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2007年6月27日水曜日

来年の全国研究大会を切り抜ければと考えていたが・・・

 6月27日、研修事業委員会の初会合が開催されました。研修事業委員会は、独自の研修のほかに、毎年行われる中日本五会(すなわち東海・近畿・兵庫・京滋・北陸)研究大会の準備があり、委員長は結構大変なのですが、当番会でなければ、通常は大きな負担はかからないはずでした。しかし今回は、任期3年間のうちに、なんと全国研究大会が名古屋で開催されることになっているのです。時は平成20年7月17日、すでに開催まで1年余りとなっています。何しろ名古屋で行われるのは12年ぶりですので、私もこの大会に大勝負をかけているのですね。


 従って、今回研修事業委員長の人選を行うに当たっては、大きな負担がかかることを前提に引き受けていただかなければならず、どなたか引き受けていただける方がいらっしゃるか、不安に思っていたのでした。ところが、思い出してしまったのですね。花野さんに役員を引き受けていただいたときに「厚生委員長はすでにやったので、それ以外であればなんでもOKです。」と言っていたのを。花野さんは愛知大学会計大学院でご活躍されていますし、本も何冊か出しているということで、行動力もあり、もっともふさわしいのではないかという事で今回お願いすることにいたしました。そして、花野さんにも快くお引き受けいただいた(たぶん・・・)というわけなのです。

 全国大会を乗り切れば、後は何とかなると考えていたのですが、今回の会合の議題を見て、思わず???となってしまいました。「平成21年中日本五会研究大会メインテーマ・研究テーマ」とあるではありませんか。中日本五会については、確か2年ほど前に東海会が当番会という事で、私が準備委員長をやったばかりです。従って私の任期中には、東海会が当番会になることはないとふんでいたのですね。いろいろ事情を聞いていると、五会といっても規模が違うため、東海会は5年に1回ではなく、もっと早く当番が回ってくるのだそうです。しかも近畿が今年CAPA大会を実施後、すかさず来年中日本五会の当番会も引き受けるということで、東海会だけが、全国大会があるから中日本五会研究大会を続けて引き受けることは出来ないと言えなくなってしまったようなのです。従って、来年全国大会が終わったら、半年後に中日本五会研究大会も開催しなければならず、なんともはやなんてこったの研究大会続きとなってしまったのでした。

 花野さんのほかにも研修事業委員会にたくさんの方が委員になっていただいたのですが、このようなわけですので、3年間よろしくお願いします。会合終了後の懇親会で、コレステロールの話題で盛り上がっていたので、大丈夫かなと思ってしまうのですが、きっちり勝負しようと考えているのです。

2007年6月23日土曜日

部長委員長会議開催

  今日は、会長就任後最初の役員会(部長委員長会議)の開催日となりました。副会長時代の3年間、前川会長の下で正副会長会議及び役員会を経験してきましたが、いざ自分が仕切らなければならないとなると、なかなか大変なのです。前日に東海会へ出向いて今日の打ち合わせを行い、研究大会の今後についても準備を行ってきたのですが、果たしてうまくいくかどうか。正副会長会議が12時15分から食事を含め15時まで、役員会が15時10分から17時までと、合計約5時間もあります。間が持つかどうか心配でしたが、当たって砕けろなのだ。

  正副会長会議では、前会長からの持ち越しテーマである事務局の移転問題についてと、研究大会について話し合いました。前者については、ずるずる引きずっているテーマですが、今年度中には決着したいと考えています。研究大会についても、まだまだ先のことだと考えているうちに、時間だけはあっという間に過ぎてしまいますので、これも早めにけりをつけて、安心したいと考えているのです。

  さて、後半の部長委員長会議ですが、前川会長のころは、基本的に毎回17時までしっかり時間をかけて行っていましたが、2時間というのはけっこう長い時間ですので、早めに終われたら終わってしまおうともくろんでいたのです。順調に議題が進み、このままでは30分で終わってしまうのではないか→いくらなんでもこれでは早すぎるのではないか→議事の運営失敗→会長失格という負の連鎖が頭の中を一瞬かすめたのですが、研究大会の議題になったとたん議論が伯仲し、結局終わったのは17時でした。やれやれ。
決定事項としては
   ■ メインテーマ及びサブテーマ
   ■ 基調講演の発表者
   ■ ゴルフ
未決定事項としては
   ■ 研究発表者
   ■ 前夜祭の催し物
   ■ 懇親パーティの催し物
   ■ 基調講演と懇親パーティの間の催し物
   ■ 観光旅行
となっています。
 今後早急に詰めていこうと考えていますが、何しろ東海会での開催は12年ぶりですので、東海会独自のアイディアを出したいと考えています。いいアイディアがありましたら、ご提案いただけたらと思います。

 役員会終了後、ホームページについて、業者と話し合いを行いました。「越麻呂日記」を一般向けにするか、あるいは会員向けにするかという議論があり、ここは多少のリスクを負っても、会計士業界に対する社会のエクスペクテーションギャップ解消と、今後この業界に入ってくる人に話しかけたいという思いもあり、無謀ではありますが、一般向けに開設することにいたしました。
図柄に関してはなかなかいいではないかと思っています。枠は畳だそうです。
後は中身で勝負なのだ!

2007年6月21日木曜日

東海税理士会総会出席

 昨日の名古屋税理士会総会出席に引き続き、今日は東海税理士会の総会にご招待いただいているのです。場所も同じマリオット・アソシアホテル。来賓の控え室に顔を出すと、昨日と同じメンバーが何人かいらっしゃいました。「やぁやぁ、どもども」「またお会いしましたね」などと挨拶を交わしながら、総会に出席させていただきました。やはり人数が圧倒的に多くて、挨拶をするほうも大変だと思うのですが、名古屋税理士会の久野会長も、東海税理士会の川松会長も、任期を重ねられていらっしゃるようで、慣れているご様子でした。懇親会の席で、顔なじみの奥谷副会長と話していたのですが、副会長も5期目になるそうです。両会長ともお話しする機会があり、大変貴重な時間を過ごすことが出来ました。


 会計士協会東海会の場合は、会長の再任はありませんので、3年の任期が終了次第、お疲れ様でしたということになるのですが、おそらく任期が終了するころには、精根尽き果てて「もう一期やらぜでぐで~(なぜか谷岡ヤスジ風)」などという気力はなくなっているのでしょうね。
ここでふと思いついたのですが、私は現在まだ50歳で、3年後の任期終了後はまだ53歳です。この間、法人業務から離れてしまっている私の立場は、その後どうなってしまうのでしょうか・・・タラ~リ!(冷や汗の流れる音です)。
あまり先のことは考えないようにしよう。


 この日は、実務補習委員会とダブってしまっていたため、残念ながら出席できませんでした。懇親会の途中からでもと思ったのですが、この委員会の懇親会は11時過ぎでも「ちょっと早いですがお先に失礼させていただきます」状態と聞いていたため、連夜の深酒と自分の体調を考え、今日は断念することにしました。

2007年6月19日火曜日

~「好きなようにやっていいですからね」と、鈴木正男先生は言った~

  昨日の愛知県会総会に引き続き、今日は名古屋税理士会の総会にご招待されているのです。マリオットホテルで行われたのですが、控え室では税理士会にご関係のある方々が十数人集まっており、名刺交換することが出来ました。その中で出た話でかつて何度か疑問に思っていたことの中に、「名古屋税理士会と東海税理士会の守備範囲はどのようにして決まったのであるか」という、永遠のテーマがあるのです。

  名古屋税理士会は、名古屋市と半田市と岐阜県をカバーしており、東海税理士会は、それ以外の東海地区をカバーしているというのですね。一体どのようないきさつでそのような地区分けになったのか、今のところ明確な回答に遭遇したことがなく、今回もまた「どうなんですかねぇ~」のまま、未解決事項として先送りされてしまったのです。来年の総会でも、また同じ話題が出るような気がするのですが、だれかご存知の方は教えてください。

  総会自体は、東海会に比べると大変な人数で、圧倒されてしまいました。会長も大変だと思います。
  夕方からは懇親会が立食パーティ方式で行われました。その会場にて鈴木正男先生とお話する機会があり、税理士の息子さんもご紹介していただきました。鈴木先生は「越山さん、思う存分好きなようにやっていいかんね。いざとなったら、私がブレーキをかけますかんね。ですから、安心しておやりなさい」とおっしゃってくださったのです。「お~し、お~し!やってやろうじゃないの」と思いましたね。

  懇親会終了後、事務所に戻ってメールをチェック。そして急いで広報委員会の懇親会に突入。実は今日は広報委員会とバッティングしていたのです。広報委員会は、「魅力ある東海会創り」を進める上で、また来年の研究大会のこともあり、今回私が力を入れている委員会の一つですのでぜひ出席したかったのですが、やむなく懇親会からとなってしまいました。

  懇親会で待ち受けていたのは、城塚不良中年・・・ではなかった副会長や杉原委員長、二村副委員長はじめ多くの広報委員の方々でした。もうすでに盛り上がっており、私も遅ればせながら、急ピッチでキャッチアップしたのです。「飲めばわかる」の城塚不良中年とは、ここでも意気投合してしまったのですが、「カイチョー」は言わない約束でしょ。城塚氏は「ワシは静岡県の代表として、ここ1週間で4回も東海会に来ることになってるんだわ~ナハハハ!」と豪快に笑っていました。東海会総会、税務委員会、広報委員会、そして部長・県会長会議と確かにそうなのですね。不良中年どころか、超まじめな中年と申し上げたいと思いました。失礼しました。

  話題の中では、一週間で7kgも痩せたという話もあり、一部の方々の熱い視線を浴びていた委員もいました。また、首から下げたタオルがなぜかとてもよく似合う委員の方もおり、大変楽しく過ごすことが出来ました。二次会に足を運んだ委員もいましたが、私はこれが二次会で、昨日の愛知県会と明日の東海税理士会の総会・懇親会も控えているため、帰宅。

  なにしろ広報委員会は大変なのだ。皆さん、よろしくお願いします。

~サラカイセン怒涛の100連発なのだ!!~

1.まだ仕事 目覚めて起きて もう仕事


2.大先生 今日も実査か ゴルフ場


3.SW(スワップ)は サンドウエッジかと ゴルフ狂


4.もうやめた 歌って踊れる 会計士


5.この会社 あんたに任せる 5年ルール


6.なあおまえ その習慣を 変えないか


7.おれだって 隠滅したいぜ 浮気の証拠


8.業界婚 合併したら 社内婚


9.酒場での 主役は繰延 税金資産


10.欠損金 にわかに重宝 がられけり


11.繰欠が だめならただの 欠となる


12.小六法 一年たったら また太り


13.社員とは 何のことかと 妻がいい


14.騒がれて 監査法人 認知され


15.うそつきと 責任逃れと 無関心


16.四半期に 一度は見直す わが人生


19.ニーロク(ちなみに2万6千円)の 麻のジャケット 買ってみた


20.民間では おめにかかれぬ ダブル諸表


21.源泉ゼロ 還付してくれ そりゃないが


22.提携が いつのまにやら 支配され


23.再編は 他人事だと 思ってた


24.会計の プロもおびえる 審査会


25.哀愁と わびしさ漂う 晩酌セット


26.法人の 人的資産も 再評価


27.できるなら 早くとりたい 補の字かな


28.士補の字が とれてうれしい はないちもんめ


29.またチョンボ ワシは事務所の 減損人間


30.この給与 どういうことかと 部下が言い


31.藍ちゃんと 同じクラブを 買ってみた


33.また来たか ウイルスメール 氾濫し


34.人のこと 気になる自信の ない人よ


35.合格だぁ! と叫んでもはや 20年


36.初仕事 これが実査か 小切手か


37.補習所の 講師の解説 子守唄


38.その仕事 俺がとってきた はずですけど


39.断れぬ 単身赴任で 家族分割


40.俺だって 棒引きされたい 住宅ローン


41.割り増しで 優遇されて 退職し


42.キックオフ けったボールは どこへやら


43.変わり身の 速さだけは かなわない


44.成果主義 いってる中身は 結果主義


45.年功で あいつの次は 俺の番


47.あれとこれ 合わせて一本 シニア昇格


48.コースケが 勝ってコーセイ 敗れたり


49.報酬の 値上げは今年も 未実現


52.帰宅して 着替えもそこそこ 皿洗い


53.貴引退 おまえはまだかと せかされて


54.いばらない おごらず怒らず 自慢しない


55.これだけは 譲れないもの もってるか


57.パソコンの 画面イチロー 4の3


58.わが亭主 監査法人に 勤めてた


59.定昇ベア いずれは死語に なるだろう


60.パソコンが 壊れてうれし Eメール


61.夏休み 遠慮しながら こっそりと


62.私にも 冬眠させてよ 1ヵ月


63.業発の ルートはないけど 俺流で


64.PSは 追伸のことだと 思ってた


65.人生は 祭りと戦い いや遊び


66.哀れなり すぐ金カネと 言う人よ


67.入所式 かばん持ちを 引き継いで


68.細々と 続いているよ サラカイセン


69.スタッフの 机と椅子は 共用資産


70.合格だ でもTOEC試験が 待っていた


71.初仕事 先生とは一体 誰のこと?


72.考課表 仕事のスタンス 調整し


73.負けたって いいではないかと ハルウララ


74.牛はだめ ニワトリもだめ 豚はよし


75.そろそろと 船出しました 前川丸


76.勝ち負けにも いろいろあるよ 人生は


78.テンパー(10%)の戦力アップ 見せてくれ


79.楽天は 後出しじゃんけん そりゃないぜ


80.知らぬ間に 登場してた 会計参与


81.時間だけ 増えて報酬 据え置かれ


82.監査論 実務はこんなに 違ってた


83.合理主義 負荷が負荷がで 不可だらけ


84.ルビコンの 川を渡って みようじゃない


85.年功も なかなかすてた もんじゃない


86.赤字でも 回っているよ キャッシュフロー


87.収益を 生まない社員は 減損だ


88.デフレには デフレなりの 生き方を


89.Budgetと Saleと営業で BSE


90.志 なぜか届かぬ 再生機構


91.みかん粒 昔は大事に 食べていた


92.政治家の 力に負けるな ASB


93.熱燗が 臓腑に染み入る 冬のなべ


94.雪見酒 期待したのに 雪はなし


95.ストライキ 死語辞典から よみがえり


96.スキャンダル BRCでは 追いつかず


97.定刻に そろりと変える あの人よ


98.申告書 苦労したけど 還付なし


99.またOB はなかみ親父 苦笑い

~いつかは愛知県会会長もアリかと思っていたが・・・~

  中部経済新聞社の取材が終わって一息つくと、夕方19時からは愛知県会の総会です。鈴木正男先生の乾杯の挨拶にもありましたが、従来愛知県会の総会には20~30人しか集まらなかったそうで、これだけ多くの会員が集まったのは、おそらく初めてではないかという事でした。久しぶりに参加したという会員の先生も、驚いていました。途中から若手会計士がわらわらと参加してくれました。小林新会長の酔った後でのオモシロ挨拶もあり、大いに盛り上がったのでした。よかったよかった。三重県会の集客力とあの盛り上がり方は半端ではありませんが、愛知県会の総会もなかなかいいではないかと思いましたね。

  愛知県会に関しては、私は以前、岩田(保)先生、田嶋先生、武井先生の3会長の下で、幹事と副会長を担当しており、しかも広報部との兼務が長かったため、愛知県会でゴルフやソフトボール大会、ボーリング大会やバス旅行といろいろ行事を楽しんでは、毎回2~3本東海会ニュースに面白おかしい原稿を書いて、寄稿していたのです。原稿を書くのが、当時の私の楽しみの一つでした。その中で生まれたのが、ゴルフのジョン・モーリー(毛利先生)や、トム・カイトではなくてトムカ・イトー(伊藤哲先生)、であり、ソフトボールのオレンジ稲垣(稲垣先生)だったのです。懐かしいなぁ!
今になって考えてみると、この会の幹事をやっていた時期にめぐり合えた方々が、現在各監査法人で大活躍をされている方々ばかりで、その後も協会活動をはじめ日頃の業務においても長くお付き合いさせていただいているわけです。楽しみながらやっていたこととはいえ、つくづく協会活動をやってきてよかったなと思っています。

  愛知県会に愛着を抱いていた私ですので、いつかは愛知県会の会長もアリかなと密かに考えていたのですね。裏話をさせていただくと、前川先生が東海会会長になられるときに、実は愛知県会会長就任を密かに打診されていたのですが、いろいろあって東海会の副会長になってしまいました。また、今回の副会長の任期が終了して退任する際も、もしかして愛知県会長もあるかなと考えていたのですが、こちらもいろいろあって、流れてしまいました。
なんとなく残念な気もするのです。

2007年6月15日金曜日

~中経の取材を受けてしまったのだ~

  今日は朝5時起きで、全米オープンを見ているのです。そして、手元には、インタビューで話す内容をまとめたものを用意しておきました。中部経済新聞社からの依頼で、14時から1時間半ほど、7月6日の公認会計士の日にちなんだインタビューを受けることになっているのです。昨日そのテーマと話す内容をまとめておいたのですが、何しろ新聞1ページ丸ごとインタビュー記事という事ですので、再度見直し、付け加えることにしたのです。

  ちょうど1~2ヶ月ほど前、藤沼会長が日経新聞で1ページ丸ごとインタビュー記事を載せていたので、私としましても当然それを意識せざるをえません。こうなったら藤沼会長と勝負なのだ!

 取材を受けるのはめったにないことなので、はじめは緊張するかと思ったのですが、インタビュアーとは終始和やかに話が弾み、この業界がいかに魅力的な業界であるかをPRできたと思います。たまたまここ2~3年はいろいろあって、公認会計士もなんだか自信をなくしているところがありますが、もう一度原点に立ち返って、志を高く持ち、その使命を全うしようではないかという事なのですね。


  途中でカメラマンが前から右から左からと、フラッシュをバシャバシャ焚いて写真を撮っていたのですが、いい感じで撮ってくれたでしょうか。このあたりが藤沼会長との勝負の分かれ目だと思っているのですが・・・。

  テレビの取材については、以前CBCの夕方5時ころから始まるユーガッタ(でしたっけ?)という番組で、自宅マンションのジャングルのようなベランダの取材を受けたのと、広報委員長のときに、自由業団体連絡協議会で無料相談をやったとき、NHKの昼のニュースで生取材を受けたのと2回ほどあるのですが、いずれも見ている人がしっかりいるのですね。近所の食堂のおばさんや同僚の人たちなど、あちこちから「越山さん、テレビ見ましたよ!」と声をかけられたものでした。

  今回の中経の取材記事も、多くの方々に読んでいただきたいと思います。

2007年6月13日水曜日

~実質最後の本部理事会だった~

  3年間続いた会計士協会の本部理事会も、実質的には今日が最後となってしまいました。週末に軽井沢で行われた役員の懇親会や、前日の懇親ゴルフには、所属事務所の社員会があったため残念ながら出席できず、多少心残りはありますが、大変勉強になった3年間だったと思います。
  理事会に出席した当初は、毎回高さ10cmほどある資料に圧倒されました。事前配布資料を何とか理解しようと読み込んでみたものの、よくわからず、さらに当日配布資料についてはほとんどついていけない状態で、もしかして理解できていないのは自分だけではないかと、己の能力不足を真剣に嘆いたものでした。毎回時間ぎりぎりまで活発な議論が繰り返されていましたので、この業界を何とかしようという思いが伝わってくる、充実感のある一日を過ごすことが出来ました。

  理事として過ごした3年間は、私にとって貴重な経験でしたが、やはり協会活動の醍醐味を味わうためには、常務理事にならなければなかなか難しいなと思いました。ましてや副会長から会長になる人は別として、基本的には地域会の場合は1期だけしか理事を出来ないため、本部の協会会務に軸足をおいて継続的に貢献するということが出来ないというのは、残念なことだと思います。

  次の任期からは、常務理事が実質的に協会運営にたずさわり、理事会は今までの毎月開催から2ヶ月に一回しか開催されないことになりました。理事の役割がどのように変わるのか、協会の運営の仕方が今後どのように変わっていくのか、次の3年間も見守っていきたいと思います。

2007年6月11日月曜日

~不良中年発言が受けてしまったのだ~

  総会が終わるといよいよ懇親会です。出席者が総勢114名という事で、大変にぎやかに始まりました。最初に私から挨拶をさせていただいたのですが、内容としては「私はもう50歳になったのであるから、本来は不良中年宣言したいところであるが、東海会会長に選任されたということで、当初は、3年間は我慢しようと考えていた。ところが、五木寛之の“林住期”という本を読んで、50歳になったら好きなことをしていいという教えをいただいたので、この際、協会活動を楽しんでしまうつもりである。オヤジバンドも結成したい。よろしく!」といったものだったのです。

  この不良中年発言が、静岡の城塚副会長に受けてしまったのですね。日本酒片手に私のところに歩み寄り、「越山さん、不良中年、ワシも気に入った。楽しくやりましょう」と上機嫌で話しかけてきたのです。城崎さんこそ不良中年会会長にふさわしいのではないかと、私は確信しましたね。

  また、会場をふらふら歩いていると、名古屋証券取引所の高松常務執行役員が、「ワシもギターをやるんだワ」とこっそり耳打ちしてきたのです。その発言を聞き逃さなかった私は、おもわずニヤリとしてしまったのは言うまでもありません。仕事と遊びの交流の輪を広げていきたいものです。

  そして、最後の締めは、前川前会長の三味線ライブです。袴姿でお師匠さんと登場すると、津軽ジョンガラ節を引き始めたではありませんか。あれほど真剣で緊張しきっていた前川先生のお姿は、初めて拝見いたしました。「俺の最後のわがままを聞いてくれ!」という前川先生の思い、しっかり受け止めました。問題は、私の3年後の退任時のパフォーマンスです。後を引き継いで、例えば吉田拓郎の「旅の宿・・・アコースティックギター・ソロバージョン」をご披露したらいいのか、あるいは12弦ギターで「あのすばらしい愛をも一度」でも弾いたらいいのかいろいろ考えてしまいました。今から退任時のことを考えても始まらないのですが、練習だけは怠らないようにしたいと思います。

  懇親会が終わった後は、数人で52階のバーで打ち上げをやったのですが、前川先生は袴姿のまま、隣の外国人客となにやら楽しそうに談笑していました。会長の重圧から解放されたのですね。みんなでラーメンを食べて帰宅。長い一日でした。

2007年6月8日金曜日

~東海会の会長ということに・・・・・・~

  6月8日、とうとうこの日を迎えてしまったのです。ここ3年間、東海会副会長として、前川会長を微力ながら支えてきたつもりでしたが、東海会の会長に関しては、「ワシには関係ないケンネ」と、無関心的ケンネ症候群を決め込んでいたのですね。ところが、年明け早々前川会長から、突然「東海会会長を引き受けてくれませんか」と言われてしまったのです。この青天霹靂的緊急予想外困惑突発的無理難題要求に対して、私のほうとしては、法人業務が超多忙であること、体調不良であること、法人の許可がおりないこと、はっきりいって自信がないこと等、思いつくだけのお引き受けできない理由を突きつけて、「これでどうですか、まいりましたか」と、丁重にお断り申し上げたのですが、前川会長は「いや、まいりません。すでに本部の賀詞交歓会において、東海会は越山さんがやることになったからと、話してしまったのです」と言われるのですね。「それってありですか?」と内心思いましたが、鈴木正男先生や幅先生からも優しいお言葉をいただき、無謀だとは思いながらも、お引き受けさせていただくことにいたしました。

  それ以来約5ヶ月間、東海会の会務に集中できるよう環境の整備を・・・と心がけてきたのですが、法人業務に埋没しながらまったく身動きできない状況で、時間だけが過ぎていき、いよいよ総会に突入してしまったというわけです。

 総会では、会長就任挨拶と表彰式、総会終了後は懇親会での冒頭挨拶という役割を与えられていたため、あらかじめ挨拶の原稿を考えておきました。事務局長の大倉さんに聞いたところ、総会での挨拶は、テーブルがあるので原稿持参OK、懇親会はマイクのみのため、原稿なしということで、段取りしていました。いよいよ総会が開催される時間となり、前川会長の隣に座っていたのですが、前川会長もやはり挨拶の原稿を用意していたので、私も原稿持参OKね!という事で、すっかり安心しきっていました。ところがいざ総会が始まると、前川会長は原稿を持参することなく、淡々と挨拶を始めるではありませんか。これはいけませんという事で、私も自分の出番が来るまで、ひたすら原稿の暗記に努めていたのでした。

  何とか挨拶も無事終了し、表彰式へと移っていったのですが、私みたいな若輩者が、30年間もこの業界で功労のあった方々を表彰するというのは、大変申し訳ない気持ちでした。後で写真を見たところ、私の背中が丸かったのですね。私が表彰するのは10年早いと思いながらも無事終了。
  これから3年間、よろしくお願いします。