仮に事業がうまくいかなかった場合には、出資したお金が返ってこないこともありうるわけですが、出資金額以上の負担は負いません。事業失敗のリスクは、株主全員が出資金の範囲内で負うということで、リスクが分散されるわけですね。


 このように、多くの人からお金を集めて経営を行う会社を、株式会社といいます。
ちなみに、日本における最初の株式会社は、1873年(明治6年)に設立された「第1国立銀行(現在のみずほ銀行)」ですが、オランダ東インド会社から送れること約270年ということになります。

今年も受験の季節がやってきた

~この時期、受験生はどのような気持ちで過ごすのでしょうか~


 もうすぐ公認会計士試験が始まります。昨年合格者が今までの約2倍となり、従来に比べたら受かりやすくなったかもしれませんが、やはり難しい国家試験であることには違いありません。受験生の皆さん、大変お疲れ様です。


 私も今をさかのぼること約30年近く前は受験生だったわけですが、当時はいわゆる二次試験が最大の難関でした。もともと生まれが東北であるということと、当時は仙台の試験会場にはクーラーが効いていたため、仙台で受けることにしたのです。
 仙台に行く前に、東京の高田馬場駅付近で友人と待ち合わせをして、「では、行ってくるよ」と話したところ、レジュメの入った紙袋で両手がふさがっていた私の姿を見て、「それがお前の青春の重みというヤツだな」と笑って言っていた友人の言葉を、つい最近のことのように、今でもはっきり覚えています。


 合格発表の日の朝6時、約束の電話のベルは鳴りませんでした。合格の手ごたえは確かにあったはずなのですが・・・。前日の夜から飲み始めたロバートブラウンは、すでに三分の二ほどなくなっていましたが、頭の中は冴え渡るばかりでなかなか寝付けません。午前3時ころ、ウトウトしたような気がしますが6時前にはパッチリと目が覚め、視線はアイボリーホワイトの電話に釘付けになっていました。
 数日前、同じ受験仲間だったHM氏に会い、「6時には発表になるから受かっていたらすぐ電話するよ」と言われたばかりだったので、その言葉をじっと信じていたのです。
 「この1年間、やれるだけのことはやった。もう一年この勉強を続けろといわれても、気持ちが続かないだろうな。今回落っこちたらもう受からないだろうな。でも、だめだったらもう一度やるしかないだろうな。親父には、去年いつまで居候するつもりだ(実はこの年の3月に大学を卒業し、浪人生活をしていたのだ)といわれているしなぁ」などという事をぼんやり考えているうちに、時計の針は7時を回り、8時を通り越し、そしてもうすぐ9時になろうとしていたのです。
 「しかだねなぁ~、もう一年やるべが」と覚悟を決めかけたとき「リ~ン!早く出ろ!」とばかりに、それまでおとなしかった電話のベルが、突然けたたましく鳴ったのです。ベッドから飛び起きて、受話器をわしづかみにして耳に当てたところ、そこから聞こえてきたのは、これまた受験仲間のHS氏からでした。その時私は「コシちゃん、受かっているよ」という言葉を確かに聞いたのですね。
 頭の中が真っ白になり、やったぁぁぁぁぁ!!とばかりに右手の拳で思わずガッツポーズを作っていたのですが、HS氏の「イッチャン(同じく受験仲間の市村君で、今の協会本部の常務理事)も受かっていたけど、僕はだめだったよ」という言葉を聞いたときは、おもわず唾を飲み込んでいました。私は高まる気持ちを押し殺して「残念です。またがんばってください」というようなことを言うと、静かに受話器を置いたのです(その後HS氏も合格)。そしてアパート内で隣近所のことも何も考えず、大きな声で「ウッシャ~!」と叫んでいたのでした。


 とりあえず、秋田の実家に電話しなければと思い、ダイアルを回そうと(当時はダイアル式の電話だったのだ)思ったのですが、興奮して手が震え、指がうまくダイアルに掛からないのです。やっとの思い出ダイアルを回したところ、受話器の向こうに出てきたのは母親でした。母親は今日が合格発表日であることを知っていたのですが、「もしもし、オレだけど」という私の言葉に対して、開口一番「落ちたべ~」でした。
 なぜ、「落ちたべ~」なのか、それは大学受験のときに前科があるからなのです。「絶対受かっているから」などと親に言っておいて、発表のときに親に電話で言った言葉が「落ちだ」でした。そのときの親の落胆ぶりは、顔には出さなかったものの相当なものだったようで、今回の公認会計士二次試験も、試験終了後、私がいくら「絶対に受かっているから心配するな」と言っても、ぜんぜん信用していないようでした。ぐやじい!
 「落ちたべ~」と耳元で言われた私は「受がった~!」と受話器に向って大声で叫んでいました。母親は「いがった、いがった」と言った後は、言葉になりませんでした。私もなんとなくジ~ンとこみ上げてくるものがあり、「もしかしたら今の自分は、今まで生きてきた中で一番充実した時間の中にいるのかもしれないな」などとぼんやり考えていたのです。「とりあえず、お父さんに教えてくるから」と言い残し、母親は電話を切ったのでした。
 父親は手術のため入院していました。思えば昨年、1回目の受験に失敗して、大学へも行かず、自宅でごろごろしていたときに、「いつまで居候しているつもりだ!」とムチを打ってくれたのは父親でした。これからはやっと自分の足で立って歩いていけるのです。そう思うと自然に力がこみ上げてきて、「お~し!やってやろうじゃないの」と、柄にもなく力んでしまったのでした。

懐かしい人に出会えた全国研究大会

~忘年会で大暴れしてしまったことを思い出したのです~


 サラリーマン会計士川柳(サラカイセン)の148にも書いたのですが、先日行われた全国研究大会では、前夜祭や懇親会で、大変懐かしい人たちに出会うことができました。今はなき大手会計事務所の東京事務所に勤めていたとき以来ですので、もう22~23年ぶりくらいになります。
 前夜祭では、IKさんという女性が私のところに来てくれてのですが、お会いした瞬間その人とわかったくらいで、ほとんど変わっていないのですね。一年後輩だったのですが、そのころはスタッフ同士みんな仲がよく、一緒に旅行へ行ったりしていたのですが、そのときの写真が笑顔のまま、未だに私のアルバムの中から微笑みかけているのです。
 懇親会ではKMさんにお会いしました。KMさんは、私が入所当時、主査だった方で、仕事に対しては大変厳しい方でした。その代わりといっては何ですが、お互いお酒が大好きでしたので、いつも仕事帰りに飲みに連れて行ってもらったものでした。懇親会のときも二人で地酒を何回もお代わりしながら、昔話に華を咲かせていたのです。


 KMさんというと、一番強烈な思い出は、私が忘年会で暴れてしまったことです。事務所に就職すると、年末には必ず忘年会に参加することになります。何しろ全員顔をそろえて一箇所に集まるということは、どこの会社でも結構珍しいのではないでしょうか。ましてや監査法人の場合、いつも数人で行動しているため、ほぼ全員そろうのは、新年会と忘年会、それに夏の全体研修くらいしかありません。今では忘年会といってもスマートな感じになって、不参加を決め込む人もいるようですが、昔は参加するのは当たり前、みんなの前で何か一つ芸をやらなければ一人前とみなされないような雰囲気はどの会社にもあったような気がします。
 会社の人がそろって熱海などへ行き、温泉に入って浴衣に着替え、それぞれ各人に与えられたお膳を前にして、偉い人の挨拶を、ビールがぬるくなってしまうのを気にしながらじっとこらえて聞いている。そして、乾杯の音頭があっていざ歓談が始まり、だんだん盛り上がってくると、みんなで手拍子をとって歌を歌い、また、芸達者な人が日頃から鍛えたかくし芸を披露する・・・といったところが、昔の日本のサラリーマン社会の由緒正しい忘年会だったような気がします。
 10月に入所して、最初の忘年会は箱根で行われました。その時生まれて初めてテニスを教えてもらったのです。その後、浴衣に着替えて卓球大会が始まります。卓球はほとんどみなさん学生時代に試みた経験があるだけに、なぜか熱が入って盛り上がってしまうのですね。そして、いよいよ宴会へと突入するわけですが、ここで必ず行われるのが新人の挨拶と芸の披露です。同じ新人のKW氏は、青江美奈の“伊勢崎町ブルース”で色っぽく歌い、拍手喝采を浴びていました。私の場合は、挨拶と自己紹介が結構受けたので、芸の方は、歌を歌うことだけで勘弁してもらいました。
 宴会もどんどん進んでくると、ビールやらお銚子をもって、みんなについで回る人が多くなってきます。新人の私はどうしていいかわからず、自分の席でボーゼンとしていると、そこへ同期のYGさんがやってきました。彼は「コシチャン、ちゃんとみんなにお酒をついで回らなければいけないよ」と忠告してくれたため、私もビール瓶を持って、YGさんの後をず~っとくっついていったのでした。「う~ん、これかぁ、サラリーマン社会の忘年会というものは」と、ほとんど感動したのを覚えています。


 2回目の忘年会は、西熱海で行われました。2回目ともなると、私も多少余裕を持って臨むことができたのですが、逆にそれが災いして、かなり深酒をしてしまいました。宴会が終わって、各々気の会う仲間同士がグループを作り、各部屋で飲んでいたのですね。私は、若手グループで集まって飲んでいたのですが、そのうちTが部屋にやってきました。彼も私もかなり酔っていたのですが、プロレスごっこのような恰好になり、酔った勢いで私はTに対して、布団の上にバックドロップを食らわせてやったのです(もちろんおふざけですが)。Tはふらふらと立ち上がると、おもむろに窓の方へ行き、窓伝いに隣の部屋へ行こうとするではありませんか。夜も大分更けてきて、外は真っ暗でよく見えなかったのですが、確かこの部屋は十数階だったはずです。そのことに気がついた我々は、あわててTの行動を止めようとしたのですが、Tは我々の制止には耳を貸そうともせず、ベランダ(あったかな?)伝いに隣の部屋へ行ってしまったのでした。今考えると、ずいぶん無謀なことでした。
 さて、一段落すると、みんなで他の部屋をのぞきに行きました。入った部屋は、中堅クラスの人たちが集まっていた部屋でした。そこではなにやら仕事上の難しい話をしたようです(というのは、このあたりはかなり酔っていたため、あまり記憶がないのです)。はじめのうちは、私もただ黙って話を聞くだけだったのですが、そのうち監査実務に対して自分が抱いていた理想と現実のギャップを訴えなければならないという思いに駆られ、酔った勢いも手伝って「今の我々の監査はこんなことでいいのですか?」と、涙をぽろぽろ流しながら訴えていたのでした。


酒を飲んで酔っ払うと、タイプ的には
��1)はしゃいでしゃべりまくる人
��2)怒りっぽくなり、説教する人
��3)泣き上戸
��4)愚痴っぽくなる人
��5)何も変わらない人


と、まぁ大体5段階くらいに分けることが出来ます。私は普段はどちらかというと⑤に属するわけですが(そうじゃないという人もいますが)、このときは③に属する人になっていたようです。そして後から聞いた話ですが、前にいた部屋でプロレスごっこをやっていたこともあってか、その部屋にいた私の仕事上の上司に当たる人達、つまり今回懇親会で久しぶりに再会したKMさんにも殴りかかって行ったらしいのです。私の今までの人生で、酒を飲んで記憶をなくしたのは、後にも先にもその時だけでした。その後そうなったかは、誰も話してくれなかったし、私も聞くのが怖かったので、黙っていることにしたのです。


 次の日は、懇親ゴルフでしたが、朝起きると真っ先にトイレに直行する羽目になりました。そして、スタート前の記念撮影の直前にももう一度、みんなを大分待たせてしまいました。そして、1組目のスタートだったのですが、記念撮影の後も我慢できずにトイレに直行し、そこでまたしても皆さんを待たせる羽目になってしまったのでした。5番アイアンで打ったティーショット(この時の写真は、今でも私のアルバムに貼ってあるのですが)は、いきなり右45度方面に飛んでいきOB。二発目も、すかさず「打ったらすぐ走る人」になっていたのでした。
 途中でギブアップしようかとも考えたのですが、何度も水分を補給しながら18ホールを回り終わったときには、もうヘロヘロ状態になっていました。でも、コースから見た富士山がきれいだったのは、なぜか鮮明に覚えています。


 翌日の朝、KMさんに忘年会での出来事をわびたのですが、「まぁ、酒に酔った上でのことだから」とはいってくれたものの、しばらくは飲みに誘ってはいただけませんでした。でも、今回こうして全国研究大会で久しぶりにお会いして、再び大吟醸の入ったグラスを重ねて、昔話をしながら一緒に飲む機会に恵まれ、本当によかったなぁと思っているのです。KMさん、名古屋までお越しいただいて、本当にありがとうございました。来年は、また新潟大会でお会いしたいものです。

2008年8月16日土曜日

ソニーの株をコンビニで買うことが出来るようになるのであるか!

NHKドラマ「監査法人」Q&Aシリーズ


Q.9 株式を証券取引所に上場することによって、どのようなメリットがあるのですか?


Ans
��. コンビニで株を買うことが出来るようになります。
��. 資金調達を行うことが出来るようになるし、会社が世間に知られるようになり、優秀な人材が集まってきます。
��. ドーナツが売れるようになります。



 NHKドラマ「監査法人」で、健司のファンという井上の作った会社「プレシャス・ドーナツ」の上場を巡って、いろんなドラマチックな場面があったのですが、企業家にとっての重要な目標の一つは、自社の株式を上場させることでしょう。
株式上場が成功すると、銀行からお金を借りなくても、証券市場から資金調達することが出来、新たな設備投資を行うことが出来ますし、株式が流通するようになると会社も有名になり、優秀な人材が集まってきます。また、取引先も増えるでしょうし、自社商品を買ってくれる人も増えることと思います。もちろん、上場前に株式を持っている人にとっては、上場後、何倍、何十倍の値段で株式を市場に売却することが出来るため、多額の売却益を得ることができます。
 もちろん、メリットばかりではありません。株主が増えるといろんな発言が株主からあるため、株主総会を乗り切るのも大変気を使うことになるでしょうし、経営者にとっては株価や配当へのプレッシャーから逃れることは出来ません。
 また、上場すると、財務諸表を公表することが必要になりますので、公認会計士又は監査法人の監査が必要になりますし、今年の4月1日から始まる事業年度からは、財務諸表監査と同一の監査人から、内部統制の監査も受けなければならなくなりました、アメリカでは内部統制の監査にお金がかかりすぎ、上場を取りやめたりする企業があると聞きますが、日本の場合はそこまで細かい手続は要求されていないため、上場を取りやめるほどの影響にはならないと考えられます。


 株式上場には、デメリットを押しのけて余りあるメリットがあると思われるため、監査法人へ支払う監査報酬などは、上場を維持し、その会社の財務諸表を信頼していただくために、最低限必要な支払であると、経営者や監査役の方々には、前向きに考えていただきたいと思っているのです。何しろ、日本の監査報酬は、アメリカに比べて安すぎるのだ。


 上場した株式は、証券会社を通じで売り買いすることになるのですが、最近はケータイでも株を売買できるようになったようですね。コンビにではどうでしょうか。


 コンビニは、我々の日常生活に欠かせないものになりつつあります。おにぎりや弁当・飲料はもちろんのこと、パンツやおでんまで実にさまざまなものを手に入れることができます。最近ではATMを置いているところもありますし、さらに今後はクリーニングの取り扱いも行うようです。しかし、コンビニがいくら便利になったからといっても、株を買うことはできません。コンビに行って、「ソニーの株を千株くださいな」と言ってみたところで、誰も相手にしてくれませんよね。
 実際に株の売買を行うためには、株を売り買いするところ、すなわち証券市場が必要なわけですが、それが証券取引所です。不特定多数の買いたい人と、不特定多数の売りたい人がそれぞれ証券市場に注文を出して、株の売買を行うことになります。
 ただ、証券取引所で株の売買が行われているといっても、自分で証券取引所まで足を運んで買いに行くわけではありません。株の売買を行っている人は、全国にたくさんいるため、みんなが証券取引所まで押しかけたら、それこそ大変なことになってしまいます。実際に私達が株の売買を行うためには、近くの証券会社の窓口へ足を運ぶことになります。「ソニーの株を千株買いたいのですが」と窓口で言えば、今度は丁寧に対応していただけるでしょう。
 証券会社ではたくさんのお客さんからの注文を受け付けるわけですが、そういった全国の証券会社からの注文が、今度は証券取引所へ集められ、株価が決まることになります。いわゆる需要と供給の関係で値段が決まるわけですね。すなわち、ソニーの株がほしいという人が多ければ株価は高くなりますし、売りたい人が多ければ、株価は下がることになるのです。当然のことながら、株を安く買って高く売れば儲かりますし、逆に高く買ってしまって安く売ることになれば損をすることになります。
 テレビのニュースや新聞で、日経平均株価が上昇したとか下落したとかよく話題になっていますが、株価は日本経済に大きな影響を及ぼします。


 もちろん公認会計士がクライアントの株を売買することは、基本的には禁じられています。

簿記を発明した人は偉い

~世界の大発明とゲーテは言う~


NHKドラマ「監査法人」Q&Aシリーズその8


Q.8バランスシートといわれて何を思い出しますか


Ans
��. バランスシートとくれば貸借対照表に決まってるがね。
��. 私なら簿記の基本原則「貸借平均の原理」ですね。
��. 表裏一体、借金も財産のうち・・・かな。
��. シートノックで、なかなか倒れない人のことでしょ。



 NHKの渡辺さんと、事務所で台本の打ち合わせをしているときに、台本の中で篠原理事長と健司がバーで会話するシーンが出てくるのですが、「人生はバランスシートのようなもの」という意味の会話が、最初の方の(第一稿か?)台本に書かれていたのですね。このあたりは会計のシーンとはまったく関係ないため、私の出番ではないのですが、私ももうすでに50年くらい生きているので、何か味のあるセリフでも考えてみようと思い、篠原理事長に「人生はたとえて言えばバランスシートのようなもの、いわば簿記で言うところの“貸借平均の原理”で、長い人生どこかでバランスが取れるものだよ。つらいときもあればうれしいこともある。無駄なことをやっているように思われても、いつか役に立つことだってあるし・・・」などと考えていたのですが、作家の方が理事長に言わせると「・・・・表裏一体、借金も財産のうち・・・」という事になるのですね。会計士がバランスシートというと、すぐ「貸借平均の原理」を思い出すのですが、さすが作家の方はいうことが違うというか、台本を読んでいると、「う~ん、なるほど。奥が深い」と思ってしまいます。
 このシーン以外にも、さすが作家の方は違うなと思えるようなセリフが、第6話にまでわたって数多く出てきており、このドラマに素晴らしい作家の方を選んでいただいて、私としても大変感謝しております。このあたりは、私にはまだまねのできないところでもあり、修行が足りないのだと思います。永平寺に行って修行してこようかな。でも、私は作家を目指しているわけではないから、これでいいのだ。そういえば確か「本気で作家になる方法」などという本が書店に出ていたような気がしましたが、こっそり読んでみようかな。


 ところで、世界の三大発明は何かと聞かれた時、皆さんは何を思い浮かべるでしょうか?ケータイやパソコンも確かに便利ではありますが、やはり力不足です。長い歴史を考えると、言葉・文字・紙・電気などが思い浮かびます。特に「世界の初めに言葉ありき」と旧約聖書で断言しているだけに、言葉は確かに世界の大発明といえるかもしれません。ところで簿記もかなり上位に食い込むのではないでしょうか?皆さんご存知のゲーテは、その著書の中で「複式簿記が商人に与えてくれる利益は計り知れないほどだ。人間の精神が生んだ最高の発明のひとつだね」(岩波文庫より)と、登場人物に語らせているくらいです。
 簿記というと地味な印象を持つ方が多いようですが、簿記の考え方は言葉の壁を越えて世界共通の考え方となっています。企業があるところには必ず会計があり、そこで帳簿記録を行うことは必要不可欠となっています。また、企業だけでなく、町の小さな個人商店でも同様です。日々の取引において、一体何にお金を使ったかは気になるところですし、誰にどれだけの債権があるのかも記録しておかないと、後で損失をこうむることになりかねません。
 実際に帳簿記録が行われるようになったのは、やはり商取引が盛んになった頃ですが、現存する最古の帳簿記録は、イタリア・フローレンスの公文書で発見されたもので、フローレンスの銀行における1211年の日付が付されているものです。それ以来現在まで、会計はどんどん複雑になっているのです。
 簿記は帳簿記入の略語と言われていますが、英語で言うと「Book Keeping」です。そして日本にはじめて西洋式簿記を紹介したのが、一万円札でおなじみの福沢諭吉であるといわれています。
 資本主義を支えているのが株式会社制度で、株式会社は例外なく決算を行わなければなりません。決算書をどうやって作成するかというと、それは会計や簿記の世界です。ですから、簿記は地味な言葉ではありますが、大げさに言えば、資本主義を支えているといっても過言ではないのです。変な理屈かもしれませんが、それだけ簿記は大事な技術だということができると思います。


 たまにはまじめなことも書くのだ。

サラカイセン ~158-162~

158.日刊紙 どれもこれもが スポーツ新聞


159.カネなんか 誇りが私を 支えてくれる・・・(健司「お金と権力は後からついてくるものです」)


160.引継ぎを 求める小野寺の 目に涙


161.


162.ゴルフする ばれてはならぬと 日焼け止め・・・(塗りまくったりして・・・)

2008年8月14日木曜日

初めて本を書いた25年前のこと

~時間があったらじっくり本を書いてみたいのだが~


秋田の高校時代の友人に、縄田屋というのがいるのですが、彼とはその後も長い付き合いになっています。大学時代、私は文学部西洋史学科という立場でありながら、途中で会計士を目指してしまい、縄田屋は、商学部でありながら作家を目指すという、なぜか妙なめぐり合わせになってしまい、お互い変わったやつだなぁ~と言い合っていたものでした。
その縄田屋がある日、大変魅力的な話を持ってきたのです。まだ公認会計士二次試験に合格して1~2年目のころだったと思います。それは、本を書いてみないかという話でした。
「面白法律雑学読本」という本を出すのであるが、その税金版を出そうということになり、彼の友人に会計士がいるということで、私が指名されることになったわけです。
本を書けるという自信はまったくなかったのですが、こんなチャンスはめったにないと思い、「ワシに任せなさい」と大見栄を切ってしまったのでした。会計士の書く本というのは、どうしても硬いものが多いため、出来るだけ面白おかしく書いてやろうと決心したのです。
本の形式は、まずはじめに質問があり、それに対して回答をA.B.Cと三つ用意し、その中から正しいものを選択するという方式で、後は解説をつけるというものでした。今、私がHNKドラマ「監査法人」Q&Aシリーズでやっている、あの方式ですね。


結局仲間にも執筆を依頼し、221の問題と回答を作り上げたのでした。毎日毎日仕事が終わった後、机に向って原稿を書くというのは、なかなかつらいものがありましたが、やがて本になって世の中に出回ることを考えると、ついついヨロコビを感じてしまい、真夜中にアパートの狭い部屋で、一人ニヤニヤ笑っていたのでした。


書き上げた原稿を、出版社に渡してから本が出るまでの間が、なんと長く感じられたことか。ある朝、日経新聞に目を通してみたとき、一面の下のほうに、囲みで新刊本の紹介として「面白税金・経済雑学読本」という文字が目に飛び込んできたときは、本当に自分の書いた本が世に出るんだなと、実感したものでした。
後日、出版社から本が送られてきたため、あちらこちらに配って回りました(今見てみると、第一刷発行が、昭和59年1月30日となっています)。同僚の会計士からは、内容について指摘もありましたが、本をこの世に送り出したというヨロコビでおおらかな気分になってしまい、「え~の、え~の。そんな細かいことはえ~の!」とえ~のおじさん化していたため、あまり気にも留めませんでした。でも、本当は読者の批判には、謙虚に耳を傾けなければならないのだ。
その後、いろんな本屋を回ってみたのですが、やはり置いてあったのですね、ワタクシ達が書いた本が。おもわず鼻の穴がムフムフと、5ミリくらい膨らみましたね。「秋田の第一勧業銀行の待合室さも置いであったや!」と、秋田に住んでいる私の弟(つまり、今の怪しい税理士)からも電話があり(彼も執筆者の一人だったのだ!)、そ~か、そ~か。そんな北の果てにもワシらの書いた本が置いてあるのかと、なんとなく「遠い都会の下宿に暮らしている自分の息子を思う、地方の田舎に住む年老いた親の気持ち」に近いものになりましたね。
ところが、最後にたった一つ思わぬアクシデントがありました。あの縄田屋が、この本を最後に、会社を辞めると言い出したのです。原稿料として○○万円(買取だったのだ)と書いてある小切手を私のところに持ってきたその夜は、二人で練馬にあるスナック小麻木で、朝まで飲み明かしたのでした。


今すぐにでも、本の2~3冊は書けそうな気がするのですが、夏休みが終わるとまた仕事に追い回されることになって、目の前の業務をこなすのに精一杯という事になるのでしょうかね。

篠原理事長の「時代と戦っている」が気にかかる

~NHKドラマ「監査法人」Q&Aシリーズその7~


Q.「しいていうと時代かな・・・ある時は善といい、ある時は悪という・・・」これは、どんなことを想定しているのですか


Ans
��.日本人の自我のことです。
��.男女交際のことです。
��.例えば「旧長銀の元頭取が逆転無罪になった」ようなこととでもいいましょうか。



会計士協会の全国研究大会が終わって一段落したため、心身の静養をかねて温泉に出かけたのですが、そこで前から気になっていたことを、うちのカミサンに尋ねてみたのですね。「ある時は善で、ある時は悪というものにはどんなものがあるかな?」と。すると即座に答えが返ってきたのです。「日本人の自我」と。私などは、「男女交際」などとつまらないことを考えていたのですが、いきなり難しい言葉が返ってきたため「う~ん、なるほど」といったきり、それ以上その会話は途切れてしまったのでした。
他にも例えば「働くことの美しさ・・・ワーカホリック」「マクドナルドの店長の残業代」など浮かんできたのですが、温泉に入って、うすらぼけ頭化している状況では、なかなかいいものが浮かんできませんでした。
「粉飾決算」が、「ある時は善」という事はありうるのでしょうか?確かに粉飾決算には大義名分がつきものであり、粉飾をしなければ会社が債務超過になって上場廃止になるからとか、粉飾しなければ配当が出来ず、株主から責任を追及されるからとか、「仕方がないんだかんな!」と、なんとなくやむをえないではないかという思いがあり、罪悪感が乏しいことは事実かもしれません。堀江時代のライブドアは、むしろそのような消極的な理由ではなく、時価総額を上げたいという積極的理由から粉飾を行ったという、珍しい例だと思います。とにかく、いずれにしても、粉飾決算が「善」という事にはならないと思いますし、もちろん時代に関わらず、今後もあってはならないことだと思います。
と思っていたら、7月19日の日経新聞にこのような見出しが載っていました。「旧長銀粉飾 元頭取ら逆転無罪 最高裁判決 会計処理、違法といえず」「厳格な会計へ過渡期 新基準 明確でなく」というものです。つまり、当時は厳格な資産査定へと向った金融行政の転換期で、会計基準も過渡的な状況にあったとの判断を示したわけです(新聞記事より)。今の基準では、貸出金に対する貸倒引当金不足で、明らかに「有罪」という事になるのでしょうが、当時は新基準が強制適用されているわけではなく、緩やかな不良債権処理を事実上容認する方式だったから、「悪ではない」したがって「無罪」という事になるのでしょうね。
我々会計の専門家からすると、なんとなくすっきりしない判決ではありますが。


「男女交際」は、昔(昭和の中ごろまで?)は禁止されていたようですが、今の学校教育ではどうなっているのでしょうか?街中を歩いていても、なんとなくあっけらかんとしたものだと思うのですが、恥じらいとか控えめといった日本人の美徳は一体どこへ行ってしまったのでしょうね。

2008年8月12日火曜日

会計士補は今日も行くのだ

~ NHKドラマ「監査法人」Q&Aシリーズその6 ~


Q.6 健司の年齢で大会社の主査に抜擢されることもあるのですか?


Ans
��.当然です。バリバリやってもらわなければ困るのだ
��.篠原理事長の飲み仲間だから、特別抜擢されたのです。
��.厳格監査を押し通さないと、なかなかなれませんね。



 そろそろお盆休みという人も多いと思います。私も休み中なので、仕事から解放されると、たまに過去を振り返ったりするようになりました(8月5日で52歳になったのだ)。私が受験生のころは、今の時期はちょうど2次試験が終了して合格発表を待っている期間で、なんとなく落ち着かない日々を過ごしていました。公認会計士2次試験に合格して監査法人に勤め始めたころ、合格前に夢見ていた世界と現実の世界とのあまりのギャップに驚き、落胆と哀しみと怒りと愛情をこめて作った歌があります。「会計士補ブルース」といって、仕事をしながら、心の中ではいつもこの歌を口ずさんでいました。歌詞は、いろいろ誤解を招くおそれがあるためここには書きませんが、27年前は今と違って、出張なんかに行くと会社との接待も結構あったし、ゴルフもよく行われていたようです。


ちなみに一番の歌詞だけ


一.電卓の音が鳴り響き 今日も朝から販管費
   書類の山に気も沈む
   朝から晩まで請求書 めくりめくって領収書
   ついでに月末おいらの飲み屋の請求書
   不況愛嬌なんのその
   会計士補は今日も行く


二.会社の接待大切に・・・・おっとっと、ここで止めておきます。


 この歌は、昔ジャイアンツの柴田勲選手が二軍の合宿所生活時代に、二軍選手の生活ぶりを、哀愁をこめて作った歌があったこと(曲名も歌詞も覚えていませんが)を思い出して作ったものです。
 合格当初はまだ若く、理想に燃えているため、「こんなことではいかん!」と思うのですが、時間がたつにつれて「なんか変だな?」に変わり、いつしか「まぁいいか・・・」となっていくのでしょうか?いやいや、そんなことはないのだ。
 私が入所した当時も、入所後2~3年で(つまり会計士補のときでも)、小さい会社の実質現場責任者(いわゆる主査)を任されることもありましたし、それは今でも変わらないと思います。監査法人内の正式な肩書きとして、主査(マネージャーという事もありますが)と名乗るのは、一般的には公認会計士になって4~6年くらいたってからと思われますが、健司が北陸建設工業の主査を、初めて任されても何の不思議でもありませんし、東都銀行のように、日本を代表するような大会社の主査を、パートナーの吉野さんが担うということもなんら不自然ではないのです。
 第一話の北陸建設工業の監査で、小野寺さんからメールがきて「初めての主査で大変だと思うが、君たちはプロフェショナルなのだから、がんばれ・・・」のシーンには思わず涙してしまいました。若い会計士にとって、「会社を任される」という事は本当にうれしいことであり、私などは、重要な会社になればなるほど、ヨロコビを感じたものです。
 今の若い人はどうなのでしょうか?難しくてリスクの高い会社ほどやりがいがあって面白いと思っているのか、あるいは何も問題がなくて楽な会社ほど担当したいと考えているのかどうなのでしょうね。私の場合は、前者の会社を担当すればするほど、力が湧いてきたような気がするのですが、いかがでしょうか。


NHKドラマ「監査法人」Q&Aシリーズその5

Q.5健司も茜も監査法人を退職してしまいましたが、監査法人というのは退職者が多いところなのですか、また、いったん退職して同じ法人に戻ることはあるのでしょうか?


Ans
��.監査法人は競争が厳しく、仕事も大変なため、入社3年で半分は辞めます。
��.そんなことはありません。ほとんどみなさん定年まで勤務します。
��.入社3年間ほど経験を積んで力をつけてから、新しい世界へ挑戦するために退職する人もちらほら出てきます。



 人生におけるサラリーマン生活で、退職届を出すという場面に直面するのは、最近では珍しいことではなくなってきているのかもしれませんが、かつての日本においては、正しく由緒あるサラリーマン生活を営んでいる限り、通常は1回というのが相場でした。しかも、その時期は、定年になったため等の理由で、人生の終盤を迎えるあたり、というのが平均的な生き方だったと思います。それが最近では、「入社3年で何割が退職する」などといわれるようになり、成果主義が原因かどうかはわかりませんが、会社に対する愛着や忠誠心もうすれ、転職を繰り返す人も増えてきているようですね。
私の場合、今はなき某監査法人の東京事務所へ入所したのですが、入所4年目にして、早くも1回目の退職届を出さなければならない場面に直面してしまったのです。その理由は、会社の粉飾を見抜けなかったからでも、クライアントと問題を起こしたからでもありませんし、はたまた同僚と喧嘩をしたからでもありません。ヘッドハンティングされてしまったのだ~!などという理由であれば、なかなかかっこいいいのでありますが、結婚して名古屋に来ることになっただけの話なのです。


 以前は、公認会計士になって力をつけて、独立する人が結構多く、私の二次試験の同期も十数人いるのですが、いまだに監査法人に勤務しているのは、私と協会本部の市村常務理事の二人だけになってしまいました。しかも、ほとんどがすぐに独立し、もう20年くらい二人だけという状況です。最近はなかなか独立するのが難しくなってきたのですが、仕事に多様性が出てきたため、別の世界で活躍する人も増えてきました。それでも監査法人を退職する人は、以前に比べたら大分減ってきたような気がします。
 私の場合、退職届を出したのが29歳の時で、東京という刺激的な都会に住んでいることが楽しくて仕方がなかったころだったため、退職届はなかなか渡せませんでした。他の人の退職届を参考に、震える手で何回も書き直して、やっとの思いで書き上げたのですが、「これを渡したら、もうこの事務所にいることは出来なくなるのだぞ、この東京を離れることになってしまうのだぞ」と思うと、なかなか渡せませんでした。今日こそ渡してしまおうと、代表社員の先生のそばまで行くのですが、また戻ってきてしまったり、言い出そうと思っても口が動かなかったりで、やはり自分はこの事務所に愛着があるのだなぁと、しみじみ思ってしまいました。そして、とうとう震える声で言ってしまったのです。   「オレ、名古屋へ行きます!」


 今は、退職届を受け取る立場になったのですが、みんな思い悩んでの末に私のところに持ってきているのだなぁと思うと、複雑な心境になります。出来れば監査法人に残ってほしいのはやまやまなのですが、公認会計士になるといろんな可能性が開けているため、新しい仕事にぜひチャレンジしてほしいという気持ちもあります。どちらが正解なのかは誰にもわからないし、一回しかない自分の人生なので、好きなように生きるのが一番いいのだ。


 茜さんは、いったんやめた事務所に再び戻ったのですが、一般的にこのようなことはあるのでしょうか。実は何を隠そう、私がそうなのです。名古屋へ来た後、地元の監査法人に入ったのですが、なんとなく失望してしまった私は、当時の渡辺先生に、いったん退職してパートになる旨をお伝えしたのです。独立するつもりでした。ところが、数ヶ月もしないうちに、大手監査法人との合併話が現実化し、自分の活躍する場があるのではないかと考え直し、恥を忍んで、常勤勤務に復活させていただきたいとお願いしたのです。心の広い渡辺先生は、「ああ、いいよ」の一言で、受け入れてくれたのでした。
東京で入所した事務所は、今はもうありません。長い人生、どこで何があるかわからないのだ。


 ドラマの方は、健司もなんとなく近い将来、「エスペランサ監査法人」に復帰するニュアンスで終わっていましたが、続編があるのでしょうか。期待しましょう。

サラカイセン ~152-157~

152.小野寺よ オレの席も 空いてるか?・・・(田代より)


153.この世界 5人に一人は 中国人・・・(13億人いるそうです)


154.地対空 ミサイルに守られ 競い合う


155.柔は金 谷も金で ママはだめ・・・残念でした


156.オリンピックで 高校野球も 色あせる


157.プロが出て 五輪の精神 疑問だね

2008年8月8日金曜日

サラカイセン ~147-151~

147.金シャチも 喜んでいた 前夜祭


148.懇親会 久しぶりの 顔と顔


149.大会も ドラマも終わって 力抜け


151.地域会 評価の向こうに 何がある

棚卸立会は結構疲れるのだ

NHKドラマ「監査法人」Q&A(三択問題その4)


Q4. 第1話で、健司が広い倉庫の中でヘルメットをかぶりながら、棒で指し示して「あれお願いします」といった後、段ボール箱の中身を確認し、「ありますね」とうなずいているシーンがありましたが、この手続はどういう手続ですか?


Ans
��.現場視察といいます。
��.棚卸立会といいます。
��.賞味期限チェックといいます。



 毎年決算月は、棚卸の時期でもあるのです。商品や製品は会社にとっては重要な資産であるため、会社の方は必死になって一個一個在庫を数えて棚卸残高表に転記していくのですね。それを集計して、会計上の棚卸資産残高になります。それでは、その間会計士は何をしているかというと、「棚卸立会」と称して、会社の人がきちんと棚卸実施マニュアルどおり棚卸手続をやっているかどうかを、じっくり見て歩くわけです。見ているだけでは牽制にはならないため、たまには抜き取りチェックも行いますが、健司もそれをしていたのですね。


 心情的には会社の人と一緒に在庫を数えて、棚卸を出来るだけ早く終わらせてあげたいし、会社のほうも当然そう思っているのですが、会計士が行う「棚卸立会」という監査手続は、たまに抜き取り検査はやるものの、会社の人に混じって一緒に棚卸を実施していくという手続ではないのですね。
 監査人としては、その辺のところを会社の人にわかっていただきたいところですが、なにしろみんな忙しくて、在庫を数えているうちにいらいらしていることもあるため、会計士がボ~ッと突っ立っていたりすると、「こらこら、そんなところでぼさっとしていてはいかんではないか、さっさと在庫を数えたまえ」などと、会社の人に怒られてしまうこともあります。言われた会計士もとっさのことでびっくりしてしまい、「あの~、私、会計士なんですけどぉ」と小さな声でつぶやいたりするわけです。
 棚卸資産と一口で言っても業種によってはいろいろあります。百貨店における衣類や、家電販売店のテレビなどは、一個一個数えることが出来るのですが、石油や化学薬品、鉄くずの山、肥料などといったら数えるのに苦労してしまいます。石油の棚卸立会のときなどは、ヘルメットをかぶりながら石油タンクの上によじ登り、中を覗き込んでメーターを数えたりするのですが、高いところが苦手な私は(高所恐怖症なのだ)、石油タンクの上でオロオロするばかりです。そして、「今ここで地震や火災があったら、間違いなく助からないだろうな」などと思いつつも、大事な監査手続ですので、省略するわけにはいきません。
 以前は、棚卸資産を水増しして利益を増やすという原始的な方法で、粉飾決算をやっていた会社もあったようですが、「棚卸立会」さえしっかりやっていれば、そのようなことは未然に防ぐことが出来るのです。しかし、鉄くずの山を数えるときに、「縦約何メートル、横何メートル、高さが何メートルだから、全体で何トンです」などと言われても、こちらとしては、「はぁ~、そうですか」としか言いようのないときもあるのも事実です。


 棚卸立会で最も印象に残っているのは、某製薬会社のケースです。この立会は、新人の登竜門といわれていたのですが、大きな倉庫に天井まで積み上げられている段ボール箱の上によじ登り、Tシャツとジーパンを埃だらけにしながらはいずりまわって数えていくわけです。丸一日がかりで数えるため、終わった後はへとへとになるのですが、肉体労働が終わった後の充実感は、仕事をはじめたばかりの会計士補(当時)にとっては、なんともいえないものがあり、ビールをのどに流し込みながら「会計士の試験科目に体育を加えるべきである」などとみんなで大声で話し合っていると、なんとなく連帯感が湧いてきたものです。
 若いころは、いろんな会社の棚卸を体験できて、それなりに楽しみもあるのですが、もう最近では、できるなら棚卸資産のない会社の監査を担当したいというのが、正直な気持ちなのです。でも、最近ではほとんど棚卸立会に出かけることはなくなりましたが・・・。

2008年8月7日木曜日

「ゴルフバックは宅急便で送りなさい」と鈴本公認会計士は言った!

~監査法人は今でもクライアントとゴルフ三昧なのであるか~


Q.NHKドラマ「監査法人」第一話のシーンに、空港からゴルフバックを担いで降りてきて、クライアントとさっそくゴルフに出かけていく会計士がいましたが、今でもそうなのですか?


Ans.
��.昔はそんなこともあったかなぁ。でも今は絶対ありません。
��.昔も今もそんなことはありません。
��.「ゴルフバックは宅急便で送りなさい」と鈴本会計士。



 私がゴルフを始めた今から25年ほど前、サラリーマンの話題で多いのはゴルフの話でしたが、クライアントと会計士との間の話題で多かったのも、やはりゴルフの話でした。まぁ、酒・歌とともに必修科目だったといえば大げさでしょうか。今でこそゴルフは若い人達や女性の間でも幅広く行われていますが、25年ほど前は「ゴルフは金持ちのやるスポーツである、又はお年寄りのやるスポーツであり、自然破壊の元凶でもある。したがって自分は恥ずかしくてゴルフなど絶対に出来ない」と、固く心に誓っていたのですね。
 ところが入所して間もないある日、代表社員の先生に呼び出されると、いきなり「期末監査が一段落したらクライアントの人とゴルフをやるので、君も9月までに出来るようにしておくように」と言われてしまったのです。私は「ゴルフなんてやったこともないし、そんなもの恥ずかしくて出来ません」と必死に抵抗したのですが、その先生に「業務命令っ!」と一蹴されてしまったのでした。


 夏のボーナスをもらった後、私は上平先輩に連れられて、上野にあるシントミゴルフへと行く羽目になってしまったのです。最初に握力を計った後、先輩は、シャフトがどうしたとかトルクがどうだとかSとかRとか、なにやらわけのわからないことをぶつぶつ言っていたのですが、「ワシがいいのを選んであげるからね」といって買ったのは、ゴルフバッグとシューズ込みで8万円の、マグレガーのハーフセットでした。せっかくのボーナスを何でやりたくもないゴルフクラブにつぎ込まなければいけないのであるかと、まったくもって納得できなかったのですが、その後名古屋に来てからゴルフにのめりこむことになろうとは、そのときはまったく考えもしませんでした。
 さて、ゴルフクラブを買ったのはいいのですが、練習場がどこにあるのかもわかりません。東京にいるときは車も持っていなかったので、ととりあえず電車の駅から歩いていけるところに探さなければならないということで、当時住んでいた江古田の駅から西武池袋線に乗って、練馬方面へと向ったのでした。電車の窓から上石神井と保谷に練習場を発見した私は、とりあえず上石神井の練習場へと直行したのです。
 そこの練習場でクラブを借りて、とりあえず一発目を打ったのですが、実は打ったつもりでも、ものの見事に空振りでした。「な~に、止まっているボールを打つだけではないか」と気を取り直してもう一度振ってみたのですが、やはりボールは元の位置にありました。「あらっ?」などと言ってみたのですが、背後からは冷たい視線を感じ、額からは冷たい汗が流れてきました。その後も、右に左にほとんど直角にボールが飛び出すため、頭の中がほとんどパニック状態になっていたのですが、開き直って力任せに思いっきり打ち込んだところ、今度は大ダフリをしてしまい、クラブがネックのところから折れて、30ヤードほど飛んでいったのでした。
 受付へ行って事情を説明したところ、そのおじさんは「このクラブはもう古いけん、こんなこともあるでしょう。まぁあまり気になさるな」とやさしく慰めてくれたのですね。私は立ち直れないくらいの自己嫌悪に陥り、がっくり肩を落として西武池袋線の電車に乗り込んだのでした。そしてもちろん、ここの練習場を訪れることは二度とありませんでした。
 これに懲りずにその後は、電車と徒歩でバッグを担いで、保谷の練習場まで通いながら練習に励み、何とかコースに出ることが出来るようになったのですが、最初のラウンドで思っても見なかったことが起こりました。
 一昔前のゴルフウェアは今みたいにゆったりとしたファッションではなくて、体にぴったりのウェアだったのですね。私の当時のゴルフは、どちらかというと力ずくでボールを飛ばすことに生きがいを感じていたため、思いっきり踏ん張ってクラブを振ったところ、ズボンが太ももからふくらはぎのあたりにかけて、縫い目に沿ってバリバリッと破れてしまったのです。着替えのズボンを持ってきていなかったため、毛むくじゃらの太ももがむき出しになった私は、その場でオロオロしてしまったのは言うまでもありません。ところが、キャディさんが針と糸で縫いあわせてくれたのでした。そのときのキャディさんが、なぜ針と糸を持っていたのか、今考えてみると大変不思議な気がします。
 ラウンドする前に、社員の先生から「何も考えず、とにかく打ったら走れ!」といわれていた私は、ラウンドが終了するともうヘロヘロになっていました。結果は72・70と、散々なスコアで回ってきたのですが、ゴルフが嫌いになるどころか「ゴルフってなかなか面白いものであるな」と目覚めてしまったのです。
 それまでは、駅のホームで傘を振り回しながらゴルフのスイングの真似事をやっている人や、事務所の中でも手でグリップを作り、窓ガラスに自分のスイングを映している人を見ると「なんてアホなんだろう」と思っていたのですが、気がつくと自分も同じことをしているではありませんか。やっている本人は、得意げに「どうだどうだ!なかなかいいフォームだろう、オメーラとは腕が違うんだよ、腕が」と思っているのでしょうが、やはり見苦しいですね。


 ゴルフは奥が深く、一生楽しめるスポーツですので、ぜひ始めてみましょう。ただ、嫌いな人もいますので、無理強いだけはしないように。
 という事で、昔はクライアントとのゴルフも結構ありましたが、最近はほとんどなくなりました。ましてや、出張先にゴルフバックを担いでいくということは、もうないのでしょうね。
 それにしても、研究大会の後の三好CCでのゴルフ、木下専務理事には恐れ入りました。来年の新潟大会までに、練習して体調を整えて、いい勝負をしたいです。

2008年8月2日土曜日

サラカイセン ~142-146~

142.私にも 時代と戦う 心意気を・・・(理事長がんばれ)


143.聞くほどに 味が染み出る セリフかな・・・(いろいろ考えさせられました)


144.なぁマスター オレにもバーテン やらせてよ・・・(受験生)


145.枝葉見て それはちがうと 言う人よ


146.スケールの 小さい人ほど 自慢をし・・・(ちなみにオレのことだけど)

2008年7月21日月曜日

研究大会、無事終了

~思い描いていたとおりの研究大会だった!~


 7月16日の前夜祭から始まった研究大会も、エクスカーションを含め無事終了。関係者の皆様方大変ありがとうございました。また、いろいろ準備していただいた方々、大変お疲れ様でした。今回の研究大会は、前川前会長から引き継いだのですが、何しろ1年以上も前から各小委員会ごとに検討を重ね、この日に備えてきたのです。私も東海会会長になってからは、常に頭の片隅に研究大会のことがあり、まだまだ先だと思っていたのですが、あっという間にやってきて、そして、怒涛のごとく過ぎ去っていったという印象です。
 本来であれば、研究大会の発表者や準備委員会の皆様方・本部を含めた事務局の皆様を始め、今回の研究大会の準備に関わっていただいた方々一人ひとりに、お礼の手紙を一枚一枚差し上げたいところではありますが、とりあえずはこのブログで、お礼の気持ちを述べさせていただきたいと思います。


 今日も、東海会事務局の渡辺さんとも話していたのですが、事前に思い描いていたとおりの研究大会だったと思います。まずは前夜祭。寺井尚子さんのジャズライブ、すばらしかったですね。私にはジャズというよりも、ロックを思い起こしました。バイオリンもすばらしかったのですが、ピアノは、あのディープ・パープルのジョン・ロード(覚えているかな?)の演奏を思い出しましたし、4人のチームワークもすばらしいものでした。
 食事後の演奏だったため、演奏中に話し声が聞こえたりしたら困るなと心配していたのですが、そんな心配が吹き飛んでしまうほどの激しい演奏に、皆さん引き込まれてしまったようです。大正解。
 翌日は、研究発表が8テーマあったのですが、どれにも参加してみたくなるようなテーマでした。実際、内部統制関係は、大変な人数だったようです。何しろ適用初年度ですものね。私は、13時30分から記者会見があったので、研究発表を聞くことはできなかったのですが、記者会見のほうも報道関係者の皆様方がお集まりになり、なかなか面白かったです。記者会見場の記者席にはNHKの方がお二人お越しになり、また澤田・黒田両副会長がいらっしゃったため、NHKドラマのことをどこまで話そうかと考えたのですが、個人的にお手伝いさせていただいたことを、お話させていただきました。それでもさりげなく2回も話したのだ。質問に対する回答も、「私にも話させてほしいなぁ」と思っていたのですが、増田会長がすべてお話になり、私の出番はなし。う~ん!残念。
 記念講演会は、奥田トヨタ自動車取締役相談役に、洞爺湖サミットが終わった後という、大変お疲れのところを引き受けていただきました。その前に、主催者側とご来賓の皆様方のご挨拶があったのですが、私も別会場を含め、1200人の方々を前にご挨拶をさせていただきました。事前に澤田副会長から、もう少しだからがんばれと励まされ、壇上に上がってからも、増田会長と雑談するなど、リラックスムードで、まったく緊張しなかったのですね。気持ちがかなり高ぶっていたのか乗っていたのかはわかりませんが、自分でも信じられないくらい冷静に話すことが出来ました。その後の懇親パーティも、5~6百人の出席者でしたが、そこでの最初の挨拶も、同様にスムーズに行うことが出来、私にとってはちょっぴり自信になりました。


 懇親会は、普通時間がたつにつれて、人数が減っていくものですが、今回は最後まで残っていただいた人が多く、やはり大成功だったのだなと、安心しました。
 翌日の三好カントリーでのゴルフは、雨にたたられたのか恵まれたのかよく分かりませんが、思ったほどは熱くもなく、西コースはカートがない中、スルーで回って全員完走。すばらしいゴルフ場でプレイすることが出来、皆さん満足して帰っていかれました。それにしても、ゴルフの後のパーティの盛り上がりようはすごかったですね。疲れなどどこ吹く風、会計士業界の明るくたくましい未来を予想することが出来ました。他のエクスカーションも同様に、天候に恵まれて、なかなかよかったとお聞きしています。
 研究大会も、NHKドラマも一段落し、なんだかさびしい気分ですが、まずは四半期決算監査の遅れを取り戻さなければなりません。
また、このブログも、さらにパワーアップして、間をおかずに果敢に取り組んでいくつもりです。
 皆さん、ほんとに、ありがとね。



2008年7月13日日曜日

「高品質より我ら生きる道なし」なのだ!

 研究大会まで後数日という7月11日、東海会事務局で打ち合わせを行っていたら、我が東海会のブログ制作会社の辻社長が事務局にお見えになっていたのです。打ち合わせ後、さっそく渡辺さんと辻さんの3人で、「うまい日本酒でも飲みにでも行きましょう」という事になり、伏見の居酒屋へと直行することになりました。
 辻さんの職場にはギターが置いてあるらしく、さっそくギターの話で盛り上がってしまいました。また、渡辺さんが1年間も封を切らずにキープしていたという、「八海山の別格大吟醸」をこの日のために開けてくださり、めったに飲めないうまい酒とギターの話で、大変楽しく過ごすことができたのです。
 ギターの話をしているうちに、今日は7月11日だということに突然気がついてしまったのですね。11日といえば、世界的に有名なヤイリギターの「ゴッド・ハンド」こと小池健司さんが、「匠の肖像」というテレビ番組に出る日だったのです(録画ですが)。
 小池さんに、オリジナルギターを頼んだのは、今回が3台目になるのですが、2週間ほど前、小池さんから「中日新聞の岐阜版の写真撮影に、私のギターを使わせてもらいました」とのFAXがあり、さっそく岐阜県に住む方に、新聞を取り寄せていただいたのですが、私のギターを弾いている小池さんが、バッチシ写っていたので私も大満足だったのです。その後、7月には入ってから、完成したギターを受け取りに行ったのですが、その時たまたまテレビドラマの「監査法人」の話になり、小池さんも負けずに「ワシも今度テレビ愛知に出るんだわ、夜10時ころの匠の肖像という番組で、ほんの3分ほどだけどね」などと恥ずかしげに自慢していたのでした。「もしかして私のギターがまた写るのですか」と聞いてみたのですが、はっきりしたことはわからないようでした。「必ず見ますよ!」とお約束をして、ヤイリギターを後にしたのです。


 2次会に行きましょうという、渡辺さんの魅力的な誘惑をなんとかこらえきって帰宅。さっそくテレビ愛知の匠の肖像を、目を皿のようにしてみていたのですが、なんと、それはそれはすばらしいギターが写っていたではありませんが。そしてそのギターは、なんということでしょう、私が先日取り寄せてきたギターだったのです。
 このギターの元になったのは、昨年横浜で行われた展示会に出展するために小池さんが制作した自信作で、指板と本体の表に美しいメキシコあわび貝で彫刻された、芸術的な作品を、たまたま私がヤイリギターに遊びに行ったときに目撃してしまい、私にもブラジリアンローズウッドで同じような彫刻で作ってくださいと依頼して、制作していただいた作品なのです。オリジナルは、指板の花柄模様の中に、裸の女性が掘ってあるのですが、私のカミサンが「裸の女性はけしからん。三毛猫にしなさい!」というネコの一声で、花柄模様の中には三毛猫がさりげなく掘ってあるのでした。番組を録画しておけばよかった。残念。
 初めてヤイリギターにおじゃましたのは、今から数年前になるのですが、その時何気なく工場内を見回していたら、大きな横長の木にその会社の社訓が書いてありました。


「高品質より我ら生きる道なし」


 と、ど~ん!と書かれていたのですね。ちょうど我々会計士業界が、いろんな不正会計で揺れていた時期だったため、さっそく矢入社長の許可を取り、デジカメで撮影して拡大印刷し、現在私の机の前に貼ってあるのです。
 本来であれば、今回の研究大会の前夜祭で、私の新しく出来上がったギターと、寺井尚子さんのバイオリンとのコラボレーションといきたかったのですが、私のギターの演奏の品質に若干の問題ありという事で、その夢はかないませんでした。でも、あの激しかった生演奏を間近で見てみたら、私の場合つくづく挨拶だけでよかったなと、あらためて思ったのでした。

2008年7月8日火曜日

バー・レモンハート 「公認会計士 特別編」監修の思い出-第2稿

~第1稿が過激すぎて、東海会の渡辺次長に却下されてしまったのだ~


 NHKドラマ「監査法人」の公式感想掲示板を読んでいたら、「バー・レモンハート 公認会計士 特別編」のことが書いてありました。そういえば、私もこの本の制作に監修として関わっていたのですね。
 私が東海会の広報委員長を務めていた数年前、同時に本部の広報委員も担当していたのですが、そこでは公認会計士のことをもっと世間にPRしたいということでいろいろアイディアを考え、結局広報委員会のメンバー数人でプロジェクトチームを作って「バー・レモンハート 公認会計士 特別編」を作ることになったのです。
 この本は、公認会計士の仕事や、当時新しく出てきた会計用語を、漫画でわかりやすく説明するために描かれたもので、私もこのPJチームのメンバーに自ら立候補して関わらせていただきました。立派に公認会計士協会が監修した本といえると思います。
 今では大変懐かしい思い出となりましたが、チームメンバーでいろいろ議論しながら、出来上がってきた作品をいろんな角度から意見交換して、何度も何度も練り直して作り上げました。最終本が出来上がってきたときは、まるでわが子のように(私に子供はいませんが)いとおしく思ったものです。
 というのも、その作品が出来上がるまでの過程が、実は大変だったのですね。なぜかというと、「公認会計士協会が監修している」というプレッシャーが重くのしかかっていたからであります。せっかく面白いストーリーが出来上がったと思ったのに、結局は「没」になってしまった幻の「道路公団編」もありましたし、内容や用語の使い方を、当時の担当常務理事をはじめ、いろんな方々に確認しながら作業を進めていったこともあり、一冊完成するのに何人ものメンバーが集まって、数ヶ月の時間を要してしまったのでした(何しろ会計士は言うことが細かいでなぁ)。
 今回のNHKドラマ「監査法人」の監修は、私が個人的にお引き受けしたのですが、視聴者の数や予想されるストーリー展開、公認会計士から予想される指摘(何しろ会計士は細かいでなぁ)の嵐等を考えると、会計士協会が監修するというのは、難しいのでしょうね。会計用語の使い方まで一字一句細かくチェックされても、台本の締め切りもあるため困るしなぁ。第一話の台本がまとまったころには、すでに放映日が始まっていた、などという事にでもなったら大変だし、大胆なストーリー展開もその後の反響の大きさを考えるとリスクがあるし・・・という事で、それでよかったのだ。
 とにかく、NHKのHPにある公式感想掲示板が、ドラマの反響の大きさを物語っていると思います。一度ご覧ください。


http://www.nhk.or.jp/dodra/kansahoujin/html_kan_bbs.html


 最近は、面白いという意見と応援メールがほとんどで、つくづくこのドラマ制作にかかわってよかったな、ぐゎんばったかいがあったなぁと、じわ~っと自己満足しているのです。


そこで、またまた質問です。
Q2.もしNHKドラマ「監査法人」に公認会計士協会が監修で関わっていたらどうなっていましたか?


Ans
��. 公認会計士協会は、プロ中のプロの集団だから、もっとすごいのが出来た。
��. 放映日に間に合わなかった。
��. 「あり得ない!絶対にあり得ない!!」(あれっ?どこかで聞いたセリフですが)。


2008年7月1日火曜日

NHKドラマ「監査法人」

~監査法人が黒塗りの車でやってきた!~


 NHKのHPにドラマ「監査法人」の感想掲示板があるのですが、そこへの書き込みが6月29日16時35分現在で(第2話の再放送終了直後)で、478件ありました。野球中継延長に対するクレームは別として、ドラマに対する意見は概ね好評で、このドラマに監査法人に勤務する公認会計士個人として関わらせていただいた一人としては、とりあえず一安心です。第3話が終わった後のコメントも、心待ちにしているところです。
 私としては、ドラマ「監査法人」に関する話題をブログに書くのは、最終回が終了してからにしようと思っていたのですが、あまりにも面白すぎるため、少しだけ書くことにしました。もちろん、特定のシーンを想定して「粉飾のトリックやストーリーのアイデア出しもした」などと述べるつもりはありません。
昨日の第3話見ましたか?よかったですね。事前にチェック用のDVDをいただいて、何度も見ているとはいえ、いざ全国放送で多くの人が同時間帯で見ているのだと思うと、私も緊張して見てしまいます。6時からのBSハイヴィジョンの放映が終わった直後に、秋田の「怪しい税理士」からも私のところに電話があり、「いや~、おもへがったぁ!(通訳すると、面白かった!)」と、秋田弁丸出しで感想を述べていたのでした。エガッタ、エガッタ。もちろん9時からの総合TVでも見たことは、言うまでもありません。
 もともとこの仕事は昨年の12月、NHK名古屋の渡辺さんから、「監査法人をテーマにしたドラマを制作したいので、協力していただけませんか」というお話が合ったのがきっかけです。「おおっ!きたな」と思いましたが、私としても、こんなに面白そうで自分の力が十分発揮できそうな仕事にめぐり合う機会を与えられ、しかも、監査法人や公認会計士の仕事をもっと世間の人に理解してもらいたいという、以前からの願いも同時にかなえることが出来る絶好のチャンスであると考え、一人の公認会計士として、喜んでお引き受けすることにしたのです。
 私も今まで、新聞・雑誌・ラジオでこの業界をいろいろPRしてきましたが、影響力の大きさからすると、とうていTVにはかないません。以前、名古屋自由業団体連絡協議会主催の無料よろず相談会で、NHKの昼のニュースに出たとたん、午後から多数の相談客が押し寄せたことがあったり、あるいはCBCのユー・ガッタ・チャンスに、ベランダの植物の取材でテレビに出たら、さっそく近所の方に「出ていましたね」と声をかけられたりと、その影響の大きさを十分知っていたので、今回は真剣勝負でした。
何しろ、「監査法人」という言葉自体、最近でこそようやく新聞や雑誌に毎日登場するようになったとはいえ、実はどんなことをやっているのかは、ヴェールに包まれているというか、あまり世間に知られていないのですね。作家の方もNHKの方々ももちろんあまりご存じありません。何しろ今回のドラマ制作の関係者で、現役の監査法人勤務者は私一人であるため、監査法人生活この道27年の経験をすべて投入して協力することにしたのです。
 1話完成するまでに、第一稿から数稿書き直して完本となるのですが、第一稿を読むとこれはなかなか大変だなぁと思っても、その後ディレクターの方々や美術の方々と1回3時間ほどの打ち合わせをするのですが、話し合ってお互い知恵を出し合っているうちに、不思議なくらいいろんなアイデアが生まれてきて、それを元に作家の方が台本を書き直すということを数回繰り返していると、完本になるころには大変面白くてスリリングな話になっている、という事の繰り返しでした。この充実感は、めったにあじわえないものです。
 この後3話残っているのですが、毎週土曜日が待ちきれない心境です。青春時代に、付き合っていた彼女に会える日を、一日、一日と待ち焦がれていたのを思い出すといったら大げさでしょうか。
 この業界の方々も、これからこの業界を目指そうとしている人も、それ以外の多くの方々も、ぜひ最後までご覧いただきたいと思います。「監査法人」や「公認会計士」が、テレビドラマや映画、ニュースなどに当たり前のように出てくる日も、それほど遠くないような気がします。また、「監査法人」の続編があってもいいと思いますし、ドキュメンタリーもいいですね。数年たったら「プロジェクトX」も面白いと思っています。ネタはたくさんあるのですが、誰もそれに気がつかないのでしょうね。


 それにしても、第2話の野球、大道のホームランには驚きましたね。さすが野球は筋書きのないドラマ。「監査法人」には、しっかりした筋書きがあるのです。ご期待を!


最後に質問です。


Q.監査法人の会計士達は、黒塗りの車に乗ってやってくるのでしょうか?


Ans
��.そうです。皆さん黒塗りの車でやってきますよ。
��.重要な案件のある会社のときだけ黒塗りの車を利用します。
��.いいえ。ほとんどタクシーか公共交通機関を利用します。



【解説】


 私の経験では、監査初日は荷物が多いため、通常はタクシーを利用し、黒塗りの車で出かけることはありませんでした。今回は「監査法人」というドラマの出だしでもあり、緊張感を持たせるために利用したのではないでしょうか?一枚の葉にとらわれていては、森は見えません。ドラマを楽しみましょうね。

2008年6月24日火曜日

サラカイセン ~137-141~

137.筋書きの ないドラマには かなわない (野球のせいで1時間も遅れてしまったのだ)


138.流行語 大賞いただき 「厳格監査」


139.私には 80万の 裏口座 (うそですけど)


140.ドラマだと わかっていても 涙する (小野寺さんから健司宛のメールには、ついぐっときてしまいました)


141.深海魚 急に愛着 湧いていた (テーマソングもなかなかいいのだ)

2008年6月13日金曜日

東海会総会無事終了

~ちょっと働きすぎてしまったのだ~


 6月6日(金)、午前中三重県会の総会終了後、私としては始めての東海会総会を迎えることになりました。三重県会の総会では、私の挨拶として4~5分と考えていたのですが、最近の会務報告も話してくださいということで、三重県会の総会終了後時間をいただいて、思いつくままお話させていただきました。監査役協会中部支部で講演を行ったときの話が頭の中に残っていたため、かいつまんでお話させていただきました。その後ご質問を受け付けたのですが、その中で「私の会長ブログである越麻呂日記が2月29日投稿分からストップしているのですが、一体どうしちゃったんですか」というご質問がありました。私としては、私のブログを熱心に読んでいただいている方がいらっしゃる、そして、更新されていないのをご心配までしていただいているということに、大変感動を覚えました。
 私のブログが急にストップしてしまったのは、あまりに過激すぎて、協会本部からクレームがついたので、少しおとなしくしていたとか、見識のある読者から「もうええ加減にせぇよ!」と言われたとかいうわけでもなく、単に書いている時間がなかったということだったのです。
 何しろ協会活動はもちろん(十分やったとはいえませんが)、私が所属する法人の業務も監査業務とマネジメントで大変忙しく、それにNHKの番組制作協力や講演等が重なってしまったため、仕事に集中して複数の業務を同時並行的にこなすのが得意な私としても、ブログの原稿作成までは手が回らなかったというのが正直なところです。最近よく「ワーク・ライフ・バランス」という言葉を耳にしますが、私の場合はここ数年「死ぬか生きるかのバランス」を考えながら仕事をこなしてきたところがあり、そのバランスの中での休筆3ヶ月でした。
 この間、書きたいことがいろいろありましたので、東海会の総会が一段落した今、また書き始めることにします。少し過去にさかのぼって書き始めますので、ご了承ください。なにしろ書きたいことは山ほどあるのだ!


 さて、肝心の東海会の総会は、質問も小野先生の建設的な質問が2つあっただけで、無事終了。懇親会のほうも友永本部副会長と隣だったこともあり、いろいろお話しすることが出来てよかったなと思っています。この一年間はあっという間だったのですが、昨年の懇親会の席の挨拶で「私は50歳になり、仏教で言うところの林住期を迎えたので、楽しみながら会務を行いたい」という挨拶をさせていただいたわけですが、楽しめたのは新聞・雑誌のインタビュー、ラジオの生出演、NHKの「監査法人」という番組への制作協力くらいで、なかなか大変な一年でした。


 「この一年間で、個人的に印象に残る出来事を3つ上げよ」と言われたら、


��1)NHKのドラマ「監査法人」への番組制作協力
��2)「越麻呂日記」の開始
��3)研究大会のポスターの件



の三つでしょうか。いずれも楽しい出来事でした。
他に、事務局の移転もありましたね。


 いよいよ私の任期も2期目に突入し、7月17日に行われる全国研究大会が当面の課題となるわけですが、他にも来年2月に中日本五会が名古屋で開催されることになっており、そちらの準備もしなければなりません。なかなか大変なのだ。
 今年は公認会計士制度60周年という事もあり、記念行事が7月8日に行われるため、なんとなく全国研究大会がその分かすんでしまうような気もするのですが、来ていただいた方々が印象に残るような大会にしたいと思います。
 他にも、会員によるバンドの結成もまだ達成できていないしなぁ。まだまだやることはたくさんあるのだ。
 まったく予想も出来なかったことがたくさんあった1年間でしたが、この後の1年間、いったいどんなことがあるやら、今から楽しみなのです。

怪しい税理士について考えるパートⅢ

~だれかインターネットの検索の仕組を教えてくれ~!~


 今回たまたま仙台で仕事があり、しかもたまたま金曜日だったこともあり、地理的にもたまたま秋田が近かったこともあって、仕事終了後、秋田へ寄ることにしたのです。秋田といえば怪しい税理士、今、ヤフーで「怪しい税理士」を検索してみると、304,000件もヒットするのですが、我が越麻呂日記の怪しい税理士がなんと、ワンツーフィニッシュなのですね。304,000件の中でですぞ。そんなこと、うそに決まっていると思ったら、一度検索してみてください。ほら、やっぱりそうでしょう。検索したあなた、相当疑い深いか、越麻呂日記の愛読者ですね。
 今回の原稿が掲載されるころには、「怪しい税理士」のヒット件数が例えば40万件くらいに増えており、その上さらにその中で、我が越麻呂日記の「怪しい税理士」が、金・銀・銅独占という事になったら・・・いや、そんなことは絶対にあるはずはない・・・でも本当にそうなったら、おれは一体どうしたらいいのだ~っ!ハァハァと、だんだん興奮状態になってしまうのですね。
 例えば、私の知っている東海会の会員で、子供の誕生日がお二人まったく一緒で(双子ではなく)、3人目のお子さんもあわや一緒だった、という方を知っていますが、今回のケースは一体どう考えたらいいのでしょう?可能性としては


��1)単なる偶然
��2)ヒット件数の多い順(そんなに大勢読者がいるとは思えないしなぁ)
��3)「怪しい税理士」の掲載に気をよくした私の弟が、ヤフーに知り合いがいて、遠隔操作をしてもらっている
��3)不可思議なコンピュータ・ウイルスが紛れ込んでしまった


 あいかわらず発想が貧弱なので申し訳ないのですが、こんなことしか思い浮かばないのです。う~む!わからん。考えていると眠れなくなってしまったら困るので、だれか教えてください。


 3月の秋田は、私の記憶では高校3年生のとき以来ですので、なんと33年ぶりとなります。実家には車がないため、ひたすら家にいたのですが、土曜日夜には両親と弟夫婦5人で会食。翌日昼「たつ福」で、弟と寿司を食べまくり、名古屋へと帰ってきました。なんとなく得した気分でした。

2008年6月10日火曜日

サラカイセン ~135-136~

135.ハゲタカを 超えて見せるか 「監査法人」


136.100ドルでは 満足できぬ 原油高

2008年6月4日水曜日

サラカイセン ~127-134~

~ NHKの仕事が一段落したので、越麻呂日記も復活なのだ! ~


127. レビューした かわいがって やったといい


128. 報酬の 値上げも ガソリン価格並み?


129. ハニカミと 言われ続ける 苦しさよ


130. 職倫を 教えるほどの 倫理もて


131. 4回も 決算やって いつ休む


132. 再生紙 偽装感染 インフル並み(古いなぁ)


133.


134. 高リスク 逃げるが勝ちで 評価下げ

2008年3月1日土曜日

4県合同旅行

~黒龍とそばと越前蟹の黄金の3点セットだった!~


 前川前会長発案の4県合同旅行も、今回で4回目を迎えることになりました。第一回目は三重県の「カキづくしツアー」、2回目が京都の「貴船」そして前回が伝説の「金沢冬の旅」ということで、今回が4回目ということになります。場所はもう一度金沢へという一部の熱烈なる声を押し切って福井に決まりました。題して「冬の越前で懐石料理と蟹を楽しむ会」です。食べ物の中でカニが最も好きであるという私のカミサンももちろん参加。結局参加者は、4県合同旅行始まって以来の人数で37人にのぼり、そのうちぬゎ~んと家族同伴が9組ということになりました。皆さん日頃家族サービスしてないのね。
 今回の福井旅行にあたっての、私の目的は何といっても日本酒黒龍です。一度だけ桜山にある酒屋さんで偶然見つけて、一本いただいたことがあるのですが、やはり地元で作られたものを地元の魚をつまみに飲むのが一番なのだ。また、福井のそばもなかなか捨てがたいのです。仕事の関係で福井に行った際に、昼食をごちそうになったのですが(この頃はまだそういう時代だった)この時いただいたそばは本当においしくて、いまだに忘れられません。木曽福島の「車屋」のそばもおいしいのですが、人生で最高のそばを選べと言われたら(だれも言わないか・・・)迷わず私は福井で食べたそばを選んでしまうのですね。


 さて当日、JR西口のバス乗り場に皆さん集まり、いよいよ出発です。事務局の渡邉さんも来ていたのですが、補習所があるということで差し入れだけ渡して残念ながら参加できませんでした。スタート直後、まずは缶ビールで乾杯ということになったのですが、この一杯がこの先旅行の工程を変えることになろうとは誰も思っていなかったのです。ビールは各人一缶ずつということだったため、カミサンの分もいただきです。連れてきてよかった。そして、ビールの後は、渡邉さん差し入れのワインをいただきました。普段私は余りワインは飲まないのですが、最初に回ってきた赤ワインは葡萄そのものの味が強く、しかも防腐剤が一切入っていないため、大変おいしかったです。「これうまいよ」とカミサンに回したところ、残りを全部飲まれてしまいました。その次に白ワインが回ってきたのですが、こちらも自然の味がしておいしかったのですね。「これもうまいよ」とカミサンに回したところ、やはり残り全部飲み干されてしまいました。そして、「後で銘柄を聞いておくように」と言われてしまったのでした(後で渡邉さんに聞いたのですが、予約限定販売で、8月に予約しないと手に入らないそうです。銘柄は教えないのだ)。


 お昼は彦根城の近くのお店で食事です。彦根城をバックに参加者全員で記念写真をパチリ。団体旅行の記念写真は修学旅行以来ではないかな。宴会場でビールを飲みながらその場に居座ってしまったため、カミサンは酔っ払いの私をおいて一人別行動で彦根城へ。
 その後バスは、本来であれば永平寺へいく予定だったのですが、どうもこのお寺は酔っ払いを受け付けないらしいのですね。あっけなく御用となっても困るので、そのまま宿泊予定のホテルに直行し、一段落してからバスで異動していよいよ夜の宴会へと突入です。
 私の希望で飲み物はもちろん黒龍を注文しました。大吟醸を当てにしていたのですが、「これでいいですか」と出てきた黒龍はにごり酒に近いものでした。実は味もいまいちだったのですがそんなことはいえず、「なかなかうまいではないか、これでいいこれでいい」と納得してしまったのです。にごり黒龍をガシガシ飲んで、大分いい気持ちになってきたのですが、なんとその時黒龍の大吟醸が登場してきたではありませんか。あるなら最初から出してくれよなぁ。ではではといいながらさらにガシガシいただく。結局黒龍の一升瓶は7本空いたそうです。隣では私のカミサンが、鈴木先生と盛り上がっているではありませんか。どうやら昭和初期の歌謡曲の話をしていたようです。私のカミサンは古本や骨董品などやたらと古いものが好きなのだ。


 一次会終了後二次会へと突入。福井の夜は大変盛り上がったのでした。
翌日は、さすがに永平寺へ行くまでは飲むわけにはいかなかったのですが、やはり皆さん前日の飲みすぎがたたったようで、なんとなく元気がないようです。最初に越前竹人形の里で竹とんぼを作って飛ばし、昔に戻ったような懐かしい気分に浸った後(といっても私は竹とんぼを作ったことはないのですが・・・)永平寺へ。幸いにも雪が少なかったため滑って転ばすにすみました。ここの若い修行僧たちは、皆さんきりりと引き締まった顔をしたいい男なので驚いてしまいました。私も若いころ、ここで一週間でも修行していたら、もっとまじめに生きてこられたかもしれないのにと思ったのですが、いまさら遅いのだ。
 さて、昼はお目当ての蟹づくしです。皆さん急に無口になって、ひたすら例の細長い棒で、ほじほじしながら蟹と格闘しているのです。私がせっかく大吟醸を差し入れしたのですが、それどころではないようでした。この大吟醸、名前を忘れてしまいましたが、なかなかうまかったなぁ。
 今回の旅行では、他にも越前蕎麦の里や黒壁ガラススクエアも見学し、大変盛りだくさんだったのです。帰りは魚市場で買い物をし、すっかり満足してバスに乗り込みました。バスの中ではDVDで「陰陽師」を流していたため、真剣に見ていたのですが、最後の最後クライマックスシーンで名古屋到着。う~ん!どうしてくれるのだ。


次回の旅行もまた楽しいものにしたいと思います。

2008年2月25日月曜日

静岡県会新年会に愛知県会の新年会

~酔いどれ会計士は今日も行くのだ!~


 今年になってから、新年会をはじめ飲む機会が大変多くなっています。もともと飲むのが好きなだけに、お誘いを受けるとなかなか断れないというかむしろヨロコビを感じている状況ですので、まったく困ったものなのだ。東海会会長は肝臓が強くないと務まらないのかもしれません。そういえば前川前会長も飲むのが好きでしたものね。


 という事で、今回は三重県会に引き続き、各県会の新年会に参加してきたのです。22日は静岡県会の新年会でしたが、なんと会費無料なのですね。前の会議が長引いていたため、始まるまで会員の方々といろいろ意見交換を行っていました。小野先生からは「予算をいつも残していてはいかんよ」とさっそくご注意を受けたのですが、今年度も消化状況があまりよくなく、痛いところを衝かれてしまったのです。毎年同じような状況なのですが、これだけ活動しているのだから、もっと抜本的なことを実施しないといけないのでしょうね。例えばE-Learningを実施するとか、委員会出席者や各種行事参加者に夕食代や日当をお支払するとか(何しろボランティアだからね)いろいろ考えなければいけない時期に来ているのかもしれません。ただ、他地域会との調整もあるしなぁ。
 懇親会が始まった後は、一緒に選挙を戦った(といっても、お互い何も選挙活動はしていないのですが)松島先生からお酌をいただいたり、中村先生や武下先生たちともいろいろ意見交換が出来、大変楽しく過ごすことができました。磯部先生も大変お元気そうでしたし、城塚先生との面白い話もあったりで盛り上がってしまったのです。また、中村先生からは東海会事務局静岡支所設立の要望もあり、今後要検討です。静岡県会の会員の皆様方はいろいろ個性的な方が多く話題が尽きなかったのですが、新幹線の時間があるため、消化不良の状態で去らなければなりません。6月の静岡県会総会の日は、宿泊していろいろ話し合う約束をして帰宅。


 29日は愛知県会の新年会です。こちらはいつも錚々たるメンバーがお集まりになるのですが、小林県会長の面白い挨拶で一気に和やかムードへ。田中先生の骨董品収集の話といい、鈴木先生の昭和初期の歌謡曲の話といい、私のカミサンと趣味が合いそうな話題が多かったのです。そういえば4県合同旅行の時、鈴木先生と隣り合わせになった私のカミサンとは、楽しそうに話がはずんでいたものなぁ。
 途中で日本酒に突入したのですが、前川先生が冷酒を注文したにもかかわらず、出てきたのは本醸造のお酒の単なる「ひや」でした。これに逆上した前川前会長は「冷酒を頼んだのにこんなことではいかんやないか」とさっそく噛み付いたのですね。この一言で特別に大吟醸が次から次へと出てきたため、我々は遠慮せずにおいしくいただいたのでした。


 この後2次会に誘われたのですが、翌日奥田前経団連会長の記念講演会の依頼で、トヨタの秘書の方とお会いする約束があったのと、体力面で危険を察知したのとで、ここはお見送りする側に回ったのでした。後で聞いたら、やはり午前様だったようで、私の判断は正解だったのだ。

2008年2月6日水曜日

怪しい税理士再び!

~冬の秋田は危険がいっぱい~


 今、ヤフーのホームページで「怪しい税理士」で検索してみると243,000件ヒットしたのですが、なんとその中で一番最初に登場するのが、我が「越麻呂日記」の怪しい税理士なのです。このことに気がついたのが昨年の12月くらいで、その時のヒット件数は133,000件でしたが、わずか2ヶ月ほどで、怪しい税理士は2倍に増えてしまったことになるのです。この原稿がホームページに掲載されると、ヒット件数は243,001件という事になるのであろうか?う~ん!
 このことに大変気をよくした私の弟は、年末に家族そろって会食した際に、オヤジに「どうだどうだ」と自慢していたのですが、当のオヤジは意味をまったく理解することが出来ず、「ふんふん?」とうなずくばかりなのでした。そしてさらに弟は、顧問先を訪ねるたびに、「ワシは怪しい税理士だかんな!なめちゃいかんよ!」などとすっかり怪しい税理士を気取っているようです。全体からかもし出す雰囲気がすでに相当程度怪しいので、何も気取らなくてもそれで十分怪しい税理士なのだ。ということで、我が「越麻呂日記」の読者も目下秋田方面へと急拡大しているのです。


 さて、今回も秋田に帰省して真っ先に駆けつけたのが、あの「たつ福」です。今回はミツル君が帰って来れなかったため、最初は一人でこっそりカウンターで食べていたのですが、いつの間にか弟にばれてしまったのですね。一体この情報網はどうなっているのだ。
 そこで、年明けの2回目は弟夫婦を誘って、3人でいただくことにしました。色白で小柄で、藤あや子にちょっぴり似ている秋田美人のムツコさんは、一貫食べるごとに「おいじい~っ!」「信じらいね~」を連発するため、私としてもうれしくなってしまうのです。今回は、大トロ・うに・ひらめ(エンガワも)・サバ・焼きサバ・車えび(鯱みたいに自然に尻尾がそそり立つのが不思議なのだ)・サヨリ・アジ(肉がピンク色の美しい魚でした)・赤貝(ひももうまかった)・トリ貝・ホタテ・アナゴ(タレとシオ)・こはだ・伊勢えび・あわび・ズケ等をいただき、最後は大トロとうにで締めたのでした。この先半年、この寿司を食べることができないと思うと、もはや思い残すことはないというくらいに食べてしまったのでした。
 前日はカミサンの実家で、酒を飲みながらお刺身をいただいたのですが、やはり秋田の魚は身が引き締まっていて、申し訳ないくらいにうまいのですね。ノリコさんもアユコちゃんも豪華なおせち料理に舌鼓を打っていたのですが、私はひたすら刺身だけを食べていたのでした。


 たつ福の帰りに、弟に実家まで車で送ってもらったのですが、その途中で団地の中を通ったら、除雪ブルドーザーが豪快に除雪をしていました。秋田の冬は雪が降らないと逆に彼らの活躍の場がなくなってしまうため、景気が悪くなるそうです。今年の年末年始は雪が少ないので心配なのだ。
 除雪ブルは車道をふさぐ形で一定の間隔で、雪を前に掻き分けてはバックするという作業を繰り返していたのですが、どうやらこちらの存在には気がついていないようです。そこで除雪ブルが前に進んだ瞬間に通り抜けてしまうという作戦に出たのですが、今回は前に雪を運ぶ時間が短く、すぐさまギアをバックに入れたようで、ピーピーいいながらバックし始めたではありませんか。


「うわぁぁぁぁぁ~!衝突だぁ!」


と思った瞬間、私の弟はアクセルを目いっぱい踏み込み、間一髪で通り抜けることができたのでした。すかさず怪しい税理士化した私の弟は、じっと除雪ブルを見つめると「今度○○建設さ電話してごしゃいでやる」といきまいていたのでした。やれやれ。


 秋田の人の車の運転は、雪道でも平気なのですね。走りながら車体を左右に滑らせながら走っていくため、私なんかはどうしても怖くて運転できないのですが、ぶつかりそうでぶつからない微妙な感覚を身につけているのか、当たり前のようにスイスイと運転しています。そういえば以前秋田市内をタクシーに乗っているときに、アイスバーン化した夜の路面を、自転車で平気で進んでいく老人を見かけたことがあります。ちょっと雪が降ったくらいで、骨折者続出などという都会人とは鍛え方が違うのだ。

2008年2月2日土曜日

よその賀詞交歓会にも行ってきた

~それってもしかしてブラジリアン・・・~


 東海会の賀詞交歓会も無事終了したため、他の地域会の賀詞交歓会にも顔を出してみることにしました。11日は近畿会です。冒頭近畿会会長の中務さんのご挨拶の中で、近畿会の賀詞交歓会は乾杯が始まるまでが長いというお話だったのですが、実際に乾杯の挨拶になったのは、6時53分でした。でも、その前にマリンバの演奏を聴くことが出来たのです。華奢な女性の方でしたが、この世界の第一人者という事で、見事な演奏でした。立っているのがつらかったけど・・・。演奏の最後の方で、このマリンバという楽器は、機械的な仕掛けは一切なく、木で出来ているんですよ、ローズウッドですよ、といっているではありませんか。この「ローズウッド」という言葉に私の感性がビビッと反応したのですね。もしかして、そ、それってブ、ブラジリアン・ローズウッドですか?と聞いてみたくなったのですが、ブラジリアンのはずはないではないかと思いながらも、演奏中気になって仕方がありませんでした。演奏が終わってから、この目で確かめようと思っていたのですが、乾杯の挨拶が終わると、そのマリンバは撤去されてしまったのです。う~ん、残念!20時まで飲んで帰宅。


 翌週15日は協会本部の賀詞交歓会です。帝国ホテルに早めに集合。始まる前、森常務理事と雑談。山田広報担当常務理事とお会いし、二人で八田先生にご挨拶。その後開演となったのですが、中央会計事務所時代の同期のイッチャン(市村常務理事のことですが)と出くわし、いろいろ話をしていたのですが、話していたテーブルには「東海会」の看板が大きく立っていたため、都合が悪くなったのか、今度また同期で集まって飲む約束をして、彼は東京会方面へ移動。
 しばらく飲んでいると、澤田副会長に声をかけられ、佐藤ゆかり衆議院議員をご紹介いただきました。佐藤議員の周りには出席していた東海会の副会長の皆さんが続々と集まってくるのですね。それにしても、佐藤議員は本当に岐阜を去って東京五区へ行ってしまうのであろうか。
 結局最後まで残り、荷物を持って帰ろうとタクシー乗り場に移動したら、所属する法人の理事長にばったり。そのまま2次会へ。今日もまたたっぷり飲んでしまったのだ。


 翌日は、地域会会長会議と理事会に出席し、帰りに東京駅構内にある回転寿司で、浦霞のコップ酒であおりながら、9皿ほどいただく。帰りの新幹線の中で、私の履歴書の稲尾和久をじっくり読む。こんな人、今はいないよなぁ。う~ん、残念!

2008年1月31日木曜日

中日本五会研究大会

~スパイダーマンⅢになってしまったのだ~


先日、我が家のカミサンが、レンタルビデオを借りてきたのです。タイトルは「スパイダーマンⅢ」、忙しいとは思ったのですが、スパイダーマンシリーズはきっちり見ているため、今回も見ることにしました。映像的な面白さはあったものの、ストーリー性はいまいちでしたね。要は、思い上がった主人公が自分の力を過信してつい図に乗ってしまい、恋人にも見捨てられてしまうという内容でした。「図に乗ってはいけんよ!」と自分にも言い聞かせていたのです。
ところが、今回、中日本五会研究大会でやってしまったのです。昨年からもそうですが、今年に入ってからも、賀詞交歓会や結婚式、各県会の新年会に講演会等、いろんなところで話をする機会があり、どこに行ってもあまり緊張することなく、すらすらと話すことが出来るようになっていたのですね。特に原稿を用意しなくても、引き出しの中にいろんな話題を詰め込んであり、この会の話はこの引き出しから取り出して、これとこれを組み合わせて・・・・と、話題には困らなかったのです。今回、中日本五会で最後の挨拶をするときも、特に難しい話でもないため、原稿を用意することもなく、あらかじめ話す内容を考え、昼休みにメモっておくだけにしていました。


さて、中日本五会の最後に私が指名された際も、壇上に上がってかっこよくしゃべる自分の姿をイメージしていました。特に緊張するでもなく、壇上に上がって「おや、マイクの位置がおかしいな」と思い、手でごそごそやっているうちに、話す内容が、はるか100万光年離れたバルタン星の彼方まで飛んでいってしまったのです。
通常であれば、考えているうちに思い出せるのですが、今回はスパーンと忘れてしまい、まったく頭に浮かんできません。おろおろしながら、何か話したようですが、つじつまが合っていたかどうかはっきりしないのですね。


これではまったくもってスパイダーマンⅢではないかと思って反省したのですが、帰りの新幹線で、「脳腫瘍」「脳梗塞」という脳関係の文字が頭をかすめました。
翌日ゴルフの予約をキャンセルして、14時間ほど睡眠をとった後、日経新聞の夕刊を見ると、AC(公共広告機構)の広告で、日本脳卒中協会の広告が出ているではありませんか。「クラブ持つ 手足のしびれに 要注意」「ふらふらと 酔ってもないのに 千鳥足」などの川柳が載っているのです。ワシのサラカイセンもどきの川柳でけしからんと思ったのですが、内容に思い当たることがたくさんあるため、注意してよく読んでみると
脳卒中の前兆としては
・ 手足のしびれ・・・ここ2~3年、左手と両足のしびれに悩まされているよなぁ
・ 言葉が出ない・・・まさしく今回のケース
・ 二重に見える
・ 激頭痛
等があり、なんとまぁ、あまりにも自分のケースが当てはまるではありませんか。
もちろん、休日もなかなか休みが取れず、夜も毎日遅いということで、過労もあるのでしょうが、もしかしたら、自分が疲れていることすら忘れていたりして・・・タラ~リ(汗の落ちる音)。
 でも、こんなことでめげていてはいけないのだ。今後への戒めにもなったし、おかげで原稿一本書き上げてしまったしね。
転んでもただでは起きない。この精神でいきましょう。

2008年1月19日土曜日

三重県会新年会

~久しぶりの一気飲み2連発だった~


 1月12日は三重県会の新年会です。以前、三重県会の新年会は出席率が非常に高く、大いに飲みまくって盛り上がると聞いていたため、大変楽しみにしていたのです。最初に三重県会におじゃましたのは、昨年6月に行われた県会の総会でした。当時は手足の痺れがひどく体調は最悪だったため、飲む方はかなり抑えていたのですが、回りの圧倒的な飲みっぷりと盛り上がりようには感動すら覚えたものです。三重県会の団結力はすごい(単にお酒を飲むのが好きな人が多いだけというご意見もありますが)、新年会では体調を整えて出席し、佐久間先生と勝負するのだと心に誓っていたのです。


 さて、新年会は土曜日のため、服装はカジュアルでもいいのかなと思っていたのですが、念のために大倉事務局長に問い合わせたところ、全員背広にネクタイですよといわれ、きちんとした恰好で出席。三重県会の会員数は六十数人とお聞きしていたのですが、当日の出席者は38名。なんと出席率7割弱なのですね。山中新県会長のご挨拶のあと、私が簡単に挨拶し、田中先生の乾杯のご発声で宴会スタートです。お店は桑名にあり、ハマグリ中心の料理となりました。
 隣の田中先生と昔話をはじめいろいろお話させていただいていたのですが、どうやら近くで一気飲みが始まったようです。日本酒が約1合くらい入る器でしょうか。だんだん私のほうに近づいてくるではありませんか。私は飲むときは、通常は最初からかなり速いペースで飲む方なのですが、今回は多少用心して、ゆっくりペースだったのです。「こぉしやまぁ、こぉしやまぁ」とコールが沸き起こる中、器に入った日本酒をちょちょいと軽く飲み干したのですね。どうだといわんばかりに空になった器をひらひらさせたのですが、「アンコール、アンコール」とまたしても手拍子です。それではと再びぐぐぐぃ~っと一気に飲み干して、さらにどうだどうだと器ひらひらやったのですが、再びアンコール。応じる余力はあったのですが、明日はゴルフ初打ちのため、まぁまぁといって収めてもらったのでした。


 佐久間さんには、「越山さん、総会のとき、確か今度私と差しで飲むと言いましたよね」と詰め寄られたのですが(よく覚えているなぁ)、翌日初打ちのため、そうでしたっけと、勝負は次回の総会時に持ち越しさせていただいたのでした。大倉局長も一気飲みに加わり、かなり足にきていたようでしたが、みんな飲むのが好きだからしょうがないのだ。
 最後に帰り際、佐久間さんに胴上げされそうになり、持ち上げられそうになったのですが、気持ちだけありがたくいただきました。みんないい人ばかりなのだ。

2008年1月18日金曜日

賀詞交歓会

~挨拶の時間と寿司職人の握りのスピードとの相関関係について~


 いよいよ平成20年がスタートしました。J-sox元年であると同時に、監査の歴史が変わる年でもあるのです。東海会のスタートは賀詞交歓会。東海会の大きな行事の一つであり、各界からご来賓の方々が大勢お集まりになるため、挨拶の内容も事前にかなり考えました。何しろ初めての経験なので、緊張感たっぷしなのです。壇上に上がったとたんに頭の中が真っ白になったらどうしよう・・・などと恐ろしいことは考えないことにしました。従来、東海会の賀詞交歓会には、本部からは副会長がお見えになり、会長のご挨拶を代読するパターンだったのですが、今回は増田会長に直接お越しいただくことができ、ご挨拶いただけるということだったので、大変ありがたかったのです。


 さあ、いよいよ開演です。会場の入り口付近の金屏風の前に正副会長が並んで、通り過ぎる方々に「おめでとうございます、ありがとうございます」と、約200人分話しているうちに、のどがからからに渇いていることに気がつきました。皆さん会場に入られたらすぐ私の挨拶が始まります。水を飲んでのどを潤してからスタートすればいいのですが、用意してありません。近くの水割りを一息に飲み干して挨拶とも思いましたが、緊張のあまり一杯やってから挨拶したなどといわれても困るので、つばを何度も飲み込んでから壇上に上がったのでした。無事挨拶終了。後で他の地域会会長に聞いてみると、やはり水を用意しているのだそうです。来年に向けての反省点が一つ。
私の挨拶の後は、増田本部会長のご挨拶です。会長就任後東海会初登場でしょうか。協会の3カ年計画の話や公会計分野の話など、大変興味深い話をお聞きすることが出来ました。続いて木下協会専務理事のご挨拶です。こちらも東海会初登場。月間の会議数が80回ということで、皆さん驚いているご様子でした。
 私は自分の挨拶が終わってほっとして、壇上に視線を移して挨拶を聞いていたのですが、さらにその先に目を向けると、挨拶終了までの時間を見計らって、寿司職人が一生懸命寿司を握っているではありませんか。乾杯が終わって、いざ立食という事になったとき、皆さん真っ先に向って行って行列が出来るのが、寿司コーナーなのですね。おそらくそれに備えて、あらかじめ準備していたのだと思います。私の挨拶が約4分30秒ですので、その後に挨拶する人の人数と一般的な挨拶時間を予想して、ワシワシと握っていたのだと思います。ところが、増田会長はやはり東海会の会員の皆様方にいろいろお伝えしたいことがたくさんあるため、私の挨拶時間に比べてどうしても長くなります。そのうち、寿司職人の寿司を握るスピードがゆったりしてきました。おそらく心の中で「ん?思ったより長いな、ペースダウンするか」などと考えていたのでしょう。続いてお話好きの木下専務理事のご挨拶ですが、こちらも私の挨拶より長かったため、寿司職人もゆっくりゆっくり握り始めました。そしてついにノルマ達成、握るのをやめてしまいました。でも、この後、森川東海財務局長のご挨拶と、名古屋証券取引所の西川副社長の乾杯のご挨拶もあるのです。その寿司職人は、とうとう、握ったたくさんの寿司の皿に、ラップをかけ始めていたのですね。


 乾杯の挨拶の後は、歓談という事になり、和やかな雰囲気で過ごすことが出来ました。初めてお会いする方や、久しぶりにお会いする方もいて話が弾み、全体的にも大変盛り上がってよかったと思っています。
 松岡副会長の締めの挨拶で中締めとなり、最後は正副会長が入り口の金屏風の前に並んでお見送りです。あれ?一人足りない?・・・城塚先生は?・・・なんと、中で最後まで盛り上がっていたのでした。

2008年1月7日月曜日

「小説会計監査」を読む

 最近、公認会計士業界を題材にした書籍が発売されるようなってきました。書店で平積みになっていたり、売り切れてなかなか手に入らない時もあるようですので、結構読まれているのだと思います。従来から、公認会計士の仕事内容を紹介した本、例えば公認会計士協会が企画した「バー・レモンハート ―公認会計士特別編― 」のようなものは一部ありましたが、監査法人や公認会計士が主役の本格本はほとんどなかったため、仕事に余裕ができたらいろいろ本を書いてみたいなぁと考えていたのですが、先を越されてしまったのだ。


 「小説会計監査」の作者、細野康弘さんは、実は、私が会計士試験2次試験に合格して監査法人中央会計事務所(その後中央青山監査法人)に入所した際に、面接を受けた方でした。その後、当時の中瀬監査室に配属されたのですが、細野先生も同じ監査室だったため、よく一緒に仕事をさせていただきました。細野チームの人たちは、今どうしているのでしょうか。
 今でも忘れられないのは、新人のころ、受取手形の実査に一人で行ったのですが、終了後、調書をまとめて見ていただいたところ、手続きに不備があるということで、再度会社に行って追加手続きをやり直しさせられたことがありました。私としては、非常に恥ずかしい思いをしたわけですが、仕事に対する厳しさを細野先生に教えていただいた貴重な体験として、その後の自分にとっては大きな財産となった出来事でした。
 ここ数年、いろんな会計不祥事が起きて、監査法人内における昔からの古い体質の一掃が言われていますが、勤務時間の長さは別として、仕事に対する厳しさという面では、私にとっては中央会計事務所・中瀬監査室にいた4年間のほうが、今より厳しかったように思われます。ここでの4年間の経験で、公認会計士というのはこういうものだのだという、プロとしての心構えを、いろんなタイプの侍会計士に教えられたような気がするのですね。おかげでその後20数年、公認会計士としてやっていくための土台ができたと思っています。


 昭和59年に名古屋に移り住み、地元の監査法人に入所した私には、その後の中央会計事務所に何が起こっていったのかはわかりませんが、「小説会計監査」を読んで、小説とはいえ、なんとなく細野先生のご苦労が伝わってきました。
 小説の最後の「昨今ではもう、会計士監査などやってられない」ではなくて「でも、そんなことではならない」ということで、今年も会計士業界のために、微力ながらも頑張っていくのです。