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2007年12月26日水曜日

この1年を少しだけ振り返る

 今年もあと10日余りとなり、いよいよカウントダウンとなりました。それにしてもこの1年間は、会計士業界にとってはつくづく大変な一年間だったなと、あらためて実感しています。2月頃には、この業界は一体どうなってしまうのだろうかと、真剣に考えた方も多いのではないでしょうか。一時的に「監査難民」という言葉がはやり、本にもなったようですが、結果的には大きな混乱もなく年末を迎えることができ、とりあえずはよかったなと思っています。


 また、会計不祥事も後を絶たなかったような気がします。財務諸表の過年度訂正が、珍しくなくなってきたのには、驚くばかりです。「循環取引」や「架空」という言葉も、盛んに新聞に登場していました。
「内部統制」「J-sox」は、今年頻繁に使われた言葉の一つだと思いますが、準備期間が残りわずかとなり、各社対応に大急ぎのようです。来年4月からはいよいよ本番年度を迎えます。「不正会計」という文字が、新聞から遠のくよう祈るばかりです。

 個人的には、年明け早々東海会会長の選挙に出るよう推薦され、「無理」という文字が真っ先に浮かんでしまい、おろおろしているうちに選任されたものの、6月の総会までは法人の業務でほとんど瀕死の状態で、この先どうなる事やらと思っていました。幸い8月以降は、法人業務が比較的軽くなったため、何とか両立して、ここまで乗りきることができています。


 約半年間、東海会会務を行ってきましたが、目新しいことばかりで、なかなか刺激的でした。来年の研究大会の準備やいろんな所での講演会や挨拶、各委員会への出席、ラジオの生番組に出てしまったこともありましたし、顧問相談役会というものがどういうものかも経験させていただきました。年明けも、賀詞交歓会に始まり、中日本五会も予定されています。また監査役協会や勉強会での講演など、いろんな行事が目白押しです。幸い、副会長の皆さんはじめ各役員・部長委員長県会長、部員の皆さんが協力的だったため、大変助かりました。来年は全国研究大会の年、ぜひよろしくお願いします。


 それにしても、今年の世相を反映する言葉が「偽」とは、おお!何ということでしょう。経営者は偽りの財務諸表を作成し、賞味期限を「偽装」します。テレビの前で頭を下げてお詫びの言葉を並べていても、芝居じみていて反省の気持ちは一向に伝わってこないのは、やはり偽りのお詫びだからなのでしょうね。


来年は、ぜひ私の好きな字「遊」が選ばれてほしいものだと思います。

2007年12月13日木曜日

サラカイセン ~123-126~

123.国会も インセンティブも ねじれてる


125.カレンダー 休日・祭日 チェックする


126.夏長く 秋短くて 冬来たり

2007年11月20日火曜日

「研究大会で礒自慢12本手に入ります」と城塚副会長は言った!

~日本酒の魅力について~


 9月20日、税務委員会が無事終了すると、城塚副会長がうれしそうにやってきました。知り合いに頼んだら、来年の研究大会用に、銘酒「礒自慢」が12本手に入ることになったというのですね。一般的にはなかなか手に入らないお酒だけに、このグッドニュースには私も山田副会長も事務局の渡邉さんも、思わずニンマリしてしまいました。できればそのうちの一本は私に・・・と言いたいところでしたが、ここは我慢なのです。でも、本番の研究大会で、果たして礒自慢にありつけるかどうか、心配なのだ。


 私は今名古屋市内に住んでいるのですが、出身は秋田県です。秋田といえば美人の産地、あるいは酒どころとして有名で、秋田でいい日本酒に出会った時などは、つくづく秋田に生まれてよかったなと思ってしまいます。
 お酒の種類としては、日本酒のほかにもビールやワインとか焼酎があるわけですが、私の場合、実は10年くらい前までは、ビールが一番うまいと信じて疑いませんでした。特にゴルフで汗をかいた後であるとか、仕事をやり終えた後に飲むビールにはこたえられないものがあります。グビグビと飲んだあとに、かならず「プハ~」があるのですね。この一連の「グビグビ・プハー」が、我人生における最高の喜びのひとつであったわけです。
 ところが、この「グビグビ・プハー」を上回る出来事が10年くらい前にあったのです。私は、年末になると実家の秋田に帰るのですが、父親が税理士をやっていることもあり、年末になるとたまにお歳暮をいただくことがあります。そしてその中に日本酒があったのですね。日本酒といっても、その頃は熱燗にして飲む本醸造のお酒しか知らなくて、その日本酒もそういった類のお酒だと思っていましたし、もちろん大吟醸という言葉自体もぜんぜん知りませんでした。
 冷やして飲むお酒だといわれたので、冷蔵庫に入れていたのですが、ある時なにげなく飲んでみたのですね。「えっ?」と思いましたね。ちょっとまてよ、これはいったいなんだんだ?と。ためしにもう一杯飲もうとしたのですが、そこではたと気がつきました。日本酒独特のアルコールっぽいにおいがなかったのです。念のためにもう一杯飲んで見ると、やっぱりきりっとした、それまで味わったことのないようなうまさで、ほとんど魔法の水ではないかと思ったくらいでした。
 ラベルをしみじみ眺めると、そこには「酔楽天」と書いていました。酔って楽しくなって天国に行くという意味だと思うのですが、中国の詩人の白楽天という名前との掛け合わせもあり、まことにいい名前だと思いました。この「酔楽天」がきっかけとなって、私のうまい日本酒を巡る旅が始まったということができます。


 子供の頃といえば、大人がビールや日本酒を飲んでいるのを、不思議な気持ちで眺めていたような気がします。ビールにしても、こんな苦いものを何で飲むのだろうかとか、日本酒にしても、匂いをかいだけで気持ち悪くなるようなものを、大人はなんで飲むんだろうとか思っていたのですが、親父には、「おまえも大人になればわかる」なんていわれていたわけです。実際、自分がこんなに酒飲みになるとは、当時は全く思っていませんでした。
 日本酒は、以前は特級・1級・2級に分かれていたのですが、私は、2級酒が一番日本酒らしくて好きでした。今考えてみると、本当に日本酒の味がわかっていなかったのでしょうね。若い頃はどちらかというと、味よりも量さえあればいいという発想で、なんとも情けなくなってしまいます。

先ほどの酔楽天は、結局秋田から帰るときに、10本ほどまとめ買いをすることになり、名古屋に帰ってから、しみじみおいしいお酒を味わったのですが、そこで私が思ったのは、他にもまだまだうまい日本酒があるはずだということでした。そこで、各地の地酒を探し始めることにしたのです。地酒の本を買ったり、雑誌で地酒の特集を組んでいたりすると、すぐ購入して写真を見ながらひとりでニヤニヤ笑いながら喜んでいたわけです。もちろん、秋田に帰るたびに片っ端からいろんな大吟醸を買いあさって飲み比べもしてみました。私が最初に飲んだ酔楽天の大吟醸は、720mlで3500円だったのですが、5000円のもありましたのでもちろん飲んでみました。でも5000円だからどうだということもなかったようです。

 私は仕事柄いろんな地方に出張に行きますので、その都度地方の地酒を買い集めるようになりました。また家族で旅行した時も、必ず地元の有名な地酒を買い集めています。それに通信販売まで利用するようになりました。サライという雑誌でたまに特集をやっています。結局、秋田をはじめ、新潟、山形、仙台、金沢、富山、和歌山、京都、長野、伊豆、由布院、神戸、愛知、岐阜などのいろんな地方の地酒を飲んでみたのですが、いろんなお酒を飲んでいるうちに、飲むだけではなく今度は記録していきたくなってしまったのですね。
 そこで考えついたのが、ワインのラベ貼を日本酒に応用しようということでした。ワインのラベル貼り買ってきて、それを日本酒のラベルのところに貼り付け、10分ぐらい置いてからはがすわけです。そうするときれいにはがれるのですね。台紙の裏にコメントを書く欄がありますので、そこに自分の感想と、評価、金額などを書いて、保存しておきます。通常のラベルはきれいにはがれるのですが、中には和紙でできたラベルがあって、これがうまくはがれてくれません。ゆっくりはがそうと思っても、途中で途切れてしまって失敗してしまいます。和紙のラベルのお酒というのは結構おいしいお酒が多いため、どうしてもラベルを保存しておきたいわけですね。で、失敗するとまたもう一本買ってきて、ラベルはがしに挑戦することになります。
 そういった状況で、ラベル集めをはじめてからかなりの枚数がたまったのですが、ちょっと飲みすぎではないかということで、最近では自重するようになりました。


 愛知県のお酒で有名な銘柄に、「空」があるのですが、なかなか手に入らないといわれているお酒です。ところがある時、なじみの料理屋さんから電話がかかってきまして、「空」が手にはいったというのですね。それでさっそくその店に行って、飲ませていただきました。確かにおいしいお酒で、みんなで1本開けてしまったのですが、その「空」のラベルをどうしても私のラベルのコレクションにしたいということで、空き瓶をわざわざ家までもって帰ったこともありました。家のカミサンにはあきれられてしまいましたが、私は結構思い込みが激しいほうで、しかも収集癖がありますので、そんなことも平気でやってしまうわけですね。

 日本酒の本や雑誌などを参考にして、各地のいろんなお酒を飲んでみましたが、やはり、結論的には新潟と秋田のお酒が一番おいしいようです。中にはどうしても飲んでみたいけれど手に入らないやつもあって、その中の1つが新潟の地酒「〆張鶴」の大吟醸です。私は毎年お盆の時期になると、車で秋田へ帰るわけですが、高速道の新潟インターを出た後は、国道7号線を新潟からズ~ット走っていきます。7号線沿いに、村上市があって、ちょうどそのあたりを車でさしかかったら、「〆張鶴」という大きな看板が目に入ってきました。そしてそのそばには大きな造り酒屋のような工場のような建物もあったのですね。これは神様が私に〆張鶴を引き合わせてくれたんだと思いこみ、あわてて車を引き返して、その看板のある店の前に車を止めて、中に入っていきました。
 そこの店には、ワインを保管しておくような大きな冷蔵設備が置いてあり、日本酒がたくさん保存されていました。そこで当然のごとく〆張鶴の大吟醸を探したのです。本醸造はすぐ見つかったのですが、大吟醸がないのですね。お店の人に尋ねたのですが、「予約しなければ手に入りません」というわけです。私はなんのためらいもなく、「来年の分を予約させてください。くださいったらください!」と、どきどきしながらいったのですが、返ってきた答えは、毎年予約が一杯で、しかも予約する人が決まっているため、その固定客が予約を取りやめなければ次の予約はできないという、冷たい返事でした。どうしてもあきらめきらなかったのですが、しぶしぶあきらめて、本醸造の〆張鶴だけ購入して、肩を落としながら、 秋田に帰ったわけです。毎年車でそこを通るのですが、いまだに〆張鶴の大吟醸にお目にかかることはできていません。手に入らないとわかるとどうしても手に入れたくなってくるのが人情で、いつかどこかでかならず手に入れて、じっくり味わってみたいというのが、目下の私に夢なのです。


 日本酒の楽しみ方ですが、これはいろんな楽しみ方があると思います。まず最初は、見て楽しむというものです。私はこういうお酒ですよとラベルが語りかけてくるのですね。いいお酒はやはり見ていても楽しくなってきます。有名なお酒では久保田なんかもなかなかいいですね。
 それから、ネーミングでも楽しめます。よく競馬の馬の名前でもなかなか面白いものがありますが、日本酒のネーミングにもなかなかいいものがあります。中には例えば「喜三郎の酒」のように杜氏の名前をそのままもってきているのもあり、杜氏さんの意気込みを感じさせるものもあります。そういうときは、杜氏さんと勝負してみることになるのですが、中には「参りました」と納得してしまう銘酒もありました。
また、においで楽しむこともできます。昔の日本酒は、とてもにおいで楽しむようなものではなかったわけですが、大吟醸はほんとにいい匂いがします。口の広い器で飲むと、香りを楽しむことができると思います。
 もちろん飲んで味を楽しむのが最も重要なわけですが、大吟醸の傾向としては淡冷辛口が一般的に好まれる傾向にあるようです。私も淡冷辛口がすきなのですが、中には非常にフルーティな日本酒もあります。秋田や新潟は淡冷辛口が多いですね。飲んで楽しんでいい気分になって夢をみることができるわけです。
 さらに、見て楽しむということの中には、色を楽しむこともあります。最近古酒が注目されるようになってきましたが、古酒には色があるのですね。日本酒を長い間熟成させて作るようですが、黄色や赤など、非常に鮮やかな色をしています。私がはじめて古酒を買ったのは、金沢で「百十瀬10年」という銘柄で、10年寝かせたものでした。色はもう黄金色というか、きれいな色なのですね。これが500mlで5000円もしたので買おうかどうかかなり迷ったのですが、ラベルのこともあり思い切って買ってしまいました。古酒はにおいもやはり独特で、味はほとんどブランデーに近い味でした。量を飲むお酒というよりも、どちらかというと、雰囲気を楽しむ酒という感じです。
 器にもいろいろ凝ってきました。日本酒の場合は、ガラスの器が比較的合うということで、最初はやはりガラスのきれいな器を集めたわけですが、そのうち物足りなくなりました。古いものが好きなので、陶器で縄文時代をイメージするような器を探すことにしたのです。そこで行き着いたのが「松本洋一」という作家で、その人の杯や徳利や酒器を集めつつあります。それから漆もなかなかいい雰囲気が出るので、たまに気分を変えたいときなどに使っています。


 最近では、以前みたいにひたすら日本酒だけを飲むということはなくなってきました。以前は、毎週、月水金に火木土、それに週一回日曜日と、要するにほとんど毎日飲んでいたのですが、今は、いい酒の肴がそろった時に日本酒を飲むようにしています。時間があるときなどは自分で魚を探しに行って購入し、自分で作った肴で、おいしい日本酒をゆっくり飲むというのが、やはり自分にとっては非常に贅沢な時間の過ごし方だと思っています。ということで、私の日本酒を求めるたびは、まだまだ続くわけであります。


ん?今回は本業とかけ離れた原稿となってしまいましたが、お許しください。

2007年11月7日水曜日

「雨にも負けず」をパスティーシュしてみた

私の好きな作家の中に、名古屋出身の清水義範がいます。20年ほど前に「蕎麦ときしめん」(この作品は本当に面白かった)や「国語入試問題必勝法」などを読み始めたころからのファンで、その後の作品もほとんど読んでいるのですが、彼の作品の一部は、ある既存の作品を模倣することによって面白さを引き出すもので、いわゆる「パスティーシュ」といわれています。
今回は、宮沢賢治の作品で「雨ニモ負ケズ」を、公認会計士バージョンにパスティーシュしてみました。


(雨ニモ負ケズ)


雨にも負けず


風にも負けず


会社のお願いにも負けぬ


丈夫な精神力を持ち


妥協はせず


決して逆上せず


いつも静かに監査小六法を読んでいる


一日に調書10枚と


100通のメールをこなし


あらゆることを


利害関係者を勘定に入れ


よく審査して分かり


そしてまとめる


名古屋の駅前のミッドランドスクエアの陰の


古びたビルの小さな部屋にいて


東に粉飾したいという会社あれば


行ってつまらん見栄は張るなといい


西に上場したい会社あれば


行って任せなさいといい


南に死にそうな会社あれば


行って再生しましょうといい


北にコンプライアンス違反があれば


いいかげんにせいといい


カネボウ問題のときは涙を流し


ライブドア事件のときはおろおろ歩き


みんなにもっと仕事をしろといわれ


ほめられもせず


苦にもされず


そういう公認会計士に


わたしは


なりたい

2007年11月6日火曜日

金鯱の復活

~増田会長はわかってくれた!~


 10月30日、担当している会社の監査役会での報告を終えて事務所に戻ってくると、本部の増田会長から私のところに電話がかかってきました。11月5日に行われる本部正副会長会に出席しなくてもいいよ、といったものでした。実は私にはこの日に、出頭命令が下されていたのです。「本部正副会長会に出席してポスターの件について弁明せよ!」ということでした。ポスターを巡って本部の一部の方から反対意見があったため、どんな話になるのかなぁと不安に思っていたのです。
 東海会正副会長会及び広報部・事務局が名古屋で行われる研究大会のポスターに金の鯱を選んだ理由と、ポスターのテーマの趣旨は以下のとおりであり、出席して、そのあたりのところを説明しようと思っていたのですね。


  • 従来から、「尾張名古屋は城で持つ」といわれ、そのシンボルがまさに「金鯱」であること

  • シャチは本来水を呼ぶといわれており、火災から城下を守る守り神として人々に愛されてきたため、会計士業界の守り神としてふさわしいのではないかと考えたこと

  • 「夢」を強調したかったこと。なぜサブタイトルがないのかというご意見もあったようですが、会計士がパブリックインタレストに貢献するのは当たり前のことで、今回のテーマはむしろ会員に焦点を当て、ここ2~3年社会から厳しい目を向けられ自信をなくし、疲弊して将来が見えなくなってきている会計士(特に若い会計士です)に、「夢を持とうぜ!」と呼びかけることを目的に、特に強調させていただきました


 増田会長からは、「研究大会については、テーマは別として、基本的には全面的に各地域会に任せているのであるから、これからもがんばってください。」というメッセージをいただきました。中間決算監査で忙しい中、わざわざポスター一枚の件で東京まで説明に来なくてもいいよ、という事だと思います。


そうだよなぁ、ワシらもそのつもりでがんばってきたもんなぁ。
これで決着と考えていいのでしょうね。
それならば
金鯱よ、私の机の前から飛び出しておくれ!

2007年10月30日火曜日

CAPA大阪大会

~英語で挨拶してくれときた!~


 わが人生、51年も生きてしまうと、そろそろ残りの人生で何をやるかを考えてしまうのですね。今後何をやって、何をやらないかということを。これがまだ二十歳くらいだとすると、無駄な事でも大いに結構、いろんな事にチャレンジして、失敗しようが非難されようが、すべてのことが今後の人生において、すべて血となり肉となっていたわけです。


 ところが、残りの人生が限られてくるとなるとそうはいきません。特に今後何をやらないか、諦めるかが重要な課題となります。例えば食べ物でいうと、私はイクラをあきらめてしまっています。というのも、高コレステロール体質を反省し、ウニかイクラかどちらかを選択せよという究極の難問を自らに課し、結局ウニを選択してしまったからです。かつ丼やアン肝もおそらく今後は食べないことでしょう。日本酒も、この先飲める量も限られていますので大吟醸だし、大好きなビールのほうも発泡酒は飲まないことにしています。


 スポーツに関しても、もともと泳げないのでいつかは泳げるようになりたいと思っていたのですが、もう水泳教室に通うなどということもないのでしょう。泳ぐという快感を味わうことなく、我が人生は終わってしまうのです。スキーは事務所に入所当時、仲間と白馬や石打に行って楽しんだし、テニスも夏になると一週間のテニススクール軽井沢合宿に行ったりしたのですが、もう年だしなぁ、体も動かないしなぁ。せめてゴルフでシングルを目指すくらいでしょうか。


 先日、自宅マンションの狭くなった我が書斎のスペースを広げて有効活用しようと、いらなくなったものを片っ端から捨てて整理していたのですが、出てきたのですね、英語の教材が山のように。アルクの英単語コースにスピーキングマラソンや英文法マラソン、TOEC650点コースに730点コース、それにスピードラーニング等々。
 実は私は、標準語のほかに秋田弁と津軽弁の3ヶ国語を自由自在に操ることができるのですが、英語もものにしてしまおうと一時狂ったように英語を勉強した時期がありました。結局ものにならなかったし、今後残された我が人生において英語をマスターしようと努力することなどは二度とないであろうと考え、思い切って捨ててしまったのです。


 あ~すっきりしたと思っていた数日後の10月1日、PCのメールを見ると、会計士協会の本部から、「10月4日のCAPA大阪大会の懇親会パーティで、乾杯の挨拶を英語でスピーチしてください」という要請があったのです。ぬわんだって?と思いましたね。さっそく練習してみたのですが、頭の中に入ってきません。日本語であれば、挨拶文を忘れてしまっても、何か適当にしゃべることはできるのですが、英語ではそうはいきません。忘れてしまったら頭の中は真っ白け、そのまま立ち往生ということになります。同じ役回りを仰せつかった東北会会長の鈴木さんにさっそく電話して、一緒に対策を練ったのですが、結局は読むしかないよなぁという結論でした。


 さて、懇親パーティ当日、小宮山さんの挨拶の後、私の出番となるわけですが、小宮山さんは日本語で挨拶した後、なんと通訳なしで自分で英語で話し始めたではありませんか。これは困ったことになったと思ったのですが、いまさら何ともなりません。一応は暗記していたつもりでしたが、頭の中真っ白→立ち往生が怖かったので、日本語であいさつした後、英語を読むことにしました。緊張していたせいか、うまく発音できなかったのですね。ぐやじい!ただ、会場にいたほとんどの人たちが、日本人だったので、冗談で済んだというのが、せめてもの救いでした。


 懇親パーティは、マジックショーのイリュージョンが素晴らしく、大変楽しく過ごすことができたのですが、終わった後友人から、「今日は楽しかったね、越山さんの英語も聞けたし」と冷やかされてしまいました。
今後の我が人生において、もう二度と英語では話さないケンネと、固く誓ったCAPA大阪大会でした。

2007年10月27日土曜日

金鯱の憂鬱

 皆さんこんにちは。わたくし名古屋に住む金の鯱です。名前はまだありません。普段は名古屋城の天守閣で、合戦の頃の夢でも見ているのですが、先日あるイラストレーターから突然呼び起されました。聞くところによると、来年名古屋で行われる日本公認会計士協会の全国研究大会のポスターに出てほしいということでした。もともと私の役割は、火災が起きた際に水を呼ぶことですので、カネボウ事件やライブドア事件などで、世間からいろいろ非難の火の粉を浴びている業界の守り神としてはふさわしいのではないかと考え、ここは久しぶりに一働きすることにしたのです。


 正式なポスターとして選ばれるにあたっては、ライバルがほかに2作ありましたが、特に大きな議論もなく、正副会長・広報部・事務局をはじめ東海会の皆さんに選んでもらいました。その後、イラストレーターに何度もお願いしていろいろ修正を重ねた結果、9月の下旬にやっと最終稿が出来上がったのです。
 さっそく出来上がった作品を会計士協会本部に送ったところ、思わぬ反響がありました。越山東海会会長に送られてきたメールの内容は、本部役員の意見としては、「品がないので見直してくれ」といったものだったようです。


 東海会としては、CAPA大阪大会に間に合うようにと作業を進めてきていたので、直前のこのような事態に苦慮したようですが、急遽写真をベースにした作品を2点(名古屋城を上空から撮影した構図のものと、駅前のビル群をデジカメで撮影しポスター用にアレンジしたもの)作り上げ、CAPA大会には3つの作品を用意して臨むことにしました。
 もし仮にCAPA大阪大会での評判が悪かったら、「すまぬ・・・おれが悪かった!」といって、素直に名古屋城に帰ろうと思っていたのですが、これがなかなか評判よかったのですね。当日、次回開催地の宣伝ブースでポスターを掲げて待機していた東海会の渡邉さんたちも「評判いいんだわ」と上機嫌でした。本部研修一課の方も一件落着といった様子で、「いろいろもめましたが、よかったですね」と、一緒に喜んでいたのですね。私(鯱のことですが)もこれでほっと胸をなでおろし、いったん名古屋へ戻ることにしました。


 10日ほどして、越山さんのPCに、本部研修一課から一通のメールが飛び込んできました。本部会館内の数箇所に名古屋研究大会のポスターを貼ることを確認したところ、一部の方々から今貼るべきではないと強い意見があったようです。
 このことを聞いた私は、谷底に突き落とされたような気分でした。そこまで嫌われているのかと。私のこのむき出しの歯は生れつきのもので、これはいかんともしようがありません。もうギブアップです。公認会計士という職業のイメージに、私はどうやら合わなかったようです。このまま静かに身を引いて、越山東海会会長の机の前に貼っていただき、この業界の将来をずっと見守っていきたいと思います。
私を生み出してくれた皆さんへ。ありがとうございました。

2007年10月26日金曜日

サラカイセン ~118-122~

☆研究大会ポスター特集


118.物言わぬ 金シャチおまえは 何思う


119.ちょっと派手 いつの間にやら かなり派手


120.激動期 火を消す役は あなただけ


121.金シャチの 夢は戦場 駆け巡る


122.会計士よ 何をそんなに 騒いでる

2007年10月16日火曜日

サラカイセン ~113-117~

113.一言で 右へならえの 組織です


114.負けが勝つ そんな仕組も 悪くない(クライマックスシリーズ)


115.LLP なぜかアナログ 思い出す


116.なんとかなる なりそでならない 内部統制


117.引抜を する品格の ない人よ

2007年9月15日土曜日

秋田で出会った怪しい税理士

~「たつ福の寿司は秋田で一番んめや」とその税理士は言った!~


今年に入ってからというもの、超多忙な日々が延々と続いていたのですが、8月に入ってやっと一段落したため、夏休みは実家の秋田に帰ってのんびり過ごすことにしたのです。秋田といえば条件反射的に、米どころ・秋田美人・地酒とくるのですが、私が秋田に帰った時の楽しみの一つに、おいしいお寿司屋さんに行くことがあります。
数年前ある税理士に、秋田でいちばんおいしいといわれているお寿司屋さん「たつ福」を紹介してもらって以来、私は、秋田に帰るたびにそこを訪ねるのを楽しみにしていました。したがって、今回の帰省にあたっても、もちろん目的は家族と久しぶりに顔を合わせることにあるのですが、「たつ福」に何回行くことができるかが重要なポイントとなっていました。


実家に帰ってからさっそくその税理士にアポをとり、まずは私の実家の近所の「武蔵」という居酒屋で一杯やることにしたのです。座敷にすわって待っているとその税理士は、ビジネスカジュアルで来ると思いきや、何と長髪を赤茶に染め、Tシャツに短パン姿、サンダル履で私の前に現れたではありませんか。う~む!ますます怪しさに拍車がかかってきたのです。たばこをやめたらしく、一回り大きくなったその怪しい税理士は、ビール生チューをおいしそうに飲みほすと、「ねえちゃん、おかわりね!」などと言いながら、秋田の名物料理のトンブリ・比内鳥の焼き鳥やから揚げ、刺身をおいしそうに食べていたのでした。そして私の意図をくみ取ったのか、おもむろに「明日はたつ福が休みだがら、わしがケータイで予約をとっておいでやるがら」と、秋田弁丸出しで話しかけてきたのですね。そこで私も秋田弁で「へば頼むな」などと応酬したのでした。


今回その怪しい税理士は、秋田美人のかわいい奥さん(ムツコさん)、それに昨年大学に入学した息子さんを連れてきていました。息子さんはミツル君といって、将来は公認会計士を目指して頑張っているようです。それならば、たつ福の寿司をおごってやろうではないかということになり、三人で行くことにしたのでした。怪しい税理士は、「秋田は人口も減少してるし、経済も縮小してるがら、会計士になっても秋田さ帰ってけばだめだや」と、突き放していたのが印象的でした。
秋田の寿司に関しては、回転寿司でさえなかなかのネタを提供してくれるのですが、それにしてもたつ福の寿司は別格です。本当にうまい。カウンターでおまかせコースでじっと待っていると、必ず最初に出てくるのが肉厚のインドマグロの大トロです。これが絶品で、飲み込んでしまうのがもったいないくらいです。また、続いて出てくるウニは防腐剤いっさいなしで、のりで巻くなどというオロカなまねはせずに、少なめのご飯の上にそのままてんこ盛り状態ででてきます。この甘さは、言葉では表しようのないくらいのうまさで、「人生最後の瞬間に何が食べたいか」と聞かれたら、間違いなく「たつ福のウニが食べたい。食べたいったら食べたい!」と叫んでいるでしょう。他にも車エビ、コハダ、サンマ、鰺、アナゴ(これもとろけるおいしさ)、焼きさば(最近流行っているようですが、たつ福ではだいぶ前から提供していたようです)、赤貝、あわび、スズキ、などをおいしく頂き、最後は再び大トロとウニでしめたのでした。この間、驚いたことに、ミツル君は私の2倍以上の量を食べていたのでした。三人とも十分満足して帰ったのですが、結局私は秋田にいる間に3回たつ福に通うことになり、今年の後半戦に向けて、タップシ生きる元気をため込んだのでした。今から冬の帰省が待ち遠しく感じるのです。


それにしても、この怪しい税理士は、PCにやたらと詳しく「わしは東北の税理士で一番詳しいのだ」と豪語していました。また、無線ヘリコプターを自在に操り、八郎潟では「土手クラブ」なるものを結成して活動しているようです。税理士業は早めに引退し、将来は田舎に引きこもって、牛を飼うのが夢なんだそうです。私も将来は秋田に帰って農業をやるつもりですので、もしかしたら近所に住んで「なんとだすか~」などとやっているかもしれません。名古屋に戻る前に、もう一度「武蔵」で一杯やったのですが、最後に「へばまずな」と言いながら、ムツコさんの運転する車に乗って去っていったのでした。


ちなみにこの怪しい税理士の名前は「越山聡」といって、なんと私の弟だったのです。

2007年9月4日火曜日

サラカイセン ~110-112~

110.そのリスク 行き着く先は 監査難民


111.ぎこちなく 動いているよ 親指おやじ

~いつか「川柳で振り返る会計監査の歴史」という本を書いてみたい~

サラリーマン会計士川柳は、私が東海会の広報部長だった3年間、何か新しいことをやってみたいということで企画したもので、東海会ニュースに投稿し続けました。継続は力なりというか、こつこつ積み上げていった川柳が、未投稿も含めると百数十本になります。
今回、東海会のホームページに川柳コーナーを設けるということでしたので、「サラカイセン怒涛の100連発!」というタイトルで過去の作品を洗い出してみることにしました。
ちょうどこのころは、税効果会計をはじめ、会計の変革期・監査環境の変化と重なっていたため、振り返ってみると、懐かしさがこみ上げてくるのですね。


◆ 酒場での 主役は繰延 税金資産・・・税効果会計が導入され、税効果を5年分認められないということで、大変なことになってしまった銀行もありました。


◆ この会社 あんたに任せる 5年ルール・・・ローテーション制度で、筆頭業務執行社員は、5年までしか担当できないことになりました。


◆ おれだって 隠滅したいぜ 浮気の証拠・・・アンダーセンの証拠隠滅事件もありましたね。


◆ 四半期に 一度は見直す わが人生・・・四半期決算制度が導入されました。


◆ ニーロクの 麻のジャケット 買ってみた・・・道路公団の監査が、2万6千円という、驚くべき金額で入札されたこともありました。

ほかにもたくさんあるのですが、とりあえず100本、ホームページに投稿しています。これからもどんどん投稿して、200本くらいたまったら、「川柳で振り返る会計監査の歴史」などといった本でも書いてみたいと思っているのです。


2007年8月3日金曜日

サラカイセン ~106-109~

106.もらうほど うれしさ忘れる 賞与かな


107.競うのは 速さではなく 正確性(決算発表)


109.刻々と 迫ってくるよ 退任日

2007年7月31日火曜日

監査業務委員会

~もしかしたら来年の全国研究大会にご登壇いただくことになります~


 監査を本業とする我々会計士にとって、監査業務委員会の役割はなかなか大変なのです。今回は、今まで東海会役員の中では比較的重い委員会を渡り歩いてこられた、山田順先生にお願いすることにしました。


 今までも監査業務委員会は、日本監査役協会中部支部との定期的意見交換会をはじめ、中日本五会研究大会や日本会計研究学会での発表者を出したり、あるいは監査事例研修会を開催したりとなかなか忙しいのですが、今回のメンバーには、来年名古屋で開催される全国研究大会で、大いにご活躍いただかなければならないわけでして、まことにもってすまぬすまぬなのですね。
 特に、研究大会のテーマが決まっていない今(8月いっぱい募集中ですが)、仮にもし立候補者がいないということになってしまうと、委員長の山田順先生に自らご登壇いただかなければならない可能性が大なのであります。


 山田先生、今から心の準備の程、よろしくお願いします。
私が心配しなくても、ご本人はもうその気かも・・・。


2007年7月20日金曜日

サラカイセン ~101-105~

101.循環は 温泉だけだと 思ってた


102.退職の 届けも今では Eメール


103.困るけど やめても回って いく組織


104.しょうがない 辞任したって しょうがない・・・原爆大臣殿へ


105.その不正 知らぬ存ぜぬ 聞いてない

2007年7月18日水曜日

研究大会打ち合せ 八田教授の講演会

~でたかぁメカドラゴン!なかなかいいではないか~

前回のポスターの打ち合わせで、もっとコストをかけていろいろ提案してもらうことにしたのですが、今回も新しいのが3パターン出てきました。その中に、一風変わったものがあったのです。最初は何の絵かわからなかったのですが、よ~く見ると金シャチなのですね。しかも白い歯をむき出しにしている、結構インパクトのある図柄でした。
人によって好き嫌いの出る図柄であるのは間違いないのですが、私も研究大会準備委員会山田広報委員長もこれが気に入ってしまったのです。当然予想されるコメントは、「公認会計士という厳正な職業に相応しくないのではないか」「ドラゴンズの応援ポスターでもあるまいし」「え~っ!何これ?わかんなぁい」等ですが、文句のある人、わからない人はそれで結構。もうこれでいくことに決めたのだ。
あとは役員会で承認を取り、微調整を重ねて完成までもっていきたいと考えているのです。それにしても、メインテーマである「夢!魅力ある公認会計士」というのは、なかなか気に入っているのですが、サブテーマがメインテーマと結びつかなくて、どうも困っているのです。当初、東海会からは、メインテーマに結びつけて、3つの案を提案したのですが、本部にいずれも却下され、最近あちこちで使われている「パブリックインタレスト・・・」という言葉をあてはめて来たのですね。個人的には、せっかく名古屋で行われる大会ですので、東海会で提案したテーマの中から選んでほしかったなと思っているのですが、選択の余地はどうやらなかったようです。残念。
午後からは、八田先生の内部統制の講演会です。会場は満員。先生の講演を聞くのは今回で3回目ですが、いつ聞いてもつい話にのめりこんでいてしまいます。話術はさすがですね。私も会計ビッグバンのころ、新会計基準について頻繁に講演を行ってきましたが、まだまだ足元にも及ばないようです。
内部統制については、各社とも対応がまちまちのようですが、日本基準の場合、先行事例がないため、どこまでやっていいのか難しい面があります。しかし、要は実施基準に書いてあるとおりで、アメリカのSOX法とは異なるということなのですね。やらないわけにはいかないのですが、くれぐれもやりすぎないようにということでした。


ホームページリニューアル ~まずはここからスタートしたかった~

 東京での研修を終え、自宅に戻ってさっそくPCの電源を入れてみました。通常は、自宅に戻ったら「まずビール!」という基本的スタンスを長年取り続けていたのですが、今日は何しろ渡邉さんから「ホームページリニューアルの日ですよ」と教えられていた日だったため、帰宅即PC電源オンということになったのですね。

 おお!「工事中」というメッセージが消え、確かにリニューアルされているではありませんか。しかも越麻呂日記も堂々オープンなのです。どうだどうだ!長年広報を担当してきた私にとっては、ホームページを何とかしたいというのがとりあえずの望みでした。幸い事務局の渡邉さんがいろいろ業者と打ち合わせを行っていただいたのと、PJメンバーや広報委員の方をはじめいろいろアイディアをいただいたおかげで、大変内容の充実したホームページとなっています。

 なにしろ私の日記の原稿が、約1か月分くらい遅れているのが最大の問題で、早くキャッチアップしなければならないのです。東海会会長としての会務が始まって約1か月。書きたいことはたくさんあるので、たまには覗いてみてください。

2007年7月14日土曜日

研究大会打ち合わせと学校法人委員会

~予算が少ないではないかと磯部委員長は言った~


 この日は学校法人委員会と研究大会の打ち合わせがバッティングしてしまいました。私が今回東海会を運営するにあたり、たくさんある委員会の中で最後まで委員長が決まらなかったのが、実は学校法人委員会だったのです。この委員会は東京での打ち合わせが結構あり、また、新たに審査制度が導入されるとあって、結構大変なのですね。そこで白羽の矢を立てたのが、同じ法人に属する磯部さんでした。磯部さんには当初末次先生の強い要望もあり、総務の副委員長をお願いしようと思っていたのですが、ここはもう拝み倒すしかありません。「今度一杯おごるケン引き受けていただけませんか?」と頼んだところ、心やさしい磯部さんは、「残り物には福があるから」と、快く引き受けていただいたのでした。


 研究大会のほうは、パーティでのイベントや、基調講演と懇親パーティの間のイベントを決めなければなりません。こちらのほうは、小委員会の松岡さんと、事務局の渡辺さんが、いろいろ情報を集めてきてくれました。詳細は内緒ですが、名古屋で行われる12年ぶりの大会ですので、大胆にいきたいと考えているのです。
 また、物産展の話が出たのですが、ここで私は貴重な情報を入手することになるのです。物産展と言えば地酒、地酒と言えば秋田・新潟という、私の頭の中での黄金の方程式があるのですが、ここで静岡方面(具体的には城塚さん)から思わぬいい話があったのですね。毎年日経新聞で日本酒のランキングをやっているらしいのですが、渡邉さんの話では、一位の座を常連の「田酒」から引きずりおろしたのが静岡の「磯自慢」だというのです。しかも、この磯自慢は城塚さんに頼むと、タップシ手に入るというのです。懇親会の鏡割りに使うのと同時に私の分も確保しておいてください。くださいったらくださいと、つい頼みそうになってしまいました。ああ!今日出席してよかった。


 研究大会の打ち合わせを行っているうちに、学校法人委員会のほうが終わりに近づいてきていたのですが、最後に今年度の予算の話になりました。予算では、委員会は1回分しかとっていなかったのですが、磯部さんがさみしそうな顔をしているのですね。「せっかく皆さん同じ委員会のメンバーになったのだし、もっと懇親を深めたいため、一回では物足りないから、せめて2~3回委員会を開催させてください。予算オーバーしてもいいですか」と、大倉事務局長を問い詰めていたのでした。磯部さんには、その意気込みで、ぜひご活躍していただきたいと考えているのです。
自宅に戻ったら、東海会ニュースが届いていました。
 「ホームページリニューアルのお知らせ」が最終ページに出ていました。「ン!暴挙か・・・」一瞬中日スポーツの見出しかと・・・。

2007年7月12日木曜日

厚生部会開催~それでもおじさんはフォークソング同好会を結成したい!~

7月11日、鷲野先生が主催して厚生部会が開催されました。厚生部会は花野さんが前任者で部長として仕切っていたのですが、前川前会長の意向もあり、4県合同の会員懇親制度と同好会の補助制度が確立されたのでした。


4県合同懇親会につきましては、金沢の旅行が大分盛り上がったようで、金沢の銘酒大吟醸(おそらく菊姫。私も飲んだことがありますが、これがうまいのですね。金沢でおいしい酒を4本上げなさいといわれたら、私は「菊姫・天狗舞・手取り川・白山」を文句なく推薦します)を、大胆にもたて続けに飲みまくって空にしたということが、未だに語り草になっているのです。また、3月に行われる4県合同ゴルフコンペも今年で2回目となり、なんとなく定着しそうな感じがしています。


花野さんの後を引き継いだ鷲野さんにも、引き続きいろいろ企画していただきたいと考えているのですが、女性会員企画としては、年1回ボーリング大会を行ってはどうかという案がありました。また、4県合同の懇親旅行やゴルフ大会も、引き続き実施していきたいと考えています。


同好会補助制度については、この制度ができて3年になるのですが、正式な同好会が残念ながらまだ出来ていません。各県会ではソフトボール大会やテニス大会などあるのですが、4県にまたがるという縛りがあると、なかなか補助の対象となる同好会というものが出来にくいのかもしれません。例えば、わざわざ静岡からテニスをやりに名古屋まで出てこられないといったところかと思います。


私も以前東海会ニュースで、「おじさんたちには最近の歌はよくわからない!」ということで、「中部日本不良中年フォーク・ヴィレッジ」の結成を呼びかけたのですが、残念ながら賛同していただけた方は、一人もいなかったのです。私は、ニュースの中の原稿の位置取りがあまり良くなかったので、多くの人に読んでいただけなかったのであると勝手に解釈しているので、まだあきらめていません。再度ここに参加者を呼びかけ、東海会発でフォークソング旋風を再び巻き起こしたいと考えているのです。


不良中年の皆さん。あのころの自分を再び取り戻しましょう。
もう一度、フォークギターを手にして、大きな声で歌おうではありませんか。
ご連絡をお待ちしています。

2007年7月7日土曜日

弁護士会との交流会

名古屋自由業団体連絡協議会というものがこの地区にはあり、公認会計士、弁護士、税理士、不動産鑑定士、社会保険労務士等、いわゆる士業の交流が年に何回か行われているのですが、弁護士会との交流が前川前会長のころからテーマとして上げられていました。昨年は2回ほどそれぞれの会の幹部を中心に懇親会を行ってきたのですが、今年度からはいよいよ具体的な活動に入っていく予定です。


さっそく7月6日18時から、今後の活動内容について第一回目の打ち合わせを行いました。そこで話し合った内容は以下のとおりです。
(1)共同で業務開発が出来ないか→業務開発委員会で検討
・地域の中小企業を対象に再生ができないか・・・財務DD、法務DD
・社外監査役マニュアルの共同作成
・若手企業家の育成
・事業承継での協力
・私立学校に対する業務開発
(2)共同研究→研修事業委員会で検討
・テーマとしては企業防衛、敵対的買収、内部統制とガバナンス、企業不祥事等
・共同研究の成果を体外的にPRしたい
(3)研修会への講師派遣→研修事業委員会で検討
・お互いにテーマを依頼して、講師を派遣する
・例えば内部統制、事業再生、包括外部監査、相続等
幸い、研修事業委員長の花野さんがどんどん引っ張っていってくれているため、頼もしい限りです。若手同士の交流にも期待を寄せていきたいと思います。

2007年7月6日金曜日

公認会計士の日 ~中部経済新聞に登場してしまったのだ~

 7月6日が公認会計士の日であるということは、知る人ぞ知る、知らない人はまったく知らない事実なのです。ちなみに私の誕生日である8月5日は「タクシーの日」なのだそうで、毎年この日が近づいてきて、タクシーに乗車すると「8月5日はタクシーの日です」と車内に掲載されてあるのを発見してしまい「おおっ!そういえばそうだったな」と思い出すのですね。

 従来東海会では、公認会計士の日には、東海会に属する会員の皆さんの名前を新聞に掲載していたのですが、例の個人情報保護法の関係で出来なくなってしまったようです。もしかしたら、毎年そこに名前が出るのを楽しみにしていた方もいらっしゃったかもしれませんが(いないか)、今年は私がインタビューを受けてそれを新聞に載せてしまおうという方針でした。
 早速中部経済新聞を取り寄せて記事を探しにいったのですが、なんということか、1ページ全面広告で、私の疲れ目の写真が載っているではありませんか。なんとなく気恥ずかしくなってしまい、思わず新聞から目をそらしてしまったのでした。
 新聞に書いてある内容のうち、私が最も強調したかったところは、これから公認会計士を目指す人への助言です。私は、公認会計士という職業は、監査を通じていろんな業種、多くの会社を経験できるし、若いうちから役職者と話ができ、いろんなことが経験できて、こんなおもしろい職業は他にないと思っているのです。
 また、監査だけでなく、株式公開を手がけたり、コンサルティング、企業買収、株価鑑定評価、包括外部監査などニーズは広がっており、活躍の場はたくさんあります。そういった山のような選択肢の中から自分のやりたい仕事を見つけて、ぜひチャレンジしていただきたいということなのですね。
 大変魅力的な業界ですので、若い人たちに、この業界にどんどん入っていただくことを期待しています。

2007年7月5日木曜日

ポスター打ち合わせ ~ポスター選びは難しい~

この日は来年行われる全国研究大会の、ポスター打ち合わせの日です。山田副会長の他、杉原広報委員長・二村副委員長にも集まっていただきました。さっそく業者が作成してきた候補作品を検討したのですが、案としては3種類
1) 人物案
2) 大会開催地域性案
3) 社会への広がりをイメージした抽象案でした。


1)は、公認会計士と思われる若い人物が、きりりとした恰好で登場する例のやつで、「公認会計士協会・・・」と書いていなければ、リクルートにでも会社案内にでもどこにでも使えるありふれたもので、あまりインパクトはないのですね。
2)は、名古屋城と駅前の高層ビルで、これまたいかにもいかにもいかにも名古屋名古屋名古屋的(入力ミスではありません)で、面白みが感じられなかったのです。
3)は、最初はよくわからなかったのですが、タンポポの綿毛がふわふわ飛び散っているもので、公認会計士業界の広がり・発展をイメージしたものだということのようです。
う~む!なかなか難しい。事務局の大倉さん・渡邉さんを含め多数決をとったのですが、ものの見事に意見が分かれてしまったのでした。なぜかというと、これはというものがなかったからなのですね。
そこで、我々はもっとお金をかけてみてはどうかと考えました。せっかく名古屋で12年ぶりに開催される大会です。オリンピックだって4年に1回ですので、オリンピックの3回分なのです(なんのこっちゃ?)しかも、名古屋はオリンピック誘致に失敗した(これは禁句ですが)のですが、我々は研究大会の誘致に成功したではないか、この際納得のいくよう名古屋の独自性を出してみようではないか、という事なのです。
幸い、予算は取ってあったため、業者に予算を告げ、再度提案してもらうことにしました。今度こそ、きっちりとけりをつけていただきたいところです。

2007年7月4日水曜日

本部総会 ~藤沼会長最後の総会~

 今日はいよいよ藤沼会長の最後の総会の日です。激動の3年間の締めくくりとなりました。歴代の会長の中では、国会でご発言された回数が最も多かったというエピソードをお話されていましたが、いかに激務だったかを物語るエピソードだと思います。お疲れ様でした。
午前中最後の理事会が粛々と開催され、12時30分からは新役員の懇談会がありました。そこで新理事は、「3年間社会的使命を全うし、パブリックインタレストに貢献する」という趣旨の「宣誓書」を、それぞれ提出したのです。

 午後からは、いよいよ会計士協会本部の総会です。毎年大勢の会計士が帝国ホテルに集まり、活発な意見交換がなされますが、今回も予定時間をオーバーし、会員の声を聞く会の時間があまり取れなかったのは、残念な気がしました。
夕方からは懇親会があり、冒頭増田新会長からご挨拶がありました。内容としては5つの施策を提案されていました。
■ 公認会計士協会の自主規制の確保
■ 公認会計士法改正への対応
■ 上場会社監査事務所登録制度の適切な運営
■ 後進育成
■ ガバナンス改革の続行
 会計士協会の会長は、任期が3年という事で限られているため、駅伝と同じだと思います。それぞれ与えられた区間を全力で走りぬいた後、次のランナーにしっかりたすきを渡す、その繰り返しなのだと。
 私も微力ながら、激動から安定に向けて、この業界のために3年間がんばってみたいと考えているのです。

2007年6月27日水曜日

来年の全国研究大会を切り抜ければと考えていたが・・・

 6月27日、研修事業委員会の初会合が開催されました。研修事業委員会は、独自の研修のほかに、毎年行われる中日本五会(すなわち東海・近畿・兵庫・京滋・北陸)研究大会の準備があり、委員長は結構大変なのですが、当番会でなければ、通常は大きな負担はかからないはずでした。しかし今回は、任期3年間のうちに、なんと全国研究大会が名古屋で開催されることになっているのです。時は平成20年7月17日、すでに開催まで1年余りとなっています。何しろ名古屋で行われるのは12年ぶりですので、私もこの大会に大勝負をかけているのですね。


 従って、今回研修事業委員長の人選を行うに当たっては、大きな負担がかかることを前提に引き受けていただかなければならず、どなたか引き受けていただける方がいらっしゃるか、不安に思っていたのでした。ところが、思い出してしまったのですね。花野さんに役員を引き受けていただいたときに「厚生委員長はすでにやったので、それ以外であればなんでもOKです。」と言っていたのを。花野さんは愛知大学会計大学院でご活躍されていますし、本も何冊か出しているということで、行動力もあり、もっともふさわしいのではないかという事で今回お願いすることにいたしました。そして、花野さんにも快くお引き受けいただいた(たぶん・・・)というわけなのです。

 全国大会を乗り切れば、後は何とかなると考えていたのですが、今回の会合の議題を見て、思わず???となってしまいました。「平成21年中日本五会研究大会メインテーマ・研究テーマ」とあるではありませんか。中日本五会については、確か2年ほど前に東海会が当番会という事で、私が準備委員長をやったばかりです。従って私の任期中には、東海会が当番会になることはないとふんでいたのですね。いろいろ事情を聞いていると、五会といっても規模が違うため、東海会は5年に1回ではなく、もっと早く当番が回ってくるのだそうです。しかも近畿が今年CAPA大会を実施後、すかさず来年中日本五会の当番会も引き受けるということで、東海会だけが、全国大会があるから中日本五会研究大会を続けて引き受けることは出来ないと言えなくなってしまったようなのです。従って、来年全国大会が終わったら、半年後に中日本五会研究大会も開催しなければならず、なんともはやなんてこったの研究大会続きとなってしまったのでした。

 花野さんのほかにも研修事業委員会にたくさんの方が委員になっていただいたのですが、このようなわけですので、3年間よろしくお願いします。会合終了後の懇親会で、コレステロールの話題で盛り上がっていたので、大丈夫かなと思ってしまうのですが、きっちり勝負しようと考えているのです。

2007年6月23日土曜日

部長委員長会議開催

  今日は、会長就任後最初の役員会(部長委員長会議)の開催日となりました。副会長時代の3年間、前川会長の下で正副会長会議及び役員会を経験してきましたが、いざ自分が仕切らなければならないとなると、なかなか大変なのです。前日に東海会へ出向いて今日の打ち合わせを行い、研究大会の今後についても準備を行ってきたのですが、果たしてうまくいくかどうか。正副会長会議が12時15分から食事を含め15時まで、役員会が15時10分から17時までと、合計約5時間もあります。間が持つかどうか心配でしたが、当たって砕けろなのだ。

  正副会長会議では、前会長からの持ち越しテーマである事務局の移転問題についてと、研究大会について話し合いました。前者については、ずるずる引きずっているテーマですが、今年度中には決着したいと考えています。研究大会についても、まだまだ先のことだと考えているうちに、時間だけはあっという間に過ぎてしまいますので、これも早めにけりをつけて、安心したいと考えているのです。

  さて、後半の部長委員長会議ですが、前川会長のころは、基本的に毎回17時までしっかり時間をかけて行っていましたが、2時間というのはけっこう長い時間ですので、早めに終われたら終わってしまおうともくろんでいたのです。順調に議題が進み、このままでは30分で終わってしまうのではないか→いくらなんでもこれでは早すぎるのではないか→議事の運営失敗→会長失格という負の連鎖が頭の中を一瞬かすめたのですが、研究大会の議題になったとたん議論が伯仲し、結局終わったのは17時でした。やれやれ。
決定事項としては
   ■ メインテーマ及びサブテーマ
   ■ 基調講演の発表者
   ■ ゴルフ
未決定事項としては
   ■ 研究発表者
   ■ 前夜祭の催し物
   ■ 懇親パーティの催し物
   ■ 基調講演と懇親パーティの間の催し物
   ■ 観光旅行
となっています。
 今後早急に詰めていこうと考えていますが、何しろ東海会での開催は12年ぶりですので、東海会独自のアイディアを出したいと考えています。いいアイディアがありましたら、ご提案いただけたらと思います。

 役員会終了後、ホームページについて、業者と話し合いを行いました。「越麻呂日記」を一般向けにするか、あるいは会員向けにするかという議論があり、ここは多少のリスクを負っても、会計士業界に対する社会のエクスペクテーションギャップ解消と、今後この業界に入ってくる人に話しかけたいという思いもあり、無謀ではありますが、一般向けに開設することにいたしました。
図柄に関してはなかなかいいではないかと思っています。枠は畳だそうです。
後は中身で勝負なのだ!

2007年6月21日木曜日

東海税理士会総会出席

 昨日の名古屋税理士会総会出席に引き続き、今日は東海税理士会の総会にご招待いただいているのです。場所も同じマリオット・アソシアホテル。来賓の控え室に顔を出すと、昨日と同じメンバーが何人かいらっしゃいました。「やぁやぁ、どもども」「またお会いしましたね」などと挨拶を交わしながら、総会に出席させていただきました。やはり人数が圧倒的に多くて、挨拶をするほうも大変だと思うのですが、名古屋税理士会の久野会長も、東海税理士会の川松会長も、任期を重ねられていらっしゃるようで、慣れているご様子でした。懇親会の席で、顔なじみの奥谷副会長と話していたのですが、副会長も5期目になるそうです。両会長ともお話しする機会があり、大変貴重な時間を過ごすことが出来ました。


 会計士協会東海会の場合は、会長の再任はありませんので、3年の任期が終了次第、お疲れ様でしたということになるのですが、おそらく任期が終了するころには、精根尽き果てて「もう一期やらぜでぐで~(なぜか谷岡ヤスジ風)」などという気力はなくなっているのでしょうね。
ここでふと思いついたのですが、私は現在まだ50歳で、3年後の任期終了後はまだ53歳です。この間、法人業務から離れてしまっている私の立場は、その後どうなってしまうのでしょうか・・・タラ~リ!(冷や汗の流れる音です)。
あまり先のことは考えないようにしよう。


 この日は、実務補習委員会とダブってしまっていたため、残念ながら出席できませんでした。懇親会の途中からでもと思ったのですが、この委員会の懇親会は11時過ぎでも「ちょっと早いですがお先に失礼させていただきます」状態と聞いていたため、連夜の深酒と自分の体調を考え、今日は断念することにしました。

2007年6月19日火曜日

~「好きなようにやっていいですからね」と、鈴木正男先生は言った~

  昨日の愛知県会総会に引き続き、今日は名古屋税理士会の総会にご招待されているのです。マリオットホテルで行われたのですが、控え室では税理士会にご関係のある方々が十数人集まっており、名刺交換することが出来ました。その中で出た話でかつて何度か疑問に思っていたことの中に、「名古屋税理士会と東海税理士会の守備範囲はどのようにして決まったのであるか」という、永遠のテーマがあるのです。

  名古屋税理士会は、名古屋市と半田市と岐阜県をカバーしており、東海税理士会は、それ以外の東海地区をカバーしているというのですね。一体どのようないきさつでそのような地区分けになったのか、今のところ明確な回答に遭遇したことがなく、今回もまた「どうなんですかねぇ~」のまま、未解決事項として先送りされてしまったのです。来年の総会でも、また同じ話題が出るような気がするのですが、だれかご存知の方は教えてください。

  総会自体は、東海会に比べると大変な人数で、圧倒されてしまいました。会長も大変だと思います。
  夕方からは懇親会が立食パーティ方式で行われました。その会場にて鈴木正男先生とお話する機会があり、税理士の息子さんもご紹介していただきました。鈴木先生は「越山さん、思う存分好きなようにやっていいかんね。いざとなったら、私がブレーキをかけますかんね。ですから、安心しておやりなさい」とおっしゃってくださったのです。「お~し、お~し!やってやろうじゃないの」と思いましたね。

  懇親会終了後、事務所に戻ってメールをチェック。そして急いで広報委員会の懇親会に突入。実は今日は広報委員会とバッティングしていたのです。広報委員会は、「魅力ある東海会創り」を進める上で、また来年の研究大会のこともあり、今回私が力を入れている委員会の一つですのでぜひ出席したかったのですが、やむなく懇親会からとなってしまいました。

  懇親会で待ち受けていたのは、城塚不良中年・・・ではなかった副会長や杉原委員長、二村副委員長はじめ多くの広報委員の方々でした。もうすでに盛り上がっており、私も遅ればせながら、急ピッチでキャッチアップしたのです。「飲めばわかる」の城塚不良中年とは、ここでも意気投合してしまったのですが、「カイチョー」は言わない約束でしょ。城塚氏は「ワシは静岡県の代表として、ここ1週間で4回も東海会に来ることになってるんだわ~ナハハハ!」と豪快に笑っていました。東海会総会、税務委員会、広報委員会、そして部長・県会長会議と確かにそうなのですね。不良中年どころか、超まじめな中年と申し上げたいと思いました。失礼しました。

  話題の中では、一週間で7kgも痩せたという話もあり、一部の方々の熱い視線を浴びていた委員もいました。また、首から下げたタオルがなぜかとてもよく似合う委員の方もおり、大変楽しく過ごすことが出来ました。二次会に足を運んだ委員もいましたが、私はこれが二次会で、昨日の愛知県会と明日の東海税理士会の総会・懇親会も控えているため、帰宅。

  なにしろ広報委員会は大変なのだ。皆さん、よろしくお願いします。

~サラカイセン怒涛の100連発なのだ!!~

1.まだ仕事 目覚めて起きて もう仕事


2.大先生 今日も実査か ゴルフ場


3.SW(スワップ)は サンドウエッジかと ゴルフ狂


4.もうやめた 歌って踊れる 会計士


5.この会社 あんたに任せる 5年ルール


6.なあおまえ その習慣を 変えないか


7.おれだって 隠滅したいぜ 浮気の証拠


8.業界婚 合併したら 社内婚


9.酒場での 主役は繰延 税金資産


10.欠損金 にわかに重宝 がられけり


11.繰欠が だめならただの 欠となる


12.小六法 一年たったら また太り


13.社員とは 何のことかと 妻がいい


14.騒がれて 監査法人 認知され


15.うそつきと 責任逃れと 無関心


16.四半期に 一度は見直す わが人生


19.ニーロク(ちなみに2万6千円)の 麻のジャケット 買ってみた


20.民間では おめにかかれぬ ダブル諸表


21.源泉ゼロ 還付してくれ そりゃないが


22.提携が いつのまにやら 支配され


23.再編は 他人事だと 思ってた


24.会計の プロもおびえる 審査会


25.哀愁と わびしさ漂う 晩酌セット


26.法人の 人的資産も 再評価


27.できるなら 早くとりたい 補の字かな


28.士補の字が とれてうれしい はないちもんめ


29.またチョンボ ワシは事務所の 減損人間


30.この給与 どういうことかと 部下が言い


31.藍ちゃんと 同じクラブを 買ってみた


33.また来たか ウイルスメール 氾濫し


34.人のこと 気になる自信の ない人よ


35.合格だぁ! と叫んでもはや 20年


36.初仕事 これが実査か 小切手か


37.補習所の 講師の解説 子守唄


38.その仕事 俺がとってきた はずですけど


39.断れぬ 単身赴任で 家族分割


40.俺だって 棒引きされたい 住宅ローン


41.割り増しで 優遇されて 退職し


42.キックオフ けったボールは どこへやら


43.変わり身の 速さだけは かなわない


44.成果主義 いってる中身は 結果主義


45.年功で あいつの次は 俺の番


47.あれとこれ 合わせて一本 シニア昇格


48.コースケが 勝ってコーセイ 敗れたり


49.報酬の 値上げは今年も 未実現


52.帰宅して 着替えもそこそこ 皿洗い


53.貴引退 おまえはまだかと せかされて


54.いばらない おごらず怒らず 自慢しない


55.これだけは 譲れないもの もってるか


57.パソコンの 画面イチロー 4の3


58.わが亭主 監査法人に 勤めてた


59.定昇ベア いずれは死語に なるだろう


60.パソコンが 壊れてうれし Eメール


61.夏休み 遠慮しながら こっそりと


62.私にも 冬眠させてよ 1ヵ月


63.業発の ルートはないけど 俺流で


64.PSは 追伸のことだと 思ってた


65.人生は 祭りと戦い いや遊び


66.哀れなり すぐ金カネと 言う人よ


67.入所式 かばん持ちを 引き継いで


68.細々と 続いているよ サラカイセン


69.スタッフの 机と椅子は 共用資産


70.合格だ でもTOEC試験が 待っていた


71.初仕事 先生とは一体 誰のこと?


72.考課表 仕事のスタンス 調整し


73.負けたって いいではないかと ハルウララ


74.牛はだめ ニワトリもだめ 豚はよし


75.そろそろと 船出しました 前川丸


76.勝ち負けにも いろいろあるよ 人生は


78.テンパー(10%)の戦力アップ 見せてくれ


79.楽天は 後出しじゃんけん そりゃないぜ


80.知らぬ間に 登場してた 会計参与


81.時間だけ 増えて報酬 据え置かれ


82.監査論 実務はこんなに 違ってた


83.合理主義 負荷が負荷がで 不可だらけ


84.ルビコンの 川を渡って みようじゃない


85.年功も なかなかすてた もんじゃない


86.赤字でも 回っているよ キャッシュフロー


87.収益を 生まない社員は 減損だ


88.デフレには デフレなりの 生き方を


89.Budgetと Saleと営業で BSE


90.志 なぜか届かぬ 再生機構


91.みかん粒 昔は大事に 食べていた


92.政治家の 力に負けるな ASB


93.熱燗が 臓腑に染み入る 冬のなべ


94.雪見酒 期待したのに 雪はなし


95.ストライキ 死語辞典から よみがえり


96.スキャンダル BRCでは 追いつかず


97.定刻に そろりと変える あの人よ


98.申告書 苦労したけど 還付なし


99.またOB はなかみ親父 苦笑い

~いつかは愛知県会会長もアリかと思っていたが・・・~

  中部経済新聞社の取材が終わって一息つくと、夕方19時からは愛知県会の総会です。鈴木正男先生の乾杯の挨拶にもありましたが、従来愛知県会の総会には20~30人しか集まらなかったそうで、これだけ多くの会員が集まったのは、おそらく初めてではないかという事でした。久しぶりに参加したという会員の先生も、驚いていました。途中から若手会計士がわらわらと参加してくれました。小林新会長の酔った後でのオモシロ挨拶もあり、大いに盛り上がったのでした。よかったよかった。三重県会の集客力とあの盛り上がり方は半端ではありませんが、愛知県会の総会もなかなかいいではないかと思いましたね。

  愛知県会に関しては、私は以前、岩田(保)先生、田嶋先生、武井先生の3会長の下で、幹事と副会長を担当しており、しかも広報部との兼務が長かったため、愛知県会でゴルフやソフトボール大会、ボーリング大会やバス旅行といろいろ行事を楽しんでは、毎回2~3本東海会ニュースに面白おかしい原稿を書いて、寄稿していたのです。原稿を書くのが、当時の私の楽しみの一つでした。その中で生まれたのが、ゴルフのジョン・モーリー(毛利先生)や、トム・カイトではなくてトムカ・イトー(伊藤哲先生)、であり、ソフトボールのオレンジ稲垣(稲垣先生)だったのです。懐かしいなぁ!
今になって考えてみると、この会の幹事をやっていた時期にめぐり合えた方々が、現在各監査法人で大活躍をされている方々ばかりで、その後も協会活動をはじめ日頃の業務においても長くお付き合いさせていただいているわけです。楽しみながらやっていたこととはいえ、つくづく協会活動をやってきてよかったなと思っています。

  愛知県会に愛着を抱いていた私ですので、いつかは愛知県会の会長もアリかなと密かに考えていたのですね。裏話をさせていただくと、前川先生が東海会会長になられるときに、実は愛知県会会長就任を密かに打診されていたのですが、いろいろあって東海会の副会長になってしまいました。また、今回の副会長の任期が終了して退任する際も、もしかして愛知県会長もあるかなと考えていたのですが、こちらもいろいろあって、流れてしまいました。
なんとなく残念な気もするのです。

2007年6月15日金曜日

~中経の取材を受けてしまったのだ~

  今日は朝5時起きで、全米オープンを見ているのです。そして、手元には、インタビューで話す内容をまとめたものを用意しておきました。中部経済新聞社からの依頼で、14時から1時間半ほど、7月6日の公認会計士の日にちなんだインタビューを受けることになっているのです。昨日そのテーマと話す内容をまとめておいたのですが、何しろ新聞1ページ丸ごとインタビュー記事という事ですので、再度見直し、付け加えることにしたのです。

  ちょうど1~2ヶ月ほど前、藤沼会長が日経新聞で1ページ丸ごとインタビュー記事を載せていたので、私としましても当然それを意識せざるをえません。こうなったら藤沼会長と勝負なのだ!

 取材を受けるのはめったにないことなので、はじめは緊張するかと思ったのですが、インタビュアーとは終始和やかに話が弾み、この業界がいかに魅力的な業界であるかをPRできたと思います。たまたまここ2~3年はいろいろあって、公認会計士もなんだか自信をなくしているところがありますが、もう一度原点に立ち返って、志を高く持ち、その使命を全うしようではないかという事なのですね。


  途中でカメラマンが前から右から左からと、フラッシュをバシャバシャ焚いて写真を撮っていたのですが、いい感じで撮ってくれたでしょうか。このあたりが藤沼会長との勝負の分かれ目だと思っているのですが・・・。

  テレビの取材については、以前CBCの夕方5時ころから始まるユーガッタ(でしたっけ?)という番組で、自宅マンションのジャングルのようなベランダの取材を受けたのと、広報委員長のときに、自由業団体連絡協議会で無料相談をやったとき、NHKの昼のニュースで生取材を受けたのと2回ほどあるのですが、いずれも見ている人がしっかりいるのですね。近所の食堂のおばさんや同僚の人たちなど、あちこちから「越山さん、テレビ見ましたよ!」と声をかけられたものでした。

  今回の中経の取材記事も、多くの方々に読んでいただきたいと思います。

2007年6月13日水曜日

~実質最後の本部理事会だった~

  3年間続いた会計士協会の本部理事会も、実質的には今日が最後となってしまいました。週末に軽井沢で行われた役員の懇親会や、前日の懇親ゴルフには、所属事務所の社員会があったため残念ながら出席できず、多少心残りはありますが、大変勉強になった3年間だったと思います。
  理事会に出席した当初は、毎回高さ10cmほどある資料に圧倒されました。事前配布資料を何とか理解しようと読み込んでみたものの、よくわからず、さらに当日配布資料についてはほとんどついていけない状態で、もしかして理解できていないのは自分だけではないかと、己の能力不足を真剣に嘆いたものでした。毎回時間ぎりぎりまで活発な議論が繰り返されていましたので、この業界を何とかしようという思いが伝わってくる、充実感のある一日を過ごすことが出来ました。

  理事として過ごした3年間は、私にとって貴重な経験でしたが、やはり協会活動の醍醐味を味わうためには、常務理事にならなければなかなか難しいなと思いました。ましてや副会長から会長になる人は別として、基本的には地域会の場合は1期だけしか理事を出来ないため、本部の協会会務に軸足をおいて継続的に貢献するということが出来ないというのは、残念なことだと思います。

  次の任期からは、常務理事が実質的に協会運営にたずさわり、理事会は今までの毎月開催から2ヶ月に一回しか開催されないことになりました。理事の役割がどのように変わるのか、協会の運営の仕方が今後どのように変わっていくのか、次の3年間も見守っていきたいと思います。

2007年6月11日月曜日

~不良中年発言が受けてしまったのだ~

  総会が終わるといよいよ懇親会です。出席者が総勢114名という事で、大変にぎやかに始まりました。最初に私から挨拶をさせていただいたのですが、内容としては「私はもう50歳になったのであるから、本来は不良中年宣言したいところであるが、東海会会長に選任されたということで、当初は、3年間は我慢しようと考えていた。ところが、五木寛之の“林住期”という本を読んで、50歳になったら好きなことをしていいという教えをいただいたので、この際、協会活動を楽しんでしまうつもりである。オヤジバンドも結成したい。よろしく!」といったものだったのです。

  この不良中年発言が、静岡の城塚副会長に受けてしまったのですね。日本酒片手に私のところに歩み寄り、「越山さん、不良中年、ワシも気に入った。楽しくやりましょう」と上機嫌で話しかけてきたのです。城崎さんこそ不良中年会会長にふさわしいのではないかと、私は確信しましたね。

  また、会場をふらふら歩いていると、名古屋証券取引所の高松常務執行役員が、「ワシもギターをやるんだワ」とこっそり耳打ちしてきたのです。その発言を聞き逃さなかった私は、おもわずニヤリとしてしまったのは言うまでもありません。仕事と遊びの交流の輪を広げていきたいものです。

  そして、最後の締めは、前川前会長の三味線ライブです。袴姿でお師匠さんと登場すると、津軽ジョンガラ節を引き始めたではありませんか。あれほど真剣で緊張しきっていた前川先生のお姿は、初めて拝見いたしました。「俺の最後のわがままを聞いてくれ!」という前川先生の思い、しっかり受け止めました。問題は、私の3年後の退任時のパフォーマンスです。後を引き継いで、例えば吉田拓郎の「旅の宿・・・アコースティックギター・ソロバージョン」をご披露したらいいのか、あるいは12弦ギターで「あのすばらしい愛をも一度」でも弾いたらいいのかいろいろ考えてしまいました。今から退任時のことを考えても始まらないのですが、練習だけは怠らないようにしたいと思います。

  懇親会が終わった後は、数人で52階のバーで打ち上げをやったのですが、前川先生は袴姿のまま、隣の外国人客となにやら楽しそうに談笑していました。会長の重圧から解放されたのですね。みんなでラーメンを食べて帰宅。長い一日でした。

2007年6月8日金曜日

~東海会の会長ということに・・・・・・~

  6月8日、とうとうこの日を迎えてしまったのです。ここ3年間、東海会副会長として、前川会長を微力ながら支えてきたつもりでしたが、東海会の会長に関しては、「ワシには関係ないケンネ」と、無関心的ケンネ症候群を決め込んでいたのですね。ところが、年明け早々前川会長から、突然「東海会会長を引き受けてくれませんか」と言われてしまったのです。この青天霹靂的緊急予想外困惑突発的無理難題要求に対して、私のほうとしては、法人業務が超多忙であること、体調不良であること、法人の許可がおりないこと、はっきりいって自信がないこと等、思いつくだけのお引き受けできない理由を突きつけて、「これでどうですか、まいりましたか」と、丁重にお断り申し上げたのですが、前川会長は「いや、まいりません。すでに本部の賀詞交歓会において、東海会は越山さんがやることになったからと、話してしまったのです」と言われるのですね。「それってありですか?」と内心思いましたが、鈴木正男先生や幅先生からも優しいお言葉をいただき、無謀だとは思いながらも、お引き受けさせていただくことにいたしました。

  それ以来約5ヶ月間、東海会の会務に集中できるよう環境の整備を・・・と心がけてきたのですが、法人業務に埋没しながらまったく身動きできない状況で、時間だけが過ぎていき、いよいよ総会に突入してしまったというわけです。

 総会では、会長就任挨拶と表彰式、総会終了後は懇親会での冒頭挨拶という役割を与えられていたため、あらかじめ挨拶の原稿を考えておきました。事務局長の大倉さんに聞いたところ、総会での挨拶は、テーブルがあるので原稿持参OK、懇親会はマイクのみのため、原稿なしということで、段取りしていました。いよいよ総会が開催される時間となり、前川会長の隣に座っていたのですが、前川会長もやはり挨拶の原稿を用意していたので、私も原稿持参OKね!という事で、すっかり安心しきっていました。ところがいざ総会が始まると、前川会長は原稿を持参することなく、淡々と挨拶を始めるではありませんか。これはいけませんという事で、私も自分の出番が来るまで、ひたすら原稿の暗記に努めていたのでした。

  何とか挨拶も無事終了し、表彰式へと移っていったのですが、私みたいな若輩者が、30年間もこの業界で功労のあった方々を表彰するというのは、大変申し訳ない気持ちでした。後で写真を見たところ、私の背中が丸かったのですね。私が表彰するのは10年早いと思いながらも無事終了。
  これから3年間、よろしくお願いします。